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[ Sweet, sweet runaway! ]
二月十四日。
草間興信所の朝。長閑で、少しだけ甘い香りの漂う朝。
「っ……甘い…?」
その香りはキッチンから漂ってくる。
昨日は結局ソファーに寝転がったまま夜を明かしてしまった草間・武彦は、起き上がると同時、わずかに寝癖のついた髪の毛をぐしゃぐしゃと撫でソファーから降りた。向かう先はキッチン。そこで彼はやはりというべきか、彼女――草間・零の背中を見つけた。
「…………何、してんだ?」
「ぁ、おはようございます兄さん。実はチョコレートを」
笑顔で振り向いた零に、武彦は「あぁ…」と呟くと目を閉じた。正直眠い。
「それにしては…チョコレートの姿がないが?」
目を閉じたまま呟く武彦に、零は「此処に」とボウルを見せた。薄目を開ければそこには粉末状の何か。
「――お前、まさか……」
「はい、カカオ豆から作ってます。『手作りチョコ』ですからね」
そう言った後、零は前を見て作業に戻った。その姿に、武彦はただ適当な応援の言葉を投げソファーへと戻っていく。まぁ、物好きも居るものだ――そんな程度の気分だった。
しかし、それからわずか数十分後の事だ。興信所から煙が上がったのは。火災というものではない。何かが爆発したような――。
ソファーから飛び起きた武彦は零の安否を気にするが、それ以前に気になることがあった。
「俺が、もう一人?」
丁度キッチン正面、そこに見た目は茶色で統一されているが、明らかに自分と同じ容姿を持った動く何かがある。
「……あ゛!?」
刹那、武彦に向かい来る茶色い液体は唐突にその身を翻した。何が起こっているのかさっぱり分からない。
ただ武彦の隙を突くよう、彼と瓜二つの動くモノはご丁寧にドアを開け、一気に階段を駆け下り……街へと出て行ってしまった。
「っ……兄さん、無事でしたか!?」
どこからともなく姿を現した零は、顔にチョコレートをつけたまま真剣な形相で武彦に駆け寄ると、開いたドアの先を見る。
「大変です……手作りチョコレートが命を持ってしまったようです。やっぱりコレが原因だったのか…も?」
そう言いながら、エプロンのポケットから出したのは小さな瓶。
それが全ての元凶――。
□□□
武彦からの連絡を受け程なくし、チョコレートの香りが漂う草間興信所は賑わっていた。
「久し振りだな、金さん。ちょこが逃げたとか? まあ、詳しい話を聞こうじゃないか」
ド派手な着流し姿でソファーに座り、武彦のことを金さんと呼ぶ雪森・スイ。
「近くまで来たので挨拶に――と、思ったんですが。どうぞ宜しくお願いします」
挨拶にと興信所のドアを叩き、たまたま依頼を受けることになった久世・優詩(くぜ・ゆうし)。
「お前の怪奇誘引体質はどうにかしろ」
そして開口一番というよりも先、武彦にアイアンクローを極めつつそう言った黒・冥月(ヘイ・ミンユェ)。
「……ごあっ、毎度毎度、コレは俺が悪いのかっ!?」
理不尽だと言わんばかりの武彦の言葉に、冥月は思わず零へと視線を向けるが、結局武彦の問いには答えぬまま。彼の傍を離れると部屋の隅で腕を組み立つ。
「まあまあ、その辺にしといて」
スイはそう言うと、テーブルの上にトンと一つの包みを置き武彦を見て言った。
「ぎりちょこを持ってきた、ありがたくいただけ」
「義理って、言っちまうんだな……ま、ありがたいもんだが」
そう言い武彦が包みごと受けとろうとした所、スイは「さあ、皆も食べるといい」と包みを開ける。その中身はどれも色形が綺麗なもので、義理と言うわりには明らかに手作りと言える――ただし、美味しくなるようにとスイのお気に入りである唐辛子が大量に練りこまれた特製のチョコレート。
「これは美味しそうですね。ですが……良いのですか?」
傍目から見れば武彦個人宛のものに見えるものの、スイはあっさり「沢山あるから遠慮はするな」と言うと、それをテーブルの中央に置いた。
離れていったチョコレートを武彦は少し名残惜しそうに見ながらも、思い出したように咳払いしこの場を仕切り直す。
「チョコは今回の件が解決したところで食うことにして――早く零が作り出した妙な物体をどうにかしてくれ……完全に繁華街に向かったようで、このままじゃ又変な噂が立つ」
「私は金さんの名誉なんてものはどうでもいいが、暇だし手伝ってやるとしよう」
武彦の言葉の後、スイがポツリと呟いては冥月とは逆側の隅っこにポツリ佇む零に目を向けた。
「本題に入る前に零さんも、こちらへどうぞ?」
優詩は武彦の言葉に同意すると同時、同じく零に目を向け優しく声を掛ける。今回の事件を生んだ張本人らしき彼女は、どうにも気まずそうな様子を見せながらも、優詩の言葉に後押しされ彼の隣、スイの正面のソファーに腰掛けた。
そんな中冥月は、もたれ掛かっていた壁から背を離すと武彦を見て言う。
「誰が協力すると言った? ……馬鹿らしい、そんなモノ自分で探せ」
「帰るのか? てか、何しにきたんだ……お前は」
古い長ソファーではなく、一人用の比較的新しいソファーに腰を落としたまま、武彦は出て行こうとする冥月を見た。
「…………帰る、当たり前だ」
けれどドアの前で立ち止まった彼女の足。そのまま動かない冥月に、武彦は溜息と同時腰を上げると彼女の背後に立ち何かを話し始める。此処からでは何を話しているかはよく聴こえず、二人の様子も見えない。
「っ……い、いだろう、勿論協力する。私がいれば今回は尚のことあっと言う間だ」
ただ、唐突に冥月が声を上げたかと思うと、あっという間にソファーの方へ向かって来た。
「それにしても以前は芋で今回はチョコレート、か。……零もな、怪しい物を安易に使っては駄目だとそろそろ学べ」
そうして零のすぐ傍らに立った冥月はしゃがみ言うと、彼女におでこをこつんと軽くぶつけた。
「ぁっ……ごめん、なさい」
武彦の時とは違った対応に拍子抜けした零は、身構え思わずギュッと瞑っていた目を開けると深々と頭を下げる。それを確認すると冥月は立ち、ようやくソファーに腰掛けた。
そのやり取りに優詩は思わず零に問う。
「小瓶の中身が何かは知っていますか?」
「えっと、手作りチョコレートの中に愛情と共に入れると、想いが伝わり相手も幸せになる魔法薬――の試供品って、言ってました」
一体誰がそんなことを言って配っていたのかは誰も問うことが出来ないが、どうしてこうなったかは皆同時に理解した。
「それが結果的に、動く金さんちょこれーとになったのか? ふむ……それはなかなかに面白いな」
興味深そうにスイが言う。
「しかし、これでは瓶の中身から解決には至らないようですね」
わずかに苦笑いを浮かべると、優詩は戻ってきた武彦に最近何か密かにしたかった事や、特に気になった事等がないか尋ねてみた。勿論、密かにしたかったことがあったとして、この場で口を割るかは分からないが……。
ただ武彦は優詩の言葉に少し考える素振りを見せた後、苦笑いを浮かべた。
「煙草を、思う存分吸いたいとは思ったな。値上がりしてからイライラが酷――――」
次第に愚痴になり始めたところ、武彦の口と動きが突然止まる。
「どうした、金さん?」
スイの言葉が耳に入っているのかいないのか、武彦は上着のポケット付近を数度叩くと急ぎソファーを立ち、乱雑に物が積みあがったデスクの引き出しを次々に開けてはピタリと動きを止め。
「煙草が……無い」
俯いたまま沈んだ声でそう言った。どうやら、封が開いている箱に加え未開封のストックまで無くなっているらしい。勿論知らぬ間に全部吸ってしまったわけでも、零がどこかへ隠してしまったというわけでもない。
「仮に薬の謳い文句が本当なら、お前の幸せは不幸ということか?」
思わず冥月が言葉にし、武彦の肩だけがピクリと反応した。しかし、結局の所チョコレートは彼の口に入っていないのだからまだ効果は無いのかもしれないが。
苦悩する武彦と彼の形をしたチョコレート、そして突然の煙草の失踪。
「あれこれ考えず、早くちょこれーとの回収に行った方がいいのではないか?」
「そうだな、とにかく早々に回収してくればいいんだろう?」
そう言ってスイと冥月がソファーから立ち上がる中、優詩が零に最後の質問をした。
「ちなみに、零さんは何を考えながらチョコレートを作ってましたか?」
問いに対し零は微笑み武彦を見ると、その笑みを優詩にも向け答える。
「勿論兄さんのことを想いながら。このチョコレートを食べて幸せになってもらい、少しでも煙草のことを忘れてもらいたいな、と」
「……そういうこと、ですか」
零の答えに対し優詩からはそれまでの緊張感が消え、思わず笑みを零し横目で彼を見てしまう。
「零の強い想いを汲んだのか」
「なんだ、金さんの健康を気遣ってくれるいい奴じゃないか」
口々にそう言う三人に対し、武彦は引き出しを強く閉めるとようやく顔を上げデスクを叩き。
「依頼内容変更――……早くそのチョコレートを回収し、俺の煙草も無事取り戻してくれ!」
言葉と同時、積みあがっていたものがドサドサと音を立て一気に雪崩落ちた。
零が少し離れた場所から不安そうに見守る中、冥月は彼女の頭をそっと撫でながら武彦を強く見た。
「相手がお前と同じ姿形ならば、お前の影を伝うのみ。幸いまだそいつはこの付近に居るようだしな」
「影、ですか?」
「それで一気にちょこれーとの居場所に辿り着けるということか」
スイは今まさに風の精霊から情報収集を行おうと思っていた矢先、その言葉を耳にし冥月を見る。
「頼んだぞ。後、一応無事な姿形で回収してきてくれ――零が、アレだからな……」
一応は自分のためにと作っていたチョコレートと使ってしまった薬だ。解決が第一だが、何も残らないのはかわいそうだと言うことだろう。
「……行くぞ、肩にでも掴まれ」
そう言うと冥月は数キロ先を逃走し続ける、もう一つの武彦の影を目指した。
冥月曰く武彦の影から、チョコレート武彦への影への移動。それは一瞬の出来事で、気づけば三人は興信所から離れた、どこかの商店街の一角に居た。
「此処はもしかして隣駅、でしょうか?」
なんとなく見覚えがあるかもしれないと優詩が辺りを見渡せば、三人のすぐ目の前には奇妙な物体が立っている。
「おお、確かにちょこれーと色と香りの金さんだな。姿形は勿論大きさまで同じじゃないか」
「ふん……こんな奴影で束縛して、そのまま捕獲でもすれば――」
口々に言葉にされるその意味が分かっているのか、武彦姿のチョコレートは三人の方を振り向くと同時、物凄い形相で口を開けた。
反射的に冥月が身構えると、その口からは勢いよく何かが飛び出てくる。
「っ……小ざかしい。あくまでも抵抗する気か?」
「む、これはちょこれーと。……意外と美味いじゃないか」
わずかに身体へと飛び散ってきたチョコレートを舐めたスイは、そう言っては思わず舌鼓を打つ。
「助かり、ました。ありがとうございます」
咄嗟に冥月が張り巡らせた影による壁が三人への攻撃を塞き止めたものの、噴射されたチョコレートはスイ以外にも散らばり、今の攻撃で周辺の人間が異変に気づきざわつき始めた。
「このままでは大騒ぎになってしまいますね。早くどうにかするか、移動し――」
言うや否や、今度はチョコレートの姿そのものに異変がおき始める。固形の状態を保っていたその身体の一部が、まるでチョコレートフォンデュのごとく、上から下へドロドロと流れ出し、そのまま下へ流れたものが別れ二つの形を作り出す。
「ふむ、ちょこの金さんは分裂ができるのだな」
三体に増えた武彦を見てスイが関心の声を上げ、優詩が戸惑っている間に分裂した二体はそれぞれ別の方角へ尋常ではないスピードで走り去ってしまった。よく見れば、多少のサイズダウンは勿論、いつの間にか全員が全員小脇に煙草のカートンを抱えてもいる。
「よし。ここからは別れ、それぞれ終わったら金さんの元で落ち合おう」
そう言って最初に動き出したのはスイで、あっという間に右方向へ逃走したチョコレートを追い始めた。
□□□
相手はチョコレートだというのにその足は意外と速く、あんな奇抜な姿を見失うわけが無いと思いきや、商店街の裏路地に入り込んだそれは、スイが裏路地に入り込むと既にその姿を消していた。
「おや、もしや見失ってしまったか?」
一度は止めてしまった足を再び動かし、一本道を走り抜けると大通りに出る。商店街とは違いまた人通りが多く、辺りに草間の姿をしたチョコレートは見当たらない。
「――はて、ちょこれーと金さんは何処へ……」
一旦人ごみを掻き分け先へと進み続ければ、駅前の少し拓けた広場に出た。辺りの長閑な雰囲気を見る限り、おそらくこの辺りにあの奇抜な物体は来ていないのだろう。
その代わり今スイの姿が確実に目立ち、様々な視線が集まっている。もっとも、その視線や密かに囁かれる言葉は、物珍しがったり少しばかり黄色がかった声――特に発生源は外国人や女性から――で、スイはその人目をわずかに避けるよう移動すると手早く精霊を召喚した。
それまで心地よく吹いていた辺りの風が一瞬凪ぐと、スイの前に風の精霊が現れる。
「金さんの姿をした、動くちょこれーとの情報を頼む」
その言葉を受けた精霊が目の前から消えると、スイは再び街中に出てはあの姿を探し出した。時には植物の精霊にも訪ね、おおよその動きがつかめてきた頃、彼女の元に風の精霊が戻ってくる。
「……ちょこれーとは川の周辺にいるのか」
精霊が示す川は此処から数キロ先にあり、並の人間では早々に追いつけるわけもない。
「全く、そんな場所で何をしているのか――一刻も早く確かめなければいけないじゃないか」
表情には全く現われやしないものの、ウズウズした様子をどこか隠し切れずスイは目的の場所へ急ぎ走り出した。
ただし、川にいると言っても川は長い。スイは川の下流付近を目指した後、再び風の精霊は勿論今度は水の精霊の力も借りながら上流へと向かい、ようやく居場所を特定した。
少し離れた土手から川辺で何かしているチョコレートを見つけ、そのまま遠巻きに何をしているのかとスイは様子を伺う。
「一体何を――」
それ以上考えるよりも先に足が動いていた。
土手から一気に、けれど音も立てず静かに滑り降りると、手入れのされていない――元は野球の練習場だったであろう更地を駆け抜けチョコレートの背後に立つ。
「!?」
それはスイの気配を察したのか、振り返ると同時立ち上がり、間髪開けず口を開いた。
その動きは先ほど見たものと全く同じで、スイは精霊を呼び出すと噴射されたチョコレートを瞬時に丸め、そのまま自分の手の中に収める。どうやら噴射されたチョコレートは液状ゆえに動きを操作することは容易いようで、一口サイズのそれをスイは口へと運び頷いた。
そうしてチョコレートのすぐ傍、そこで燃える煙草の箱を見る。
「それは、金さんのたばこだな」
「…………」
スイの言葉に対しチョコレートは何も反応しない。ただそこにはバラされた煙草の箱と、既に炭と化した煙草らしきものが残っている。よく見れば、チョコレートはそれを燃やしていた時の熱の影響なのか、身体の一部が解けていた。
そんな様子を見たスイは、少し考えた末ポツリと一言。
「……こんな時期に、はなびか?」
そう聞いた。チョコレートはその問いにも答えることなく、スイはチョコレートが花火をしていたことを前提に話を進め始める。
「夜のほうが綺麗だろう。それに、いくら水辺の近くとは言え、ばけつは用意しておいた方がいい」
「――兄さんの健康のためにも、やっぱりこんなものは良くありません。止めるつもりなら、容赦はしません」
するとようやくチョコレートの口が会話を目的に開く。その声は見た目に反し武彦のものではなく、よく似た声を思い出してスイは小首を傾げた。
「なんだ、中身は零なのか」
「いや、こんなもの無い方が財布も潤い続ける。こんなものは無い方が良いんだ」
今度は武彦の声に良く似た、けれど彼の声そのものとは違う声と口調が、本来の彼ならば決して口に出すことは無いであろう言葉を紡ぐ。
「金さん……――ではないな」
「いいえ、これが兄さんです。兄さんは今日改心したのです」
「そして、このチョコレートは俺本人の口に入らない方がいいんだ。こんな……カカオ分が異常に高すぎる手作りチョコレートなんて、人間の食い物じゃない!」
零のような口調が喋り終わると今度は武彦のような口調に切り替わる。その煩わしさにスイは再び水の精霊を呼び出した。
「身体は金さんだが、中身には妙な金さんと妙な零が共存。面倒だから、とりあえずコレでどうだ?」
「っ…何、をっ……!?」
要領的には、噴射されたチョコレートを操ったのと似たようなもので、今そこにいるチョコレートを液状化させた後、オリジナルのサイズを半分にした上で、もう半分で零の姿を模った。こうすれば一人から二人の意見を聞くことも無いだろう。
「もう一つ分裂させてみた。ちゃんと一人一人話せ」
「こんな煙草はいらないんです」
「こんなチョコはいらないんだ」
すると今度は言葉が同時に発され、それはそれで面倒なことになった。
「賑やかなのはいいのだが、川辺はこの時間冷えてくるからな。早く興信所に帰ろう。な? あ、これからはなびの続きをやると言うならば――」
「嫌だ。帰ったらコレは俺の体内に入る羽目になるんだろう!?」
武彦の形をしたチョコはスイの言葉を遮ると、通用しないと分かりながらも必死の抵抗としてチョコレートを噴射する。そして再びスイがそれを口に入れ、満足そうに頷いた。
「あぁっ、そんなに兄さんを食べないで下さい!」
「ん、零も食べて欲しいのか? ――違ったな、貰ってばかりでは悪い。私からもちょこをぷれぜんとするとしよう」
言うなりスイは、まだ手元に持っていた手作りチョコを取り出し、開いたままの口に放り込んだ。ついでに自分も一粒食べてはやはり頷く。
「……ん、どうした?」
「俺は…たとえ零にチョコを食わされなくても、もしかしてこんな劇物を食わされるの、かっ……」
「にっ、兄さ…んっ?」
スイから放り込まれたチョコレートを飲み込んだ武彦姿のチョコレートは、そんな捨て台詞を吐きその場に倒れてしまった。
「ほら、零にもちょこだ。美味いぞ」
そして慌てふためく零姿のチョコレート、その口にもソレを放り込んだ。すると今度は何の声も上げることなく、チョコレートはその場で崩れ、落ちた。
「……ようやく大人しくなったな。もう夕方も近いし、効力が切れたのかもしれない。もしくはこのちょこが美味すぎて――」
ブツブツと言いながら大して疲れたわけでもないが、フウッと一つ息を吐き。再び水の精霊の力で倒れている二体のチョコレートを一度混ぜ合わせる。そして板チョコの形に整えると、スイは一人満足げに頷いた。
□□□
「スイ!!!! おっ、お前はなんつうチョコを作りやがった! 俺を殺す気かっ!?」
興信所のドアを開けるなり、スイを見た武彦がソファーから飛び上がり、ずかずかと歩いてきては彼女の胸倉を掴んだ。
「どうした金さん」
よく見れば武彦の顔には新たに殴られたような痕があり、そんな彼に対しスイは二つの意味を含みながらも、板チョコを差し出しながら平然と言葉を返す。
「どうしたもこうしたも……お前、あんな辛いチョコレートをあんな綺麗に作る馬鹿がどこに――いや、目の前にいるんだが…おかしいだろ、何がどうしてああなった!?」
事件が解決した後に食べると言っていたわりに、どうやら彼は先に一人で先にスイのチョコを食べてしまったらしい。
「美味いだろう、私お気に入りのとうがらし入りのちょこだ」
「っ……お前…な」
少しだけ嬉しそうに言うスイに、武彦の手からは力が抜け落ち、とぼとぼとソファーへと戻っていった。
「――――?」
スイはわけも分からず、ただ既に室内に冥月と優詩も戻っているのを確認すると、ソファーに座り再び武彦に持ち帰った板チョコを見せる。すると彼はちらりと板チョコを見た後キッチンを見て、今零がチョコレートを作り直していると言った。
「ならこれはいらないのか?」
折角捕獲してきたのに勿体無いものと、そうぼやいたスイの姿が武彦の目にはしょぼくれたように見え。
「……味は?」
「美味かった」
問いに対して返って来たスイ即答。それを聞き武彦は掌をスイの方へ向け。
「ならお前にやるから。お前が全部処理してくれ」
そう言って項垂れた。
「いいのか?」
「あぁ、零には後で言って聞かせる。どうせ今新たに大量のチョコを作ってるだろうしな。無事捕まえてきた、それだけで充分だ」
そう言った草間は、顔を上げるとソファーを立つ。向かう先は勿論キッチンで、コップ一杯の水を持ってくると今度はデスクの机に座った。そしてギシッと背もたれを軋ませると、水を口にしながら不意にスイを見る。
「ん、そういえばチョコは煙草持ってなかったのか? まだカートンが足りないんだが……」
「それならば、チョコレートの金さんと零が花火にしていた」
「…………燃やして、いたと?」
「そうとも言うな」
スイの言葉に武彦の口は開いたまま塞がることがなく、次第に目の焦点が合わなくなってきた。
「いや待て、安心しろ。そういえば三箱無事だった」
そしてスイは懐からバラバラと煙草を出して見せる。それはあの場に残った、まだ燃やされていなかったボックスだ。
単純に七箱はなくなったとは言え、全て戻ってこなかったよりはマシと言うもの。
「……あぁ、感謝する」
少し複雑そうに、けれど武彦は感謝の言葉を向けた。
しばらくすると優詩の淹れたエスプレッソと、冥月が手伝い零が作り直した手作りチョコレートがテーブルに並ぶ。
零が作ったのは最も簡単に出来るトリュフなものの、ココアパウダーやホワイトチョコレートで出来たものなど、バリエーションは豊かだ。
スイは主に自分が持ってきたチョコを摘みつつ、結局今回不要になってしまった、先程まで逃走を続けていたチョコの処理に回る。
そんな中、武彦はトリュフを手に複雑そうな表情で口を開いた。
「とりあえず色々な意味での危険物回収には礼を言う。だがっ――」
そして頭を抱えるとそのまま項垂れる。
「隣の商店街で俺がチョコレートを吐いているだの、それで一部クリーニングが必要になっただの……」
結局妙な噂が立っては、すぐ彼の元に届いたらしい。
「そうは言っても、予想より被害状況は少ないだろう。最終的には皆、人ごみを離れた場所へ向かったのだからな」
「人の噂など、時が経つか新たに噂が立てばすぐに消えてしまうもの。あまり気になさらないほうがいいですよ?」
「まあその発生源は又、金さんかもしれないけれど」
その結果、噂の積み重ねで異名が付くということがあるわけで……。
三人の言葉を受けて、もうピクリとも動かない武彦をよそに、キッチンから戻ってきた零が新たなチョコレートを追加した。
「まだまだありますから、一杯食べていってくださいね」
事件を解決してくれたことと日頃の感謝の気持ちとして出されたチョコは、今までと明らかに何かが違う。
優詩が眉を顰め、冥月が嫌な予感に手を伸ばすことを躊躇う中、武彦とスイは同時に手に取り同時に口へと入れた。
言うまでも無い。一人はその美味しさに更に手を伸ばし、もう一人はソファーから落ちる。
「えっ……に、兄さん?」
「「…………」」
チョコレートパーティーはまだまだ続く。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
[2778/ 黒・冥月/女性/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒]
[8440/久世・優詩/男性/27歳/バリスタ]
[3304/雪森・スイ/女性/128歳/シャーマン/シーフ]
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、ライターの李月です。この度はご参加ありがとうございました。
共通パートもPCさんによって若干差がありますが、今回チョコ捕獲パートのみ完全個別とさせていただきました。
零の想いが篭ったチョコレートでしたが、彼女の想いや願いや願望や理想、そこに加えて武彦本人の意思までもが入り混じっています。
一応オリジナル的存在が優詩さんの元に、そこから派生的に生まれたのが、冥月さんが対峙したちょっと気持ち悪い(笑)零の理想が入った武彦、そしてスイさんが対峙した混沌状態の武彦と零になります。逃げていた理由的にはオリジナルが一番持っているかと。
零の想いを抱えながらこの世にチョコレートとして生まれたことを、このチョコは酷く後悔しています……コレ(カカオ成分が異様に高すぎる、もはやチョコどころか食品といえない物体)を武彦がこの後食べる羽目になるのですから。でも零の優しさ(?)は無碍に出来ない。
逃げたのは武彦の意思。煙草を持ち去ったのは零の想い――になります。
結果的には皆無事回収し、被害も最小限に治まっています。お力添えもありチョコが作り直し。最悪の結果は免れました。
最後に武彦が口にしたのは、薬を入れる前のチョコレートの残りです…。
何か問題などありましたら、ご連絡いただければと思います。お疲れ様でした。
【雪森・スイさま】
初めまして、こちらもどうもありがとうございます。傍目からは男性イメージが強いながらも、チョコを作る女性らしいところをちゃんと持っている…けれど凄まじい味覚音痴など、楽しく書かせていただきました!
精霊の描写に悩んでしまい、一番最初を除き後はかなり濁してしまいましたが、こちらもイメージからあまりかけ離れていなければ…と思っています。一番安易に思いつくのは姿が実体化、のものですが、姿なきモノとしてそこに在るケースもあるかなと…(なんだか上手く言い表せないものですが)
味覚の能力の点では色々と遊ばせていただきました。
こちらは少し違った視点で楽しんでいただけたり、お気に召していただければ幸いです。
それでは、又のご縁がありましたら。
李月蒼
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