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<東京怪談ノベル(シングル)>


     Call To Remind

 ここは一体どこかしらと、みなもは首を小さく傾けて考えていた。見慣れた制服、手になじんだ鞄、所持品に記された「海原(うなばら)みなも」という名前……どれも彼女自身の物だと無言で語っているにもかかわらず、まるで借り物でも身につけているように、みなもをひどく奇妙で落ち着かない気持ちにさせた。
 彼女は通い慣れた通学路を歩いていたはずが、いつの間にか見知らぬ道へ迷い込んでいたのである。
 手の中にある携帯電話だけが唯一の味方に思え、みなもはすがるような気持ちで通話ボタンを押した。

 雨達(うだつ)は非通知でかかってくる電話には普段出ないことにしている。いつも仕事を探して街中をふらついている自称オカルト専門のこの探偵は、秘密主義の依頼人がかけてくるかもしれないと最初はすべての電話に出ていたのだが、あまりに「はずれ」が多いので最近はすっかりやめてしまっていた。
 そんな彼は今、インターネットカフェの一席で仕事のネタを求めて訪れた怪奇現状に関する情報サイト「ゴーストネットOFF」のページを開いたまま、いたずらや間違い以外ではめったに鳴らない携帯電話を片手に握りしめ非通知の電話に出るべきか否か悩んでいる。
 いつもなら非通知と判った時点でポケットに電話機を片付けているところだが、この時ばかりは何かが彼の心に引っかかった。
 雨達はそんな「引っかかり」を探偵の勘と呼び、またそれを信頼している。よって彼は着信音が切れる前に電話機を耳に押し当てた。
 『雨達さん……?』
 電話の向こうから聞こえてきた声は不安そうな色を帯びてはいたがよく知った少女――みなものものである。
 「その声は嬢ちゃんか! 久しぶりだな、覚えてくれていて嬉しいよ。非通知だったから誰かと……。」
 出て正解だったと声を弾ませて矢継ぎ早にくり出した雨達の言葉は、しかし最後まで発せられることはなく、みなもの取り乱した声にさえぎられた。
 『雨達さん、あたし携帯電話を拾ったんですけど、どうやらそれに食べられてしまったみたいなんです。』
 「何だって?」
 そう言った雨達の声は電話の向こうにいるみなもにも異論を唱える余地がないほど間が抜けて響いた。

 みなもがその携帯電話を拾ったのは学校の帰り道である。新品のようにきれいな機体はとてもマナーの悪い人間が不要になったからと捨てたようには見えなかったため、みなもは落し物として交番に届けることにした。
 ところがそれを手にして数歩と歩かないうちに二つ折れになっていた携帯電話が手の中でひとりでに開き、彼女をぱくっと頭からのみ込んでしまったのである。カラフルな液晶画面の中、人気のない作り物の景色が広がる、どこでもない場所へと。
 「あたし、さっきまで道に迷ったのかと……どうしてこんな所にいるのかしらって思っていたんです。誰もいないし、不安になって家に電話をしようと思ったけど、番号を思い出せなくて……友達のものも思い出せないんです。記憶が混乱しているみたい。何とか思い出せた雨達さんの番号にかけて……そうしたら携帯電話にのみ込まれたことも思い出して……。」
 胸の奥からわき上がってくるあせりと恐ろしさの混じり合った感情を抑え込みながら必死にそう訴えたみなもは、ふいに周囲の景色がゆがみ地面が揺れたことで体のバランスを崩し、短い悲鳴をあげてその場に座り込んだ。
 見覚えのない街並みはよそよそしく、どこかホラー映画の薄気味悪いセットに似ている。それが今、みなもの不安定な心に呼応するように身をよじり、彼女の頭上で崩壊しかけていた。パズルのピースがこぼれ落ちるように世界が崩れてきそうに見え、自分が海原みなもだと自覚し、認識するための精神的証拠――記憶までもが、バラバラと音をたてて彼女の中から――海原みなもとならしめている自我や意識からはがれ、失われていく。家族のことも、友人のことも、自分自身のことさえも。
 それは手足や体が目の前で切り取られていく様をなすすべもなく眺めているような恐怖だった。
 みなもが握りしめている携帯電話の液晶画面は激しい明滅をくり返し、まるで生物であるかのように脈を打ち始めていたが、それに気付く余裕など今の彼女にあるはずもない。記憶を奪い、心を壊し、空になった肉体も取り込み、そして新たな獲物を引き寄せるその携帯電話は、みなもの記憶をほぼすべて取り込んでしまっていたのである。
 彼女は揺れがおさまった頃には電話の相手が誰であるかすら判らなくなっていた。自分の名前も思い出せない。
 みなもはたまらず叫び声をあげた。
 その声がかすれ、雨達の耳の傍で砂嵐のような雑音に変わる。雨達は舌打ちをして携帯電話をポケットに押し込むと、インターネットカフェを飛び出した。
 そんな彼の前に見覚えのない景色が立ちはだかる。来た時には目にしなかったいびつな町並みと、不安をあおる薄暗い空。悪意のようなものさえうかがえるその光景の先にはみなもの姿が見えた。
 「わざわざお出迎えとは……おれも取り込もうってのか。」
 皮肉っぽく呟き、雨達は無遠慮に携帯電話が作り出した世界へ踏み込んだ。彼には何ら策はないしそれを練る時間も頭もなかったが、好機をあえて逃す人間ではなかった。
 今にも壊れそうな張りぼての景色には目もくれず、真っ直ぐにみなものもとへと歩み寄る。
 彼女はまるで澄んだ南の海で染めたかに見える青色の髪をさざなみのように震わせながら、この現象の原因である携帯電話に向かってまだ懸命に呼びかけていた。すでに雨達との通話ができなくなっていることに気づいていないのだ。
 「誰か返事して!」
 「はいよ、お待ちどおさん。」
 雨達はそう言って素早くみなもの手から携帯電話を取り上げ、「目の前にいるんだ、こんな物はもういらないだろ?」と、力任せにそれをへし折った。
 ばき、と音を立てて液晶画面にひびが入る――その瞬間、セットのような景色にもひびが走り地震のように激しく揺れた。
 そのはずみで倒れかけたみなもを映画のヒーローさながらに抱きとめた雨達は、しかしヒーローらしからぬ声音でこう呟く。
 「あれ? 壊しちゃまずかったかな。」

 本当に「まずかった」なら笑い事ではないが、みなもが目を開けた時には視界は見慣れた町並みに戻っていた。記憶もきちんと自分の中にあるのを感じてほっと息をつく。手の中にもうあの携帯電話はなく、鞄をのぞくと彼女自身のものが無言で横たわっていた。
 「どうやら無事に出られたらしいな。」
 「突然こんなことに巻き込んですみませんでした。あたし、取り乱してしまって……何もできなくて……助けていただきありがとうございます。」
 傍らでのんきな声をあげた雨達に向かってみなもは丁寧に礼を言い、深々と頭を下げる。助けてもらった報酬を払いたいと彼女は申し出たが、雨達は首を横に振ってこう答えた。
 「仕事として受けたわけじゃないし、立場が逆だったらおれだってたぶん何もできないよ。でもお前さんだってきっとおれを助けに来てくれただろ?」
 だからいいのさ、と照れたように笑った雨達は、次の瞬間に響いた無粋な電話の着信音に救われたという顔をしてそれに出た。
 もっとも、非通知の文字を確認していたら出るのをためらっていたかもしれない。何しろ携帯電話というのは量産品である、「あれ」が一つとは限らないのだ。
 「悪いな、嬢ちゃん。仕事が入ったから行かないと。気をつけて帰りなよ。」
 「あ、はい。でも……大丈夫なんですか?」
 電話のせいでこんなことがあったばかりなのに、という意味の気遣いだったが、雨達は「久々の仕事だからってヘマはしないさ。それじゃあな。またいつでもいいから電話してくれよ。」と言って去ってしまった。
 照れ隠しに逃げ出す口実が欲しかったのか、それとも調子がいいだけなのか、どちらとも判断できなかったみなもは、小さくため息をついて家に帰ろうと足を踏み出す。
 その途端、携帯電話が鳴った。一瞬びくりと身を震わせたみなもだったが、液晶画面に表示された文字を見て頬をゆるませる。帰りが遅い彼女の身を案じる家族からのメールであった。
 みなもはメールを打つのがもどかしく、電話をしようと考え――途中で手を止める。
 何て電話は簡単なのかしら、と彼女は思った。ボタンを適当にいくつか押すだけでも顔も知らない誰かにつながるのだ。そして電話を切れば二人の世界も閉じる。番号が判らなければ二度とつながることはないのかもしれない。とても手軽で、とても希薄なつながりだ。
 あの携帯電話はもしかしてさみしかったのかしら、と思いながらみなもは止めていた手を動かした。五十音順の電話帳の一ページ目には雨達の名前と、2と3と4しかない変な番号が見える。妙なリズムで並んでいるその番号は嫌でも忘れられそうにない。1だけがないことが雨達の人間性をあらわしているように思えておかしかった。
 みなもは口の端をかわいらしく持ち上げ、家に電話をかける。家族への電話も簡単だが、それはボタン一つでつながったり切れたりするようなものではない。それ以上に確かな絆でつながっている。



     了