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今日はどれにしましょうか。
ある日の昼下がり。
長く艶やかな黒髪と赤い瞳を持つ妙齢の女性が、さて、とばかりに悠然とガラス張りのショーケースを覗き込んでいる。中に並んでいるのは菓子。手の込んだ作りのケーキやムースから、クッキーやマドレーヌのようなシンプルな焼き菓子もある。もう見ていて目移りしてしまうくらい色々な種類があり――そして時折少々色遣いが菓子として有り得ないのではと言うような怪しげなものが混じっていたりもするのだが――それらの作りも他の菓子類と同じく美味しそうには出来ている。…色の事さえ無視出来れば。
ここは妙齢の女性――別世界から異空間転移してこの世界に訪れた竜族であるシリューナ・リュクテイアの「知り合い」が営んでいる、菓子類の専門店。
シリューナが来店したのは、このシチュエーションからして想定される通りの動機がまず一つ。つまりは菓子の補充。…シリューナはいつも一息入れる時にお気に入りの紅茶を飲んでいる。その時用のお茶請け、一緒に食べる美味しいデザートを切らしてしまったので、今日は何か新しいものでも買いに行こうと思い立った次第。
そして、動機はもう一つ。
わあ、と目を輝かせてショーケースの中をほへ〜っと無防備に覗き込み、陳列されている菓子類を見詰めている十代半ばの少女がシリューナの傍らに一人居る。染めているのか地毛なのか前髪からの一部が鮮やかな紫になっているのと、やや濃くなっている肌の色以外はシリューナと似た色を纏ったその彼女は、シリューナの同族になるファルス・ティレイラ。シリューナにとっては可愛い妹のようなものであり魔法の弟子にもなる。
シリューナは、今日はこのティレイラも一緒に連れて来た。
その、反応が見てみたく。
デザートを切らしたのは偶然。けれどもこうなってみるとタイミングは良かったと言えるかもしれない。
…ちょうど、このティレイラを連れて来よう、と言う気になれたから。シリューナもいつもはそこまで頭が回らない。…と言うかそれとこれとは別、と考えてしまう事が多く、その気になる事はあまり多くない。
が、よくよく考えてみれば――これはティレイラも大好きな『美味しいお菓子』の事である。ティレイラも興味があって当然。一緒におやつの時間を過ごす時、いつもあれ程美味しそうに食べているのだから。…それらは何処でどうやって入手しているのか。水を向ければ食い付いてくる筈。…ティレイラの事。その反応の一つ一つも、きっと可愛らしい筈。
…案の定、行きますっ、とばかりにティレイラは二つ返事で付いて来た。
おやつの時間用のお菓子を買いに行く、と言う話になった時点で大喜び、見るからに上機嫌になっている。
そのわかりやすい様もまた、いつも通りのティレイラらしく。
本人気付いているのかいないのか、店に向かう途中の足取りの軽さもまた、わかりやすくて。
店に到着して、緊張していたのか遠慮がちにおっかなびっくり入店するその仕草。
そして店内に入ってから、ショーケースの中を見た時のティレイラの顔と言ったら。
…どちらにしても、正解だった、と思う。
ティレイラが物珍しそうに――興味深そうにショーケースを見て回る様。美味しそうな物を見付けては無防備な表情を晒していたり、ソースやスポンジケーキ部分が通常としてはちょっと有り得ない――例えば金属色やら蛍光色のものなど、ちょっと無いのではと思える物を見れば、見るからに驚いていたり。
くるくる良く動くその表情とその仕草。その一つ一つが本当に可愛らしくて。
つい、目的の優先順位が入れ替わりそうになってしまう。
菓子の補充より、このティレイラ…と。
思った時点で、シリューナの前に当然のように小皿が差し出された。シリューナは目を瞬かせる。差し出して来たのは店員の一人。小皿の上に載っているのは――試食用に小さく切り分けられたケーキが三切れ。
それも、ただのケーキでは無く、通常の感覚では奇天烈…と思える色合いの方の。
で、店員はそのまま、何も言わずに、どうぞ、とばかりにその小皿を差し出すだけ差し出している。表情の方は――わかりますよね?とばかりに、営業スマイル。…否、むしろ共犯者の笑み、か。
何も言われずとも意図を察して、シリューナはクスリと小さく笑う。
それで。
シリューナは、わー、とばかりにショーケースに張り付いているティレイラを呼び付けた。
■
ティレイラは呼ばれてすぐ、はいっ、とばかりにすぐ飛んでくる。…その素直な受け答えもまたシリューナのお気に入りなのだが。
で。
「なんですか?」
「ティレに特別に味見させてくれるそうよ」
「えっ! 本当ですかお姉さまっ!」
「ええ。ね?」
と、シリューナは店員に同意を求める。
店員は答える代わりに微笑み、今度はティレイラに先程シリューナに見せた小皿を差し出す。
その時にはティレイラの視線は小皿の上に行っており、それから小皿を持っている当の店員の顔、次にはシリューナの顔…と目まぐるしくその三点を行ったり来たりしている。
で。
「え、こ…これ、ですかっ」
「そう」
こっくりと頷くシリューナ。
続けてこちらも、はい、と言わんばかりに頷く店員。
小皿の上には、ほんの僅かな光の加減でオーロラめいた偏光色に煌くケーキに、深く鮮やかで透明感のある神秘的な青色をしたケーキ、それから銀から削り出したような上品な輝きを放つ銀色のケーキ、の三切れ。
何だか味の見当が付かない。
…と言うかそもそも、色的に見るからに怪しげで、食べられる気がしない。
けれどその細工は手が込んでいて、ショーケース内にある他の普通っぽい美味しそうなケーキと形自体は同じ傾向であまり変わらない――きっと同じパティシエさんが作ったんだろうなと自然に思えるものだったから、ティレイラとしても、迷う。…怪しいと警戒する気持ちと食べてみたいと思う好奇心との天秤で揺れている。
迷うその手を促すように、ごくごく自然に店員からフォークが渡された。
それで、ティレイラはちょっと途惑ってから店員の顔を見、頷かれたのを確認してから――手渡されたフォークで恐る恐る青色のケーキを突付いてみる。と、その先端がケーキの中に柔らかく沈んだ。…普通のケーキのスポンジに差した時みたいにごくごく普通に。
それで、心が決まる。
フォークで差した一切れを口まで運んで、どきどきしながら、ぱくり。
ぎゅっと目を閉じて、もぐもぐと咀嚼。
したところで。
ぱちっと目を開いた。
「えっ!? お、美味しいです…!!」
感激。
しているところで。
シリューナの方も、あら、と少々意外そうにティレイラを見ている。
何故かと言うと。
――――――ティレイラの身体そのものが、透けたガラス質の深い青色にすぅっと染まっていたから。
ティレイラは意外にも美味しかった感激冷めやらぬままフォークを持っている手許に何となく目を落とし、シリューナが気付いたその「青色」を視界に入れてえええとばかりにぎょっとするが――次の瞬間には、自分の肌に現れたその色は元に戻っている。
「はれ? え? あれ…? 気のせいかな…?」
ティレイラ、頭上に疑問符浮かべて困惑。
その間に、店員はシリューナに耳打ちしている。…曰く、今の青色のケーキを食べると、食べた者は今の色――神秘的に透けた深い青色に染まった彫像のようになる魔法が掛かっているのだとか。食べた分量によってそうなっている長さも変わるとかで、今の試食分だと彫像の如く固まるまでは行かず、対象が固まった時に表れる「色合い」をそれこそ「試しに見られる」程度の効能になるらしい。…それも、仕掛けられた本人が殆ど気付かないだろう間に。
そして、他の二つも効果は同様なのだとか。…色と味が違うだけで。
ついでに言えば、今ティレイラに試食にと出した三切れは新作にして新色なのだとも。
「…お姉さま?」
店員と何やら話し込んでいる様子を見、ティレイラは不思議そうに声を掛ける。
と、店員もシリューナも、ティレイラに向けてにっこり微笑み返してくる。
「どう?」
「美味しいです! …うーん、何だろ? 柑橘系っぽいって言うべきかな? さっぱり爽やかで、すぅっと舌の上でとろける感じで…!」
「他のも頂いてみたら?」
「はいっ!」
と、勧められるままに今度は銀色のケーキ。
口に運んだところで、ティレイラはまた感動。
「〜っ! これも美味しいですっ!」
これは青い方のケーキとは違ってほろほろ舌の上で崩れてく感じで…優しい感じで甘くって…! と、この感動を何とか伝えようとシリューナに訴えるティレイラのその身は――先程の青色同様、ケーキの色にも似た銀色に染まっていて。
今度はシリューナは、あら、と軽い感嘆すら吐く反応は見せない。
むしろ、ティレイラを見るその眼差しは、値踏み、に近くなってしまう。…もっとも、ティレイラから見ればそれは感動を伝えようとしている自分の話を真剣に聞いてくれているようにも見えているのだろうが。
が、シリューナ当人としては、それどころでは無い、と言うのもある。…試食での色合いを見られるのはごく短い間。だから、目が離せない。…いや、そうで無くとも感情豊かにくるくる良く動くティレイラの姿は少しも目を離したくないくらい可愛らしいのだが。
今の場合。この銀色。深みがあって上品な銀の色。…なかなか素敵。
シリューナが思った時点で、その色は元に戻る。…今度はティレイラ本人は自身の色に気付いていない。
次。
促されたところで、これまた素直に最後の一つを口に運ぶ。…ティレイラにももう警戒は無い。嬉しそうに顔をほころばせながら咀嚼。偏光色のケーキ。食べたところで、ティレイラの身体その物がオーロラのように煌めく透過色になる。
その煌めきが――偏光の度合いが、絶妙で。
………………もし、この色をしたティレイラの像が手に入ったら。
シリューナは思わず、ほぅ、と溜息。
…吐いたところで、美味しい物を試食させて貰ってにこにこ顔をほころばせているティレイラが、きょとんとシリューナの姿を見る。
で。
何だろう、と不思議そうに小首を傾げた時点で、その色が元に戻った。
「…お姉さま?」
「ん、最後のはどうだった?」
「勿論、美味しかったですよ! なんかゼリーみたいな食感でした! ぷるぷるで、凄くコクがある感じで…ちょっとだけ苦味もあったんですけれどそれがちょうどいいアクセントになっててより甘さが引き立てられてるんですよっ!」
でもそれでも、何のケーキかと問われれば――美味しい事は美味しいのだが、「何の」とは言い切れない感じの味で。既知の味では例えようが無いと言うか。先程口に出した柑橘系っぽい、と言うのも、かなり無理矢理こじつけて例えた感がある。
それでも、美味しかった事には変わりは無い。
美味しかった感動を頑張って訴えつつ、ティレイラは店員にフォークを返す。かと思うと…今度は何処かそわそわしながら、シリューナの顔を、ちら、と見ている。
「え…と、あの、お姉さま」
続く言葉は、予想が出来る。
■
…今試食したケーキ、三種類。
シリューナは先回りして、口に出す。
「…この三種類、貰ってみる?」
「いいんですか!」
「いいわよ。…ティレも気に入ったみたいだし」
「有難う御座いますっ!」
ティレイラはシリューナに全開の笑顔を見せて来る。
…それならそれで、好都合。
シリューナは今の三種類の購入を店員に伝え、それから自分用の――魔法的効能は特に無い普通に美味しい菓子を幾つか見繕う。
それらが箱に詰められ渡される時に、シリューナは店員に耳打ちされた。
曰く。
新作の魔法菓子の効能の持続時間や、注意事項。
それから――後でごゆっくり御堪能なさって下さいね、との一言も添えられる。
…どうやら、試食ではちょっと色合いが試せる程度の効能しか出ないのは、店側の配慮もあったよう。
確かに、こんな場所では――『独り占め』は、出来ない。
まず、当然ながら店員の目がある――そして今は居ないが、他の客が来る可能性だってある。
落ち着いて堪能出来そうにない。
それにそもそも。
………………「そんな姿」のティレイラを他人の目に晒すのは勿体無い、と言うのもある。
どうせなら、ゆっくりティータイムを過ごす時に。
この「美味しい」お菓子をティレイラにも食べさせてあげて。
それから、シリューナ自身は、後に訪れる眼福に浸りたい。
…ティレイラは今度はどんな可愛らしい姿を見せてくれるのか。
…ティレイラがこれで像になった時、その触感はどうなるのか。
想像してみるだけでも、シリューナは高揚する。
きっと、本物のティレイラは、想像以上のものになるだろうと思うから。
…ケーキを選んだのは、ティレ自身。
それを試食分だけでなく、普通に一人分食べてしまったら自分がどうなってしまうのか。…わかった時のティレの顔もまた、見てみたい。
どれもこれも、二人で帰ってからの大事な予定。
お楽しみは、これから。
【了】
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