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<東京怪談ノベル(シングル)>


祈り 〜鶴亀縁起〜

 年の瀬のせわしなさが嘘のように思える年始の空を、その不穏なニュースが曇らせたのは、年明け間もない2日の夜のことだった。
「新年早々、行方不明者続出。共通点はおせちのネット通販…?何よこれ」
 ネットニュースのトップにあった一文を、三島玲奈は微かな胸騒ぎとともにクリックした。

−新年早々、行方不明となった人々はすでに100人近くに上っている。すべて一人暮らしの男性で、年齢は20代〜30代である他は互いの面識も関係もなく、当初は無関係の失踪と考えられていたが、全失踪者宅から同じおせちの重箱が見つかっており、調べによるとネット通販されたものであることがわかった。また、現場から鶴が飛び去ったという目撃情報も多くあるが、失踪との関連性は不明。警察はすでに当該商品を通販したサイトの調査を開始しているが、詳しいことはまだわかっていない−

「やだ…このおせちって…」
 全文を読み終え、掲載されたおせちセットの重箱を見て、玲奈の胸騒ぎは更に強まった。
「彼が頼んでた奴じゃない?確か」
 去年のイブの夜、ふとした事で知り合った男性だった。社会人になったばかりで、4月から東京で一人暮らしを始めたばかりだと言っていた。何度か家にも遊びに行ったことがある。その彼が、今年は実家に帰れないからおせちをネットで頼んだんだ、と話していたのを思い出したのだ。玲奈はいても経ってもいられず、家を出た。そして…
「何てこと…!」
 急いで駆けつけた彼の部屋で見つけたのは、ちゃぶ台の上に置かれた空の重箱だった。自ら姿を消した訳では無いことは、乱闘の後のように乱れた部屋の様子と散らかされた服、開け放たれた窓、そしてつけっぱなしになっていたテレビからも明らかだった。玲奈は泣き出したいのを堪えながら、注意深く重箱を回収した。続く失踪事件、謎のおせちセット。この裏には何か大きな企みがある。そしてたぶんそれは、警察には解明不可能だろう。玲奈は彼の部屋から回収した重箱を、IO2に持ち込むことにした。

「鶴の羽…?」
 聞き返した玲奈に、IO2の担当者は拡大写真と分析結果を見せた。
「貴女の持ち込んだ重箱についていたのですよ。形状、材質は間違いなく、鶴の羽です。ですが…」
「どう言うこと?」
 玲奈は分析結果の2枚目を見て、眉をひそめた。
「DNAが違うって」
「本来の鶴とは違っています。これは現在の科学では考えられない事なのですが、人間のそれと一致する部分も少なくありません…というより、元は人間であったのではないかと思われます」
 玲奈の脳裏にあのネットニュースの全文が蘇った。確か、鶴のような大きな鳥が飛び去るのを多くの人が見ていると書いてはいなかったか。だが、鶴は本来街に舞い降りる鳥ではない。
「まさか、目撃された鶴って」
 目を見開いた玲奈に、研究員は頷いた。
「調べた所、重箱には他にも未知の物質が付着していました。重箱に仕込まれていた物質で、本来は開くと同時に気化する予定だったのでしょう。丁度…玉手箱のように」
 玉手箱。研究員の漏らしたワードは、玲奈の予測とぴたりと重なった。だが、間違いなく彼らの仕業であると確証を得たのは初競りの異変を知ってからだった。リュウグウノツカイの大漁。目撃例すら稀なリュウグウノツカイがあちこちで大量に水揚げされ、競りにかけられているというのだ。
「間違いないわ。彼らが…竜宮が動いている!」
 玲奈はすぐにIO2に上申し、それを容れたIO2は総力戦を決定した。目的は不明。だが、この事態を見過ごす訳には行かない。彼らは罪なき人々を次々と鶴に変えたのだ。
「許せない」
 玲奈はぐっと拳を握りしめた。またしても自分から恋人を奪おうとするとは。だが、今度こそ取り戻して見せる。彼だけは…渡しはしない!
「見つけたわ、鶴よ。これから追跡する」
 小型通信機にささやくような声で報告すると、玲奈は自らの翼を広げて飛び立った。富士、樹海。IO2が総力戦を宣言した時、玲奈は自ら鶴たちの捜索任務を買って出た。目撃情報から、鶴たちがどうやら富士周辺に向かったらしいことまでは分かっていたが、正確なポイントの割り出しは出来ていなかったのだ。樹海は深い森だ。だが玲奈ならば空から彼らを探し出せる。うまく行けば、彼を救い出せるかも知れない。玲奈の追跡に気づいているのかいないのか、鶴たちは大きく旋回しながらゆっくりと樹海を越えようとしている。
「富士に…向かっているというの?」
 玲奈が北風を切るようにしてスピードをあげた丁度その頃、東京湾で異変が起きていた。深海に姿を消していた竜宮が、姿を現したのだ。リュウグウノツカイの大群と共に浮上したそれは、自衛隊やIO2が周囲を取り囲み見守る中、内部から巨大な亀を排出した。亀は海面から浮き上がると街を越え、真っ直ぐに富士へ進路を取った。その姿は樹海上空で鶴を追跡していた玲奈からも見えていた。
「あれは…乙姫ね」
 迎え討とうと高度を下げようとした玲奈を、鶴の大群が阻む。否、阻もうとしたのではなかった。皆樹海のあちこちから舞い上がり、群をなして富士山頂に向かおうとしているのだ。あの鶴たちは元はといえば人間の男たち。玲奈は浦島物語のラストを思い出した。
「御伽草子を地で行くつもり?」
 玲奈の記憶が確かなら、玉手箱の煙は浦島を老人ではなく鶴に変え、竜宮に戻って乙姫たる亀と幸せに暮らす。確かそういうラストだった。
「…させないわ、絶対!!」
 今度こそ守り抜いて見せる。去年のクリスマスイブに出会った、優しい人。玲奈は山頂に向かった鶴たちを振り仰いだ。あの中にいるのだ。彼が。鶴たちの白い翼が、彼があの夜着ていた白いシャツに重なる。電車の中で、玲奈の髪が彼のシャツのボタンに絡まってしまったのがきっかけだった。慌てて髪を切ろうとした玲奈に、彼はとんでもない、と首を振り、何とボタンの方を取ってしまったのだ。それには玲奈の方が慌ててしまい、駅のホームの片隅でボタンを付け直した。洋裁は好きだけれど、こういうシチュエーションには慣れていなくて時間がかかってしまい、やっと付け終えたと同時に二人してお腹が鳴ってしまった。とても恥ずかしくて、でも一緒に笑ってしまった。白い歯のきれいな人だと思った。
「ご飯、まだなの?」
 聞かれてうなずくと、この近くにシチューの美味い店があるんだ、と言って連れていってくれた。降りたことのない駅で降り、クリスマスソングを聞きながら見知らぬ商店街を抜けた。彼が連れていってくれた店はこじんまりとしていて居心地よく、おすすめのクリームシチューは絶品だった。ルーはバターをたっぷり使っているはずなのにしつこさは微塵もなく、大きめの野菜やホタテはしっかりとソテーされていて歯ごたえやそのものの味を損なうことなく、それでいてまろやかに一体化しており、舌の上でとろけるようだった。お世辞でなく美味しいと誉めると、彼は嬉しそうにうなずいた。とても楽しい夜だった。帰りは初雪が降り出して、白く染まってゆく道を二人で並んで歩いた。笑顔の素敵な人だった。それから年末まで、幸せな時間を過ごした。年の瀬の街で、何度も会った。来年が楽しみだと心から思った。それなのに。
「彼は、渡さない!」
 玲奈はぐんとスピードを上げて亀に接近すると、左の瞳から光線を放った。とにかく足を止めねばと足下を狙い転倒させようとしたのだが、異常を感じた亀はそのまま甲羅に潜り込んでしまった。反撃をするつもりはないようだが、堅い甲羅は厄介だ。だが、どんな甲羅だって砕けない訳ではない。玲奈はさらに接近すると更にパワーを上げた第二撃を放った。
「やったっ…!?」
 樹海が揺らぎ、爆風と共に亀が吹き飛ぶ。かなわぬと見たのか逃走する亀を追撃しようとした玲奈の横を、再び鶴の大群がかすめる。
「邪魔をしようというの?」
 彼らは既に乙姫に洗脳されてしまっているのか、と絶望しかけた玲奈の前に、大群から離れた一羽がふわりと寄り添った。
「まさか…」
 広げた翼が優しく頬に触れる。その触れ方に、覚えがあった。冷たい風の中、ほつれた玲奈の髪を何気なくかき上げてくれた時の指先と、同じだったのだ。玲奈は柔らかな羽毛に手を伸ばし、鶴をそっと抱いた。名を呼ぶと、答えるように鶴が羽ばたき、こぼれる玲奈の涙をクチバシで拭った。
「ああ、やっぱり…!」
 亀はまだまっすぐに富士の山頂に向かっていた。だが先刻の攻撃で負傷したのか速度はそれほど早くない。玲奈は彼をしっかりと抱くと、地上に待機していたIO2に委ねた。
「彼をお願い。私はあいつを倒してくるわ」
 昔話のオチならば、ここで親玉を倒せば術はとけ、恋人たちは元に戻る。玲奈は富士に逃げこもうとする亀の甲羅に一点集中で光線を浴びせた。一回、二回、三回、四回。
「返して貰うわよ、彼を!」
 五回目の攻撃の直後、富士を背負うような格好で亀は沈黙した。その甲羅には深い亀裂が入っており、天に向かって伸ばされた首はぴくりとも動かず、見開いた瞳に生気はなかった。亀は死んだ。その周りを鶴の大群がぐるりと旋回し、去ってゆく。
「戻らないの…?」
 玲奈の悲痛なつぶやきは羽音と共に消え、そして彼らが去った空からゆっくりと巨大な船が降りてきた。
「あまつ…うきふね…?」
 眉をひそめた玲奈の前に現れたのは、美しい、だが冷たい瞳をした女だった。
「乙姫…ね」
 玲奈の言葉にゆっくりと頷くと、乙姫はにいっと笑うと、
「これで乳海攪拌の仕度は整うた。そなたに謝辞を」
 とだけ言って姿を消した。亀を倒した自分に謝辞を?玲奈にはわからなかった。自分は彼女の、竜宮の手助けをしたというのか?それに乳海攪拌とは…。考えはまとまらず、それに何より、玲奈は彼の方が気がかりだった。亀を倒しただけでは術はとけなかったのだから。

「ねえ。今度は海に行かない?」
 玲奈の言葉に、彼は甘えたように顔をすりつけて答えた。新しくあつらえた高めのスツールとテーブル。腰掛けた玲奈の隣には、大きな鶴が一羽。もちろん、彼だ。IO2の技術をもってしても、彼を今すぐ元に戻すことは出来なかった。捕獲した他の鶴たちは現在研究所に集められているが、彼だけは玲奈の元に返して貰うことができたのだ。以来、彼は玲奈の部屋で暮らしている。
「あのね、クルーザーで沖に出るの。南に行くんでもいいな」
 柔らかい羽毛を優しくなでながら語る玲奈を、彼が見上げる。
「南の海はきれいよ。一緒に空から珊瑚礁を見よう」
 玲奈がほほえみ、彼が頷く。そして玲奈の膝に頭をもたせかけた彼がうっとりと目を閉じる。
「一緒に、いろんな所に行こう。それから、いろんなものを見よう。そうして過ごしていたら時間なんてすぐ経つよ。そしたらきっと…」
 うっすらと目を開けた彼に、玲奈は優しく頷いた。きっといつか、元に戻れる日が来るから。だから二人信じて待とう。一緒ならばきっと、いつまでだって待てるから。

<終わり>