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【翡翠ノ連離】 第九章
あたたかい冬だ。来月になれば……寒くなるのだろうか?
なんだか生暖かい夜だ。アトロパは自嘲の笑みを浮かべる。
各地に散らばって「成長した」アトロパたちを集結させる時がきた。いや、そう刷り込まれていたと言うべきだろう。
(見事に……襲撃者にはしてやられていたが、まだ大丈夫のはずだ)
夢でみたことは全て真実。あの男は各地に散らばっていたり、都内にいた『アトロパ』を葬っていたのだ。しかも、強く成長したものばかり。
(アトロパは、みなに守られていた……)
それもあって、あの襲撃者はそれほど強くこちらを攻撃してこなかった。余計な追尾もしてこなかった。……賢しいことだ。
他を潰していけば、結局はアトロパ全体に害が及ぶことがわかっていたのだ。
(大丈夫の、はず……だ)
自信はない。『中心』である自分がまだ無事でいるのだ。なんとかできるはずだ。
部屋から外を眺める。階下では、この家の者達が相談をしていた。自分について来るだろうか……。それとも……?
*
各々で、やるべきことは決まっていた。彼らは皆、アトロパについて行くことに決めていた。
それぞれの心境は違っていても、アトロパを守りたいという気持ちは一緒だったのだ。
(正直……あたしには、世界だとかいう大きなことはわからない)
明姫アリスは内心でそう思っていた。
(あたしにとってアトロパはバンド仲間であり、優秀なボーカルであり、友達でしかない。
あたしが望むのは、アトロパと一緒にライブをしたり、どこかに遊びに行ったり、くだらない話をしたりしたいだけ)
だから。
(アトロパを殺すなんてことは、絶対に許さないわ!)
彼女について行く。そして守るのだ。
隣に座るナタリー・パトリエールもまた、アリスに似たような心境だった。
(アトロパも色々なものを抱えていたのね……)
彼女に対して感じていた恐怖……そのことを謝らなければ。
ナタリーもまた、アトロパを守ることを決意していた。どうなるのかわからないし、いきなり世界がどうのと言われても理解できない。
けれど……仲間として、アトロパを失うわけにはいかないのだ。
「ナタリーちゃん」
「え?」
ふいに、鳳凰院アマンダから耳打ちされて、ナタリーはきょとんとした。
(今夜、決着がつくわけね)
深く息を吸い、吐く。
鳳凰院麻里奈はガラにもなく、緊張していた。
(あの男……襲撃者と戦うことになるのかもしれないのね。私に勝てるかしら?)
頭の中でシミュレートしても、まったくそんな気はしない。麻里奈は悔しそうに眉間に皺を寄せた。
(駄目だわ。……お母様に任せるしかないの? いや、そんなことじゃ駄目ね。なにしろこれにはアトロパの命がかかっているんだから)
そうだ。きっと、アトロパは死ぬ気なのではないのだろうか?
守らなくてもいいと言い切った彼女の目に迷いはないが、それが逆に麻里奈には恐ろしかった。
(とにかく、私に出来ることをするしかないわね。こんなところでアトロパを死なせはしないわ。
アトロパとは初詣に行って、お花見をして、また海にも行くんだから!)
やることが、来年やることが山積みなのだ。それなのに、こんなところで全てを失うわけにはいかない。
*
深夜――――。
ぞろぞろと背後をついてくるメンバーを見て、アトロパは溜息をつきそうになった。
(なぜ皆、そろってついて来るのだ……)
家を出ようとした途端にアマンダに阻まれ、強制的に鳳凰院ユリアンと手を繋がされてしまった。
横を歩くのはユリアンだけだ。アトロパの憂鬱な表情に彼が気づいて小さく言う。
「アトロパ」
「? なんだ?」
小声で返すと、ユリアンは強く手を握ってきた。
「悲しい境遇に置かれてたなんて、気づかなかった。ごめん」
「……かなしいきょうぐう? なにがだ?」
「ううん、なんでもない。でも聞いて」
「聞くのは容易い」
「忘れないで」
囁きに、アトロパは怪訝そうにした。
「もう君は一人じゃないんだ。僕や母さんに姉さん、アリスにナタリーも君と一緒にいたいと思っているんだ。
だから、君を絶対に殺させはしないよ」
「……死にに行くんじゃないぞ」
否定するが、ユリアンは緩く首を振った。
「襲撃者のあの男は強いんでしょ? だったら、勝ち目は少ない。
僕には戦えるような力はないけど、全力で君を守るからね。また一緒にライブをやって、ファミレスに行ったり、海に行ったりしようよ」
ユリアンの微笑に、アトロパは俯くことしかできない。
「……約束はできぬ。そう言ったはずだ、ユリアン」
「約束してくれなくていいから、お願いを聞くだけでいいよ」
「耳に勝手に聞こえてきただけだと、思うことにするぞ」
「いいよ、それでも」
アトロパが苦い顔をして、ユリアンを軽く睨んだ。
「おまえもアマンダの息子だな。似ている」
「そうかな……似てないって言われるけど」
「強情なところがそっくりだ」
目的地は東京タワー。
そして、そこにはあの男がいた――――。
*
集まってくるアトロパの姿をした者たちに、アマンダたちは驚きを隠せなかった。
「アトロパちゃんがいっぱい!? 可愛い! とか言っている場合じゃないわね」
「お母様!」
叱咤の声に「わかってますよ」と目で応じる。
アマンダは銃口を向けてくる男に声をかけた。
「アトロパちゃんの願いを、叶えてあげたいの」
目を細めた男は、銃口の先を揺らさずに視線だけアマンダに向けてくる。
「ソレをおまえたちは『不幸』と呼ぶ。そういう連中だろ?」
「わからないわ。アトロパちゃんは世界を平和にするのが目的なのだから」
「いいや、おまえたちみたいな連中は、そいつのやろうとしていることを知れば、止めるぜ?」
間違いなく、と男は断言した。
そもそも『浄化計画』とはなに? アマンダの視線が否応なくアトロパに寄せられる。
アトロパはアマンダの視線を受けて、緩く唇を開いた。
「アトロパの願いは『世界の平和』だ。争いを失くす」
「そう。おまえたちは『個性』を奪うんだよな?」
男の言葉に意味を理解しかねた鳳凰院家の面々とアリスとナタリーは顔を見合わせた。
襲撃者はさらに続ける。
「いいやそれとも、『罪悪感』を強力に植えつけるのか? どちらにせよ、おまえのやることは幸福でもあるが、不幸だ」
「どういうことなの、アトロパちゃん?」
アマンダの声が厳しいものに変わる。思い描いていたものとは、違う。アトロパは世界を平和にするはずだ。それが……誰かを不幸にするとはどういう意味なのか?
「……アトロパがするのは、後者のほうだ、襲撃者よ」
「ほぉ。『個』を奪うことよりも、多少はマシか?」
せせら笑う男に、アトロパは真剣な表情で言う。
「争いを失くすには、まず本人の意識を変えなければならない。罪悪感をもっと強力に持てば、悪いこともしなくなる」
「そうならなかったら? 次の手はあるんだろう?」
「……争いがなくならないのであれば、『個』を奪うしかない」
渋面になるアトロパに、男は頷いてみせた。
「確実なのはそっちだよな? 個性を奪えば、みな考えが統一される。同じことを考えるなら、『誰もいない』ことと同一だからな」
だから、争いなどなくなる。
個性を奪えばそれはただの『同一集団』だ。
「アトロパ、今の話、本当?」
ユリアンが覗き込んでくるので、アトロパは視線を避けるように伏せた。
「本当だ。アトロパの能力は『共振』。相手の意識に侵入することができる」
「正確には『乗っ取る』『書き換える』だろ?」
襲撃者の言葉にアトロパが眉をひそめるが、否定はしない。
呆然と麻里奈が呟く。
「じゃあ……アトロパの言う世界平和って……。確かに、みんなが同じ考えなら戦争は起こらないけど」
個性を潰すということは、非道なことだ。自由を奪うことと同一の意味を持つのだから。
襲撃者の男は笑った。
「だから言ったろう? 臆病者は喜ぶだろうが、個性の強いおまえたちのような連中は、御免だろ、そんな世界」
「………………」
誰も、何も言えなかった。
静寂の中、男だけが低く笑う。
「その女をこちらに渡せ。殺せば終わる。庇えばおまえらも殺す」
もう庇う気力も失せただろうが、と彼は付け加えた。
アトロパが顔を勢いよくあげて叫んだ。ユリアンの手を振り払う。
「『個』を奪うのは最終手段だ! 特定の相手を選べない以上、アトロパはここで、『罪悪感』強化をおこなう!」
「おまえを作った研究所から、おまえを処分しろと言われている」
「な、なに……?」
「だから、おまえは、もう『いらない』んだ」
「いらないなんて!」
アマンダの責める声に男は不思議そうにした。
「おや? まだ庇うのか? 庇うことに意味があるのか? 家族ごっこをまだ続けているってことか?」
「私は今までのことを『家族ごっこ』だなんて思ってない。家族かどうかを決めるのは、血の繋がりだけじゃないもの!」
はっきりと言うアマンダはアトロパの前に立つ。続けて麻里奈もそれに倣った。
「そもそも夫婦だって、元々は他人よ」
「……へぇ」
男が薄く笑う。不気味な雰囲気に麻里奈の緊張が高まった。
いざとなれば戦わねばならない相手だが、やはり異常だ。まるで影法師を相手にしているように、相手の姿は認識できているのに、『できない』。
「待て」
アトロパがアマンダと麻里奈の前に進み出た。
「もう守らなくとも良い。
…………守る必要がない」
「アトロパ!」
「アトロパちゃん!」
「やらねばならない……すまない。すまない」
謝る彼女はぎらりと男を睨んだ。そして、彼女はすぅ、と空気を吸い込む。
アー、と美しい声が響いた。周囲に居るアトロパたちも一斉に歌い始める。
男が引き金を引いた。それを防いだのは、変身したアマンダだった。
びりびりと空気が振動する。
全員が、どうするべきか悩んだ。アトロパを止めるべきだろう。
『感情』を強化するなんてこと……。
だが、アトロパは謝っていた。間違った選択をしていることに気づきながらも、彼女はやらなければならなかったのだ。
それが彼女の『使命』。『生きる意味』。
ぐらりと全員が足をついた。アトロパ以外は。
精神攻撃だ、これは。
裏切られた感情が占める。けれどもそれ以上に、アトロパが哀れだった。
「おまえらには無理でも、俺にはできる」
その声が響いた刹那、パン、と白けた音がしてアトロパが倒れた。すると、一斉に、他のアトロパたちもその場に崩れ落ちた。
「アトロパ!」
悲鳴をあげるユリアンやアリスは、いつの間にか近づいてきていた襲撃者に驚愕するしかない。
「いくらおまえらがすごくても、それじゃ、コイツには意味がない。止められないんだからな」
アトロパの身体を軽く担ぎ上げられ、アマンダが目を見開く。麻里奈がもう動いていた。
「こ、のぉ!」
止めようと回し蹴りを放つ。同時に、構えていたナタリーから電撃が発射された。
驚く麻里奈はその威力を受け止め、上乗せし、蹴りに力を込める。
男に攻撃が届く!
だが、彼はニィ、と笑うとその場から消えうせた。
「うそ……」
唖然とする麻里奈に、アマンダが叫ぶ。
「消えてないわ! 物凄い速度で移動したのよ! 麻里奈、しっかりしなさい!」
「え……」
視線を周囲に向けると、あっという間に距離をとった男が笑みを浮かべたまま言う。
「じゃあな」
ふっ、と彼は消えた。
今度こそ、気配ごと。
呆然とする残されたメンバーは、アトロパが連れさらわれたことに……何もできなかったことに、真実に、驚愕することしかできなかったのだ。
**
一ヵ月後。
アトロパが去ってからもう一ヶ月。12月に入り、正月も目の前に迫ってきていた。
鳳凰院家ではまるで通夜のような日々があの日以来一週間も続いていたが、今はなんとか活気を取り戻している。
来訪者を知らせるベルの音が家の中に鳴り響き、はいはい、とアマンダは玄関に向かった。
ドアを開けて、アマンダは驚く。
「こちらは、鳳凰院家で間違いないか?」
少女はそう言って、にっこりと笑った。
「アトロパ、ちゃん?」
「ここで過ごしたアトロパに託された、唯一逃げられた者だ」
では……違うのだ。別人なのだ。
落胆するアマンダは、それでも気丈に笑った。
「そうなの。アトロパちゃんは?」
「彼女は能力の高さが災いし、処分された」
「しょ、ぶん……」
聞きたくない言葉だった。涙が浮かぶ。
「ああ、泣かなくても良い。記憶はアトロパが受け継いでいる」
彼女は慌ててそう言って覗き込んできた。
「べつのアトロパだが、前のアトロパの気持ちを受け継いだ。彼女の願いは、この家族と共に過ごすことだった」
だから。
彼女は微笑む。
「もう一度、今度はこのアトロパと『家族』になってくれないか……?」
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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PC
【8094/鳳凰院・アマンダ(ほうおういん・あまんだ)/女/101/主婦・クルースニク(金狼騎士)】
【8091/鳳凰院・麻里奈(ほうおういん・まりな)/女/18/高校生・クルースニク(白狼騎士)】
【8301/鳳凰院・ユリアン(ほうおういん・ユリアン)/男/16/高校生】
【8078/明姫・アリス(あけひめ・ありす)/女/16/高校生】
【7950/ナタリー・パトリエール(なたりー・ぱとりえーる)/女/17/留学生】
NPC
【アトロパ・アイギス(あとろぱ・あいぎす)/女/16/?】
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■ ライター通信 ■
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ご参加ありがとうございます、明姫アリス様。ライターのともやいずみです。
最後までおつきあいいただき、感謝です。
少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。
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