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<東京怪談ノベル(シングル)>


さる廃屋の光景〜急


 白鳥・瑞科(しらとり・みずか)の放った渾身の一撃は、過たずまっすぐ亡者の司祭へと突き進んだ。逃れようもないその一撃から、だが必死に逃れようと司祭がうごめく。

「無駄な足掻きですわね」

 その様を見つめた瑞科が、今が戦闘中と言うことすら感じさせない落ち着き払った様子で嫣然と微笑んだのと、瑞科の渾身の一撃を受け止めた司祭が愕然と目を見開いたのは、同時。

『グギャアアアア‥‥ッ!!!』

 廃教会のなかに、崩れ逝く亡者の断末魔が響き渡った。びりびりと建物を震わせ、崩れかけた屋根を響かせるほどの大音量――けれども亡者の放ったそれであるがゆえに、現実の建物にまで実際に被害が及ぶことはない。
 どろどろと崩れ落ちるように司祭の形が溶け、不定形の生き物となって床に染み込むように消えていった。それを最後まで見届けて、瑞科はふわり、柔らかな微笑を浮かべる――戦闘時に浮かべていた艶やかで凛々しい笑みとはまったく異なる、それは身にまとうシスター服に相応しい、聖母の笑み。
 瑞科はしなやかな四肢をそっと折り、司祭が消えた辺りに膝まづいて形ばかりに手を組んで、祈るようにわずかに瞳を伏せた。

「任務達成ですわ‥‥それにしても、少しばかり、私が出てくるには弱すぎる敵でしたわね」

 最後はほんの少し呆れたため息を漏らしながら、瑞科はゆっくりと立ち上がり、シスター服のほこりを払う。そうして来た時と同じく、カツ、カツ、カツ、とブーツの音を響かせながら、静かに廃教会を跡にした。
 後に残されたのは亡者との戦闘の名残など欠片も感じさせぬ、ただ打ち捨てられた、それゆえにどこか厳かで静謐な空間だけだった。





「――以上が今回の任務の顛末ですわ。こちらが報告書です」
「ご苦労だった」

 司令室。そこにたった一つ置かれた重厚な机の向こうに座る司令官に、瑞科は微笑みながらそう言葉を締め括り、手に持っていた報告書を恭しく差し出した。頷き、受け取った司令官に目礼をして一歩下がり、ピンと背筋を伸ばして体の前、へその下辺りでそっと手を重ね、司令官が報告書を読み終わるのを静かに待つ。
 自室に帰りついた瑞科は、戦いの埃で汚れた戦闘服を脱ぎ捨て、手早くシャワーを浴びた。汗をかくほどの相手でもなかったけれども、打ち捨てられて久しいような廃教会での大立ち回りは、いやでも舞い上がった埃にさらされる。だからほんのわずかの誇りも残さぬよう、全身を丁寧に洗い、濡れると瑞科の肢体に怪しくまとわりつく長い髪もきちんとトリートメントまで済ませ。
 けれどもいかにもシャワーを浴びたような、風呂上り特有の甘い香りを漂わせる訳にはいかない。瑞科が与えられ、遂行してきた任務は基本的に極秘のもので、もちろん瑞科自身が武装審問官――戦闘シスターであることは知られてはならないからだ。
 ゆえに瑞科はシャワーを終えると、全身を余す所なく柔らかなバスタオルで丁寧に水気を拭い、濡れた髪を丁寧に梳りながらドライヤーで完璧に乾かした。それから今度は特殊な匂い消しでソープやシャンプーの甘い匂いを消し去って、夕暮れの近い時間帯に相応しくほんの少し疲れたようなメイクを施したのだ――もちろん、そのままでは瑞科の完璧すぎる美貌を保つ事など出来はしないので、きちんとお肌や髪の手入れはしてから。
 身につけているのはタイトのミニスカートスーツ。これにも僅かにスリットが入っていて、歩けばそのたびにめくれ上がって瑞科の形良い美脚を強調し、座れば絶対領域ギリギリの辺りまで見せ付けるという際どいものだ。
 武装審問官としての、そしてそれ以上に身体の髄にまで叩き込まれた戦う者としての習性なのだろうか、瑞科はあまりひらひらと足元にまとわりつくような衣服を、少なくとも仕事中には好まない。だが女性用のスーツといえば動きやすさよりも見た目を重視するものが多く、結果として瑞科が選ぶのはミニスカートが多くなる。
 きゅっと、身体のラインを必要以上に強調するかのようなタイトなものを選ぶのも、逆を言えば瑞科の豊満すぎる肉体をとっさに動けるようサポートできるのがそのデザインのスーツだけだったというだけで。さすがにスーツの上に豊か過ぎる胸元を戦闘中も支えてくれるコルセットをつけるわけには行かないから、次善の策としてきゅっと身体を締め付けるようなデザインのものを選び、動きの無駄をなくすしかなく。
 ゆえに戦闘シスター服とはまた別種の色香を漂わせた瑞科がそうして、ピンと胸を貼り、身体の前で緩く手を重ねた上品な立ち姿を取ると、まるで豊かな胸元をぐいと突き出し強調しているかのようにも見える。それでなくともスーツという、本来色香とは無縁であるべき衣服を通して発せられる隠し様のない妖艶な色香は、シスター服の時とは別種の、だが同様に背徳的な雰囲気を見る者に感じさせずには居れなかった。
 けれどもこの、司令官は違う。

「――なるほど。瑞科、良くやったな」

 瑞科をただの女、劣情の対象として見る事無く、ただ抜きん出た実力だけを重視して重用してくれるこの司令官に、瑞科は全幅の信頼を置いていた。だから、そんな相手からの掛け値ない労いの言葉を聞いて、瑞科の頬が僅かに上気する。
 今までにも色々な相手が居たが、大抵の男が瑞科を見る目には必ず、色を含んだ下卑た光が宿っていたものだ。そういう相手を瑞科は軽蔑していたし、より直接的な行為に出ようとする相手には二度とそんな気が起こらぬ様徹底的に報復をしたりもした。
 瑞科は、瑞科の抜きん出た実力ではなく、瑞科のもって生まれた豊満で悩ましい肢体を見る男があまり好きではない。それはすなわち、瑞科自身の実力を軽んじられたのと同じ事だからだ。
 だから。

「楽な任務でしたわ。少し、ものたりませんでした」
「はは、頼もしいな。さすが瑞科だ――次も頼む」

 つん、と澄まして、けれども瞳は歳相応に輝かせた瑞科の言葉に、司令官は小さく笑って満足そうに頷き、デスクから立ち上がって瑞科に歩み寄ると、ぽんと労うように肩を叩いた。そうして「今日は他に任務もないからゆっくり休め」と瑞科を送り出す。
 失礼します、と頭を下げて瑞科は司令室を出た。出て、一度だけ司令室の重厚な扉を振り返って、それから本来の仕事へと戻るべくカツカツとピンヒールを鳴らして廊下を歩き始める。
 カツカツ、カツカツ――
 戦闘用のブーツとはまた別の硬い音を聞きながら、司令官の言葉へと想いを馳せた。

(次の任務‥‥もう決まっているのでしょうか?)

 怪異は潰した傍から絶え間なく生まれ、組織に敵対するものも潰した傍から生まれ続ける。それらは決してなくなるものではなく、そうして瑞科の任務も決してなくなりはしない。
 それでも。

(どんな任務であれ、完璧に遂行して見せますわ)

 例えどんな任務であろうとも、瑞科の実力であればこなせない任務など存在しないはずだ。さらにそれが、瑞科が全幅の信頼を置き、瑞科の実力を信頼してくれる司令官から与えられる任務ならば、どうして遂行出来ない理由があるだろう?
 だから、次に待っている任務がどんなものであったとしても、瑞科は必ず遂行する。敵に勝つ、のではない。そんなのは当たり前以前の問題だから。

(楽しみですわね)

 ふふ、と微笑んだ瑞科の微笑みは、年相応に無邪気で、それゆえに耐え難く魅力的なものだった。