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鳥籠茶房―風切羽―
常葉・わたるは、アトリの言葉を聞いて表情を引き締めた。
――またここに来たのは偶然じゃなかったんだ。俺なりに役に立ちたいな。
店の奥へ歩み、畳の上で休んでいるムクとツグミに声をかける。
「ツグミさん、ムクさん、怪我は大丈夫ですか?」
「ああ、なんとかな」
「……お気遣い、ありがとうございます」
床に三つ指をついて一礼するツグミの片手と、悔しげに視線を逸らすムクの腕に巻かれた包帯が痛々しい。
木製の救急箱の蓋を閉じたカナリアが、わたるに振り向いて微笑んだ。
「ツグミはともかく、ムクはちょっとやそっとじゃ死にませんから大丈夫ですよー」
「おまえに言われると妙に腹立つのはなんでだろうなぁ」
「あたし、別に変なこと言ったつもりはないけど。自意識過剰なんじゃない?」
「ふたりとも、お客様の前で喧嘩しないで……」
ムクとカナリアが火花を散らし合ってツグミが宥めるのは、どうやら定番らしい。わたるは思わず小さく吹き出した。
「皆さん、仲がいいんですね」
「ムクとカナリアの場合は、喧嘩するほど何とやら、ですけれどもね」
「「アトリ!」」
後から入ってきたアトリが笑顔で補足し、ムクとカナリアが鬼のような形相で同時に抗議の声を上げる。その様子もまた微笑ましい。
それにしても、一見腕の立ちそうなムクが負傷したということは、セイロウは相当手強い怪物なのだろう。わたるはアトリに切り出した。
「えっと、お話を聞いたところによると、そのセイロウ、この山へ迷いこんで混乱してるような気もします。俺、ちょっと行ってきますね」
「ありがとうございます、どうぞお気をつけて。危険も伴いますし、形勢が危うくなりましたら、いつでもこちらへお戻りくださいね」
「はい、気をつけます」
茶房の面々にぺこりと頭を下げ、わたるはセイロウのいる竹林へと急いだ。
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生ぬるい風が竹林を吹き抜け、わたるの黒髪も撫ぜていく。重たい鈍色の雲の下をセイロウが飛び続けているようで、時折強風が吹き荒れた。竹の陰に隠れながら少しずつ移動する。
――この世界に来れるってことは、悪いやつじゃなさそう? でも、茶房のみんなを二度と襲ったりしないように、お仕置きしなくちゃ。元いた世界へ帰れたほうがいいかも。
空を見上げると、確かに巨大な影が行き来しているのがわかるが、迂闊に手を出すのは危険だろう。
――雷が鳴ったときにセイロウが動きを止めたり、怯んだりするんだとしたら、チャンスだ。
竹の一本にそっと手で触れてみる。草木と意志を交わすのも、わたるの能力のひとつだ。目を閉じて念を送る。
――今、この辺で暴れてる怪物がいるんだ。ちょっとお仕置きしたいから、協力してくれないかな。
わたるの願いに呼応するように、周囲の竹の葉がさざめいた。きちんと通じたようでほっと息をつく。
風と雲の流れ方を読む限り、数分後には雨が降り出しそうだった。雲の上でゴロゴロと雷が轟けば、風が緩やかになる。セイロウが完全に動きを止めるまで、じっと身を潜めた。
やがて、ぽつりと頬に雫が当たった。竹の葉にもこぼれ落ちた雨は次第に勢いを増す。そして、ついに空に鋭い稲光が走り、数秒遅れて劈くような雷鳴が響き渡った。山のどこかに落ちたのかもしれない。
その時、わたるの頭上でセイロウが怯えたように停止した。アトリの書物に載っていた絵の通り、蜻蛉のような姿をしている。
――今だ!
髪や服が濡れるのも厭わず、わたるは一気に走り出してセイロウの真下に着き、竹に触れて気を注ぎ込んだ。
気脈を操作された竹はぐんぐん伸びていき、セイロウの腹の辺りに直撃した。わたるは笑みをこぼす。
「やった!」
甲高い悲鳴を上げて怪物が落下してくる。わたるが急いで回避すると、竹が何本か折れ、地響きと共に怪物は地面に伏した。
雨でぬかるむ土を踏みしめながら、わたるは慎重にセイロウに近付く。成長した竹三本ほどの全長だろうか。確かにかなりの大きさだ。三対の長く赤い翅は雨に濡れて透きとおり、同じ色をした複眼がわたるを見つめた。けれど、その眼差しには敵意は感じられない。
セイロウの頭のそばに屈み、わたるは優しく問いかけた。
「おまえ、この山に迷いこんじゃったんじゃないのか? 不安になるのはわかるけど、暴れてだれかに怪我させちゃダメだよ。だからこれはお仕置き」
セイロウは弱々しい泣き声を漏らす。反省しているのかもしれない。よしよし、と頬の辺りを撫でてわたるは笑った。
アトリがこの山は他の異界へ繋がっていると言っていたけれど、セイロウが元の世界へ帰れる『道』もあるのだろうか。山自体も広大で、探すのも途方に暮れそうだ。
「帰り道、わかる?」
尋ねれば、セイロウはゆったりと翅を動かした。飛ぶ元気はあるようだ。
「じゃあ、俺が案内しなくても大丈夫かな」
微笑むと、不意にくしゃみが出た。雨に当たり続けていると流石に寒い。雷もまだ鳴っている。
――せめて、雷が鳴り止むまではセイロウのそばにいよう。
折れてしまった竹を気で治癒することも考えながら、わたるは怪物に寄り添った。
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茶房に戻った頃には身体がすっかり冷え切っていて、逆に店員たちに心配されてしまった。わたるは苦笑しつつ経緯を説明し、借りた手拭いで髪や肌の水滴を拭いた。
服は茶室の衣紋掛けに干されている。乾くまでは時間がかかるだろう。自分が店員と同じ翡翠色の着物を着ているのは、なんだか不思議な気分だった。座布団のふかふかとした感触が心地好い。
アトリが畳に漆塗りの盆を置いて微笑む。
「常葉様、本当にご無事で何よりです。セイロウは自分の世界へ帰れたのですね」
「そうみたいです。雨が止んでからはすぐ飛んでいったし、もうここでだれかを襲うようなことはしないと思います」
「へぇ。ただのガキかと思ってたが、意外とやるじゃねえか」
「ムク、失礼だよ」
あくまでもにこやかに諌めるアトリに、壁に凭れかかって佇むムクはぐっと気圧されて押し黙る。それでも悪い気はしなくて、わたるは小さく笑った。
すり足で寄ってきたツグミが、盆に置かれた小皿を取ってわたるに差し出す。
「……筍をお召し上がりになりたいとのことで、わたしがこしらえました。筍の味噌炊きです。どうぞ」
「わぁ、ありがとうございます!」
「ツグミの料理はほんと絶品ですよー」
彼女の隣でカナリアも微笑む。
筍と味噌の風味と香りが絶妙に混ざり合った煮物で、美味しいあまりあっという間に食べてしまった。おかわりもございます、と付け足されて、あははと照れ笑いをする。
――やっぱり、平和な時間に食べる料理はおいしいなぁ。
ツグミの用意するおかわりを期待しながら、わたるはセイロウの無事を祈った。
了
■登場人物■
7969/常葉・わたる/男性/13歳/中学生・気脈読み
NPC/アトリ/男性/23歳/鳥籠茶房店長代理
NPC/カナリア/女性/20歳/鳥籠茶房店員
NPC/ムク/男性/24歳/鳥籠茶房店員
NPC/ツグミ/女性/16歳/鳥籠茶房店員
■鳥籠通信■
ご来店、誠にありがとうございました。
これにてシナリオクリアとなります。
常葉様の鳥籠手帳の判子は、現在二個です。
常葉様のまたのお越しをお待ちしております。
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