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ふたりを別つ青
「……一定周期で赤から紫色を経て青に、青からまた赤に。つまりBr溶液はこのように反応するわけですね」
昼過ぎの理科室。液体が入った試験管を生徒たちに見せながら教師は言った。頬杖をつきながら、三島 玲奈(みしま れいな)はその話をノートに書き留める。
昼食後の授業ほど眠いものはないが、話だけは聞いておこう。
玲奈がそんな風に思ったとき。向かいに座っていた女生徒が質問した。その液が赤や青のままということはないのか、と。
穏やかに笑い、教師は首を横に振る。よほどの超自然的な影響力がない限り、そのようなことはありえない、と。
――変化を繰り返す液体。
玲奈はノートの隅に、色は常に変化する、と書き加えた。
その頃。IO2会議室では、所属者たちがあることについて話し合っていた。
『三下(みのした)』と名乗る虚無の境界の刺客が、神聖都学園に潜入するとの情報を得たのだ。
皆はしばらく議論を交わし、結論を導き出した。
刺客を野放しにするのは危険だろう。だが、あの学園にはIO2戦略創造軍情報将校である玲奈がいる。彼女ならば並の刺客には負けないだろう。それに今は情報も少ない。手を出せばこちらがやられる可能性もある。
とりあえず三下は泳がせ、玲奈に接触させる。混乱を避けるため、彼女には通達しない。
この結論をもって、会議は終了した。
その翌日。玲奈のクラスに、転入生がやって来た。
「それでは三下くん。みんなに挨拶して」
担任の教師に促され、三下は口を開いた。
「はい。三下 忠(ただし)と申します。皆さん、これからよろしくお願いします」
三下は、少女と見紛うような美少年だ。女生徒から歓声が湧き上がる。
担任の教師は三島 玲奈、という生徒の隣に座るよう指示する。三下は、一瞬怪しく目を光らせた。
三島 玲奈の席から、微弱だが不思議な力を感じたからだ。もっとも、その席の主は何故かいなかったのだが。
やはり、このクラスにIO2の所属者がいるという情報は本当だったらしい。
そう思いながら着席したとき、後ろにいた女生徒が声を上げた。
「――ねえ! 早速だけど今日の昼休みクラスみんなでバレーボールしない? 三下くんの歓迎も兼ねて、二対二でさ!」
周囲の者たちも賛同する。本当はすぐにでも役目を果たしたいが、ここで断るのも不自然だろう。
「――うん、良いよ」
「それじゃ、早くお昼を確保しなきゃ! 焼きそばパンは貰った!」
「あっ、ズルい!」
複数のクラスメートが素早く教室を出た。
パンなどに興味はないが、昼食の確保は必要か。
そう考え、三下もゆっくりと席を立った。
その頃。玲奈は必死で廊下を走っていた。口には食パンを咥えている。うっかり寝過ごしてしまったのだ。
朝のホームルームはともかく、一時間目に遅れるのはまずい。そう思いながら全力で教室を目指す。
だがそのとき、角から人影が現れた。加速しすぎて止まることも出来なかった玲奈は、その人物と激突し、廊下に尻餅をつく。
「きゃっ!」
「――すみません、大丈夫ですか? あ……」
ぶつかった相手は玲奈のスカート辺りに視線を向けている。一瞬不思議に思ったが、すぐに気付いた。
先ほどの衝撃で、スカートがめくれている。
「え……。み、見た?」
素早くスカートを直しながら、玲奈は問う。この中を見られてしまったのだろうか。
彼はしばらく黙っていたが、ほどなくして口を開いた。
「――はい」
玲奈の頬は一気に熱くなる。当然だ。見知らぬ男子生徒に秘められた場所を覗かれてしまったのだから。
「え、えっち!」
玲奈は叫び、先ほどよりも速度を上げて教室へと向かった。
そして一時間目。玲奈は理科室で授業を受けていた。
俯きながら小さくため息を吐く。先ほどぶつかったあの男子生徒――三下 忠は、同じクラスにやって来た転入生だったからだ。同じ教室にいるだけで気が滅入る。
「玲奈、元気ないね」
すると、向かいにいた友人が心配そうにこちらを見た。玲奈は事件を悟られまいと、小さな声で答える。
「そ、そんなことないよ」
「そう? あ、そういえばさ。この液、幽霊探知機に使えそうだね。こっそり貰っちゃおうよ」
友人の興味は、すぐに他のところへと向けられた。
机の上にはBr溶液の入った試験管がいくつもある。コルクで栓をされたそれは授業の資料用だそうだ。数本消えたところで誰も気付かないだろう。
「うん、良いね」
いたずら心が湧いた玲奈は、授業そっちのけでこっそりとそれを鞄に入れる。
同じように友人が試験管をしまったとき、一時間目は終了した。
「ねえ、玲奈。霊感ごっこしない? さっきの液、霊感があればきっと色の変化が止まるよ」
次の休み時間。教室へ戻る前に、友人が言った。
既に教師や他のクラスメートは理科室を出たので、その遊びをしても試験管を隠したことは露見しないだろう。だが、このようなところで自分の力を見せるわけにはいかない。
玲奈は鞄から試験管を取り出す。だが力は解放せず、軽く振ってみた。やはり色の変化は止まらない。
「――やっぱり紫になっちゃうよ」
「じゃ、私やってみるよ。結構霊感あると思うんだよね」
友人が試験管を取り出した、そのとき。
「――あ!」
玲奈は声を上げた。友人が手にした瞬間、液体の変化はぴたりと止まったのだ。
「赤のままだよ!」
友人は興奮したように叫び、試験管を振る。
「ふーん超能力ってあるんだ」
玲奈は呟く。そのとき予鈴が鳴り、彼女とふたりで理科室を出た。
「み、三下、くん」
二時間目の休み時間。玲奈は、思い切って三下に声をかけた。
「――やあ。今朝の」
「――三島(みしま) 玲奈です。三下くん、何か言うことがあるんじゃない? 女の子のスカートの中見たんだから」
とぼけた笑顔の彼に詰め寄る。考えてみれば謝罪をされていない。ここはきちんと頭を下げて貰わなければ。
「え……」
三下は困ったように目を逸らす。そんな彼にもう一度迫ろうとしたとき、担任の教師が中に入って来た。
「こら、ふたりとも何もめてるの」
玲奈は一瞬言葉を詰まらせる。だが、担任は頼りになる女性教師だ。きっと、助け舟を出してくれるだろう。
玲奈は、ゆっくりと唇を動かした。
「そ、その……実は今朝、三下くんとぶつかったとき、スカートの下を見られてしまって……」
「――なるほど」
担任は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに頷いてくれた。
そして。ほどなくして、彼女は言った。
玲奈はブルマを着用しているのだから、そこまで彼を責めるべきではない。そして不慮の事故とはいえ女性のスカートの下を目にした三下は、きちんと謝罪するべきだ、と。
「――三下くん、ごめんなさい。あたしからぶつかったのに、怒ったりして」
玲奈は担任の言葉を受け入れ、三下に謝罪した。元はと言えば遅刻した自分が悪い。彼を責めるのはお門違いだ。
「……いえ。僕のほうこそ、申し訳ありませんでした」
だが三下も玲奈を責めることなく、頭を下げてくれた。
安堵した玲奈は彼に手を差し出す。仲直りの証に、手を握り合ってはくれないだろうか。
三下は少し驚いたようだったが、すぐに手を握ってくれた。
そして、昼休み。玲奈はブルマ姿で校庭に立っていた。
三下の歓迎も兼ねてバレーボール大会をすることは友人から聞いている。昼食も、早めに済ませた。
「――あ」
組み分けのくじを引いた玲奈は声を上げた。すぐ近くに、同じ番号の紙を持った三下がいたからだ。
「三島さん。よろしくお願いします」
彼はすぐこちらに気付き、笑顔で挨拶をしてくれた。
「……うん!」
玲奈は勢い良く頷く。今日は良いプレーが出来そうだな、と感じた。
昼休みも終わりに近付いた頃。勝負は、決まった。
「すごい、圧勝じゃん!」
向かいのコートにいた女生徒が拍手をする。玲奈と三下は、夫婦のように息の合ったプレーで見事優勝することが出来たのだ。
「三下くん、ありがとう!」
「いえ。君こそ良いプレーでしたよ」
礼を述べる玲奈に、彼は優しく笑う。
玲奈は、胸がときめくのを感じた。
五時間目。玲奈は水泳の授業を受けていた。
「三島さん」
「あ、三下くん」
プールサイドで声をかけられ、振り返る。そこには彼がいた。
三下は少しの間口を閉ざしていたが、ほどなくして言った。
「――昼休みも思っていましたが、君は本当に美しい人だ」
「え……」
その言葉に頬は熱くなる。上手く返事は出来なかったが、彼はそれを責めることもなく柔らかな笑みを浮かべていた。
そして放課後。玲奈と三下は数人の友人と連れ立って喫茶店に入った。昼休みのバレーボール大会で、彼はすっかりクラスに馴染んだのだ。
並んで歩く玲奈と彼を、玲奈と理科室で話していた友人がお似合いだと囃す。
だがほどなくして、その友人は恐るべき真実に気付いてしまった。
ふと鞄から取り出した試験管が、青くなっていたのだ。霊能力があっても人間ならば赤のままだということは知っている。
つまり――彼は人外なのだ。
玲奈に、言うべきだろうか。
そのとき、玲奈と三下は少し離れた席に向かい合って座っていた。
「――三島さん。言わなければいけないことがあります」
彼はコーヒーカップを皿に置き、口を開いた。
「なあに?」
玲奈は首を傾げる。三下は短い沈黙の後、言った。
「僕は、虚無の境界の刺客です」
「えっ……?」
玲奈は、言葉を失った。
虚無の境界とは、世界人類の滅亡をはかる狂信的なテロ組織だ。IO2に所属する者として、排除しなければならない。
「――どうやら、君とは戦わなければいけないらしい。場所を変えましょう」
三下は席を立つ。玲奈は友人たちに適当な理由を説明し、彼とふたりで喫茶店を出た。
「はあ、はあ……」
玲奈は荒く息を吐く。周囲の迷惑を考え三下をIO2基地へと連れて行き戦闘していたのだが、どうしても始末することが出来ないのだ。
そのとき、彼が飛びかかってきた。不意を突かれた玲奈は仰向けに倒れる。
だが、三下は自分を殺そうとはしなかった。
「――三島さん、僕を殺して下さい」
酷く悲しげな目で彼はこちらを見る。
「そんなの……!」
そのようなことが出来るはずがない。三下とこれからも仲良くしたいのに、もっと話をしたいのに。何故殺さなければいけないのだろう。
だが、彼は優しい声で言った。
「……君が死ねば世界は滅ぶ。だが……僕は君が好きだ。刺客としての役目を果たすことより、君の手にかかって死ぬことを選びたい」
「でもっ」
玲奈は拒む。だが、彼は穏やかに目を閉じていた。もう覚悟は出来ている、ということなのだろう。
このまま放っておいても、組織を裏切った三下は虚無の境界によって消されるだろう。
ならば。ならば――自分が。
玲奈は涙を浮かべながら、左目から光線を発射し、彼を撃った。
「――さようなら」
胸を撃ち抜かれた三下は、倒れこむ。玲奈は、彼を抱きしめた。
「三下くん……」
もう、聞こえないかもしれない。だが、最後に伝えたいことがあった。
――あたしも、三下くんが好きだよ。
言葉の最後に、彼が唇を綻ばせたような気がした。
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