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<東京怪談ノベル(シングル)>


天使の絵本

1.
「ねぇ、あなたは一体なあに?」
 問いかけてみたけれど、小さな子猫は答えません。
 ふぅ…っと海原(うなばら)みなもは今日何度目かのため息をつきました。
 午後の太陽の光が、みなもと子猫を包み込むように降り注ぐ教室の窓辺。
 放課後の誰もいない教室は考え事にはうってつけです。
 数日前にひょんな出来事から連れて帰った子猫は、最初金色の羽が生えていました。
 しかし、今思えばあれは夢だったのかも…と思えてなりません。
 そう。
 あの日から子猫は言葉を喋らないのです。
 まして、母が戦場で死んでしまうなんて…とても現実だったとは言えません。
 だからあれは夢なのだと、みなもはそう思ってしまうのです。
「でも、あなたはここにいるのよね?」
「なぁーう」
 ゴロゴロと喉を鳴らす子猫を指で撫でながら、みなもはまたひとつため息をつきました。
「…そうだ。あの人なら何か知っているかも」

 みなもは子猫を抱き上げ、教室を出ました。
 あの図書館にいた司書の顔が鮮明に思い出されました。


2.
「よくいらっしゃいました」
 息せき切ってきたみなもに、司書は大きな扉を開けてにこりと笑いました。
「あ、あの。訊きたいことが…」
「どうぞ、中へ」
 司書はその手を奥へと伸ばし、みなもを図書館の中へと誘いました。
 みなもが図書館へと入ると、あの日のように大きな空間が目の前に広がります。
 落ちてきそうな天井いっぱいの本達。
 そんな中に、あの本もあったのです。
 みなもは少し頭を振って、気持ちを切り替えました。
「今日はこの間の事で…この子の事で訊きたい事があってきました」
「この子猫のこと…ですか?」
 みなもの真剣な眼差しに、司書は少し驚いているようでした。
 しかし、すぐにみなもに椅子にかける様に促すと、自分はどこかへと消えていきました。
「…行っちゃった」
 静かな図書館に、遠くから鳥の声に混じって小さな足音が聞こえます。
 司書の歩く音なのでしょう。
 それは段々と遠ざかって行ったかと思うとぴたりと止まり、そうしてまた近づいてきました。
「ごめんなさい。お待たせしてしまって」
 司書はそういうとみなもの目の前に一冊の本を置き、自分も椅子に座りました。
「私が説明するよりも、あなたの目で確かめる方がいいと思います」
 みなもは目の前に置かれた本を見つめました。
 その本の表紙には、キラキラと光る小さな羽の形が描かれています。
 それは、子猫を初めて見たあの日の本でした。
「どうぞ、見てみてください」
 司書は微笑みました。
 みなもは恐る恐る手を伸ばして本の表紙をめくりました。

『…怖がらないで…』

 どこかで聞いた声がみなもの耳に届く頃、みなもは本に吸い込まれていました。


3.
 みなもは、キラキラと光る空間にいました。
 とても温かで、どこかとても懐かしい場所でした。
「あたし…どうしたんだろう…?」
『ここは…キミの中…』
 聞き覚えのある声がまた聞こえました。
 よく目を凝らすと、みなもの目の前に子猫がいました。
 あの日と同じように金色の翼を広げた子猫が。
「あなた…やっぱり夢じゃなかったんだ…」

 みなもは少し困惑しました。
 夢じゃなかったのなら、やっぱりあの母の姿も現実なのでしょうか?
『…見て…みなも』
 子猫はクイっと顎を振り、みなもに金色の空間の奥を見る様に言いました。
 みなもがそちらの方向を見ると、金色の空間はひとつの道を形作っていました。
「これは何? どこに続いているの?」
『これはキミが生きてきた道。そして、こっちはこれから行く道』
 子猫がそういい反対側を見たので、みなもも一緒の方向を見ました。
 すると金色の道は無数の枝分かれに伸び、先が途切れているものや見えないものまでありました。
「これ…全部あたしの?」
『そう。全部キミのもの』
 子猫はそういうと大きく翼を広げ、ポーンと飛び上がるとひとつの道へと飛び降りました。
 すると、金色の空間は大きく歪み業火に包まれる街へと変貌しました。
「…っ!?」
『ここも…キミのもの』
 瓦礫の山、血でむせ返る空気、大気を揺るがす大砲の音。

 戦場がそこにはありました。


4.
「ここ、お母さんが死んでしまう場所なの!?」
『そう…でも、そうじゃない』
 子猫はそういうと、また大きく羽を広げて跳躍しました。
 すると、戦場の風景がぐにゃりと曲がり、今度は雪降る街の窓の外にみなもは佇んでいました。

「あたしの…家?」

 見覚えのある窓の中を覗くと、見覚えのある顔ぶれが目に飛び込んできました。
 大きな食卓を囲む様に座るみなもと姉、妹に父。
 そして…母。
「お母さんが笑ってます」
『これも、キミのもの…』
「…皆、笑ってます…」
 みなもは心の中が温かくなっていくのを感じました。
 知らず知らずのうちに涙が頬を伝います。
『…な、泣かないで』
 オロオロと子猫はみなもの周りを回りました。
「大丈夫。これは嬉し涙なの。…悲しいんじゃないです」
 涙を拭いながら、みなもは屈んで子猫を撫でました。
 とても温かな体でした。
「ねぇ、あなたはなあに?」
 みなもは、何度も繰り返した言葉を子猫に投げかけました。
 子猫は誇らしげに言いました。

『ボクは…天使。みなもが生んでくれた…』

 天使…という言葉に、みなもは驚いたような、そして納得したような感情が湧き上がりました。
 では、この子が「役に立ちたい」と言ったのは…
『ボクは、みなもが幸せであるように役に立ちたい…』
 子猫の姿がみなもの中にすぅっと溶け込んで、みなもの背中から大きな金色の翼が再び生えました。
 大きな大きな翼は、みなもの体をすっぽりと包み込み、やがてみなも自身も金色の光に包まれました。
 そして金色の翼から、小さな羽根がいくつも窓の中の家族へと降り注ぎます。

「あたしの願いは…皆がいつまでも笑っていられますように」
 
 冷たい雪の中で、みなもは温かく柔らかな小さな羽をいつまでも降らせました…。


5.
 また、大きく空間が歪みました。
 みなもは思わず目を瞑ってしまい、再びその目を開くとそこには司書が座っていました。
 古臭い本の匂いがする図書館の一角に、みなもは座っていました。
 目の前には子猫が背中を丸めて寝ています。
 もう子猫の背中にも、みなもの背中にも翼は生えていませんでした。
「何か見つけられましたか?」
 司書はそういうと、静かに本を閉じました。
「あの、1つ質問いいですか?」
 みなもはまだ、少し整理しきれないといった顔で司書に訊きました。
「はい」
「この子猫は…天使なんですか?」
 司書は「はい」と微笑んだ。
「この子猫は天使です。ですが本来、あなたの中で孵化するはずだった子です」
 司書はそこで一旦言葉を切りました。
 みなもに聞こえるか、聞こえないかのような声で続けてこう言いました。
「それが出来なかったこの子は、もう天に戻れません…私の様に」
 少し悲しげに見えたのは、みなもの気のせいだったのでしょうか。
「この本をあなたに。この子とあなたの本です」
 みなもはその本を手に取るのをためらいました。
 なぜなら、それが子猫にとっていいことなのかわからなかったのです。
『ボク、みなもと一緒…』
 ゴロゴロと擦り寄ってきた子猫はそう呟きました。
「…それじゃあ、貰っていきます。あたしにどこまで出来るかわからないけど」
 みなもが言うと、司書はふふっっと笑いました。
「あなたはあなたのままでいいんですよ」

「困った時はまたいらしてください。私はコダマ。この夢の図書館の司書です」


6.
 司書のコダマに深々と頭を垂れて、みなもは子猫と本を抱いて図書館を出ました。
 扉の前でコダマが小さく手を振っていました。

「あなた、天使なんですって」
『ボク、みなもの天使』
 ぴょんとみなもの腕の中から飛び降りた子猫の背中には小さな金色の翼が生えています。
「ダメよ? あまり人前で見せちゃ」
『ボク、みなもの言うこと、聞く』
 小さな翼は一瞬で光の粒となって風に流されて見えなくなりました。

  もしかしたら、この子にもあの大空の向こうに家族がいるのかしら?
  いつか帰してあげられるといいのに…。

  …でも、今はあたしが家族でいてあげよう。
 
 夕焼けに染まりかけた空の下、みなもは子猫と家族の待つ家へと帰路につきました。
 帰ったら早速、家族に子猫のことを紹介してあげようと思いました。