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<東京怪談ノベル(シングル)>


想いは紅の山に

「はーい、いい感じですよ〜、そうそう、じゃあ、行きますよ〜。はい、チーズ」
 礼を言う二人に、玲奈は横のプリンタから出力された写真を渡した。
ここは霊峰富士に抱かれし、かの有名な樹海である。だが、普段は静寂に包まれているはずの神秘の森は今、出会いを求める男女で溢れていた。発端は携帯サイトで流れた噂だ。
「徐福の子孫なる者たちが、パワースポットの封印を解除して回っている」
 というだけの、証拠も根拠も示されぬかなり不確かなものだったにもかかわらず、折からのパワースポットブームのおかげで尾鰭がついて広まった。樹海には神秘マニアから単なる冷やかしまで、ありとあらゆる人々が集まり、あっと言う間のお祭り騒ぎとなったのだ。それに、折からの婚活ブームが別の方から火をつけた。パワースポットで運命の人に、などというあおり文句が受けて、今や樹海は霊峰富士にあやかりたいのかただ単に彼氏彼女が欲しいのかわからない若い男女でいっぱいだ。人が集まればあれやこれやも集まるわけで、あちこちで何とかフェスタ、とか、ライブだのが始まり、店が出、こうして玲奈にも『現役女子高生の記念写真屋』という何となく怪しげな仕事が舞い込んできた。といっても、ただ単にセーラー服着用が義務づけられているだけの事で、中身は普通の記念写真屋である。森の中とセーラー服というミスマッチは案外受けて(というか目立って)、宣伝効果はそれなりにあるらしく、ここへ来て三日、商売はかなり繁盛していた。だがちょっとだけ期待していた肝心の出会いは見あたらない。
「やっぱり関係ないわよねえ。樹海と出会いって…」
 と呟いてみたものの、つい今し方、大樹の前で並んで写真におさまった彼女と彼も、つい昨日、ここで出会ったばかりなのだというから、あながち嘘八百とも思えない。
「噂聞いてきたんですけど、まさかホントに出会えるなんて、ねっ?」
 などと幸せそうに言われると、ついつい変な期待をしてしまう。もし…もしもここで、新しい出会いが出来たなら。
「忘れ…られるのかな」
 玲奈は大樹の陰に腰を下ろした。短い恋の思い出が、玲奈の胸を締め付ける。彼と一緒にいられたのはほんの数週間のことだった。優しい人だったと思う。もっと傍にいたかったと思う。仕組まれた出会いの中で、惹かれあったのは真実だった。けれど彼はもういない。短すぎた夏の恋は、玲奈の心に深い悲しみと失う苦しみを残した。彼の代わりなんてどこにも居ない。けれど、胸の奥の空白を埋めることは出来るかも知れない。と、物思いに沈みかけたその時、わあっと言う叫び声が聞こえて玲奈ははっと顔を上げた。
「ちょっとお!待ってよ!」
 男の声だ。見ると、数人の青年たちが、肩で息をしながら前を行く女たちに声をかけている。
「またあれかぁ…」
 女たちの姿形を見て、玲奈はまたもため息を吐いた。玲奈に出会いが訪れない理由の一つと思われるのが、彼女たちだった。『森ガール』と自称している彼女らは、ふわふわもこもこのファッションで身を固めている…のではなく、なんと皆ミニスカに素足、下手をすればミュールで森を闊歩する、ひと昔前の言葉で言えば『イケイケ』ガールなのだ。どう見ても足元は覚束なく、あまりにも軽装であるにもかかわらず、彼女らは自在に森を歩き回り、また情けないことにやってきた男性陣はほぼ9割方、彼女らに魅了された。玲奈の記念写真屋にやってくる客も、実を言えば殆ど『森ガール』とその即席彼氏であり、先刻のカップルなどは貴重なケースだったりする。
「あーあ、情けないっ」
 置いて行かれてなお、彼女らを追おうとする男たちを見て、玲奈はふるふると首を振った。とりあえず、あんな男はこちらから願い下げだ。願い下げではあるのだが。
「ああいうのが好みなら、渋谷でも行けばいいのに」
 思った事を先に言われて、玲奈は驚いて顔を上げた。
「大丈夫?」
 逆光で顔はよく見えなかった。でも、暖かい声をした人だと思った。差し出された手につかまると、軽々と引き上げられた。
「…あ、ありがとうございます…」
 リュックサックにニッカポッカ。厚手のシャツにセーター。足元もきちんとしたトレッキングシューズの彼は、明らかに周囲とは違う雰囲気を持っていた。顔立ちはやや幼いし背も玲奈と変わらない。けれど、がっしりとした腕や日焼けした肌は、頼もしさを感じさせた。
「俺はあんまり感心しないけどね」
 彼の目線をたどるまでもなく、『森ガール』たちの事を言っているのだとわかった。玲奈も頷く。
「でも、男の子たちはみんな、好きみたいですよ?」
 嫌みではない。実際、今もまだ先刻の青年たちはミニスカたちに追いすがっている。だが、彼は首を振り、人によるよと苦笑いした。
「どっちかっていうと、苦手だな。それに、この騒ぎも。びっくりしたよ、まさか樹海でこんな事するなんて」
 彼の言葉に、玲奈はまた驚いた。
「噂、知らないで来たんですか?」
 あっさり頷いた彼は、改めて名乗ると、少し躊躇ってから、ここへ来た目的を語った。
「ずいぶん前、ボランティアで入った時に偶然、見つけたんだけどね。森の中に小さな泉があるんだ。大きな木の影なんだけど、泉のほとりには一本だけ、もみじの木があるんだよ。とってもきれいなんだ。見つけてからずっと、毎年こっそり見に行っているんだ」
 そしてまたしばらく黙り込んでから、意を決したようにこう言った。
「その、一緒に行ってみない…かな?仕事、終わってからでも」
 
 少し歩くと、驚くほど静かになった。しっとりとした落ち葉を踏みしめるようにして歩きながら、二人は時折言葉を交わした。名前。仕事のこと。学校のこと。彼が玲奈に聞いたのは、だいたいそんな所だ。逆に話してくれたのは、山の話。彼は都内の大学の学生で、ワンゲル部に所属する山男だった。
「そこ、ちょっと窪んでるから、気をつけて」
 彼の後をついて溝を飛び越える。鬱蒼と茂る森。彼の背を見失ったら、すんなりと店まで戻れるかどうか分からない。聞こえるのは、鳥の声だけだ。空を見上げても、見えるのは木々の枝ばかり。空気が、澄んでいる。
「たくさん登ったの?山」
「たくさん…かな。20代のうちに百名山踏破しようと思ってるし。玲奈ちゃんは?」
 深い溝を彼の手を借りてとびこえながら、玲奈はううん、と首を傾げた。
「仕事で色んな場所には行くけど、山はあんまり…かな。でも、こういう所歩くの、結構好きかも」
「それは良かった」
 彼が心底嬉しそうに言うので、玲奈もつられて微笑んでしまった。本当の事をいえば、最初は少し警戒していたのだ。また裏切られるのではないかと思って。夏に出会った人は玲奈の敵、竜族の手先だった。辛い別れを繰り返すのは嫌だ。でも…。彼と話していると、何だかほっこりと心が暖かくなる。山の話ばかりだけど、飾り気のない話し方のせいか、すんなり胸に通ってくるのだ。
「着いたよ」
 彼の声で、我に返った。
「わあっ…」
 そこは小さな泉だった。大樹の根に抱かれるように穿たれたくぼみは、透明な水を静かにたたえ、大樹の脇に沿うようにしてのびた小さなもみじが、その水面に赤い葉を散らしている。
「きれい」
 玲奈は泉の脇にかがんで、そっと水に触れた。波紋が水鏡に映る玲奈と彼の姿をゆらして消えてゆく。玲奈は彼を振り向くと、心からの笑顔で言った。
「来て、良かった」
 色々な意味で。うれしそうに笑った彼の瞳には、邪気は見あたらない。この人なら…。
「あのっ」
 玲奈が立ち上がろうとしたその時だった。どこかで聞いたような情けない声が、森の静寂を破った。
「待ってよ〜!もう少しゆっくり…あれ?」
「君たち…」
 彼の態度が険しくなり、玲奈もまた、眉をひそめた。がやがやと泉の脇に降りてきたのは、先刻店の近くで騒いでいた男たちと『森ガール』の一群だったのだ。
「君たち!こんな所までそんな格好で来るなんて、常識ってものがないのか?!」
 厳しい声で注意した彼を、『森ガール』たちは鼻で笑った。
「こんな所って、あんたこそバッカじゃないの?この程度の場所でそんな重装備なんて!」
 ねえ?と女たちが頷きあう。
「山をなめているとひどい目にあうんだ!君たちだけじゃない。周りの人間が迷惑する。さっさと戻れ!」
「帰るのはあんた達の方よ、まーったく、今時山男なんて時代遅れっての、わかんない?」
「ちょ、ちょっと…」
 止めに入ろうとした玲奈だったが、女達のほとんどは店の常連客だ。どうしたものかと思ったその瞬間だった。彼の様子が変わったのだ。
「う…わあああああああっ」
 頭を抱え込み叫びだしたかと思うと表情まで豹変し、白目を剥いて苦しみだした。周囲には何ともいえぬ邪気が渦巻いており、ふれようとすれば弾かれ、火花が散った。女達につき従っていた男達は一人残らず逃げ出し、玲奈と彼、そして女達は泉を挟んで向き合っていた。
「だ…れ……」
 彼がぎぎ、と首を曲げて女達の方を見る。それを見て、『森ガール』の一人が目を細め、にやりと笑った。彼女の雰囲気が一変しているのに気付いて、玲奈は戦慄した。
「やはり。森に漂う悪霊にでも憑かれたか。特級の霊媒質と見込んだ我らの目に狂いはなかった」
「霊媒質?」
 玲奈が聞き返す間に、『森ガール』の一人が彼をさっと奪い取る。
「無自覚ゆえ、感情が高ぶらねば発揮されぬ力だが。こいつには箱船の探査に役だって貰う」
「ちょっと!何するの!」
 制止しようとする玲奈をひらりとかわすと、女達は彼の背をとんと突いた。
「その女を倒せ!そうすればお前の望みも叶おうぞ!」
 彼の背がぴくりと反応し、振り向いた顔は凶悪に歪んでいた。
「うおおおうっ!」
 手にはサバイバルナイフを構え、人とは思えぬ咆哮と共に飛びかかってきた彼を、玲奈はすんでの所で避ける。だが、反撃はできない。操られているだけで、彼は彼なのだ。傷付ける事などできない。だが、彼の攻撃は止まなかった。ナイフは正確に玲奈を狙って繰り出され、僅差で避ける玲奈の衣服を少しずつ切り裂いてゆく。襟が切れ、リボンは落ち、スカートも裂け、それでも玲奈は彼を信じた。
「お願い、戻って…!」
 だが、玲奈の願いむなしく、彼のナイフはとうとうその背を切り裂き、隠されていた玲奈の翼が露わになった。
「お、お前っ!」
 たじろいだのは女達の方だ。
「気配が妙だと思っていたが、そういう事か!…少し早いが」
 と、互いに目配せすると、揃って大地に拳を打ちつけた。
「封印解除!!!」
 ごご…。大地が鳴動し、泉がぱっかりと割れる。そこから開いた地割れが玲奈と彼の間を裂き、中から現れたのは一羽の巨大な鶴だった。飛び立つ鶴を追うように竹がぐんぐんと伸びてきて、あっと言う間に竹林となる。一声甲高く鳴いた鶴が翼でもってその竹を切れば、竹槍の嵐となって玲奈を襲った。
「っ!」
 回避する一瞬の隙をついて、女達が彼を連れ去ろうとする。
「させないっ!」
 翼を広げて竹槍をなぎ払いながら、玲奈は眼光でもって竹林に火をつけ彼らの行く手を阻んだ。
「くっ!おのれっ」
 振り返り反撃しようとする女達を煙で包み、その間に急降下して肉薄し、一気に彼を奪い返した。と同時に女達が巨大な扇で煙を吹き飛ばし、彼を抱いたまま舞い上がろうとした玲奈に一人が飛びかかった。反撃しようにも、彼を抱いた両腕をはなす訳には行かない。一撃をくらうと覚悟して身構えたその時、腕の中の彼がふっと顔を上げた。
「危ないっ!!」
 長い、一瞬だった。けれど止める間もなく、玲奈を貫かんと繰り出された女の竹槍は、腕の中から身をよじらせ飛び出した彼の胸を貫いていた。
「玲奈ちゃん…だい…じょう…ぶ…?」
 握った手の震えは、玲奈のものか、彼のものか。正気に戻った彼の目が、玲奈を見て少し笑い、ゆっくりと光を失ってゆく。遠くなっていく。彼の声も、魂も。
「いやっ……どうしてっ……」
 また、逝ってしまうの?あなたも、また…。流れゆく血に染まった彼の体を抱きしめる玲奈を女達が見下ろしていた。
「ふん。死んだか。だがこれでお前も『箱船』を手に入れられぬ」
「我らはまた、別の霊媒を探すのみ」
 口々に言う女達を、玲奈が泣きぬれた瞳で見上げた。
「箱船箱船って、さっきから何言ってる訳?アララト山じゃあるまいし」
 玲奈の言葉に、女達が嘲笑した。
「知らずに我らと争ったのか?愚かで無知な女!」
「豊葦原の国の語源は、シュメールにまで遡る。よって富士にも箱船はある。必ずな。だが知らぬならばお前には関わりなきこと。亡骸を抱いて立ち去れ」
 女達はそう言い残すと、一陣の風を巻き起こし、去っていった。取り残された玲奈の上に、紅い葉が落ちる。一枚、二枚と落ちる中、玲奈はずっと彼の身体を抱き締めていた。富士の樹海の狂騒は、それからひと月ほど続き、突然終わった。箱舟を探す女達の消息も正体も、知れぬままだ。
 
<おわり>