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Operation.XX-4
琴美はよろめきながらもかろうじて立ち、鬼鮫へと向かう。しかし足取りは危うく、速度は歩いているに等しい。鬼鮫は鼻で笑い、繰り出された彼女の拳を受け止めた。
「大人しく退いときゃいいものを」
鬼鮫は口を歪め、彼女を投げ飛ばす。床にバウンドした琴美は、背に感じた痛みに呻き声を上げた。丁度、散らばっていた自らのくないがあるところに倒れたらしい。
琴美は鬼鮫に見つからないようにそれを掴み、体勢を立て直す振りをしてそっとそれを袖口に隠した。これは、残された最後の切り札だ。通常の武器のひとつでしかなく、随分と弱々しい切り札ではあるけれど。
キッと向き直ると、目の前に足。一瞬遅れて、激しい衝撃に見舞われた。鬼鮫の蹴りだ。くないに気を取られ、防御が留守になってしまっていた。吹き飛ばされながらも、腕で防御の形を作る。辛うじて、続く攻撃はガードすることが出来た。
とはいえ、喰らう攻撃はことごとく重い。底なしの体力を持つ鬼鮫と、あちこちに傷を負う琴美。形成は、明らかに琴美に不利だ。
―――それでも!
気力を振り絞り、琴美は再度鬼鮫へと駆ける。鬼鮫に攻撃を繰り出すが、力の入っていないそれはもはや避けるまでもなかった。攻撃が逆に隙を作り、鬼鮫の打撃をもろに喰らうことになる。
ここで切り札を使わなければ、折角のそれも無駄になる。それは避けなければと、琴美は痛みに耐えながら必死に機会を待った。今にも床に膝をついてしまいそうになりながら。そして、鬼鮫が大きく腕を引き、殴るモーションに入る直前――琴美は、袖口からくないを取りだした!
「何だよ、これ」
しかし、琴美は愕然とする。鬼鮫の急所目がけて突き刺そうとしたそれは、鬼鮫に難なく受け止められてしまった。殴りかかろうとしていたはずの、その手で。
「何か企んでやがるなと思って泳がせてやれば。くだらねえ」
つまらなさそうに言って、琴美からくないを奪い取る。そのまま捨てようとして、何を思ったかにやりと口元を歪めた。
「コイツの味。自分で味わってみるか?」
琴美の腕を取る。不吉すぎる予感に彼女は咄嗟に身を引こうととするが、力が入らずかなわない。そんな彼女の太腿をめがけ、鬼鮫はくないを振り下ろした。
「うああああっ!」
たまらず、こぼれる悲鳴。くないは太腿の肌を突き破り、肉を抉るように刺された。深々と埋め込まれてから引き抜かれ、反対の足にも刺す。これにも、琴美は絶叫した。
もはや立っていることもかなわず、琴美は床に倒れ込む。膝で立つ、などといったことも出来なかった。動けない的となった琴美に、鬼鮫は舌なめずりをする。
「もう隠しちゃいねえだろうな」
そう言いながら、琴美の袖を掴む。そして、力任せにビリビリと引き裂いた。両袖とも乱暴に裂かれ、肩口まで見えてしまっているところもある。
また、袖を強引に引っ張られたせいで、胸元も大胆に開いてしまっていた。足も含め、布地があちこち裂け、白い肌を覗かせている。衣服は、腰の帯でどうにか繋ぎ止めているだけと言ってもよい程ボロボロだった。意識だって、痛みで朦朧としている。
こんな醜態を晒すなら、と、琴美は歯で舌を挟む。そのまま噛みきって死のうとしたが、すんでのところで、鬼鮫が自らの手を彼女の口に突っ込んで阻んだ。勢いよく噛んでしまった手から、血が流れる。
「ああ……? ざけんなよ」
助けてくれた、訳ではない。そんな発想すら出てこない。
鬼鮫はしゃがみ込むと琴美の長い黒髪を乱暴に引っ張り、自分の方へ顔を向けさせた。
「舐めな」
鬼鮫が血の滴る手を差し出す。琴美は、その要求にぎょっとした。彼女の表情に、鬼鮫が口元を歪める。
それ以上、強要はしてこない。ただ、逆らえば暴力を振るうのだろう。敗北が確定したなら、いっそそのまま死ぬ方がマシかもしれない。
「楽に死ねると思うなよ」
顔を背けた琴美に対し、鬼鮫の拳が振るわれる。それは琴美の頬を歪めたが、命まで奪おうとするものではなかった。――鬼鮫は琴美をけして殺しはせず、敗北の屈辱を彼女に自覚させようとしている。
「綺麗にするんだよ。てめぇで汚したんだからな」
琴美は唇を噛み、それでも鬼鮫に従うまいとした。そうすれば当然、鬼鮫の暴力が続く。一方的に殴られ続け、やがて意識が朦朧とし――薄れる意識の中、舌を出した。
ぴちゃ、と濡れた音が響く。出血量は大したことがないから、すぐ終わるだろう。短時間といえどもひどく屈辱的な行為だが、琴美にはもうそれを感じる意識もなかった。常に瞳に宿っていた強い光が、消えかかっている。
「プライドばかり高い癖、弱ぇ奴」
その声も、琴美には届かない。犬のように、機械的に血を舐め取っていく。味も、よくわからなかった。
「よく出来まし、たっと!」
血をすべて舐め、代わりに唾液でべたべたになると、鬼鮫はその手で琴美の頭を殴り飛ばした。衝撃で、彼女が床に倒れる。
とうとう気を失ってしまった。琴美はぐったりと倒れ、無様に四肢を投げ出している。伏せられた睫毛が、涙でしっとりと濡れていた。
街中を歩けば誰もが振り返りそうな魅力をもつ肢体が、今は無防備そのものだ。身に纏う破れた衣服から覗く白い肌は吸い寄せられるような瑞々しさがあり、それを赤く彩る血がいっそ扇情的でもある。だが鬼鮫は興味なさそうに見下ろすだけで、ちっと舌打ちした。
「死なれちゃ困るんだよ、死なれちゃな」
琴美の髪を掴んで持ち上げると、彼女に顔を近付ける。
「てめえには聞きたいことがある。――死ぬんじゃ、ねえぞ?」
低い、ドスのきいた声で、琴美の耳元に囁いた。返事は、当然ない。鬼鮫は琴美を荷物のように抱えると、歩き始めた。
足音が響き、やがて静寂に包まれる。ただ、床を彩る血や散らばったくないが、それまでの闘いを物語っていた。その後、二人がこの部屋に戻ることはない。
琴美がこの施設の外に姿を現すことも、なかった。
《了》
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