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<東京怪談ノベル(シングル)>


カンパニュラの花束を

 まだ1限の鐘が鳴ったばかりの時刻。
 見上げる空はすっきりと晴れ渡り、雲一つない青く透き通った色をしていた。
 変だなあ。
 栗花落飛頼は空を眺めながらそう思う。
 いつもあるものがないのは、変な感じがする。
 そして、なかったものがある事も。
 今まで忘れていても特に気にしていなかったものが、こうして自分の中で浮き彫りにされたのは、何とも言えずに違和感がある。確かに自分の記憶なんだけれど。
 そう思いながら、飛頼は中庭を進む。前はここを通るたびに眠たくなっていたけれど、原因を思い出したせいか、眠たくなる事もなく。ただ、胸につっかえるものがあるけれど、それは眠気とは関係がない。
 まだ中等部や高等部は授業の時間だろう。中庭を歩いているのは自分以外には誰もいない。
 そして、理事長館のベルを鳴らした後、扉を開いて入っていった。
 扉を開くと、ちょうど聖栞がはたきを持ってあちこちの埃を落としている所だった。

「おはようございます」
「あら? おはよう。今日は随分早いのねえ」
「いえ。今日は授業のない日ですから」
「まあ。大学生は自由ねえ」

 栞はくすくすと笑う。
 うーん。
 飛頼は少し首を捻った。
 この人と怪盗が何かしら関わりがあるって言う指摘はあるけど、相変わらずこの人が何を考えているのかが分からない。
 でもこの人。
 多分僕が忘れていた事、知っていたんだろうなあ……。さすがに学園内で女の子が1人自殺したのを知らないなんて事はないだろうし。僕の事を気遣ってくれたのも、PTSDに下手に触れたら駄目って思ったからだろうし。
 飛頼が少し黙って首を捻っていると、栞はいつものように笑った。

「あら? また花を持って来てくれたの?」

 あっ。
 そう言えば今日も理事長にうちの庭の花を持ってきたんだった。

「あっ。はい。うちの庭で切った花です」
「カンパニュラね……嬉しい。ありがとう」

 飛頼が差し出すと、栞はそれを嬉しそうに受け取った。
 そして花束を抱きしめながら栞は首を傾げた。

「こんな時間からここに来たって事は、何か話があるのでしょう?」
「あっ……はい」
「じゃあ、奥で聞きましょうか」

 そう言って栞は、応接室へと飛頼を通した。

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 栞は花を花瓶に生けた後、チャイを出した。
 シナモンやカルダモンなど、スパイスの匂いとミルク、砂糖の混ざった匂いが応接室一面を漂う。
 飛頼はカップで手の平を温めるようにして持つと、向かいに栞はとん、と座った。

「それで、話って何かしら?」
「はい……実は、忘れていた記憶を思い出したんです」
「まあ……そう」

 栞は少し意外そうな顔をした。
 飛頼はカップに一口口を付ける。スパイスの独特の味と後を引きすぎる砂糖の甘さに、目を白黒とさせた。まずくはないけど、これは飲み物って言うよりもデザートのような気がする……。

「そこで……1つ引っかかった事がありまして」
「……星野さんの事かしら?」
「あっ……やっぱり知っていたんですか」
「ええ……彼女は我が学園の優秀な生徒でしたし……」
「?」

 栞は天井を見た。
 飛頼は一緒になって見上げる。
 確か、前に甥ごさん……海棠君の部屋を借りたのは、理事長館の2階だった気がするけれど。
 そう言えば。海棠君と星野さんはバレエで2人ペアを組んでいたけれど、やっぱり海棠君は星野さんの自殺と何か関係あるのかな。
 飛頼は少しだけためらった後、意を決して口を開いた。

「教えて下さい。何で星野さんは、自殺したんでしょうか? あんなにたくさんの人の前で……」
「………」

 栞はしびれるように甘いチャイを一口口にした。
 それが喉を鳴らして流れるまでの時間は、一瞬のはずだったのに飛頼には何故か結構な時間が流れたように感じた。
 やがて栞はカップをソーサーに置くと、口がゆっくりと開いた。

「星野さんは、とても優秀な生徒でした。座学はもちろんの事、とても中等部とは思えないほどの卓越したバレエの技術、表現力を持つ方でした。これで、身体が成長して、肉体的にも完成されたら、世界でも通用するバレリーナになったでしょうね……」
「……完璧な人だったんですか?」
「ええ。舞台の登場人物みたいな子でしょう? ここまでできすぎている子は、私も長年理事を務めているけれどあんまり知らないわねえ」

 栞はくすくすと笑う。
 気のせいか、その笑顔は悲しげに見えた。

「それなのに、彼女は自殺したんですか?」
「ええ……才能があるって言うのは必ずも幸せな事じゃないものねえ……」
「………」
「想いは力。想いは形。想いは魂」
「えっ?」
「うふふふふ……朝礼でも言っているでしょう? うちの学園の精神よ。でも想いって言うのは重たいものよねえ」
「重たい……想い?」
「通じ合っていたら幸せだけれど、通じ合わなかったら、人の気持ちって重たいものだから」
「………」

 人の気持ちが重たい。
 飛頼は少し考えた。
 もしかして、星野さんは人間関係でこじれて、自殺に追い込まれた……?
 そして彼女が自殺した事により、学園にいる色んな人達の人生を、狂わせた……。

 おもい。想い。重い。
 同じ音なのに、響きが全然違う。

 飛頼が少し考え込みながら、甘ったるいチャイを飲んだ。
 身体が糖分を欲している時は疲れている時とか頭脳労働の後だっけ。と聞きかじりの事をふと思った。

「あの、理事長?」
「何かしら?」
「最後に1つだけいいですか?」
「どうぞ」
「……怪盗って結局何でいるんでしょうか? 何と言うか、怪盗が現れた事に意味とかあるのかなって」
「そうねえ……多分だけれど。怪盗がいる事には意味があるわ。でも気付かないと気付かないかもしれないわねえ。花言葉と同じね。知らなくっても困らない。でも知っていると意味がある」
「盗まれて困るって言う事はないんでしょうか?」
「訳が分からなかったら、怪盗はただの犯罪者になってしまうわねえ……自警団の子達が怪盗を追いかけるのは、校規を乱しているから。それも、1つの見方。
 でも違う角度から見たら、私達は案外怪盗に感謝しないといけないのかもしれないわねえ」
「そうですか……」

 相変わらず、栞の言葉の意味はよく分からなかった。
 でも怪盗を庇って嘘をついてるとか、そう言う感じじゃないんだよなあ。
 うーん……。
 最後にとろんととろけるチャイを飲み干し、「お茶、ご馳走様でした」と言って理事長館を後にした。
 想いは力。想いは形。想いは魂。
 理事長は別に説教がしたかった訳で思想を説いた訳ではなさそうだし。これも何かヒントなのかな。
 そう考えている内に、鐘が鳴った。

カンパニュラ
 花言葉:感謝、誠実さ

<了>