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見えないあなた
既に空は黄昏。
空の色は、夕焼けの赤も消え、夜の闇が来る束の間の真っ白な色に変わっていた。
こう言う空の事をトワイライトって言うんだっけ。
どこかで聞きかじった知識を自分の中で反芻しつつ、栗花落飛頼は体育館の中を歩いていた。
地下にあるダンスフロアへと向かっているのである。
バレエ科の人に訊いてみたら、多分ダンスフロアに彼女はいると教えてもらえたのだ。
まだ最終下校時刻までは時間があるし、多分まだ練習していると思うけど。
そう思っていたら、案の定バレエ音楽が流れているのが分かった。
飛頼は倒れてもまずいと思い、ダンスフロアの扉の前に腰を下ろした。
聴こえてくる曲は「エリーゼのために」だった。
確かバレエには使われていない曲だったから、クールダウンで身体を休めるために踊っているのかな。
踊っている姿を見てみたいとは思うが、こんな所で倒れたら困るだろうと、曲が終わるのを、飛頼はじっと待っていた。
耳を澄ませると、聴こえてくるのはトントトンとリズムを刻む足音。座っている床にも、その振動は響いてくる。
しばらく座っていたら、曲が終わった。
飛頼はひょっこりと覗くと、そこでは守宮桜華がレオタード姿で汗をタオルで拭き、ペットボトルのお茶を飲んでいる所だった。
ダンスフロアは全面が鏡張りだ。鏡に映り込んだ飛頼の姿に驚いて、桜華は振り返った。
「先輩? どうしたんですか? こんな時間に」
「お疲れ様、守宮さん。ちょっと時間があったから遊びに来たんだけれど」
「でも先輩、バレエを見られないんじゃありませんでした?」
「うん。だから練習が終わるのを待ってた」
「まあ……」
桜華はタオルで口元を隠した。肩が震えているから、どうも笑ってしまったらしい。
うーん、自分もこれでも困っているつもりなんだけど。
飛頼はそう思いつつも、「隣、座っていい?」と訊くと、桜華は「どうぞ」と勧めた。
飛頼はトン、と桜華の隣に座る。
「それで? こんな時間にここに来た用件は何でしょうか?」
「うん。ちょっと、訊きたい事があったから」
そう言いつつ、飛頼は胸ポケットに入れている学園新聞の切り取りを漁った。
……情報規制対象。
いつか教えてもらった事が頭を掠める。
何で情報規制対象に彼がなっているのかは知らないが、これを告げて大丈夫だろうか?
そう思いつつも、切り取りを引っ張り出した。
「あのさ、守宮さんって、確か海棠君の幼馴染だったよね?」
「はい? そうですが。秋也が何かしましたか?」
「うん。そう。あのさ」
飛頼は、手に汗を掻きながら切り取りを見せた。
『中等部1年バレエ科:海棠秋也さん(13)、星野のばらさん(13)、おめでとうございます』
そう書かれた黄ばんだ新聞を見て、桜華の顔色は見る見る変わっていった。
カランと音が響く。空になったペットボトルを、桜華が落としたのだ。
ペットボトルを持つ手の力が抜ける程だなんて……。
桜華はか細い声を紡いだ。
「先輩、この新聞、どうして……」
「家にバックナンバーを漁ったら出てきた」
「……そっか、先輩は4年前も学園にいましたものね」
「……あの。大丈夫?」
「大丈夫です」
嘘だ。
飛頼はそう思った。
このままこの話を続けて、大丈夫なのかな……。
「あの、訊きたい話があるんだけれど、本当に大丈夫?」
「……のばらの事ですか?」
「……うん。どんな人なのかなって思って」
「彼女は、私の親友でした」
でした?
おかしな語尾に、飛頼は首を傾げた。
「いつも明るくて、優しくて、本当にバレエが好きな子でした。才能がすごくあって、私なんかとても叶わないって、今でも思います……」
「……あのさ、何で過去形なの?」
「………。彼女はもう、踊れませんから」
「踊れない?」
頭をつんざくような哄笑を思い出した。
彼女は何で中庭で、白いチュチュをまとって踊っていたのか。
何でもう踊れないのか。
飛頼は、喉が渇いてきた。
からからと口の中の水分は抜け、それは額の汗となって流れていくような、そんな気がした。
桜華の沈黙が。途切れた。
「彼女は、死にました。自殺したんです」
「―――!!」
――――思い出した。
飛頼は塗り潰された黒いインクが取り払われる感覚を覚えた。
あの時は、昼休みだった。
今日はここで昼食を取ろうかと、友達と皆でベンチでパンを食べて、他愛もない話をしていたのだった。
突然、学園の有名人が現れたので、皆首を傾げた。
そして、急に踊りだしたのだ。
音楽なんて流れていない。
舞台なんて置いてない。
トントトン トントトン
それでも芝生に刻まれたリズム、体重を全く感じさせない踊りは、そのまま中庭の空気を変えた。
最初は皆、彼女がコンクールで優勝した記念演技だろうと納得し、そのまま彼女の踊りに魅了されていた。
彼女が最後にくるりとターンをした後、突然踊りが終わった。
中庭は、拍手に包まれ、そして彼女は深く礼をした。
『それでは、最後の演目を披露いたします』
彼女は一通り踊りきったのに、息一つ切らさず、汗もかかずに微笑んでいた。
そして、膝を落とした後。何かを芝生の間から拾い上げた。
……それは、舞台のセットのように綺麗な細工を施した、短剣だった。
――――記憶は、そこで途切れた。
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「――先輩? 先輩?」
「……ん」
前に見覚えのある光景だった。
薬品の匂い。白い天井。そして、桜華の心配そうな顔。
やっぱり、倒れたんだ。
「自分が何でバレエを見たら倒れるのか、やっと思い出したんだ」
「……えっ?」
「……ごめん。君に不愉快な思いをさせて」
「いえ、私は別にいいんですが……」
桜華のほっとした顔を見て飛頼は頷きながら、少し考えた。
死んだ人は、今も皆の心に影を落としている。
まるで、見えなくなっただけで今でも彼女がここにいるみたいに。
それって、いい事なのかな……。
考えてみたが、やっぱり分からなかった。
<了>
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