|
Pompeii
ひとりの老婆が、座布団に腰を下ろしてテレビを見ている。昼下がりというのにカーテンが締め切られたその部屋は、テレビの明かりが仄かに照らすのみ。薄暗い中、画面が映すのはワイドショーだった。
『続いての話題です』
ばり、と煎餅をかじる。しわしわの頬をもぐもぐと動かしながら、ぼんやりとワイドショーを観ていた。
『――彗星探査機が、――彗星への着陸を果たしました』
その言葉に、目を剥く。元からぎょろりとしていた瞳を丸くして、瞬きを繰り返した。口を開け、やや身を乗り出す。
『いやー、すごいですね! 彗星を見つけるのも難しいのに、遠く離れた彗星への着陸! 相当な成果ですよね』
『そうですね。これは惑星も存在しなかった頃に生まれた彗星とされていますから、私たちの知らない新たな真実への第一歩となったということでしょう』
画面の中では、出演者たちが興奮気味にコメントを交わしている。
「――何が大したものか」
老婆は吐き捨てるように呟いた。顔を歪め、音を立ててせんべいをまたかじる。その表情には、明らかな怒りの色があった。
「おおお……何ということか。またしても、占術に影響が出てしまう……」
星を頼りにして占う占星術にとって、痛い報せである。些細な軌道のズレも、結果に影響をおよぼしてしまう。
人間の放つ各種探査機が星に接近し、軌道が僅かにずれたことは今までにもあった。しかし着陸となれば、もしかしたら更なる変化があったかもしれない。
「私の捧げてきた人生を! ふいにしおって!」
これまで、老婆は占い一筋で生きてきた。己のすべて、と称しても過言ではない。その積み重ねで得た経験や勘も、星の周期の崩れで何の役にも立たなくなってしまう。とはいえ、やり直すにも既にかなり老いてしまった。老婆は嘆き、不意にその声をぱたりと止めた。
―――そうだ、若返ろう。
今までの彼女に占いしかなかったのなら、他のものを得よう。奔放に生きて、これまでの時間を取り戻すのだ。
「女性限定カフェ『ポンペイ』……ここなの?」
足を止めた前の喫茶店の看板を読み上げ、三島・玲奈は隣を見る。
「きっとそうだよ、玲奈ちゃん!」
傍らの瀬名・雫が元気よく頷いた。中学生ながらに、彼女は玲奈もよくアクセスする『ゴーストネット』というホームページの管理人だ。
「ネット検索より正確な水晶玉占いが出来る、なんて噂で近隣のネカフェも泣いてるんだよ」
「へえ……」
二人がここを訪れたのは、『ゴーストネット』の常連の安否確認のためだった。『ゴーストネット』にアクセスするのが日課だったほどの常連なのに、ここしばらくアクセスがない。気になって確認してみたら、この喫茶店に行くと言った後、姿が見えないらしい。
『きっとここにいる! 妙な噂もあるし、何かあったんだよ!』
雫はそう言って、玲奈を伴い『ポンペイ』に乗り込むことにしたのである。
「とりあえず、入ってみよっか」
「ごーごー!」
小さな拳を上げる雫の前に立ち、玲奈は店の扉を開けた。曲がりなりにも喫茶店、そして女性限定ということで、何処となく華やかな内装を想定していたが――それは、目にした瞬間打ち砕かれてしまった。
店内は薄暗い。立ち込める抹香の匂いに、ひょいと覗き込んだ雫が鼻をつまんだ。客は、そこそこ入っているようだった。
「いらっしゃいませ」
現れた若い女性店員に案内され、玲奈と雫も席につく。テーブルには妖しく輝く水晶玉。それは、各席に用意されているようだった。ひとまず飲み物を注文して、辺りの様子をさり気なく窺う。
「玲奈ちゃん、あそこ! いたよ!」
と、探していた相手を見つけたらしい。雫は飲んでいたグラスを置いて席を立ち、ある女性へと駆け寄る。
席に残った玲奈は、何気なく水晶玉を覗いてみた。そこに映るのは、彼女によく似たふくよかな女性――否。
彼女より、年を重ねていている。肌も、くたびれているように見える。それでもそこにいるのは、玲奈自身のようだった。
子供を抱いてあやす、中年女性となった玲奈。未来の姿が、この水晶玉にはまことしやかに映るのだ。
―――なあんだ。くだらない。
だが、彼女は一笑に付した。不老不死の自分がこんな様になるはずがない。獏の妖怪か、吸精魔か。何者かの罠だ。
立ち上がり、知人の肩を揺すっている雫の傍へと歩いていく。そして二人に構わずそのテーブルに備えられた水晶玉を手に取り、勢いよく床に叩きつけた。
激しい音と共に、水晶玉が砕け散る。水晶玉の虜となっていた女性は、伏せるようにテーブルに倒れてしまった。雫は彼女を気遣いながら、驚いた顔で玲奈を見上げる。
「何事ですか?」
そこへ、先程の店員が戻ってきた。カツリとヒールを鳴らし、心なしか挑戦的な眼差しで二人を見ている。玲奈は、彼女を真直ぐ見据えた。
「これ、偽物じゃない。よく商売出来たものね」
「あら、どうしてそんなことが?」
「こんな未来、ありえないもの」
見たところ、この女性以外に店員らしき者は見当たらない。となれば、一番怪しいといえた。
一触即発。そんな雰囲気で睨み合う二人に、雫が心配そうに立ち上がる。
「玲奈ちゃん、無茶しないで――」
その足が、ふらりともつれた。雫自身不思議そうな顔で、しかし足取りはおぼつかない。ついには、その場に座り込んでしまった。――玲奈はまだ口をつけていなかったが、飲み物に毒が入っていたか。
「いいわねえ、若いって」
店員が目を細める。ゆらり、とそのオーラが揺らいだ気がした。玲奈は雫をかばうように前に立つ。
「雫ちゃんはこの人を見ていて」
雫の知人を彼女に任せ、玲奈は店員と対峙した。
「若さゆえの負けん気、いいわね」
妖しく微笑む店員の後ろで、ミラーボールが回り始める。
「私はその若さを、存分に満喫させているだけ……!」
ぱん、と店員が手を叩く。と、水晶玉に見入っていた客たちがのそりと立ち上がった。
ゆらり、ゆらりと彼らは踊り始める。不気味な光景に、玲奈は思わず息を呑んだ。激しく踊り狂い、しばらくして急速に肌が衰えていく。遂にはミイラと化してもなお、彼らは踊り続けていた。
「さて……貴女の生気はどんな味かしら」
舌なめずりする店員に、玲奈は瞳から光線を浴びせた。が、彼女はすっと一歩下がっただけでそれをかわす。続けてもう一度光線を出し、同様に避けられた。
それならばと、玲奈は霊験を発現させ、攻撃する。だが、それも同じだった。――読まれている。驚く玲奈に、店員は満足そうな笑みを浮かべた。
「ほんの少し未来を読むくらい、赤子の手を捻るようなもの。私は占いに人生のすべてをかけてきた。――けれどそんなもの、ほんの些細なきっかけで脆く崩れ去ってしまう」
次の手を打てずにいる玲奈を、ミイラと化した客たちが取り囲んでいく。じわりじわりと、踊りながら。
「さあ、快楽に身を任せてしまいなさい」
店員が、高らかに笑った。
数ヶ月前のこと。秘術を使い若返った老婆は、ポンペイを訪れた。その地の秘蹟荘で、彼女はある壁画を見つけた。
酒神に心身を捧げ、憂さ晴らしに半裸で狂酔する女性たちの宴。これこそ、古代の女性のストレス解消法――それを見ている内に、彼女はひらめいた。
若い女性たちのストレスを発散させてやり、自分はその生気を少し貰い受けよう。そうして、このカフェ『ポンペイ』を開いたのである。
「やめてよ」
玲奈が短く呟く。策はない。打つ手はないかと、必死で視線を巡らせる。
「占いに人生かけてたって、まだ人生終わってなかったじゃない」
ふと、新聞立ての競馬紙が目に入る。これだ、と玲奈は口角を上げた。
「簡単に、人生投げてんじゃないわよ!」
叫び、玲奈は競走馬に変身した。賭博で財を成した占い師なんていない。だからきっと、占い師にも先を読むことが出来ない。
「馬に蹴られちゃえ!」
競走馬となった玲奈と、店員がぶつかり――しん、と静寂に包まれた。静かに、店員の姿が変貌していく。若い姿から頬がこけ、背が曲がり、やがて老婆へと戻った。
老婆はがくりと膝を折り、水晶玉の傍らに倒れ込む。そしてヒビの入った水晶玉が粉々に割れてしまうと、老婆もまたさらさらと崩れていった。あとには、ひとかたまりの灰が残る。
「玲奈ちゃん……」
回復した雫が玲奈の傍に寄る。玲奈は、安心させるように微笑んでみせた。
「せっかく頑張ってきたものがあるのに、最後に逃げちゃ勿体ないわよね」
それから、老婆だった灰に手を合わせる。哀れな末路を辿った彼女だが、何処かで歯車の狂うことがなければ、大成して大往生を迎えたのかもしれない。
「あたしは逃げない。一生をかけられるものをいつか見つけたら、きっと貫いてみせる」
「……あたしもだよ、玲奈ちゃん」
二人は顔を見合わせる。それから照れくさそうに――どことなく誇らしげに、お互いに小さく笑った。
《了》
|
|
|