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<東京怪談ノベル(シングル)>


+ 肉の宴・魂の敗北 中 +



 胸が潰れていた。
 柔らかい肉は衝撃を受け止めきれず、その下にある肋骨を折り、脚を食い込ませる。


「げほ、ッ、ぅ、ぅうう……ぅえ、ぇ」


 涙が零れ落ちる。
 痛みによって生理的に浮いたそれは頬を伝い落ち、丸い染みを描く。悪魔は体重を一気にかけ、そのまま女の胸を――正しくは肺を潰そうとした。
 だがしかしただやられているだけの女なら戦闘シスターとして名を掲げはしない。
 メキ、と鈍い音がした瞬間、彼女は悪魔の足首を捕まえ剣を力いっぱい振りかぶる。それはまさに力任せといった攻撃ではあった。柄を握り締め、目一杯振ったそれは見事に悪魔の足を切断し、その隙に瑞科は地面を転がって抜け出す。


「っ――女ぁ……」
「はぁ、……っく、ただ、やられているだけだとお思いですの?」


 左腕で胸を押さえながら立ち上がれば傷付いた部分が悲鳴をあげる。
 折れた肋骨が肺を圧迫しているのは間違いない。呼吸が上手に出来ず、視界がぶれる。だが今ここで倒れるわけにはいかない。
 自分に与えられた暗殺指令を達成する為にはどうするべきか彼女は考える。既に赤から蒼へと血の気が無くなってしまった唇は小さく震えるがそれをきゅっと噛み締め、彼女は耐えた。


 一方足を切られた男はまたも嗤っていた。
 盛り上がる肉。
 伸びていく骨。
 再生――その能力を隠す必要がないと判断した男は『殺されたふり』をもうしない。零れた血は戻りはしないが、失血で気を失う事もないのだろう。五本の指を折り曲げ、こきこきと骨を鳴らし、喉から獣のような音を出す様は何かを狙っているように見えた。


 太腿に手を当てればぬるりと血がグローブを濡らす。
 口の中に広がる鉄の味が嫌で、瑞科はぺっと唾液を吐いた。


「本当にお馬鹿な悪魔さんですこと。このまま神の許へと行けば楽に――っ!?」
「煩い、口ぃ……塞ぐ、閉じて、閉じて閉じて閉じてぇ!!」


 先の戦闘で隙を見せれば負けると判断したのか、悪魔の攻撃は素早かった。
 瑞科が時間稼ぎにと口を開いた瞬間を見逃さず男は再び女の腹へとその拳を埋め込み、倒れ込んだところを襟首を捕まえ吊り上げた。
 ぎりぎりぎり、と布が悲鳴をあげる。
 瑞科の足の爪先が浮き上がり空を掻く。ぱたぱたと暴れる脚はスリットの隙間から肌色を見せるが今そこは赤く染まっており、痛々しい。


 ぱさ、と音がすると地面にはヴェールが落ち広がっていた。
 そのヴェールにも赤い染みが付着していたところからもしかしたら頭も傷付いているかもしれない。


「殺――」
「お黙り、なさい、なっ!!」


 カッと血が上るような感覚。
 それは自分が敗北を感じ始めたゆえのものか、それとも未だ胸のある任務への強い意志か。
 瑞科は身体を大きく揺らし胸の痛みを堪えて背を反らせると一気に悪魔へとブーツのヒールを埋め込み、そして強く蹴った。襟元の布が相手の指に掴まれていたせいでビリビリと嫌な音を立てながら千切れるのを聞く。だがそれに構う暇は無い。


 今は一刻も早くこの戦いに終焉を。


 剣を手に彼女は戦う。
 己の肌が月光に晒されても、最後に戦場に立っているのが自分であればそれはまさしく『勝利』。
 悪魔付きの男が拳を、蹴りを、彼女へと繰り出せば、彼女は剣を盾に戦う。
 その手を切り、足を切り、時には顔をも刺しては抉る。飛び散った血はコンクリートの地を彩り異様なまでに滑るが、それを耐えて彼女は舞う。


 だが本領を発揮した悪魔付きは強かった。
 彼女の前で無様に転がっていたのが嘘のように、悪魔の動きは素早い。瑞科が繰り出した攻撃は殆ど避けられるか弾かれ、傷を負わすことに成功したとしてもあっという間に回復してしまう。
 体力に限界を感じ始めたのはいつ頃だろうか。
 満月が頂点を超え、下り始めた頃だったように思える。


「きゃぁっ――ぁあ!!」


 いつの間にか防御が間に合わず攻撃を喰らい始めるようになった。
 叩き込まれる拳は全身にダメージを負わせ、服を乱暴に掴まれ振り回される身体は徐々に抵抗の意思を失っていく。
 まるで肉人形。
 蹴り上げられれば跳ねて、殴られれば地面に鈍い音と共に倒れる。サンドバックなどというものではない。もはや返す力もなくなってきた彼女はただの肉の傀儡だ。
 一方的な攻撃は戦闘ではなく、ただの暴力と化す。


「ぅ、ぅうう……なんとか、何か、切欠を見つけなけ……――」
「ヒャハハ!! もう終わり? 終わりかぁああ?!」
「……く……」
「ヒャハハ、色っぽいシスターさぁん。アンタの戦闘服はビリビリに破けて役立ってないけどいいのかぁい?」
「ふ……ぁ、あ」


 地面に崩れ落ちた瑞科の姿を嘲笑う悪魔。
 言葉でも辱めようとしているのか次々言葉を浴びせ聞かせる。だがそれに対してもはや反論する力すら残されていない。くたりと倒れる身体が接触するコンクリート製の地面は冷たく、なのに血のせいで生温かい。


 立たなければ。
 もっと。
 戦わなければ。
 自分は「教会」に属する聖なる戦闘シスター。武装審問官なのだから……。


「――まだ、終わりじゃないぜぇ?」
「ひ、ぃ!」


 その言葉に瑞科の目が開く。
 同時に襲ってきた衝撃は――唇からまた血の唾液を零させた。