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<東京怪談ノベル(シングル)>


〈ラズベリーオンザショートケーキ〉

 人はどうして一度殺しただけで死んじゃうのか、あたしはそんな単純そうな事がずっと理解出来ないでいた。
 死んだ人間が生き返ってくれたならそいつを何度も殺してその度に違う殺し方だって楽しむ事が出来るのに、殺したらそこで終わりなんてそいつのやる気がないんじゃないの?ってずーっと思ってた。
 けど、もし殺した相手が全員生き返って来ちゃったら無限沸きのゾンビゲーみたいに頭を吹っ飛ばしたって意味がないって事だから、それはそれで飽きたら鬱陶しいだろうなぁって思うと死んでくれたままの方が良いんだって結論に落ち着いた。
 あたしはずっと、「あたしに殺せないようなものなんかこの世界に存在しない」と信じていた。(信じてるというより120%確信だったけど)
 質量や熱があろうとなかろうと、認識しているものであればどんな形状をしていたって殺せるし壊せる確信があった。(勿論、それを裏付ける実績だってあったもの)
 けど、どうしてかしら?
 時々、そうこんな季節外れの生温かい夜になると、皮膚の内側に無数の節足動物が這い回るようなゾクゾクとした気持ち悪さに襲われて、記憶の一部がぶつりと途切れる瞬間があった。
 それはまるで開いてはいけないパンドラの箱のような、あるいは本当は開かれる事を望んでいるのかもしれないシュレティンガーの猫のような(覗けそうだけど覗いてはいけない、開けるけど開いてはいけない)、そんなザラザラとした砂の粒のような記憶だった。

(――そう、あれは何だったのかしら?)
 いつの間にか退場してしまった秋に変わって、開いた場所にそっと居座ろうとしている冬の気配が漂う午前二時三十七分。足元から吹き上げる生温いビル風があたしの細く柔らかな髪と短いプリーツスカートをふわりと舞い上げた。
 コロコロと転がすミックスベリーのキャンディが、口の中いっぱいに甘酸っぱい香りと味を漂わせる。こんな夜に限ってセンチメンタルな気持ちになるのはきっと燻った破壊衝動の所為なんだと、名前の付けられない気持ちの悪さを思考と共に殺した。
「何を見てた、玲奈」
「なんでもないわ。それより、襲撃のタイムリミットはどうなってるの?」
 頭上から降って来た鬼鮫の神経に障る声に、あたしは小さくなったキャンディを奥歯でカリッと噛んで古い雑居ビルの縁から立ち上がった。相変わらず漂っている生温い風が肌にぴったりと纏わり付いて気持ちが悪い。今すぐにでも部屋に帰って熱いシャワーを浴びたい気持ちでいっぱいだったけど、そんな事を言おうものなら三倍の小言が返されるのを知っていたからあたしは口出さなかった。
「スタートから十分。手古摺るような状況だとしても、十三分が経過した段階で撤収する」
「冗談、七分で片付けるわ。あたしは早く帰りたいの」
「好きにしろ。……時間だ」
 あたしの足元で、小型のデジタル時計がピッと短い電子音と共に定刻を告げた。瞬間、肌の上を撫でるように複数の生き物の気配が七百メートル先の高層ビルへと向けて一斉に放たれる。高い跳躍と共に鬼鮫の重そうな体が闇夜の中へと融け込むと、あたしはローファーの踵で砕けたコンクリート片をジリッと踏みつけた。
「それじゃ、お仕事を始めましょうか?」
 息を小さく吸い込むと同時にあたしを中心とした半径三キロの空域に密度の高い空気の層が膨れ上がったように生まれた。ビル風とは全く性質の違うハリケーンのような渦巻いた風の塊が六本、空気の層と地上を繋ぐように立ち上った。あたしの周囲でバチバチと巨大な火花が散り、運悪く触れてしまった古びたビルの安全策が焼け焦げて変形する。何の力も持たない一般人がこの中に放りこまれてしまったら、渦の中に飲み込まれて四肢が切断されるか、あるいは千切れるよりも先に窒息して死ぬ羽目になるに違いない。どちらにせよ、あたし以外の生物がその空間の中に入り込む事は不可能だった。
「さぁ、眼を醒ましなさい。あたしの可愛い獣――!」
 耳の奥底に突き刺さるような耳鳴りと共に渦巻いていた濡羽色の空が大きく口を開き、その隙間から細い稲光を漆黒の艦身に纏った弩級艦の船首が静かに姿を現す。その瞬間、内蔵の奥底に堆積していた気持ちの悪さが一瞬にして溶けて消えたような気がした。
「……さようなら。薄汚い魂に浄化の光を」
 頭上へと腕を掲げると同時に、弩級艦の船首から無数のレーザーがビルの壁面へと向けて打ち込まれる。その光は外壁を透過し、鼓動する生物という生物を見つけ出しその心臓目がけて突き刺さると、血の飛沫を狭い部屋の中へと撒き散らせる。何人の仲間(仲間なんているの?)にレーザーが誤爆するかなんて、あたしは微塵も考えるつもりなんてなかった。(だってそうでしょう? あたしが来る事が解っているのに、それを避ける事が出来ないそいつが愚鈍で間抜けなんだから)
「……七分なんて言わなきゃ良かった。四分で片付いちゃうわ」
 桜色の柔らかな唇がそっと言葉を呟くと、あたしは右手の指先で新しいキャンディをセーラー服の胸ポケットからひとつ摘み上げた。

 あたしの名前は三島玲奈。
 レイナ呼びで良いし。みないな?(つーか、あんま馴れ馴れしくしたらマジ殺すけど)
 セーラー命の現役JKでっす♪超ヤヴァイ、マジ可愛くね? みたいな?(じろじろ見んじゃねーよオッサン、マジ殺すぞ)
 あたしの押しポイント? ムチムチの美脚かな♪みたいな?(だから見てんじゃねーよ、タマ蹴り潰すぞ)
 ガチでメル彼募集してまーす♪みたいな?(本気にしてんじゃねーよ。マジ財布にしか興味ねーからとっとと置いてけっての)
 あたしの事をその気にさせてくれるようなイケメンに会えますよーに!
 あっ! カワイイ女の子でもヨユーなんで女の子も待ってまーす♪


〈ラズベリーオンザショートケーキ〉
 甘酸っぱいショートケーキを、早くあたしの中に注ぎ込んで


 街の中は人間という名のゴミで溢れ返っていた。世界で一番辛い思いをしてるのは自分だと言いたげな悲壮感を漂わせて横断歩道で立ち止まるサラリーマン。ろくに見えない将来の断片に必死に縋り付こうと多感な時期を殺す受験生。紙テープのような細い未来から底辺に叩き落されたフリーター。金と酒で汚れた世界の中に飛び込む為に厚いメイクとドレスで全身を塗り固めたホステス。ゴミ箱を漁っては見えない世界の侵略者と戦う浮浪者。この世界からそんな人間がいなくなれば、きっと地球はもっと綺麗で住みやすい場所になるんじゃないかという思考があたしの頭の中を満たしていた。
 時刻は夜の十時に差し掛かろうとしていた。学校行事の準備(グレーゾーンだけど)や進学塾にでも行っていない限り、ごくごく普通の女子高生が繁華街の近くを歩いているなんて事はありえない時間帯だった。(夜遊びをしたり援をするようなバカはさておいて)
 あたしは、そんな歪んだ時間の中にそっと紛れ込むのが案外嫌いではなかった。(群衆の中で感じる孤独ってやつかな? 勿論、寂しいって気持ちなんて微塵も無かったけど)

 あたしはいつも、コスプレショップで購入した他校の制服を来て(一番はセーラー服だけど、たまにはブレザーも着てみたくなる心理みたいな)出会い系にすら金を落とせないような貧乏そうなヤンキーや中年オヤジを引っ掛けては、ラブホに行く素振りをちらつかせつつご飯をオゴらせた後、痴漢っぽい事をされたいと路地裏へと誘い込んでいた。(勿論、全部嘘。女優になれるんじゃないかってぐらいの完璧な演技で)そこであたしは、その気になったキモい男に馬乗りになって、スカートの中に隠し持っているハンティングナイフで男の喉を真一文字に掻き切り殺していた。頭上へ向けて噴き出す鮮血と断末魔は耳障りだったし気持ちの良いものではなかったけれど、そのひとつひとつの小さな行動が、全て『あの方』への奉仕になるのだと思うとなにひとつだって苦にはならなかった。
 それが、あたしのいつものやり方だった。
 そうしてあたしは、死体愛好家のなんとかって名前の奴に写メを送って(死体マニアに引き取らせる為の合図)制服を脱ぎ捨てて体中の血を拭きとり、いつものセーラー服に着替えた後(脱いだ制服も、そのマニアが別のマニアに売り飛ばすらしい)家へと帰り着く。そうしてあたしは熱いシャワーを浴び、温かな布団の中で眠りにつくのだ。
 夢の中で、あたしはいつも『あの方』の声を聞いていた。
 数ヶ月前突然、夢の中に現れてあたしを『使徒』だと呼んで下さった教祖様。この腐った世界を浄化する為に、私に天命を与えて下さった美しい御方。私の生きる意味、存在する理由、そしてあたしの死に場所すら与えて下さった唯一無二の存在。あたしが小汚い路地裏で小汚い男を殺すようになったのも、全てが教祖様がこの世界から逃げ出す為の時間と経路を稼ぐ為の行いだった。その為ならあたしは喜んで死ぬ事だって出来る。喩え捨て駒と呼ばれたってあたしは構わない。あたしは殺人鬼、生きているモノを殺す為の殺戮兵器。喩えその為にこの体がガリガリに痩せたって、体中から毛が全て抜け落ち立って、骨が浮き出てエラが張ったって、あたしに殺しの力があればそれで良い。それだけが全て。あたしを形作る世界。その為に教祖様はあたしに弩級艦だって与えてくれたもの! あたしは使徒。教祖様の為に戦う使者。それだけが正義、それだけが全て。それ以外の異物は全て排除して焼き尽くしてやる! 慈悲を求めたって遅いのよ! 泣き叫び逃げ惑うがいいわ! その全てを焦土に変えてあげる!! そうよ、それがいいわ!! 全てが消えて無くなればいいの!! それが、教祖様の為なのだから!!
 それを忘れてはいけない。
 その為にあたしはこの世界に生まれ落ちたのだから。

 そうしてあたしは、女子高生という表向きの皮を被りつつ、真夜中の殺人鬼となって街の雑踏の中へと紛れ込んでいた。その日だっていつもと変わらなかった。ただ少し、図書室の書庫の中で片隅に追いやられていた絵本を読んでいただけなのに。何の準備もしていない(勿論、人を殺すという意味で)あたしには、夜の闇と毒々しいネオンの光がその日に限って酷く不気味なものに見えていた。
 そして、家まで数百メートルという距離であたしの意識はぶつりと途切れた。
(――ふざけんな! 放せ! 放せ! 放せっ!!)
 どの方向から何人の人間に(そもそも人間だったのかすら解らないけれど)何をされたのか、何度も何度も思い返そうとしたけれど、あたしの頭の中では正確な情報を再生する事が出来なかった。次に意識が繋がった時には、あたしはランジェリーすら身に付けていない裸にされ、大の字の態勢で冷たく硬い台の上に仰向けに寝かせられ、両手足を金具錠のもので固定された泣き叫びたくなる程に恥ずかしい格好だった。
『畜生放せ!! なんだよここは!! あたしを放せっ!!』
 喉は声を発しているはずなのに、あたしの耳はあたし自身の声を聞き取る事が出来なかった。そういえば心なしか頭の奥底が麻痺したように感覚を失い、金属錠に抵抗するようにもがいているはずの両手足はどんな動きをしているのかすら解らなかった。
「……目が覚めたか。予想をしていたよりもずっと、生命力が強いようだな」
 視界の端からゆっくりと覗き込んだ男の顔に、あたしの全身にぞっと冷たい恐怖のようなものが走った。なんだこの男は、と頭が男の存在を認識するよりも先に、どれぐらい昔の事か解らない記憶が火花のようにフラッシュバックした。
 街頭の無い路地の曲がり角。帰宅するあたしの前に突然立ちはだかり鬼鮫と名乗った目の前の男。身構えるよりも先に懐に飛び込まれ、腹と後頭部にそれぞれ数発の打撃を食らって血の塊を吐き出したあたし。倒れ込んだあたしの腹を踏み付け「お前は俺のものだ」なんて訳の解らない事を言った鬼鮫。そうして記憶の途切れかけたあたしは鬼鮫に担がれてこの場所へと連れて来られた。
 そうだ、あたしはこの男に拉致されたのだ。
「――ひっ、ぎやぁぁぁぁぁ?!」
 記憶が繋がると同時に、頭の中に幾つもの火花が粉塵爆発のように飛び散り、意識を失いそうになる程の激痛が頭を貫いた。鬼鮫の太い男の手が暴れるあたしの体を押さえ込み「そろそろ薬が馴染む頃か」なんて訳の解らない事を口走る。男の手には細長い電極のような金属製の棒が握られ、それがあたしの喉元へ向けて垂直に突き立てられた。強烈な痛みと飛び散る鮮血にあたしは白目を向いて大きく口を開き赤い舌を剥き出しにした。痛い痛いイタイたすけて助けて助けてころされるいたい痛い殺されるタスケテころされるコロサレルコロサレル痛いイタイタスケテたすけて!!
(――お許し下さい教祖様。無力なあたしを、目の前の男ひとりすら殺す事の出来ないあたしをどうか許して下さい)
 そうして、あたしが今まで殺してきた男達と同じように、喉の上にメス状の鋭利な刃物が突き立てられ皮膚が開かれる。あたしの中の何かが掻き回されいく感覚に、あたしが『あたしである』最後の記憶が静かに閉じていった。

 鏡の中にバケモノがいた。二本の足のようなもので自立し、膨らんだ胸のある胴体のようなものから伸びた二本の腕の先には大きな手のようなものが見え、細い肩の上には小さな頭のようなものが乗っかっている。一見すると人の形にとても良く似ていたが、そいつを形作る外見はどこまでも歪んでいて、あたしはそれを人間(しかも女)として素直に認識する事が出来なかった。
 なによコイツ、気持ち悪い!
 ファンタジーものの映画でしか見た事がないような尖った耳にクッキリと浮かんだ鰓のようなもの。頭から足の先までツルツルしたドールのような見た目のくせに、触るとやわらかそうだなって思えちゃうぐらいのもふもふとした翅が生えていた。(同じ女なのに)触ったら気持ちが良いだろうなって感じちゃうようなグラマーな胸に細く括れた腰、柔らかな曲線を描く両股はむっちりとして膝枕をされたら本当に気持ちが良いだろうなって気がしてならなかった。清楚っぽく見える黒髪ロングのウィッグを付けて、ロリっぽさを残したお嬢様系のワンピドレスでも着せて歩かせたら、処女崇拝するアキバのキモオタが飛び付くぐらいのアイドルにはなれるんじゃない? そんな事を想像してケラケラと笑ったあたしの正面で、その気持ちの悪い生き物はまるであたしを真似するかのように同じ動きで笑い出した。よく見ればあたしと同じ口の動きも、呼吸のリズムも瞬きのタイミングも何から何までが同じ! なんなのこいつ?! あたしの真似すんじゃねーよ! 化物のくせに!! あぁ、そうだ、化物だ!! 解った化物なんだ!! コイツは化物だって事は、あたしだってコイツと同じ化物って事じゃないの?! ……そうか、解った。あたしはコイツなんだ。コイツがあたしで、あたしの成れの果てがコイツで、コイツの昔があたしなんだ。何もかもが解ったわ! 理解したの!
『……そう、やっと解ったんだ?』
 鏡の中のあたしが、まるでそんな言葉を口にしたかのように唇の端を上げて微笑を浮かべた。その笑みは人形のように綺麗で、この化物となら気持ちの良い事だって出来ちゃうぐらいに可愛かったんだもの。吸い込まれそうに深い青紫と漆黒の異なる瞳の色。いつの間にか形作りだされていた光を受ける濃藍の柔らかそうな髪は、とても良い匂いがしそうなほどに見えた。
(――えぇ、やっと解ったわ。あたしがこの場所に連れて来られた理由も(あたしを拉致して人体改造をしたんでしょ?)、どうしてそんな目に合わなければいけなかったのかも(きっとぴったりだったんでしょうね、鬼鮫が探していた女にあたしが)、これからどんな目に合うのかも(きっとあたしは色々な事をこの体の中に教えこまれるんだわ、そうして、好みの存在に作り替えられてしまうの)、その先にある目的も(殺戮か世界平和か、そんなものあたしはどっちだって良い、どうせこの場所には世界を捨てた人間や気がふれた研究者や中途半端に改造されたような生き物しかいなんでしょ?)。言われなくなって、あたしはもう全てを理解してるんだから)
『……そう、それなら良いの。……貴女に素敵な終末を』
 化物が鏡の向こう側から溶けるようにして消える瞬間、あたしは腹の底から呪いのような言葉を吐き出した。

 ――目が覚めたら、あたしはこの世界の全てを殺してやる

 どろどろとした甘酸っぱい液体のようなものの心地良さに、『あたらしいあたし』がゆっくりと目を覚ました。


..........................Fin