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<東京怪談ノベル(シングル)>


〜恋獄の妄執〜


 ざわざわと周囲のざわめきが、ふたりを取り囲む。
 押し合いへし合いする会場は、薔薇色の熱気で包まれ、息苦しいほどだ。
 先ほどから、抑えられないため息を連続でくり返す三島玲奈(みしま・れいな)の隣りで、瀬名雫は目を見事なハート型にして舞台を見つめている。
 両手はぎゅっと握られ、人垣の向こうの舞台を少しでも視界に納めようと、爪先立ちしながら見晴るかす。
 今日何十回目かのため息を、その唇から派手に落としたその瞬間、会場内に大きな声が響き渡った。
「ご足労、大義であった!」
 きゃああああああ、と黄色い歓声が天を埋め尽くす。
 思わず耳を覆った玲奈の目に、イケメン武将の登場シーンが華々しく映った。
 その隣りで、会場の歓声の一翼を担う雫の悲鳴が、玲奈の鼓膜を過酷に貫いていく。
(う、うるさいーー…っ)
 声にならない悲嘆を胸の中でもらし、玲奈はそろそろと耳をふさいでいた両手を下ろした。
 場所は気仙沼市――歴女ブームに毒された雫が、玲奈を強引に聖地巡礼に誘ったのである。
 そしてここは、戦国武将が龍と戦う人気アニメのイベント会場、たくさんの女性とほんの少しの子供たちが所狭しと押し寄せていた。
「見て! 見てよ、玲奈ちゃん! カッコいいでしょ?!」
 3オクターブは上がった声で、雫が舞台を指差し、玲奈にそちらを見るよううながした。
 うんざりしながら、玲奈は舞台を見やる。
 西洋化した鎧武者が、敵である単眼の龍に斬りかかるのを見て、涙を流しそうなくらいに歓喜する雫に、玲奈はまた吐息をこぼした。
「沼を穢しし悪龍よ、成敗申す!」
 刀の触れ合う音が、盛大にマイクを通して会場内を制していく。
 そのたびにあがる悲鳴は、もはや玲奈には拷問だった。
 「雫のため」「雫のため」「雫のため」――呪文のようにくり返して、玲奈は舞台から彼らが去るのを待ち続けた。
 それから2時間後、やっとのことでイベントは終了し、雫は目を一等星のように輝かせて、人差し指を空に突きつけた。
「あたし、妃になって来る!!」
「は、はぁ?!」
 突然の雫の意味不明な宣言にあっけに取られる玲奈の目の前で、雫は疾風のごとく走り去って行った。
 その行き先を呆然と眺めていると、
「『妃になる』って、そういうこと…?!」
 雫は大行列に並んでいた。
 その列を形成する、小さな仮小屋の上部には「ファンクラブ入会はこちらへ!」と垂れ幕がつけられていた。
 玲奈はあきれ果てて、妃になりたい集団から離れ、てくてくと人波とは逆の方へと歩き出した。
 出来ることなら巻き込まれたくない。
 ついでに同族に思われるのも御免だ。
 会場の外にあった小さなカフェで休んでいた玲奈も、大行列がだんだん短くなり、ついにはきれいさっぱりなくなった時点で首を傾げた。
「ちょっと遅いわね…」
 遅いどころか、仮小屋は撤去を始めている。
 雫はまだ、戻って来ていない。
 もしかしたらグッズか何かを求めに、いや、妃になったついでに、「旦那様」に直接会いに行ったのかもしれない――いろいろな想像を頭の中に繰り広げ、玲奈は会場内を探し出した。
 歩いて行くうちに、周囲に人が減っていき、まばらになる。
 帰途につく人々が多いのだから当然だろうと思っていた矢先、足元がぐらついた。
「な、なに…?」
 バランスを取りながら、転ばないように足を踏ん張る。
 どうやらまた地震が起きているようだ――あの時のように。
 揺れがおさまると同時に、消えてしまっていた辺りの灯がぽつぽつと点灯する。
 玲奈は周りを見回し、悄然とした。
「また…?」
 先刻まで存在していた会場はなく、崩れかけた瓦礫の山がそこここにあった。
 地面の大半は雑草が生い茂り、足元が見えない。
「そんなアニメねーよ!」
 突然、玲奈の耳に、少年らしき声が飛び込んで来た。
 反射的にそちらに顔を向けると、もうひとつの声が追い討ちをかけた。
「うっさいわね! あったの!」
「ねーよ!」
「あったのよ!」
 しつこく続く問答に、肩をすくめた玲奈だったが、ふと女性の方――40代後半くらいに聞こえる声に聞き覚えがあるような気がした。
 玲奈は足早にそちらに向かう。
 その目が、言い争うふたりの人物を捉えた。
 少年はこちらに背を向けていたが、女性は玲奈に気がつき、視線をよこして来た。
 目と目が合い、玲奈はその相手の正体に気付いて驚いて声を上げた。
「うそぉ?! 雫?!」
「玲奈?」
 お互いがお互いを確かめ合う間もなく、上空からうなり声が降って来た。
 三人が空を見上げると、見たことのある単眼の龍が爪を光らせて急降下を始めていた。
「ア、アニメじゃない! 現実だ!!」
 少年は顔色を失って、一目散に逃げ出した。
 灰色の空を切り裂くように降りて来る龍に対峙するため、玲奈は霊剣を召喚した。
「…?」
 霊剣は玲奈の呼び声に応えない。
 仕方なく、眼力光線に切り替えようとしたが、こちらもまったく働かなかった。
「ちょ、ちょっとどうしたのよ、玲奈! このままじゃ…」
「うっさいわね、オバサン! じゃなかった雫!」
 玲奈はじっと龍を凝視しながら、次の手を考える。
 その時だった。
「はあああああっ!」
 目の前を一陣の風が通り過ぎた。
 通りすがりの白馬の侍が、龍を一刀両断したのである。
「上様ぁ☆」
 完全に裏返った声で、白日夢に侵された雫が飛び上がって玲奈の翼に抱きつく。
 ふたりの目の前で、ゆらゆらと景色が揺れた。
 会場の姿が、視界に入り始める。
 雑草たちは消え失せ、瓦礫の山もなくなった。
「現実に戻った…?」
 玲奈のつぶやきに、雫が辺りを見回した。
「ここが現実?」
 かすみがかった風景が、ここが現実か、それとも幻影の産物なのか、ふたりに教えるのを拒んでいる。
 翼を出してしまったために、制服の背中が破け、玲奈は仕方なくブルマ姿になった。
「ここがアニメ会場でよかった…」
 良かったのか悪かったのかはさておき、少なくともここが現実なら、コスプレだと言い訳が出来そうだ。
 雫を背中に背負ったまま、玲奈は空中で首を傾げた。
「ていうか、気仙沼に沼なんかあった? なかったんじゃない?」
「そういえば…」
 うなずく雫。
「掛かったな玲奈よ。貴様も虚構の存在となれ!」
 空高く舞い上がった龍が、哄笑を響かせて襲いかかって来た。
 もはやここが現実でも虚構でもかまわない。
 玲奈はひとまず雫を抱えて翼を広げ、龍の攻撃の第一波をかわした。
「ちょっと! 上様、何やってんのよ!」
 雫の無茶苦茶な怒号が、地面にいる侍にまき散らされる。
 侍は虚構と現実の狭間で、身動きが取れなくなってしまっていた。
 だが、玲奈の武器は何ひとつ使えない。
 このままでは上様ともども、共倒れは確実――玲奈は少し考えた後、にっこりと笑った。
「じゃ、奥の手で行きましょ」
 水着姿の玲奈は、雫を抱えたまま、侍のところにまで急降下した。
 耳元に唇を近づけ、息を吹きかけながらそっと囁く。
「お願い☆」
「うぉおおおおおおおお!!」
 侍はいきなりやる気になった。
 刀を振りかざし、一直線に龍に向かって走って行く。
 天から雷光がほとばしり、刀に宿って、龍を頭から尻尾までを一気に切り裂いた。
「私の上様取るなー!」
 背中で、雫のわめき声が聞こえたが、玲奈はきれいにそれを無視した。
 
 
 こうして、雫の白日夢に端を発した妄想は、気仙沼なる沼の存在を盲信する人々の誤解を糧に肥大して、龍族の介入を招いた。
 だが玲奈は、侍に横恋慕し雫に恋愛格差の現実を叩きつけ妄想を葬ったのだった。
 急速に晴れていく現実の世界で、雫が嫉妬に地団太を踏む。
 そして、いつの間にか、アニメはなかったことになっていた。
 
 
 〜END〜