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月下に舞う華―後編
繰り出された黒いグローブを鼻先でかわし、意外な身軽さを見せて指導者は執務机に飛び乗ると咄嗟に掴んだ通信機やペーパーナイフを迫り来る琴美に向かって投げつける。
余裕の表情で身をかがめてかわす琴美を憎悪の眼差しで睨みながらも、襟元から覗く豊満な胸が大きく揺れるのを見とめて思わず魅入りかけた。
「注意力散漫ですわっ」
鋭い琴美の声が届き、一瞬にして正気を取り戻して机の後ろに飛び降りると同時に右足で勢い良く机を蹴り飛ばす。
派手な音を立てて倒れてくるオーク材の机。
見苦しさ丸出しの男に琴美はうんざりとした表情で袖からクナイを滑り出し、両手に構えた。
さっさと任務を終わりにしようと倒れてきた机を踏みつけ、逃げ腰の指導者にクナイを投げる。
短い悲鳴をあげ、だらしなく床に尻餅をつく指導者に黒鉄の刃が鼻先にまで迫り―寸前で駆け抜けた白銀の光に弾き落とされ、そのまま大きく琴美に向かって伸びてくる。
左斜め前に倒れこみながら琴美は胸元に片手を入れ、数本の小刀を乱入者に投げるが、その攻撃は届くことなく白銀の光によって跳ね返され、絨毯の敷き詰められた床に突き刺さる。
「さすが……というところか。下の連中では話にならん訳だな」
「そちらこそ中々のお腕前ですね。テロ組織の護衛なんてもったいない」
優雅な笑みをたたえる琴美に一つ視線を送り、乱入者はへたり込んだままの指導者を見下ろす。
雲の陰に隠れていた月が姿を見せ、対峙する乱入者の姿をぼんやりと浮かび上がらせる。
そこに居たのは全てを凍てつかせる北海を思わせる紺碧の目に短く切りそろえられた茶褐色の髪をした中肉中背の男。
右手にした日本刃も妖しくも冷たく煌かせ、鋭い切っ先を琴美に向ける。
「腰抜けだろうがなんだろうが、一応雇い主だからな……それ以上に俺とてお前の好きにさせるわけにはいかん」
かちゃりと小さな音を立て、左頬の前で刀を構える男に琴美は表情を引き締め、袖からクナイを滑り出して両手に構える。
易々と倒してきた末端構成員や直属部隊の連中とは明らかに力が違う。
こちらも本気で挑まねば、任務を阻まれると琴美は直感し、ぐっと力を入れて足を踏みしめる。
両者どちらも引くことなく睨み合い、空気は極限にまで張り詰めていく。
辺りを柔らかく照らしていた月明かりが、ぶ厚い雲に隠れ、一瞬闇が深くなり―やがて天にかかる月が再び顔を出し、うっすらと照らし出した瞬間
音もなく、戦いの火蓋が気って落とされた。
男が繰り出す鋭く重い突きを左手のクナイでさばき、琴美は深く男の懐に踏み込むと身体をひねりながら右手のクナイで素早く切り裂く。
一歩下がることで男はその一撃を避けるも切り裂かれた迷彩柄の布が宙を舞う。
だが、怯むことなく男は弾かれた刀をそのまま袈裟懸けに切り落とすも琴美は下から上に切り上げた左のクナイで受け止めながら、無防備になった腹に右足で蹴りを放つ。
革で固められたブーツによって威力を増した攻撃を僅かに喰らい、小さく舌を打つも男は力任せに刀を振りぬく。
耐え切れず琴美はクナイの刃で振りぬかれた刀を滑らせ、２，３歩後ろへ飛び下がりながら胸元からやや小振りのクナイを引き抜き、つかさず投げつける。
円を書くように刀を振るってクナイを弾き飛ばすと男は躊躇なく琴美に向かう。
わずかばかり驚きの表情を浮かべ、琴美は横へと走りながら首の後ろに隠していた小刀を投げまくる。
琴美を追いかけつつ、投げられてくる小刀を焦ることなく男は刀を振るい、叩き落すと絨毯を強く蹴って切り捨てる。
しかし琴美は右手のクナイでその刀を止めて弾くと、逆に至近距離から両手のクナイで男に切りつける。
思ったよりも伸びてくる琴美の腕に手を焼きながら男は全ての攻撃を受け流し、刀を振るう。
薄闇の中で激しく何度も切り結ぶ両者に割って入る隙などない。
「そろそろ終わりにしませんこと？」
「同感だ」
刃をかわし、互いに大きく後ろに飛ぶと楽しげな笑みを浮かべる琴美に男はにやりと口元を歪ませる。
深く息を整え、琴美はクナイを構え直すと鍛えぬいた足で一気に男の間合いへと踏み込む。
だが、男もその動きを読み、琴美の急所を狙って刀を鋭く突いてくる。
正確に捉えたと思われた男の切っ先が届く直前で琴美の姿がかすみのように掻き消え―次の瞬間、男のあごに逆手に握られたクナイの柄が強烈に叩きこまれ、大きくその身体が放物線を描いて吹っ飛ぶ。
拮抗していたと思われていた両者の力はたった今繰り出された琴美の一撃で悟らせるには充分で、どさりと仰向けに倒れ伏す男に呆然と眺めていた指導者は我を取り戻して、だらしない悲鳴をあげる。
倒された男は自分を守る護衛の中でもっとも腕が立ち、最後の切り札ともいうべき存在だった。
それを華奢な―だが、体つきは充分にいい女に叩きのめされるなど夢にも思わなかった。
「覚悟を決めなさい。テロ組織の指導者であろうとプライドぐらいはお持ちでしょう？」
冷ややかに告げる琴美に指導者は見栄も外聞もなくこけつまどろびながら壁際にまで後退する
その情けない姿に滑稽を通り越して琴美は哀れにさえ覚えるが、何かを探るように壁をたどる指導者の右手に気付くも構うことなく歩み寄る。
と、縦横無尽に探っていたその手が何かを見つけたのか、ある一点で止まり―指導者は下卑た笑みを浮かべると思い切り良く右の拳を壁に叩きつけた。
がたりと物音をあげて指導者の背にある壁が両脇に滑り、隠されていた数十丁の銃が現れる。
呆気に取られる琴美に構うことなく、指導者は手近にあったサブマシンガン一丁を手にすると銃口を迷うことなく彼女に向け―引き金を引いた。
激しく乱射される弾丸に動じることなく、琴美はクナイを驚異的な速さで床や天井に弾き飛ばす。
超人的な技に指導者は意味を成さない声を上げ、弾の尽きたサブマシンガンを投げ捨てると次の銃を取り、乱射を繰り返したが琴美の身体を一ミリも傷つけることはなかった。
「チックゥゥゥショォォォォッ！！」
怒りと恐怖を織り交ぜた叫びながら指導者は何丁目かの銃を捨て、視界の隅に捕えた大型バズーカ砲を握り締めるや否や、周囲の被害を省みずに打ちまくる。
砲弾にえぐられ、バラバラと無残にも砕け散る壁や天井の破片を顔色一つ変えることなくかわしながら、確実に距離を詰めてくる美貌の女に指導者は更なる恐怖に駆り立てられ、砲弾の残るバズーカを琴美に投げつけると次の獲物に手を伸ばす。
だが、一瞬早く琴美が投げた黒鉄のクナイが指導者の利き手をかまいたちの如く切り裂き、あとわずかで届きかけた銃を破壊する。
紅く染まる利き手を抑え、情けない声を上げてへたり込む指導者の背後に琴美は音もなく近づく。
「見苦しいですわ。部下を見習いなさい」
「なっ！！」
耳元で囁かれた声に指導者が反射的に振り向いた瞬間、腹部に強烈な一撃がえぐりこまれ―白目をむき、口から泡を吹きながら、その場に崩れ落ちた。
「任務……達成ですわ」
西の夜空に消え行く月が投げかけた清冽な光に照らされた琴美はこの上もなく穏やかで優しさに溢れた微笑を浮かべて、やがて大きく闇色の口を開けたドアに姿を消す。
しばらくのち、けたたましいサイレン音とともに数十台の警察車両が廃ビル一帯を取り囲む騒ぎとなったが、琴美は関わることなく自室へと舞い戻る。
やや灰色に染まった上着やスカートを乱雑に脱ぎ、壁のクローゼットからタイトスカートのスーツを取り出して琴美は手早く着込むと、気持ち背筋を伸ばし、本件の報告をすべく司令室へと急いだ。
「ご命令どおり、組織は完全殲滅。警察らによって指導者をはじめとした幹部らの身柄を拘束。再起を図るのは絶望的でしょう」
どこか楽しげな声音で報告する琴美に司令官は苦笑いを作りながらも、ゆったりとした動作でイスから立ち上がる。
つい先ほど上層部からも彼らの大規模テロ計画が発覚し、未然に防げた事に対する労いの言葉が届いたところだ。
有能な部下を持つと助かるな、という上層部のほめ言葉を司令官は何事もなかったように受け流し、無事に姿を見せた琴美に安堵の息をつく。
「ご苦労。さすがは琴美だな……一晩で決着をつけるとは、相変わらず早いことだ。よくやった」
「いいえ、大したことはなかったです……というか、相手が弱すぎて楽な任務でしたわ。もう少し骨のある人たちがいれば良かったのですけれどね」
にこやかな笑みを絶やさずに物騒なことを言ってのける琴美に司令官は当然だといわんばかりの微笑を口元にたたえる。
「そんな任務ばかりなら、私も困らんがな……次も頼む」
「了解いたしました」
背を向ける司令官に敬礼すると琴美は毅然とした足取りで司令室を退出した。
今回は確かに楽なものであったが、常に危険と隣り合わせにあることを忘れるつもりは琴美にはない。
長い月夜が遠ざかり、東の空から登りだした太陽が藍色の空に金色の光を投げかけ、薄暗い通路を明るく照らし始める。
鮮やかに空をオレンジと赤に染めていく暁を窓から目を細めて眺めながら、琴美は過信することなく全力で任務に当たらなければ、と決意を強く胸に刻み付ける。
次の任務に思いを巡らせながら琴美はその光に背を向け、通路を迷いなく歩み出すのだった。
ＦＩＮ
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