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<東京怪談ノベル(シングル)>


大海への鎮魂歌

早朝からその港は賑わっていた。
都市へと続く海原を埋め立てて作られたその場所は、古く寺院や身分ある人々の屋敷が連なる街として栄えていた。
現代では様々なものの売買の拠点としての代名詞にもなる『市場』としてその名を知られている。

その誰しも知っている場所にまつわる、現代では忘れられつつある話があった。
「マグロの怨念……ですか」
三島 玲奈はIO2の本部からの呼び出しを受け、自分に与えられた任務の説明を聞いていた。
「表向きはな。この国の人間はよほどに『怨霊』『恨み』という言葉が好きらしい」
 玲奈は現在、とある拉致事件の解決を任務として与えられようとしている。
『鮪にさらわれた人間の救出』。
厳密に述べるならば、『人間の勝手な意思で捕獲されたにもかかわらず、その境遇を理由に食されることもなくただ打ち捨てられ、埋められたマグロの逆襲』によってさらわれた人間の救出。である。
「50年も100年も前に埋められたマグロがいまさら人間に『恨み』を果たす……とは。作り話にしても笑えませんね」
 だが、浮遊する漁船を操り、その舳に立って杖をふるう『魔女』はそう叫んで港や街々を襲っているという。
 事件の知らせを聞いて、玲奈もそれにまつわる話についてはざっと調査を済ませていた。
魔女に操られ、人々を襲うマグロを乗せているという漁船は、過去の悲劇を繰り返さないように、との教訓と鎮魂の意志を込めて展示されていたものだ。
数十年の過去。それは長いようで短い時間だ。核実験で悲運にも被爆してしまった漁船と、その漁獲物。それらにまつわるさまざまな物語。それらはただ語られなくなっただけで、なかったことにはならない現実なのだ。
言葉を紡ぐものとして、玲奈は多少の感慨をも感じなかったとは嘘になる。
だが、それと事件とは別の話だ。
「事件は、『鮪の怨念』を悪用し、未だ食品衛生に敏感な我が国の消費者不安をあおる恐れがある。この事件の解決を君に委ねる」
 上司の言葉に玲奈はぴしり、と背中を伸ばした。
折りたたんで隠してある天使の翼が緊張に揺れる。
「なお……人質の生死は不問だ」
 頷き、玲奈ははっきりとした口調で答えた。
「拝命いたしました」

 魔女が攫っているのは、港に、街にいる人々の中から選んだように男ばかりだった。
空を飛ぶ鮪の群れが人々を襲い、器用にも襟元を咥えて連れ去っていく。
 玲奈にはその真意が知れていた。
雌の不妊が原因で絶滅に瀕している龍族の仕業なのだ。人間の女に龍族の仔を孕ませ種の存続を図ろうとしている。男ばかりを攫って行くのは、人間の女の数を維持するために必要だからだ。
人間を囲ってその数を調整し、必要な数を掛け合わせて維持する。
一方で、女には龍族の仔を植えつけて代腹とするつもりなのだ。
真意を知る玲奈は無駄なく行動した。

まず眷属の掃討。
絶滅に瀕しているがゆえに、龍族はそれ以外の力を野望の実現に必要としている。
今回はそれがマグロであったが、数トンものマグロはただの手先として扱うには重たすぎる。
また、同時に被害を受ける側としてはその圧倒的な質量に絶望感さえ感じる。

だが、玲奈は違った。龍族や数トンのマグロどころか数万匹の飛龍と直接に対決することすら辞さないのだから。

玲奈は現在漁船が現れているという空域へ向かって、自分の細胞を培養して作ったという宇宙船を飛ばした。

地面からでも伸ばせば手が届きそうなほど低空を静かに上下する漁船の周囲には、恐怖におののきながらも手を伸ばし口々に叫びをあげる女性達の姿があった。
 恋人を、夫を、兄弟を返せ!!と勇敢にも立ち上がりこぶしを振り上げてさえいる。
魔女も、マグロも女性を攻撃しない、という状況に後押しされたのだろうが、格子に遮られて船の底からただうなだれた様子をうかがわせる男達とは胆力が違うようだ。
 魔女が杖をふるうと船底だけでなくさらにその格子までぼんやりと透けて見えてくる。
やがて透明なガラスにでも遮られているかのように人質となっている男達の姿が明瞭になってきた。
 女性達が口ぐちに身内の名前を呼ぶ。
魔女に向けられた罵声の数々に、目深にかぶったフードの内側でわずらわしげにため息が漏れるのが聞こえた。
「もうよい。ここにいる数十の代腹はそなたらが糧とするがいい」
すい、と杖を伸ばしたその動きに合わせて、船上から巨大なマグロが空を一瞬埋めるほどの勢いと数で飛び出してきた。これまでは男達を攫うことしかしなかったマグロが、指示を得て体をてらりと光らせながらその大きな口を開いて女達めがけて飛んだ。
 一帯は甲高い悲鳴で満ちた。
「止めなさい。その病んだ生命を祝福しましょう。海の主たちよ。生み変わっておいでなさい」
りん、と響いたのはマグロと女達との間に立ちふさがった玲奈の声だった。
「生みの大地に還り種となり芽吹きなさい」
しゃらしゃら。と砂の流れるような音がして、玲奈の言霊はマグロを光の粒へと還した。
その光は柔らかく辺りを金色に輝かせて、そのまま地面に落ち土に吸い込まれるようにして消えた。
「なっ」
 魔女の絶句。玲奈の言霊の圧倒的な力に思わず一歩退いた。胸の前に杖を構え、自分を護ろうとする姿勢も無意識のものだろうが、魔女は『人間ごとき』と見下す龍族の誇りにかけて次の瞬間には思考をとりもどしていた。
龍族も、玲奈がするより易く言霊をあやつり、事象を動かす力を持っているのだから。
「人間よ。既知の現か、即ちうつけか。汝らは好いて着よう忌まわしき実験の場となりその名の通り。ビキニと聞いて何を思うよ」
 空中に離れている場所からの魔女の言葉は、だがすべての女達の耳元でささやくように聞こえた。
そして、謳うように紡がれる不思議な言葉の意味だけが脳に沁み込むように伝わってくる。
(ビキニ……といえば)
「その問いに答えてはいけない!」
玲奈の言葉よりも魔女の呪詛の効果が早かった。先ほどの命の危険を知らせる悲鳴とは趣の違う、ざわめきと驚嘆の声。そして、女性達は着ていた衣服を呪詛によってはぎ取られ、自身がイメージした『ビキニ』を身にまとっていた。
さらに魔女の言霊を受け入れたことにより女達はその魔女の言霊を吐き出す器としても利用されていた。意識をなくした目で玲奈を見る。
「「「「「もえよ」」」」」
女達が唱和すると、玲奈を爆炎が包んだ。玲奈の耳にも魔女の言葉は届いていたが、玲奈の衣装はいつもの学生服だ。
「比丘尼となるか。仏の情けにお縋りします」
 怯まず、玲奈が言霊を返す。爆炎は、玲奈を傷つけることはなかった。玲奈が仏の加護で弾いた炎が生んだ風は周囲の女達を弄り、駆け抜けた後では女達の水着が真白に浄化されていた。
状況は異様を呈してきた。空に浮かぶ船。その船倉で囚われている男達。杖をふるう魔女。水着姿で意識を奪われ、玲奈を囲む女たち。
 加えて、その囚われの男達は、水着姿の女性達を透明な船底から見下ろし、満足げな表情を浮かべている。
「眼福だ」
「地獄に仏だ」
 心の奥から染み出した言葉や強い意志を込めた言葉には、それだけで力が宿る。
玲奈は場所柄もわきまえないその男達の呟きをすくい上げるように大きく息を吸った。
「祝福は与えられた。地の床から天の陽の元へ」
 魔女をまっすぐに見据えて言葉を紡ぐ。
「萌えよ。芽吹きを迎えて、ま白きものへ」
ゆるりとした音程の上下を加えて言葉はいつしか荘厳な讃美歌となる。
玲奈の強い言霊が内側へ干渉し、魔女は杖を取り落とし自分自身を掻き抱いて苦しみ始めた。
「長き夜の果てに。ま白き天を迎えん」
茸雲の如くたなびく日の出。
その光は世界のすべてを白く焼きつくす。

そして、すべてを無に帰す。

その場にいたすべての人々は、自身もその白に還り、そして白い視界の目覚めを自覚する。
「……夢……?」
視界いっぱいの白は体を包む暖かな寝床。
その場にいたすべての人々が、それぞれの白い寝床で目を覚まし、そして白い記憶を彼方へとかすませていく。
「…へんな、夢」
ただ刻み込むように心に残された言葉のいくつかが、人々の興味を掻きたてることはあるかもしれない。


夢のような現実のような夢の記憶……。
どこから、どこまでが?