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<東京怪談ノベル(シングル)>


聖女たり得る者 心を解く儀式

 カタカタ、カタカタ、カタカタ――……。
 膨大なデータを詰め込んだ、精密な箱。高速に明滅する画面をじっと凝視し、時折、デスクに広げられた書類束へ目を落とし、記帳を行い。
 単調な繰り返し。瑞科は、きびきびと働いていた。
 周りには同じようにデスクワークを行う者の姿があったが、瑞科を含め、彼らは皆、「教会」に属する人間であった。
 とは言え、彼らが目の前に抱えている仕事は、そんな裏的組織とはまるで無縁の、健全かつ合法な業務。裏組織たるもの、表の顔程度は持ち合わせている、と言うことだ。
 自らも精密機械の一種のように淡々と仕事をこなす瑞科は、いかにもキャリアウーマンといった体で、明るい色のタイトスーツを着こなしている。
 ……息抜きに珈琲を飲み下す指先さえ洗練されきっているのだから、ある意味、特異な風体ではあるかもしれないが。
 と。そんな瑞科の元へ、温和な表情を浮かべた壮年の男が歩み寄る。
「白鳥君、いいかね。先日の商談の件についてなんだが……」
 切り出された一言は、瑞科の表情を変えた。
 タン、と軽やかにキーを打ち、作業に一つ区切りをつけると、にこり、慈母のごとき笑みを湛えて、すく、と立ち上がる。
「ただちに」
 凛とした眼差しは、表社会の人間のものでは、なかった。

 先日の商談。それはまさしく、先日受けた報告のことだった。
 連続殺人犯、鬼鮫。情報部が手に入れてきた資料に目を通した瑞科へ下されたのは、彼の暗殺だった。
 居場所を突き止めた。直ちに向かってくれ。簡潔な内容とともに渡された資料は、詳細な地図と、敵の素性。
 経歴を洗うことは出来たが、能力的な面での情報は多くないと、難しい顔で継げる司令官の顔を、見つめて。
「わたくしにお任せくださいまし」
 にこり。微笑んだ瑞科の表情は、自信に満ち溢れていた。
 それを見て、司令官も満足げに頷き、瑞科を送り出す。
 カッ、カッ――。ヒールの踵が廊下を打つ音は、先日と同じ道を辿っていても、どこか違う。
 瑞科にとってこの音は、表立った日常を表す音だ。歩く度に擦れあう、ぴったりとボディラインを表すスーツも、また同じ。
 ばさり。自室にて、布を被っていた姿見から纏を剥ぎ、自らもまた、表の装いを脱ぎ捨てる。
 それはいわば、儀式のようなもの。一糸纏わぬ己の姿を真っ直ぐに見据え、ふと、瞳を伏せて。再び開くと同時に、瑞科はクローゼットを開け放った。
 女性の衣装棚とは思えないほど簡素で――殺伐としたそこには、彼女が武装審問官として纏う、「教会」の象徴たる装束と、一振りの剣が大切そうに収められている。
 柔らかく伸縮性に富んだ生地に触れ、慈しむように胸に抱き、瑞科は順に袖を通していった。
 タイトに設えられたスーツよりも一層その身を引き締めるのは、最先端技術を用いて作り出された特殊素材。
「んっ……」
 豊満な肉体を収めるには少しきつい胸元を正し、コルセットの紐を思い切り引けば、同時、意識も強く引き締められた。
 体の線に沿うようにして引き上げられたスリットは、瑞科の程よく熟れた美しい足を隠し立てすることはしない。素足のまま、大きく足を開いた瑞科は、確かめるようにして一度だけ右足を振り上げる。
 空気を切り裂くほどに素早く、けれどしなやかな曲線を描いた足の爪先を見据え、満足げに微笑んだ。
「問題、なし」
 とん、と足を下ろし、拾い上げたニーソックスを履いていく。脚線美を保とうとするかのように柔らかく足を包み込む布地の感触は心地よく、きゅぅ、と優しく食い込んだ太腿の部位をなぞるように撫でた瑞科は、ふふ、と小さく笑みを零す。
 美しく整えられた爪。清楚な輝きを放つそれごと指先を覆うのは白のロンググローブ。緻密な縫製と装飾は、質素な造りをしているように見せながら、言い得ない高級感……あるいは、高貴さを醸し出しているようだ。
 その上にさらに重ねられた革の手袋は、まるで外界に触れまいとする潔癖を現すかのようで。基調とされた白以上に、瑞科の清純さを訴えているようにも見えた。
 ふわり、抱かれるように優しく肩を覆うのは、純白のケープ。巻き込まれた髪を両手で掬い上げ、さらりと流してやれば、長く艶やかなそれは、蛍光灯の冷たい灯りの下でさえ鮮やかに煌き、優しい香りを漂わせた。
 護るように、ヴェールを被り。編み上げのブーツに足を通せば、彼女の意識は、完全に非日常へと落ちる。
 けれど、これこそが、彼女の日常だ。
 鏡の中の自分にキスを落とし、激励するようににこりと微笑むと、デスクに置いた資料を拾い上げ、焼き付けるように、添付された写真を見据える。
 凶悪そうな顔をしている。いかにも、人を殺しそうな――などと、偏見を持ちはすまい。
 けれど、連続殺人犯としての調べが付いている人間なのだから、情けや容赦を持つことも、すまい。
「神のご加護があらんことを」
 くすり、微笑んだ瑞科の祈りは、果たして誰へと捧げられたものだろう。
 しゃらん――。鞘に収められた剣を抜き放ち、一閃、写真だけを二つに切り裂くと、瑞科は改めて鞘に収めた剣を握り締める。
 はらはらと宙を舞って床に零れた写真には見向きもせずに、脳裏に描いた姿だけを見つめる眼差しは、強く、聡明で、何より決意に満ち溢れていた。
「わたくしにお任せくださいまし」
 司令官へと向けた言葉を、誰へともなく、繰り返して。そうして、溢れんばかりの自信とともに、部屋を後にした。
 靡く髪は、やはり、艶やかに、鮮やかに。佇んでいた時以上に、意識を奪われる芳香を放ちながら、廊下を歩く瑞科。
 コツコツと響く足音は、彼女を戦地へと、駆り立てた――。