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<東京怪談ノベル(シングル)>


羽ばたける白い翼3

「人の上に存在して良い力量ではありませんでしたわ」
 瑞科は、黒い霞となって消えてしまった敵の長がいた場所に向かって、ぽつりとつぶやいた。腹立たしげでもあり呆れているようでもある。
調査によれば、あの魑魅魍魎が人々を惑わし、倫理に反する悪逆非道を尽くす組織を作り上げていた。
その全貌を把握しているわけではないが、人であった組織のものたちも人としての芯まで魔に侵されていたのだろう行いの記憶は、その者たちを人として再生させる妨げになるのは間違いないだろう。

 事実、いまこうして瑞科が戦闘の痕の残る神殿に佇んでいるその足元で、もがいていた組織の人間が次々に人としての自我を取り戻そうしている。
 我に返り。
 夢の記憶を手繰るように自身の行為をたどり。
 そして、その悪逆非道さと取り戻した倫理観との間で自我の崩壊を起こすはずだ。

響き渡るうめき声が、阿鼻叫喚に代わるまでそう時間は必要ない。
「哀れですわね」
 真っ白いヴェールが伏せ目がちのけぶる目元に影をつくる。
 戦場で清い祈りをささげる修道女のように、瑞科は小さく十字を切った。
「どうあれ。任務達成ですわ」
再び持ち上げられた瑞科の面には、微笑が浮かんでいた。
残った人々は、瑞科が直接に手を下すまでもない。
もとより魔に芯まで侵された体は限界だし、何より取り戻した自我が自身を許容できないだろう。

来た時と変わらぬ涼やかな風体で、瑞科はカツリと踵を返した。
風を含んだヴェールが軟らかく翻った。



しばらくのち、瑞科は教会内部に与えられた自室にいた。
任務に赴く時に使用する更衣のための部屋とは違い、柔らかな絨毯、広い窓からの景色、瑞科の趣味で設えられた家具と瑞科がくつろぐための場所となっている。
 任務を終えた後、瑞科は必ずこの部屋を使用していた。

 ヴェールを取り去り、部屋の隅にあるハンガーに無造作にかける。
長い髪がさらりさらりと流れると、前髪からかき上げるようにして後ろに流す。
足元には任務で着用した装備を入れるカゴが支度されていて、瑞科は両手にはめたグローブからその中に落とし込んでいった。
肘までを覆う手袋を指先からするりと抜き取ると、白磁の腕が露わになる。続いて編み上げのブーツをほどき、体を締め付けているコルセットを外すと、一息に体が軽くなった。その重さを負担に思うような瑞科ではなかったが、それでも任務完了の達成感とこの解放感は不快なものではない。
上半身にぴったりと吸いついている特殊加工の修道服をスカートからたくしあげた。
手をはなすとパチンと音がしそうなほど伸縮性のある上着は、着ているときには一切の締め付けや不快感を感じないというすぐれものだった。
 部屋の大きな窓の外は、大きな月が空の高いところで輝く時間だ。カーテンを引いていない窓には明るい部屋の内部がまるで鏡に映っているかのように見て取れる。
 そこに映っている瑞科は、まだ脱ぎ去っていない太腿中ほどまでを覆うソックスだけの姿になっていた。
豊満に、そして押さえつけるものもなく揺れる胸から軽く反った姿勢の良い背中。細い腰とそこから描かれる柔らかな曲線。瑞科は艶めいた仕草で、最後のソックスを両手の親指をその中に入れてゆるゆると下ろしてく。
 すべてをとりさり、室内に用意されている浴室へ向かうところまでも、瑞科のいつもの習慣だった。
 すでに環境を整えられた状態で、浴室中が程よいミストで潤っている。
軽くシャワーで全身を濡らした後、瑞科は広いバスにゆっくりと体を沈めた。お気に入りのミルクと花の入浴剤は香りでも瑞科の疲労をねぎらってくれる。
 全身にゆっくりと指と手のひらを丹念に滑らせ、瑞科は禊ぎを行うのだ。

「雑魚ばかりの相手もむしろ疲れますわね」
 ふー、と長い息を吐いて瑞科が思わずこぼす。
「いいえ、すべてわたくしに与えられた試練と任務ですわ」
 次いで、自分に言い聞かせるように続けた。
「……どんな任務であろうとも。教会と共に」
 瑞科は乳白色のお湯に全身を浸しつつ、胸の前で両手を組んで短い祈りをささげた。ぽちゃん、と落ちた水滴から破門が広がってそして消えていく。
次に、その中から立ち上がり全身から水滴を滴らせているその表情からは不安も、迷いも全く感じられなかった。
教会が誇る、武装審問官としての表情をしている。

そして、短時間で身支度を整えた瑞科は、自室を後にした。
時間は夜中だが、時間を問わず、任務には報告がつきものだからだ。
瑞科は、体の線にぴたりと沿うように作られたジップアップのデザインスーツに身をつつみ、襟元をただして司令官の部屋を訪った。
膝上、というより股下といった方がいいような短いスカートも瑞科の立ち居振る舞いの品位を落とすことはない。
「よくやった」
 全幅の信頼を預ける司令官からの短いねぎらいの言葉に、瑞科はいつもの微笑で答える。
「難くはない任務でしたわ」
「うむ。次も頼むぞ。……期待している」
「かしこまりました。お言葉もありがたくいただきますわ」
 必要な言葉だけをかわすと、瑞科はハイヒールの踵を鳴らして一礼し、司令室を辞した。

「どのような任務であろうとも……」
 教会の、示す道のままに。
与えられる任務は楽なものばかりではないが、瑞科はそれが自分の存在の理由であり意義であると自覚していた。
そして、どんな任務であろうとも瑞科に『失敗』の言葉は存在しない。
「次の任務もたのしみですわね」
 さらり、とまだ少し湿り気の残る長い髪をかきあげて瑞科は深くほほ笑んだ。