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『蜂蜜のように甘く、珈琲のように黒く』
冥府の扉が繋がったのは、とある掲示板から始まった世界だった。
その世界はある人物が自分の命を終わらせたくて作った掲示板で、その人物自体はもう既に自分の望みを叶えて死んでしまっていて、そしてその人物の願望の世界は、それを見つけ、取り込まれ、居続ける人々の魂を浅しき夢の、けれども酔いは深い酩酊感へと誘いこむ。
それは蜂蜜のように甘く、珈琲のように黒く。
けれどもその世界が、冥府の扉によって、もう一つの、そう、とある女性が、夜神潤に送っていたファンレターによって生まれた世界と繋がった時、
そこに居続け、男を殺し、女を喰らい、女を地獄に落としていた人物に、悪夢が舞い訪れる。
そう。これはボク、冥府が見たとある世界の、夜の話。
【彼女から届いた12月24日付けの消印の手紙】
*しかし、彼女から届いたその手紙には、何も書かれていなかった。
【12月24日のとある掲示板】
*とある地方の駅名と、時間だけが書かれていた。
―――そして、その日、ひとりの女性の自殺体が発見された。
彼女は包丁で自分の腹を掻っ捌き、切腹する武士がかつてそうしたように包丁でぐりぐりと腹をやって、まるでそこにある何かを出そうとしていたように腹の切り口から内臓を引きずり出して、哀しげな、なんとも哀しげな顔で死んでいた。
それはもう本当に母親とはぐれた迷子の子どもが、途方に暮れてしょうがない、という顔で空に居る誰かを見ているときのようなそんな顔で。
では、彼女がはぐれたのは誰で?
それでも彼女は、空に誰を見出そうとしていたのか?
それはただただ、その哀しくて凄絶な彼女の躯を見た誰もが思う事だった。
12月28日。
そこに夜神潤の姿があった。
彼氏は彼女の亡き骸が横たわっていた場所に立ち、そして、その日彼女がそうしていたように今にも泣き出しそうな空を見上げていた。
果たして夜神潤の顔は、そこに居る誰かを見下したような顔だった。
どうせおまえには、ただ見ている事こそが、おまえの言う、平等なのだろう?
平成23年1月13日 とある掲示板にあった文章。
**県**町**駅に12時30分に集合。
これは13日00時にUPされ、1時間後に消されていた。
そして、
1月13日 **県**町**駅 12時30分。
そこに男女合わせて7人の姿があった。
男は4人。女は3人。
清楚な黒髪の女は終始顔を俯かせていて、ただ黙ってこくこくと頷くだけで、声を一言も発しず、ただ黙って周りの男女を闇のように黒い瞳で見据えていた。
【彼女から届いた12月23日付けの消印の手紙】
どう書けばいいのか、わかりません。
今まで私が夜神さんに送っていた手紙の中の私は、どう夜神さんに挨拶して、どう語りかけていましたか? もう何にもわかりません。わからないのです。
ただ、とても嬉しい色がついた想い出ならあります。あるんです。私のこれまでの人生で昨日までは1番目だったとても優しくて、心がふわりと包まれたとても温かい記憶。
前の手紙で、夜神さんにお礼をいっぱいいっぱい書きましたよね?
覚えていらっしゃいますか?
覚えてて………
もう、誰も信じられない。
信じられないよ。
どうしてどうしてドウシテドウシテドウシテ私ばかりぃ!
神様のバカ
私が何で
どうして私だけ
私が何した?
私、何にも酷いことなんかしていない!
誰も傷つけた事なんて無い!
むしろ、私ばかり…。
小さい頃から虐められてた。家が貧乏で、家がオンボロ屋で、貧相で痩せっぽちな身体で。いつだって虐められて。
どうしたって…。どういう風にしたって…。どうやって人に気遣いしたって。いつもいつもいつもいつも私ばかり…。
何でだろう? 何でだと想います? 夜神さん…。
私はもう嫌…。
こんな人に裏切られて、虐められてばかりの人生なんて大嫌いで、哀しすぎて、絶望して、本当に大嫌い。
でも、夜神さんは、
―――そこで手紙は終わっていた。
けれども、夜神は彼の能力で彼女がその手紙に書いていた本当の想いと、それからその手紙に書けなかった彼女の人生に起きた裏切りを知った。
………その手紙は、彼女が自殺してから、届いた手紙だった。
【**県**町**駅に集合。それから数時間後】
**半島先端にあるその建物はかつて民宿をやっていた物で、放棄されて久しいのは建物の外観を見ればよくわかるのだが、しかし、見る者が見れば、つい最近、ここに誰かが入った事に気がつくはずで。
黒髪の彼女は、そのわずかな痕跡を見逃さず、そこにひどく冷たい眼をむけ、小さく舌打ちをした。
民宿の一室。古い畳が腐って腐臭を放ち、部屋に篭っていた空気がひどく生温くて、ただただ不快感しか感じないその場所で、黒髪の少女は紙コップにお茶を入れて、それを残りの人間にまわした。
皆、誰もが思いつめた青い顔でその紙コップを見、そして、黒髪の少女が最初にそれを飲乾したのを切欠に、残りの全員がそれを飲乾して、次々とその場に倒れていった。
起き上がる気配は無い。
男は、死んでいた。
女は、寝ている。
そう。起き上がった黒髪の少女以外。
黒髪の少女は起き上がると、それまで目を覆っていた長い前髪を後ろに掻きあげ、そして、深いため息をどっと吐いた。それは、とてもとても面倒臭い仕事を終えた時に人がやる仕草だった。
少女は足下に転がっている男の死体を蹴りつけ、それから、昏睡している女たちを見下ろしながら舌なめずりをする。
「今回は、上玉ばかりね。これは高く売れるんじゃなくて。ねえ、皆さん」
少女は部屋の一角を見る。実はそこには隠しカメラが置いてあって、毒薬で男が死ぬ様と、それからそれを見終えた後に睡眠薬で昏睡している女性を強姦する事を喜びとする人間がその向うに居て、
そしてそいつらから多額の報酬を受け取るのが、黒髪の少女が居るチームだった。
それは最初は不良の子どもがやっていた悪戯だった。それが度を越え、大人の組織が出てきて、それに飲み込まれて、こんな事をさせられているのだ。彼女たちは。
けれどももう、黒髪の少女には罪悪感などというモノは無くて、
そして、
それが、
彼女の最期へと繋がる。
扉は何の前触れも無く開いた。
死んでいたはずの男が、
死んでいたはずの女が、
起き上がり、
口を開く。
そこから見えた、犬歯と呼ぶには鋭すぎる八重歯―牙。
それを見た瞬間、彼女の思考はフリーズするのではなく、即座に彼女にそこから逃げ出す事を命じた。
生存本能が警鐘を打ち鳴らす。
彼女は彼女の限界を超える動きで、その民宿から飛び出した。
足が止まった。
もうすっかりと闇に飲み込まれたそこに、そいつは居た。
夜神潤。
紅い満月を背に立つそいつは、夜の化身と呼ぶに相応しい美しさと冷たさを持ってそこに居た。
一目見た瞬間に彼女は、そいつこそが今まさに自分の後ろから現れ、そして一息に頚動脈を、他の箇所を、噛み付いてきたそいつらの親玉こそがその、アイドルと呼ばれているはずの夜神潤である事を事切れる瞬間に確信して逝った。
足下に転がった彼女を見下ろす夜神潤の目は冷たい。
「起きろよ」
潤は何の感情も入っていない声で言う。
おもむろに、まるでばね仕掛けの人形のように躯であったはずの少女の身体が跳ね上がった。
そして、着地したそれはけらけらと笑い出した。明らかに潤の事を笑っていた。
それに構わず夜神潤は口を開く。
「ひとりの女が居た。彼女は幼い頃から独りで、いつも虐められていた。それでも人間で居ようとして、そして、人間を諦めようとはしなかった。そんな彼女だから、道を踏み外す事も無く生きて、ちゃんと就職した。語学学校の教師となった彼女は、自分が勤めていた学校でひとりの男と出逢った。生徒であったその男から告白されて、彼女は結婚した。だが、その男は、ただ日本の国籍が欲しかっただけだった。彼女は男に利用されただけだった。それで、」
「そう。自殺サイトにやってきて、アタシたちの毒牙にかかったんだよねー。はっ。馬鹿な女。さっさと自分を諦めなかったから、そういう目に遭うのよ」
心底見下した、という口調でそれまでけらけらと笑っていた少女が鼻を鳴らして言う。
鼻で笑ったのは、今度は夜神潤だった。
「堕落の末に人間辞めたあんたが言うなよ」
転瞬、少女が人知を超えた瞬発力で一気に彼氏に襲い掛かった。それは肉食獣が草食獣に襲い掛かるそれの様だ。
「テメェッー」
アタシの何が貴様にわかる!!!
彼女の爪は鉤爪状に伸びて、それは潤の顔を切り裂こうとして、
けれども、彼女の目が、潤を殺った喜びに見開かれたその瞬間、彼の姿は何羽ものカラスへと変わり、潤の姿は掻き消えて、
そして今度こそ、彼女は自分が絶命した事を悟った。くるくると回る世界を見ながら。
最期に見たのは、首の無い自分の身体と、それの後ろに立つ夜神潤。
けれども、彼女は最期にとても面白い物を見たと思った。夜神潤の、自分への哀れみの表情だ。それを見ただけで自分は、もう、心残りは無いと思った。
どさ、と落ちたそれに見向きもしない。
夜神潤はただ紅い月を見上げ、それからため息を吐き、そこを後にした。
【彼女から届いた11月22日付けの消印の手紙】
こんにちは、夜神さん。
いつもファンレターと言いつつ、私の愚痴とか独り言、妄想なんかに付き合ってもらってありがとうございます!
あ! ありがとうございます! だって。
いつもはすみません…。なのにね!
でも、本当にもう、すみません、はやめようと思うんです。これからはありがとうございます、って言っていこうと思って。
だって、ずっと不平不満を言うしかなかった神様がこんなにも素敵な出逢いを私にくれたのだから。
え? あ、うん。夜神さんと出会えた事も本当に私の素敵な出会いのひとつです。
でも、夜神さんとは出会いで、
今、私が言っているのは出逢い、なんです。
私、結婚する事になりました。
こんな私でも誰かに必要とされて、そして愛してもらえる事が凄く嬉しくて嬉しくて、本当に幸せなんです。
でも、こうなれたのも夜神さんのおかげです。
本当に私がもうダメになりそうだったあの時、夜神さんがラジオで私にくれたあのメッセージが本当に私を支えてくれて。
私、あれがあったから今日まで頑張れて。これからも頑張れて。私、自分を諦めずに生きてこれました。
うん。
本当に。本当に。夜神さんに会えて良かったです。幸せです。
これから私、もっともっと幸せになります。
これから私、私を好きになってくれて、愛してくれた人と一緒に生きていきます。
本当に。本当に。本当に。あの時、私を助けてくれてありがとうございました。夜神さん。
これからは夫婦で夜神さんの事、応援していきますね♪
―emd―
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