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<東京怪談ノベル(シングル)>


聖女たり得る者 非現実な日常

 それは彼女の日常だった。
「全く、あなた方は懲りも呆れもなさいませんのね」
 ざり、と、剣の切っ先が枯れ褪せた地面を掠め、僅かに砂埃をたなびかせる。
 吹き抜ける風は乾き、朽ち果てた家屋の隙間を通り抜けては寂しげな音を立てた。
 廃墟と一言称すれば事足りよう、いかにも殺風景な荒地。その中に蔓延るのは、得体の知れない魑魅魍魎の、群れ。
 言語としては理解できそうもない、呻き声をあげながら、のろのろと肢体を引きずる姿は、映画に出てくるゾンビの動作にも似ていた。
 中にはしっかりとした体躯を持ち、錆毀れた獲物を手にぎらついた視線をぶつけてくる個体もあったが、彼女にとっては、同じだった。
「さぁ、いらっしゃいまし。わたくしを引き裂きたいと、思っていらっしゃるのでしょう?」
 挑発するように。白鳥瑞科は剣を持たぬ手を横に広げた。
 純白のヴェールの下に、慈愛さえ窺わせる笑顔が過ぎる。飛び込めば、その細くしなやかな腕で掻き抱き、惜しみない愛を捧げてくれるだろう、聖母の笑み。
 廃墟の只中、魑魅魍魎の群れに囲まれたその中心。その情景にあまりに似つかわしくない微笑は、彼女の纏う装束が持たせる印象でもあった。
 さらりと靡く美しい茶髪は、荒地の中でさえきらきらと光を失わず、それを覆う純白を一層際立たせる。
 長く伸びたそれが滑る肩から背にかけては、やはり純白のケープ。はたはたと音を立ててはためくその下には、禁欲の象徴、シスター服があった。
 白を基調としたその服は、瑞科のために作られた、戦闘服。唯一無二のオリジナルと言うこともあり、彼女の体に良く合っていた。
 ぴったりと肌に張り付いた布は、瑞科のしなやかな女性ラインを美しく表し、コルセットできつく引き締められた細腰は、その上で揺れる豊満な胸を強調さえしているようだ。
 自然な動作で開かれた足は、腰まで入った深いスリットを押しのけ、若く瑞々しい柔肌を惜しげもなく晒す。
 はりのある太腿を覆うニーソックスは、いっそ誘うようにその肌に食い込み、肉感的な装いを醸し出していた。
 相対するのが健全な男性であれば、生唾を飲み込んで凝視したとしても、咎められはすまい。それほどに、瑞科の発する色香は強烈だったのだ。
「まぁ。怖気づきましたの?」
 薄い桜色の唇が紡ぐ音色はころころと軽く、鈴を転がすような美声。
 ステンドグラスから差し込む色とりどりの光の下で見つめたならば、天使と見紛うだろう。
 だが、利便性を追求したような、柔らかさを拝した皮の手袋が握り締めるのは、鋭利かつ繊細な、刃。
 そして繰り返すようだが、そこはあまりに殺風景な廃墟であり、周囲には魑魅魍魎がぐるりと囲むように佇んでいる。それが一様に瑞科を狙い澄まし、その肢体を切り裂かんと息を荒げているのだ。
 そんな、中で。瑞科は臆することなく、微笑み、誘い、終いには呆れた様に肩を竦める。
「そちらがいらっしゃらないのなら、こちらから」
 参りましてよ。
 紡ぎきるより、早く。ロングブーツの爪先が、地面を蹴り、離れる。
 とん、とん、とん――。舞うように軽やかな動作で崩れた瓦礫の上を跳ねると、緩慢な所作で佇む敵の腹部に剣を突き立てた。
 ぐ、と力を篭めれば、二の腕までを覆う白のグローブの下で、柔らかな筋肉がかすかに躍動する。
 腐臭さえ漂う悪鬼の腕が、抗うように振り上げられるのを見止め、瑞科はくすりと笑みを零すと、突き刺したままの剣を真横に振りぬいた。
 どさり――。呆気なく地に伏した敵を見つめ、瑞科はゆるりとした仕草で振り返る。
 今までは見上げる位置に居た瑞科は、その一連の動作で、敵を見下ろす位置へと佇んでいた。
「次は、どなた?」
 悠々とした笑み。凛々しく光る青の瞳が、敵を見つめ、見据え。
 薄ら、細められる仕草に弾かれたように、最も近くに居た一体が、瑞科に襲い掛かった。
 それを合図としたように、一斉に飛び掛る悪鬼共。
 膠着状態から一転、好戦的な姿勢で向かってくる敵を、やはり、ゆるりと下仕草で見渡し。瑞科は、地を蹴った。
 ふわりと軽やかに宙を舞う瑞科の背で揺れる白のケープは、さながら翼のように靡き、優雅な装いを演出する。
 くるり、くるり。身を翻しながら中空を滑りながら、瑞科は指先に小さな雷光を閃かせ、撃ち放つ。
 指先では小さかった光は、敵へと届いた途端に爆ぜ拡がり、目を焼くほどの稲妻と化して、醜い肉塊を一層醜く焦がし尽くした。
 怯むな、怯むな――! ボスの位置に居るのだろう、少しばかり実力を伴っていそうな個体が、叫ぶが、その行為にさほど意味はない。
 怯み立ち尽くすものも、恐怖に突き動かされ向かってくるものも。全て一様に、瑞科の刃の餌食となるのだから。
 と。運よく瑞科の背後を取った敵が、狂喜したような雄叫びを上げ、飛び掛る。
 だが、振り翳した爪が瑞科に届くことはなかった。
「ごめんあそばせ」
 くすり、微笑んだ瑞科は、振り向くことなく、それでも的確に敵を貫き、滴る血が零れるより速く、その命を絶つ。
 ――瑞科が動き出してからは、一瞬だった。
 敵に指一本触れさせることなく、返り血の一滴さえ浴びることなく。純白は純白のままに、彼女はその場に居た全ての敵を殲滅した。
 ふぅ、と小さく息をつき、少しばかりの埃に晒された髪を梳くと、やれやれ。今度は溜息を零す。
 視線を上げ、滑らせる。今しがた費えたばかりのはずの気配は、ここから少し離れたところにもまた、存在しているようだ。
「本当に、懲りない方達」
 呟くように告げて、瑞科はそのまま踵を返した。
 静かになった廃墟に、ひゅぅ、と冷たい風が吹く。瑞科という華の去ったその場所は、元の通り、あまりに殺風景に、荒れていた。