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其の秋の千一夜。 〜彷徨い人
きょろ、と辺りを見回して、来生・一義(きすぎ・かずよし)は自分がまったく見知らぬ場所にやってきたことにようやく気付き、わずかなため息を吐いた。
「不思議な音楽に誘われて、ついふらふらと出て来てしまいましたが‥‥1人では家にも帰れませんし、困りましたね」
だったら1人で勝手に出かけるんじゃねぇ、と言う弟・来生・十四郎(きすぎ・としろう)の罵声がどこからか聞こえてきそうだが、ようやく夏の暑さも緩んだ秋の夕暮れに、ただアパートに閉じこもっていろという方が無茶な話だ。生前からの方向音痴で出かける度に弟に捜索される一義だけれども、そぞろ歩きたいという衝動は人並み以上にある訳で。
そんな時にアパートの窓から何もかもが紅に染まった夕暮れの景色を眺めていたら、どこからか不思議な音楽が聞こえてきて。気付けば一義はふらりと部屋を抜け出して、涼やかな風に髪をもて遊ばれながら夕暮れの街を通り抜け、気付けばこんな所に来ていたのである。
こんな所――あちらこちらに色鮮やかな灯が浮かび、にぎやかにさざめき合う人々の群れ。到底現代日本では見かけないような不思議な、あるいは奇妙な衣装をまとった人々が、正体を隠すように1人残らず仮面を被り、語り合ったり、ダンスをしたり、ずらりと並べられたお料理やお酒に舌鼓を打ったり。
(この人々は‥‥)
ぼんやりと見つめてしばしの間考え込んで、ああ、とようやく一義はその正体に気がついた。
(そう言えばハロウィンの時期ですね)
ハロウィン、万聖節とも訳される仮面祭。西洋では死者の魂が戻ってくるとも、精霊や魔女が現れる日だとも言われている。
不思議と心が惹かれたのはそのせいだったのかと、思わず納得する一義だ。なんとなれば彼自身もすでに、もう何年も前にこの世の人ではなくなった。人間ではない一義が、この不思議な宴に心惹かれて何の不思議があると言うのか。
「どうぞ仮面を――よろしければお衣装も用意してますよ」
不意に横合いから手袋に包まれたてが、にゅぅ、と仮面を差し出した。振り返ればそこに居るのもやはり、仮面を被った相手で――体のラインの出にくい仮装をしているせいで、男とも女とも知れない。
もし普段の一義だったなら、その誘いに乗ったかどうかわからないけれども。
「――では折角ですから、狼男の衣装と仮面をお借りして参加させて頂きましょう」
「畏まりました。そうそう、お返しは結構ですよ」
「え? でも、そう言う訳には」
「結構ですよ。それはお客様の為にご用意させて頂いた仮面と衣装ですから――それでは良い夢を、お客様」
一義の言葉に頷き、どこからともなく指定の衣装をすぐさま取り出した仮面の人が、差し出しながら深々と腰を折る。何だか不思議な事を言う人だと思いながら、ありがとうと受け取って、どこか浮かれた気持ちで狼男の衣装を身につけ、仮面をすっぽりと被った。
小心者を自覚している一義だけれども、仮面の人の言う通り、これは間違いなく万聖節の夜が見せる不思議な夢に相違なく。一夜限りの夢ならば、普段出来ないような事をするのも良いだろう。
狼男の姿になれば、不思議と心も浮き立ってくる。これなら大胆になれそうだと、一義はふわふわ浮かれるような足取りで踊りさざめく人々の輪へと歩み寄った。
あら、と歩み寄ってくる一義の姿に気付いた仮面の誰かが、そこだけ現れた赤い口元を笑みの形に吊り上げる。そんな相手に手を差し伸べて、どうぞお相手をと腰を折れば、随分紳士的な狼さんねと上がった笑い声がざわめきに溶けて消え。
ダンスの曲は目まぐるしく変わる。ワルツ、ジャズ、ポルカにタンゴ。まるで古い映画の中で見たような、みんなで手を繋いで輪になって、ただクルクルと音楽に合わせて回るダンスもあった。
次々と変わるダンスに戸惑えば、周りの仮面が「一緒に踊りましょ」とくすくす笑って手を取っていく。或いはいつもよりもはるかに大胆に「教えてくれますか」と手を引けば、くすくす笑いと共にするりと指が絡め取られ。
そろそろ踊り疲れたと、疲労を感じたのは一体どれほど踊った後の事だっただろう。
「‥‥あら。もう良いの?」
「ええ。少し休んできます」
一緒に踊っていた、もう何人目か判らないダンスの相手がくすりと笑ってそう言ったのに、頷き一義は踊りの輪から抜け出して、並べられたテーブルの上にずらりと並ぶシャンパングラスへと向かった。不思議な灯に浮かぶ金色の気泡が、ぽこぽことグラスの底から空を目指して浮かんでは消える。
並んでいるおつまみも、小洒落た、小振りの、簡単に軽く摘めるものばかりで。そう思って良く見てみれば、一義がかぶっている狼男の仮面も巧妙に、飲食の邪魔にはならないよう口元だけは開けられている。
なるほど良く考えられていると、アルコールよりも周りの空気に酩酊したような心地でくすくす、肩を揺らした。ぽい、と口の中に放り込んだクラッカーの上に乗っていたのは、厚めに切ったチェダーチーズとスライスした塩漬けのオリーブ。くい、とシャンパングラスをあおれば、喉の奥で幾つも気泡が弾けて消える感覚がした。
誰か、と浮かれた気持ちで辺りを見回す。こんな浮かれた気分の時は、誰かとお喋りを楽しみながらもう少しばかり、アルコールに酔いしれたいものだ。
そんな気持ちで話し相手を探していた一義の目の端に、ふ、と映った影が1つ。吸血鬼の衣装を身につけ、カボチャの面をすっぽり被った背の高い――オマケに頭に被っているのは、魔女のトンガリ帽子と来た。
なかなか珍妙な仮装の相手とはいえ、この不思議な宴の中では『マトモ』な相手を見つける方が難しく。むしろ相手が1人で居るようなら是非話し相手にと、一義は喜んで声をかけた。
「そこの方。お一人でしたらご一緒に‥‥」
「‥‥ご一緒に何だよ、バカ兄貴」
けれども。そう声をかけた瞬間、カボチャの仮面の人から返って来た言葉に、あれ、と一義は目を見張る。とてもとても良く聞き覚えのある声に、とてもとても馴染み深いその口調。良く良く見ればその体型も、身長もとてもとても見覚えがあって。
唯一つ違う点があるとすれば、カボチャの仮面の人には一義の良く知る彼の特長とも言えるぼさぼさの髪がどこにもない。当たり前だ、一義が被っている狼男の仮面と同様に、相手が被っているカボチャの仮面も頭をすっぽり覆い隠すタイプのもの。
けれどもジャック・オー・ランタンを模したその仮面の、切り取った目の奥から覗く黒い瞳や、笑った形に切り取った口から覗く口元は確かに、彼の――弟の十四郎のもので。
まるでぽかんとしている一義の顔が見えているかのように、十四郎は僅かに覗く口元を呆れた風に歪ませた。
「今度は俺と踊ろうってか?」
「ああ、お前か‥‥良く判ったな」
思わずそう呟いたのは、自分自身が弟の姿を、彼が正体を明かすまでまったく判らなかったからだ。またそうでなければ仮面の意味はないのだし。
だからそう尋ねたら、ひょい、と十四郎が親指で背後を指した。そちらへ視線を向けてみれば、一義がここへ辿り着いた時にもそこに居た仮面の人が、新しくやってきた誰かに新たな仮面を渡している。
「あいつに聞いたんだよ――人に散々心配かけたお返した」
「おや」
「あんだけ踊り回って、満足したんならそろそろ返るぞ。ッたく、どれだけ探したと思ってんだ」
ぶちぶちと文句を言いながら乱暴に一義の手を取って、ぐいぐいと引っ張りながら宴から抜け出そうとする弟が、一体今どんな顔をしているのか。見てみたいような気がして、でもきっと見えなくて良かったのだろうと思いなおす。
そうして一義は名残惜しく、仮面の人々がさざめき合う不思議な宴を振り返った。
(残念ですが‥‥そろそろ夢から醒めなければいけません、ね)
ほんの一時の夢の夜から、現実へと一義を連れ戻す、ぶっきらぼうで力強い迎えがやって来たのだし。なにより一義が居たいと願うのも、この楽しい夢の宴ではなくて、普段は喧嘩ばかりしていても自分が居なくなったらいつも探して迎えに来てくれる、この弟の傍ら以外にはないのだから。
或いはそれが嬉しくて、わざと十四郎を怒らせるように、方向音痴の癖にやたらと出かけたくなるのかもしれない――というのはいささか、考えすぎかもしれないけれど。
逃げ出しやしないかと警戒するかのようにしっかりと手を握られたまま、一義と十四郎は目元だけを隠した仮面の下から覗く唇を意味深に吊り上げた相手に見送られた。寸前、来年もお待ちしています、と声が掛かってはっと振り返れば、そこにはただ月の光の下に揺れる枯れ野原が広がっているだけで。
あれほどに賑やかだった不思議な楽の音も。
あれほどにあちらこちらと照らしていた不思議な灯も。
あれほどにざわめき合っていた仮面の人々の群れも。
何もかもが、まさしく秋の夜が見せた夢幻だったかのように、ただただ静寂の中で虫の音色が降り積もるばかり。はっと気付けば一義が被っていた狼男の仮面も、衣装も、十四郎のジャック・オー・ランタンや吸血鬼の衣装だって、何かの間違いだったかのように掻き消えてしまっていた。
これは一体どういう事かと、しばし、顔を見合わせる。だが――そう、あの仮面の人が言っていたように、すべては夢の出来事だったのだろう。
「‥‥十四郎。見事な月が出ているよ」
「え、月?」
だから夢から醒めようと、見上げた空に浮かぶ月の見事な美しさに、声を上げたら傍らの十四郎がいぶかしげな声を上げた。ちら、と確かめるように眼差しだけを夜空へ向け、ああ月だな、と小さく頷く。
そうして十四郎から向けられる呆れたような眼差しが、まっすぐに一義の上に降り注ぐのに、何だかくすぐったいような心地になった。
「‥‥呑気な奴だな‥‥で、兄貴、楽しかったか?」
「ああ、とても。たまにこうして出歩いてみると、面白い事に出会えるな」
「そーしてそのたんびに俺は兄貴を探し回る羽目になる訳だな」
大きく大きく嘆息し、肩を落とした十四郎が、まったくお前は方向音痴の癖にとか、どうしてそう大人気ないんだとか、せめて俺が帰ってくるまで待てなかったのかとか、文句のようなお説教を始めたのに、一義はまたくすぐったい心地で苦笑した。
これが彼の現実で。あの夢は確かに楽しくて、いつもの自分とは違う新しい自分になったような気もしたけれど、それはやっぱりただの夢で。
今夜はきっと家までこのまま、またどこかに迷っていかないようにと十四郎にしっかり手を握られたまま、彼のお説教を聴き続けることになるだろう。けれども空を見上げれば夢の名残のような美しい月があって、そうと指差せば十四郎はちゃんと、何度でも見てくれる。
だから。これもまた一義の大切な、かけがえなく、手放したくない幸せな夢の如き現実なのだった。
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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号/ PC名 / 性別 / 年齢 / クラス 】
3179 / 来生・一義 / 男 / 23 / 弟の守護霊・来生家主夫
0883 / 来生・十四郎 / 男 / 28 / 五流雑誌「週刊民衆」記者
ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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いつもお世話になっております、蓮華・水無月でございます。
この度はご発注頂きましてありがとうございました。
納品が遅くなり、大変申し訳ございません。
お兄様が迷い込まれた秋の夜の不思議な宴、心を込めて書かせて頂きました。
何となくお兄様は、弟さんの存在に甘えてもおられるのかな――という印象で書かせて頂いたのですが、如何でしたでしょうか。
夏のキャンプの時とはまた違った大人の雰囲気の宴、と言う感じになりました。
お待たせしてしまった分、お気に召す内容に仕上がっていれば良いのですけれども。
それでは、これにて失礼致します(深々と
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