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<東京怪談ノベル(シングル)>


 あらたまの春の祈りに


 数枚のチラシを床に並べて美香は考え込んでいた。
 チラシには「着物レンタル 高杉」「振り袖のご用命は伊勢屋」などという文字が躍っていて、若い女性のあでやかな着物姿がちりばめられている。
 きっかけは一昨日のことだった。
 夕飯の買い出しをしようと駅前を歩いていると、花模様の振り袖を着た女性とすれ違った。年の頃はおそらく自分と同じくらいだろう。そしてそのあとにもう一人、今度は親に付き添われた着物姿の若い女性が駅から出てくるのを見かけて、そうか今日は成人式だったのか、と納得した。
(成人式? そういえば私……)
 成人式の夜をどう過ごしたのだったか覚えていない。
 ほんの少し前の出来事のはずだが五年も昔のことのように思える。
 自分からは遠く離れたところでの出来事のようで「これで酒も煙草も正々堂々やれるぞ」などと言っては雄叫びを上げる街中の新成人たちを、無感動に見ていた気がする。
 白くふわふわとした襟巻きを巻いている振り袖姿を見ても、何も思わなかった。
 あの人たちはあの人たちの世界に生きている。私は私の世界に生きている。そういう冷たい感覚のせいで、華やかな喜びに溢れた人々の姿に一切の興味が向かなかったのだと思う。おそらくは、ほとんど目に映してもいなかったのだろう。
 人生に一度しかない成人式は他人事のように過ぎていった。
 だからその日、美香が成人式帰りの新成人たちを見て「いいなぁ」と思ったのはめずらしいことだった。
(振り袖って若いときしか着られないものね)
 今のうちに着ておきたい。
 そう思った。
 だが、着るべき機会がない。着物を着てお年賀に回るべき親戚も今やいなければ、学校の卒業式に振り袖を着て臨むという機会もない。
 まさか近所へ買い物に行くのに着物を着て、というわけにはいかないだろう。
 そんなことを考えながら駅のホームで電車を待っていると、ふと、ホームの壁に貼られているポスターが目に入った。
 そろそろ端のほうがめくれそうになっているのは、年の暮れから貼ってあるからだろう。
 ポスターには初日の出のイラストとともに、「謹賀新年 年始の初詣は白鳥神社へ」と書かれていた。



 集めたパンフレットを見比べながらよりわけていく。
 初詣にいくのなら着物を着てたっておかしくない。
 思いついたきっかけは、あのポスターだった。
 とはいえ、松の内も過ぎて正月ムードもだいぶ薄れてきた。そんななかを着物を着て参拝しにいくというのは少々浮く気もする。だが、だからといって誰が咎めだてするわけでもないだろう。そう腹を括って、着物での初詣を心に決めたのだった。
 そうとなれば着物が必要だ。
 実家にいたころならば桐の衣装箪笥を開けば、畳紙に包まれた正絹の帯と着物がぎっしりと詰まっていたものだった。金具のついた引き出しの中には、しっかりしているのに硬くはない帯締めや、白足袋に襦袢、腰当てなどの小道具が入っていて、祖母に見せてもらっては組紐の色合いや着物の柄の美しさにはしゃいだものだった。着物の畳みかたも教わった。自分一人でも着られるよう着付けかたも教わった。
 正月には家の習いとして着物を着て三箇日を過ごしたものだったが、あれらは今、自分の手元にはない。そうした家からも生活からも遠く離れてしまった。
 溜息をつきたいような気持ちを振り払うべく、着物をどうやって用意するかを考えることにした。
 買うか。
 それともレンタルするか。
 いくつか呉服屋を回ってみたが、卒業式の季節が近いからか、今時の若者向けの柄のものがほとんどだった。やたらと派手で大ぶりな柄のものが多く、品の良さに欠ける。――と、美香の目にはどうしても映ってしまう。華やかでいて落ち着きのある、という柄のものはなかなか見当たらなかった。
 着物は一生ものだから、できることならば記念に自分のものにしたい、とはじめは思っていた。
(でも、これを買うのはもったいないよ……)
 貯金ならある。といっても計画的に貯金したのではなく、日々自らを売り物にして得た給金を、うさばらしの夜遊びなどに使わずにいたらいつの間にか貯まっていただけ、という言い方もあるが、ともかくある。
 それでも、美香は「なんでもいいから買ってしまえ」と思うことができない。
 ちょっと纏まったお金を使うとなるといつもかなり悩んでしまう。
 それもこれも、一時期借金に追われて人の世話にならなければ生きていられなかったほどの酷い貧乏をした、あの時の記憶が骨の髄までに染みこんでいるのだろうと思う。
 転がり込める先があったから生きていられたものの、ガード下の築年数などさっぱりわからないような、襖も満足に閉まらないアパートで暮らした日々からは、思えばそれほど年数が経っていない。
 実際のところはアパートなどと呼べるものではなかった。「花山荘」と名前だけは雅でなくもなかったそこの一室は、右隣は飲み屋。左隣は雀荘。通りに面した窓は磨りガラスのように白く黄色く煙ったような色をしていて、これまた開けるのに一苦労した。開けたら開けたで煙草の匂いと排ガスと、据えた飲み屋街の臭いばかりが入ってくる。
 裸電球に黄色くヤニに染まった傘を被せた電灯を節約のために早々に消すと、あちらこちらから入ってくる隙間風の冷たさと、薄っぺらい壁の向こうから聞こえてくるダミ声、そして雀牌の砕ける音が、いっそう胸を侘びしく惨めにさせた。
 水道の蛇口は締まりが悪く、布団からそう遠くないところで夜通しぽたりぽたりと秒針の役目を買ってくれた。それは時々、やけに耳について美香を眠れなくした。ぽたりぽたりがあまり気にならない夜は、すなわちその日が美香にとっていくぶんか幸せな日だったということだった。いずれにしろ、そうして落ちる一滴一滴がもったいなくて、鍋にためては使った。
 あの頃は、我が身の終わりは今日か明日かという気持ちだったが、人生はわからない。行き止まりがないように思えたところに壁があったり、行き詰まって逃げ場がないと思った時に隠れた扉が現れたりする。
 自分の人生が悪い方に悪い方にと転がり落ちていっているように思えて、まさか今のように生活に不自由しないようになれるとは、あの頃にはまったく予想もつかなかった。
 今の生活と昔の生活とを思い比べると、どちらも嘘のように思えてくるくらいだ。 だが、そうなってでも、あれらの日々の一つ一つを思い起こすと、過ごした日々は間違いなく現実のもので、無かったことにはなってくれないのだということ、捨て去ることはできないのだということを思い知らされる。
 ともかくも、だから美香は、今も節約癖が抜けない。ポイントを集めたら割引になりますという類のスタンプカードは財布にたまる一方だし、閉店20分前のスーパーに駆け込んで値引きされた惣菜を買う癖も、お勤め品のコーナーを回ってしまう癖も抜けない。ましてや質が良いとも思えない着物に大枚を払う気にはとてもなれなかった。
 着物レンタル店のパンフレットに並んでいる振り袖に至っては、売り物用の着物以上に安物に見えるものが多かったが、
(3万5千円とちょっとか……。それらしく見えればいいや)
 そう思うことにして、さっそく店に電話をかけて店舗に出向いた。
 見せられた着物の中から、唯一無難そうな、地模様のある臙脂色の地に明るめの古典柄を置いたものを選んで、小さな巾着と、同じく臙脂の鼻緒がついた下駄をオプションでつけてもらった。
 サイズと柄の確認のために仮着付けをしてくれた中年女性の店員が、「着慣れてらっしゃるみたいだけど、何かやってらしたの?」などと聞いてきたが、美香は少し笑っただけで答えなかった。



 この日こそ初詣に、と決めていたその日。
 朝は暗いうちから起きた。
 いつもとは違う色を使って化粧をし、髪を少し下げた夜会巻きにセットする。あまり高く盛り上げるのは好きではなかった。
 以前ほど手際よくとはいかなかったが、着物もだいたいは思い通りに着付けることができた。
 朝日を照り返す鏡の中に、いつもの自分とは違う自分がいた。
 こっくりとした深みのある臙脂色の中に、淡い色の草花が花弁を草葉をゆったりと広げている。その上に、自分の見慣れない顔がある。
 誰が見ているわけでもないのに少し面映ゆい。鏡に向かって笑ってみたら、やたらと幸せそうな笑顔になってしまって、なおさら恥ずかしくなった。
 首元の開き具合を整えて、先だって用意していた巾着を手に取る。
 横を向いたり、背中を向けたりして鏡に映る自分の姿を楽しむのも、なんだか今日が久しぶりのことのように思えた。



 道行く人の視線が今日にかぎって無性に気になる。
 普段の方が風俗店に出入りしている自分を見る人の目を意識しても良さそうなものだが、そちらはもう感覚が麻痺しているようだ。
 出勤途中らしいサラリーマンたちが、ちらりと美香を見て通りすがっていく。なかにはあからさまな視線をよこす者もいる。
 子連れの母親らしき女性が娘に向かって「あらぁ、きれいねぇ。今日何かあるのかしら」と言っていったことからして、やはり初詣スタイルとは思ってもらえなかったようだが、「きれいねぇ」と言われたのは嬉しかった。
『そういえば今日、成人式だったわね。きれいねぇ』。
 道行く人々からのそんな言葉を、本当は聞いてみたかったのだろうと思う。それが今叶ったのだ。
 身体をなかなかにがっしりと締める着物は、自然と背中を真っ直ぐにさせてくれる。そうでなくても、今は少し胸を張りたい気分だった。
 商店街のアーケードを抜けて、交差点を渡り、橋の脇から伸びている緩やかに曲がった細い道を川沿いに行くと、行く手に重なる民家の屋根の向こうにそこだけこんもりとしている木々の茂りが見えてきた。
 引っ越してきて以来、駅のこちら側に来たのは初めてだったが、駅前とは違ってこのあたりは昔からの家が残っているのかもしれない。
 家々から聞こえてくる洗濯機の音や漂ってくる洗剤の香りのなかを抜けていくと、駅前のポスターの地図にあったとおり、そこに白鳥神社が鳥居を構えていた。
 境内を取り囲む石組みの間から、葉を落とした黒い枝々が突きだしている。節のごつごつした感じからして梅の木なのだろう。春にはきれいな花を咲かせるのだろうが、今はまだ静かで新芽も芽吹いていない。
 花の香りはしなかったが、木がたくさん植わっているせいか、どことなく空気が澄んでいるように感じた。
 鳥居を潜った後は、階段をのぼる。着物の裾が脛に絡むので、少し摘み上げなければならなかった。
 石畳を踏んで、まずは手水舎へ。
 龍の口からたえず細く流れ出している水の前に、半分に割った竹が数本渡してあった。その上には木杓子が伏せられていた。参拝客はそれほど来ていないようで、どの杓子も乾いている。
 掬った水で左、右と手を濡らし、そしてもう一度左手に掬った水を唇に触れさせる。水は指が痺れるほど冷たかった。頭上に掲げられた額の「浄心」という文字そのままに、心と身体が清められたように感じた。
 巾着の中のハンカチで濡れた手を拭い、拝殿に向かう。
 履き慣れない鼻緒が指の間に食い込んで少し痛かったが、それすらも新鮮だ。
 見かけよりも広かった境内に、古びた社が立っていた。賽銭箱の前には鈴の綱が垂れている。その綱の色の紅白は新しく鮮やかで、新年の名残を見つけられたのがこれまた嬉しかった。賽銭を投げ入れる。からん、じゃりん、と音を立てて、あちこちにぶつかりながら小銭が隙間に滑り落ちていった。
 見上げると、開け放たれた格子の向こうに御簾が降りており、その向こうにかすかに青々とした榊と白い御幣、そして大きな鏡が据えられているのが見える。
 中には誰もいない。
 自分一人の境内は、静かで、ゆっくりと時間が流れていくように思えた。
 何をお願いしようか。
 鈴を鳴らしてかしわ手を打ち、いざ願い事をという段になって、願いたいことが何ひとつまとまっていなかったことに気がついた。
 後ろで参拝を待っている客がいるわけでもない。ゆっくり考えてもいいのだが、こういう時に限ってなかなか思いつかない。
(あれ? 何をお願いしにきたんだっけ?)
 すっからかんになってしまった頭の中に浮かんできたのは、「学業成就」と「交通安全」という言葉だった。
 それは違う。学業は関係ないし、電車とバスで事足りる美香には車の運転も縁がない。
「家内安全」。自分ひとりの生活だ。
「商売繁盛」。収入がないのはとても困るが、千客万来で繁盛して欲しいと心から思えるものでもない。
 そもそも何かを祈願するための初詣でも無かった。
 成人式を楽しむほぼ同い年の若者たちのように、着物を着て、人並みの正月を過ごしたかった。
 そう考えると、それこそが願いだったのかもしれない。
 以前とくらべたなら、随分と平穏になったほうだと思う。砂の上に這うような思いもなくはないが、こうして新しい年の訪れを喜ぶことができるようになった。ならば、この平穏が少しでも長く続いてほしい。
(今年という新たな一年を、穏やかに、健やかに、事もなく過ごせますように)
 日々、明日という日に希望を抱くことができる一年になるように。
 さきほどまでは何も思いつかなかった頭の中に、呼吸するように自然に、祈りの言葉が浮かんだ。
 社を覆うようにして立っていた注連縄の巻かれた大きな杉の木が、そして周りの木々たちが、新しい風に身をそよがせて、にぎやかに、波打つように枝葉を鳴らしていく。
 天翔る白鳥が彫られた古びた欄間を見あげて、深く息を吸い、そして吐いた。
 この思いが願いが、あの白鳥の背に乗って、神々のいます天へと届いてくれますように。
 美香は社へと向かって、深く深く、頭を下げたのだった。



 <つづく>