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気ままな午後。
高級マンション――その一室。豪華な家具が置かれ、キッチンは本格的な作り……。
シャルロット・パトリエールは、大きなベッドの上にうつぶせになっていた。下着の上にタオルを身に巻き、彼女はマリア・ローゼンベルクのマッサージを受けている。
マッサージは気持ち良く、まどろんでしまいそうになるが……気になることがあるのだ。
(扇都古……都古ね……)
不思議で、つかみどころのない子だった……。そう思う。
でもその一方で、妙に興味を惹かれるものを感じてしまう。
「……なんだか上の空ですね、シャルロット様」
「え?」
腰を揉んでいたマリアの言葉にハッとして、シャルロットは少しだけ顔を振り仰がせる。
マリアの視線がこちらを向いていた。
「考え事ですか、シャルロット様」
「そうね……」
「それは、お話していただけるものですか?」
「もちろん。この間の妖魔退治のことよ」
「あの件は、私もご一緒したかったのですが……」
「ごめんごめん。あの時は、別の用事をやってもらいたかったのよ」
姿勢を元の位置に戻し、シャルロットは絶妙にツボを押さえてくれるマリアに感謝しながら続けた。
「不思議な退魔士に会ったの」
「退魔士ですか。珍しくもない職業ですが、専門家ですか?」
「たぶん、妖魔退治しかしてない感じはしたけど……。扇都古っていう子なの」
「オウギミヤコ……」
反芻するマリアは、不思議そうにする。
「随分と古風な名前ですね、シャルロット様」
「字も変わってるのよ。扇子の扇に、古い都で、扇都古なの」
「……そうですか」
少しだけムッとしたような声だと思ったのは気のせいだろうか?
気持ちよさそうにうとうとしてしまうシャルロットは、都古の言っていたことを思い出す。
「あぁそうだわ。マリア、『ウツミ』という人物を調査して欲しいのだけど」
「ウツミ、ですか?」
「漢字も、どんな人かも、全然わからないのよ。でも都古が探しているから、ちょっと気になって」
「……扇都古様の探し人ですか」
マリアは少し考える素振りをし、頷いた。
「かしこまりました。ウツミなる人物ですね?」
「そうよ」
あ〜、気持ちいいわ〜とシャルロットが小さく洩らす。
そんなシャルロットの様子を見ながらも、マリアの手は止まらない。なめらかなシャルロットの肌をゆっくりと癒していく。
(扇都古……退魔士)
聞いたことのない退魔士だ。シャルロットがこれほど興味を持つ、というのも不思議でならない。
(どんな人物なのか……)
名前を聞いた限りでは、想像がつかない。ちょっと古風な印象を受けるので……そのようなイメージになってしまうが……違うような、そのような……。
「シャルロット様、ご気分はどうでしょうか?」
「ええ?」
ぼんやりとした声になっているので、眠いのかもしれない。
「ああ、いつも思うけど、マリアって本当に上手よねぇ」
「……眠っていてもよろしいですよ」
「そういうわけにはいかないわよ。一度眠ってしまうと、このまま夜まで寝てしまいそうだもの」
夜はできればきちんと眠りたい。
「少し肩が凝っているように思えます」
「え? そう?」
「はい」
肩を揉んでいるとシャルロットがくすくすと笑った。
「ところで、シャルロット様が会ったという扇都古様ですが……古風な方ですか?」
「古風?」
「名前のイメージからそう思っただけなのですが……」
「うーん……古風というか、なんかすごく変わってるわね」
「変わってる?」
「うまく言えないわ。会えばわかるのに」
シャルロットでさえ、扇都古をうまく表現できないという。一体どういう人物なのだ?
(会えば……私もわかるのでしょうか……)
シャルロットの関心を惹きつける魅力が。
(ウツミ……)
苗字なのか、名前なのか、それすらもわからないのだろう。調べるのにかなりの手間がかかりそうだ。
ウツミと、扇都古。少し、嫌な予感がする。
目の前のシャルロットに視線を遣り、微笑む。
できればシャルロットが悲しまなければいい。苦しまなければ……それでいい。
(扇都古……か)
これは嫉妬なのだろうか? シャルロットの関心を、たった一度会っただけでひきよせるとは……何者だろう?
*
マッサージも終わり、すっきりとしたシャルロットは大きく伸びをする。体が随分と軽くなったようだ。本当にマリアは腕がいい。これならマッサージ師としても生活できるのではないだろうか?
くるりと振り返って、ベッド脇に立つマリアを見遣った。
「ありがとう。体がすっきりしたわ」
「いいえ。シャルロット様に喜んでいただけるなら、私も嬉しいです」
二人が笑顔で笑いあう。
シャルロットは衣服を素早く着て、ベッドを降りた。
「さてと。今日の予定はどうなっていたかしら?」
せっかくのオフの日ではあるが、なにか仕事ではない予定があっただろうか?
マリアは少しだけ考え、首を左右に振る。
「今日はなにもありません。明日は仕事が入っておりますが」
「そうなの。じゃあ何かしようかしら。時間がもったいないし……」
「ゆっくり休養されるのもいいのではないでしょうか?」
「それもいいかもしれないけど……」
シャルロットは眉をひそめて歩き出す。マリアはそれに続いた。
彼女は寝室のドアを開けて廊下を歩き、リビングへと向かう。
「掃除でもしようかしら」
ぽつんと呟いたシャルロットの言葉に、マリアが慌ててゆく手を遮るように前に飛び出た。
「それは私の仕事です、シャルロット様。なりません」
「冗談よ。言ってみただけ」
「……冗談を、さも思いついたみたいに言うのはやめてください。本気にします」
「ふふっ。そんなに慌てなくても、マリアの仕事をとったりしないわよ」
「……だといいのですが」
ふいにリビングにある壁掛けの時計を見て、もうこんな時間なのかと驚いてしまった。
「そういえばおなかが空いた……」
ぼんやりとそう呟くと、マリアがそそくさと茶菓子の用意をしようときびすを返した。
(茶菓子……)
脳裏に、この間会った扇都古の姿が浮かぶ。
「そうだわ! いいこと考えついた!」
用意したものは卵、砂糖、チョコレート、無塩バター、生クリーム。
それに薄力粉などなど……。
必要なものをずらりと揃え、シャルロットはエプロンを身につけると早速作業にとりかかった。
「シャルロット様、私がやりますので少し眠っていてください」
ぎくりとしてシャルロットは動きを少し止める。ふるいを手に持ったまま、「え?」と小さく声を返した。
「大丈夫よ。すぐにできるから」
「ですが」
「マリアはちょっと休憩していて。これからウツミのことも調べてもらうし、休んでいてもらわないとね」
笑顔で言うが、実は……マリアにキッチンに入ってきて欲しくなかったのだ。特に、調理中は。
シャルロットは着々と作業を進めていく。
チョコを細かく刻み、バターと一緒に湯せんにかける。美味しそうな匂いがあたりに漂った。
卵白のほうもしっかりとあわ立て、シャルロットは手際よく材料を混ぜ合わせていく。
都古は喜んでくれるだろうか? チョコが苦手だったらどうしよう?
(ううん、美味しいものなら、苦手なものが得意になることだってあるわよ)
そう言い聞かせて、シャルロットは紙を敷いた型の中に作ったものを流し込んでいく。
そして用意していたオーブンの中に入れて、時間をセット。
その頃になると、マリアが無言で近寄ってきた。もう彼女が近づいてきても大丈夫だ。
二人でオーブンの前にぴったりとくっつき、出来上がりを待つ。
「もうすぐね」
「…………」
「なによ、マリア」
「いえ。私も手伝いたかったと思い返していただけです」
その言葉にシャルロットがぎょっとして慌てた。
マリアの料理の腕は壊滅的なのだ。手伝わせてしまったら、大切なケーキが無残なものになってしまう。
遠回しに、マリアを傷つけないようにと断ったのだが……まだ気にしているようだ。参った。
「マリアにはゆっくり休んでもらいたかったのよ! 私はあなたのマッサージですごく元気になったし」
「ですが……」
じっとりとオーブンを見るマリアに、シャルロットは申し訳なくなる。だが……少しでも手伝ってもらったら最後、ケーキがケーキではなくなってしまったことだろう。
「……このケーキ、扇都古様にあげるために作ったのですよね」
「そうよ」
そう。シャルロットは次に都古に会ったら渡そうと、このガトー・オ・ショコラを作ることを思いついたのだ。
マリアは少々考え、シャルロットのほうを見遣った。
「しかし……また都古様に会えるでしょうか?」
「なんだそんなこと」
シャルロットは肩をすくめ、小さく笑う。
「会えるわよ。そんな気がするの。あの子とは縁があるんだと思うわ」
「あ。焼きあがったようです」
焼き上がったケーキを取り出し、そして冷ます。仕上げに粉砂糖をかければできあがりだ。
「完成〜!」
シャルロットは早速八等分に切り分け、一つをマリアの分と二人で分け合う。味見だ。
一口ずつ二人は口にし、出来上がりに満足げに笑みを浮かべた。
「とても美味しいです、シャルロット様」
「素晴らしい出来だわ。これなら都古にあげても大丈夫ね」
「…………」
「ん? なんでさっきからたまに無口になるの?」
「いいえ、お気になさらず」
……気になるのだが……。
だが気にし過ぎるとマリアに悪いような気がするので、シャルロットは「そう」と呟いて話題を切り上げた。
都古用にと、持っているインビジブル・ホールディングバッグに入れておくことにする。このバッグの中に入れておけば、ケーキは腐らず、簡単に持ち運べる。
その時だ。玄関のドアが開く音が聞こえた。どうやら妹が帰ってきたようだ。
足音が近づいてくる。
シャルロットは足音のしたほうに、笑顔で振り向いた。
「おかえりなさい。おやつのケーキができているわよ」
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