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<東京怪談ノベル(シングル)>


『海に響く歌』


 先日、海から引き上げられた人魚姫の石造?
 それがあたしの学校の美術館に?
 とある筋から事前にあたしはその情報を仕入れた。
 それは見事な人魚姫の石造らしい。
 大昔、美術品好きのお金持ちがどこぞで仕入れたのか、それとも造らせたのか、とにかくそれは美しい人魚姫の石造が実在して、それを運んでいた船が沈没して、それは沈んでしまった。
 けれども、時を経てそれは深い海の底から引き上げられた。
 うん。なんだかそれはロマンチック!
 見てみたい!!!
 あたしの好奇心はくすぐられて、欲求をがまんできない。
 なんといってもその人魚姫の石造が展示されるのがあたしの学校なのだから、あたしは運命を感じずにはいられない。
 さあ、あたし。
 件の人魚姫の石造はすぐそこ!
 この扉の向こう!
 運命の出会いは今まさにこの瞬間。
 開く扉の蝶番の音は重々しく、それはなんだかそれこそ運命のファンファーレのよう。
 美術館特有の静謐な空気はけれどもどこか埃臭く、部屋の冷たさが独特の雰囲気を形作っている。
 ここには多くの美術品たちが陳列されている。それらがかもし出す空気は重い。
 重厚な空気は美術品の経てきた時間を明確化したプレッシャーなのだとあたしは想っている。
 素晴らしきかな美術品。
 それは人間の可能性の形骸化。
 かくしてあたしは件の美術品の前に立つ。数日前に引き上げられた人魚姫の石造の前に。
「ぁ」
 あたしの口から思わず感嘆の声が零れる。
 それは見事な石造。
 とても美しいフォルムはまさしく深海のそこに造られた王国の姫君に相応しい。
 でも、人魚姫の貌(かんばせ)は、どこか物憂げな顔をしている。
 それは、この場所が彼女が居るべき場所では無いからかしら?
 どこか遠くを見ている彼女。
「どこか、遠く?」
 違う。


 彼女は、きっと、ここがどこなのか考えている………。
 ―――これは、そういう顔。



 そうなのはきっと、普段から芸名を使って、自分自身から距離を取っているあたしと、この娘が、似ていると想うから。



 もしもこの彼女が、石造じゃなく実在していたのなら、あたしはこの彼女と友達になりたいと想うのかしら?




 かつて美しい魚の姫は、ある嵐の日に自分が助けた人間の王子に恋をした。
 けれどもその人間の王子は魚の姫の存在を知らず、同じ人間の姫と勘違いして、結婚の契りを交わす。
 魚の姫はそれを哀しんで、王子を求め、魔女に声を売り渡すのと引き換えに足を得る。
 足を得て、それで………。
 先にあったのは哀しい結末。
 姫の両親も姉たちも泣いた。
 だけど、きっと、魚の姫は後悔しなかった。泡となって消えていく中で、姫は自分の居場所を見つけたのだ。
 王子への愛という自分の居場所を。



 なら、あたしは、あなたとの関係に、自分の居場所を見つけられるのかしら?



 あたしがあなたに口付けをしたのは、それはあたしの本能が成せる業だった。
 その後に起きる奇跡を、現実をあたしは予め本能で予感していたのだ。
 そう。いつだって麗しの姫君にかけられた邪悪な魔女の呪いを解く方法は、これだって決まっているのだから。



 蛙に変えられた、醜い化け物に変えられた、永久の眠りにつかされた、王子様や姫様をいつだって救ってきたのは、口付け。



 それは、心と心を、命と命を、人が人と重ねる人としてとても大切な物を重ねて、伝わらせていく温もり………。



 石化の魔法は解けていき、彼女のとても長い睫が上下して、瞳が開かれる。



 そこに映るあたしの顔は、ようやっと母親に出会えた迷子の子どものような顔をしていた。



 ***


 温もりが伝わってくる。
 冷たい冷たい場所に居た。
 暗い暗い場所に居た。
 寒い。
 寒い。
 寒い。
 ここはとても寒い。
 寒いの。
 寒くて寒くて寒くてしょうがないの。
 とても、寒くて、しょうがないの。
 私は暗闇の中で、膝を抱えて蹲っていた。
 何も思い出せない。
 私がどうしてここにいるのかもわからない。
 わからない。
 どうして、どうして、どうして、どうして………。
 永遠に続くかと想われていた、どうして…。
 けれども、闇の中で凍えていた私に伝わってきた温もりが、私に、手を差し伸べてくれた。
 その手が、私に囁く。
 もう、大丈夫だよ。と…。
 でも、この寒さが、闇が、私の心を陵辱したから、私は立てない。怖い。
 でも…。
 でも……。
 でも…………。
 いくつも続く、でも………。
 その、でも、が私の背中を押して、私はその温もりに救われて、私は、その手を取る。
 立ち上がる。
 その瞬間、私の心を凍らせていた氷が溶けて、私は、自分の身に起きた悲劇を知る。


 そう。私は、人魚に石造にされた女性を救い、その彼女に教えられた場所で人魚たちに海の底に引きずりこまれて、たくさんの人魚たちに囲まれて、記憶を書き換えられて人魚にされて、シーメデューサに差し出されて、彼女に石造に変えられたのだ。



 そして…………。



「あたしに助けられたのね?」
 私はこくりと頷く。
「でも、それで、どうするの?」
 意地悪く笑う顔は、私がこの後、どう答えるのかを知っている顔で、
 そして、私はそんな彼女にとびっきりの笑顔で応えるのだ。
 そう。決まっている。
 シーメデューサには一度は負けたのだけれども、それでも………。
「もう、しょうがないなー、イアルちゃんは」
「イアルちゃん?」
 目を瞬かせる私に、彼女はとびっきりの悪戯っ子の顔で笑って、
 そうしてぴーんと伸ばした右手の人差し指を左右に振って、
「では、神話になぞらえたメデューサを倒す方法をこのSHIZUKUちゃんが授けてしんぜよう」
 そして、その後に、彼女は真剣な顔になって、
「ただし、もうイアルちゃんはあたしの友達だから、ちゃんと生きて帰ってくる事が条件だよ」



 ***

 
 ここを訪れるのは2度目。
 前は人魚たちに引きずり込まれて。
 けれども今日は、自分の意志で。
 人魚たちの里に降り立った私の前に、慄く人魚たちが群れを成す。
 出てきたのは、人魚たちの長老。
「ふむ。まさか、あのシーメデューサ様の呪縛から解放されるとわね。それでおまえは、何をしに来たのさ。あたしたちに復讐でもしに来たのかい?」
 どの人魚の顔にも、不安と恐怖と、疑心と、それから諦めと絶望が浮かんでいる。そこには生きる事の喜びなんか無い。
 では、彼女たちはどうして生きているのだろう?
 そう。私はその答えを彼女たちに見つけて欲しくて再びここを訪れたのだ。
 SHIZUKUさんが私を助けてくれたように。
「あなたたちにシーメデューサを倒す方法を教えに来ました」
 きっと、私はSHIZUKUさんから教えられた方法でシーメデューサを倒せる。
 けれども、私はそれでは意味が無いと想った。
 人魚たちを苦しめるシーメデューサを私が倒しても、それは人魚たちの前にある脅威が消え去っただけで、本当の意味で人魚たちの心は救われない。本当に人魚たちが救われるには、そう、自分たちで、シーメデューサを倒すしかないのだ。
 あのとても寒い暗闇の中で、私が自分の意志で立ち上がったように。
 私は、私を立たせてくれた手に、温もりになるだけで、良い。
「この鏡を使って、鏡にシーメデューを映して、倒すんです」



 ***


「馬鹿な娘。鏡にあたしを映して、それであたしを倒す? はっ。そんな浅知恵などであたしが倒せるものか!」
 シーメデューサにはSHIZUKUさんから教えられた方法は通じなかった。
 私の目の前で人魚たちはほとんどが石となっている。
 私は服を破り、その切れ端で目隠しをし、シーメデューサに突っ込むも、シーメデューサの魔力は布を通り抜け、私の視覚から私の魂へと伝わり、私は、
 ――――石造に……………。


『ただし、もうイアルちゃんはあたしの友達だから、ちゃんと生きて帰ってくる事が条件だよ』


 SHIZUKUさんとの約束、守れないな………。
 ―――守れないな、じゃダメ!
 守るの。


 まだ自由に動く左手。
 私はその手で、両目の眼球を潰そうと………
 そう。視覚からシーメデューサの魔力が伝わるというのなら、視覚を封じればよいのだ。そうすれば、シーメデューサを倒せる。


 けれども、私のその手を止めた人魚がいた。
 彼女は、人魚たちの中で一番若く幼い娘だった。
 その人魚の娘は、もう私の言葉を受け付けない確固たる信念を浮かべた笑みで私を黙らせ、そうして私がしようとしていた通り、彼女自身の目を自分で潰した。



 ***

 
 眼の見えなくなった人魚の娘だけが私を送ってくれた。
 彼女は私に頭を下げて、それから微笑んだ。
 かつて泡となった人魚の姫がいた。
 その姫は泡となって消えるその瞬間まで自分の身を犠牲にして守れた王子様への恋心に幸せと誇りを感じていたに違いない。
 眼の見えなくなった人魚の娘は、若く美しい貌に、そういう笑みを浮かべて、私に頭を下げてくれた。
 かくして人魚たちは、長らく自分たちを苦しめてきたシーメデューサを自分たちで倒したのだ。
 すぐには彼女たちは笑えないかもしれない。
 けれども、きっと、あの眼の見えなくなった人魚の娘が光りとなり、温もりとなり、彼女たちの心を凍らせる悲しみも癒えるはず。
 私はそれを、海の上に広がる私の居る場所からそっと、祈ろう。
 そう。それが私にできる事なのだから。


               ― fin ―