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<東京怪談ノベル(シングル)>


〜虹色騒動〜


「ありがとうございましたー!」
 ぴょこんと頭を下げ、満面の笑みで、ファルス・ティレイラ(ふぁるす・てぃれいら)はその家のドアを閉めた。
 彼女の仕事は「配達」だ。
 自分の能力を生かして、主に小さな荷物を、決められた場所や人のところに運ぶのである。
 たまにうっかりして小さな失敗が発生することもあるが、今のところ、彼女の評判は上々である。
 今日も真っ白な紙に包まれた何かやわらかいものを、この家の子供に届けたところである。
 送り主はやさしい老婆で、あの子供の祖母か何かなのだろう。
 今日は、あの子供の誕生日なのだと、その老婆は教えてくれた。
 あの贈り物の中身は、老婆の手作りのぬいぐるみなのかもしれない。
 ティレイラは上機嫌で、腰のかばんから少し厚めの本を取り出して、ふふ、と唇だけで笑った。
 これは今日の配達のお代なのだ。
 いつものように荷物を受け取り、配達の代金について説明したのだが、その老婆は困った顔をして、こう言ったのである。
「少し足りないみたいだわ…どうしましょう」
 実はティレイラは、こういうことには慣れっこだった。
 今までも、お金ではなく、物で払ってもらったことは何度もある。
「お金じゃなくても大丈夫ですよ、おばあさん」
 相手を安心させるようににこにこと微笑んで、ティレイラはそう提案した。
 すると老婆はほっとしたように胸をなで下ろして、「ちょっと待っていてね」と言い置き、家の奥に消えて行った。
 程なくして戻って来た老婆の手には、古びた一冊の本があった。
 表紙の革はすり切れ、かなり昔のもののように見受けられたが、老婆は目元を下げてやさしく笑い、ティレイラに差し出した。
「これはねぇ、寝る時に枕元に置くと、一晩本の中の世界に潜り込める魔法の本なのよ」
「本の中?」
「そう。一晩しか使えない魔法だけれど、素敵な世界が見られるわ。これをあなたに」
 ティレイラはおずおずとその本を受け取った。
 両手に持った瞬間、ティレイラの大好きな甘い甘い香りがしたような気がした。
 空を翔けながら、ティレイラは何度もその本をなでた。
 本には鍵がかけられていて、どんな内容なのか、ちらっとでも見ることができない。
 だからこそ、今夜眠るのが楽しみで仕方なかった。
 家に戻ると、いつもよりずっと早く寝る準備を済ませ、ベッドの中に飛び込んだ。
 枕元にはあの本が置かれている。
 かけ布団を首元まで引き上げ、ティレイラは幸せそうな顔で目を閉じた。
「じゃあ、行って来ます…!」
 頭の片隅で、本をくれた老婆がうなずく様子が見え、それをきっかけに彼女の意識は螺旋を描いて闇の中に落ちて行った。



「うわぁ…!」
 ティレイラは、赤の目を大きく見開いて感嘆の声をあげた。
 そこは、すべてがお菓子で出来ている世界だった。
 地面はビスケット、柱はツイストキャンディー、草むらや花は薄いグミ、小石はジェリービーンズ、水たまりはオレンジジュースやグレープジュース、いくつか点在する小屋の材質は板チョコレートだ。
 ビスケットの地面を蹴り、ティレイラは空に飛び上がる。
 空中から見下ろしたそこは、広い広い世界だった。
 カラフルに鮮やかに染め上げられた甘い世界に、ティレイラの目は輝きっぱなしだ。
 その視界にはお菓子しか入っていない。
 だから、この広い世界の一角で「お菓子展示会」が行われていることなど、この時点ではまったく気付いていなかった――無論、空を飛翔するティレイラに、熱い視線を注いでいる人物がいることにも。
「空を飛んでいる妖精みたいな、あの女の子がほしいわ! さあ、行くのよ、私の蜂たち!」
 地上でティレイラに目をつけたのは、この世界の魔法使いの少女だった。
 大きく振った彼女の右腕の軌跡から、無数の蜂がティレイラめがけて飛んでいく。
 この少女は過去に何度も「お菓子展示会」のコンクールで優勝したことのある実力者だった。
 彼女の持つ「お菓子化の魔法液」は、素材を虹色の飴でコーティングすることが出来るのだ。
 光の加減で七色に輝く彼女のお菓子像は、この世界でも絶賛の的なのである。
 今回の像のテーマは、「この国に迷い込んだ妖精」だ。
 彼女は得意の魔法で、何度も何度も飴細工を使って試作を重ねたのに、その部分だけが上手くいかず、ご機嫌斜めだったのだ。
 そこにちょうど飛び込んで来たのがティレイラだった。
 飴細工で一から作るより、何でも虹色に固めてしまう魔法液で素材を覆ってしまった方が、ずっと楽だと思った彼女は、ティレイラを妖精に見立てることに決めたのだった。
 歌まで歌いながら空を飛んでいたティレイラの耳に、ブーン、という不穏な物音が聞こえて来た。
「な、なに?!」
 振り返ると、巨大な蜂がこちらにつっ込んでくる光景が目に映った。
「きゃぁああ!」
 悲鳴を上げながらも、ティレイラはそちらに向かって炎の魔法をくり出す。
 一瞬で焼き尽くされる大きな蜂。
 だが、ほっとしたのもつかの間、その後ろからさらに多くの蜂が飛んで来た。
 ティレイラはまた炎をたたきつける。
 その炎で蜂がなぎ払われるのは一瞬で、すぐにまたさらに大きな蜂が襲い掛かってきた。
「こんなのばっかり相手に出来ない!」
 少々気分を害して、ティレイラは蜂の飛んで来る方向に高速でターンした。
 そのまま、蜂を操る元凶のところまで急降下する。
「見つけた!」
 少女が気がつく前に、ティレイラは急に減速して、蜂をすぐ後ろまでひきつけた。
 そして、少女がはっとこちらを振り返った瞬間に、その鼻先でティレイラは風を切りながらはるか上空へと飛び上がった。
「いやあああ!」
 少女は両腕で顔を覆う。
 そこに、巨大な蜂が方向を変えられずに激突していった。
 少女の持っていたバケツから、魔法液が宙に投げ出される。
 シャワーのように頭からそれをかぶった少女が、瞬く間に虹色に変化した。
 その表情は驚いた状態のままで、きらきらと七色に光っている。
 完全に虹色の像に変わってしまった後で、ティレイラはゆっくりとその少女の像に近付いた。
 近くには先ほどの大きな蜂も虹色の像になって倒れている。
「すごーい! 本物の飴細工みたい!」
 動かないのを確認したティレイラは、遠慮せずにぺたぺたと少女と蜂にさわった。
 後ろに回り、髪の先まで色が変わっているのをながめていた時、ふと、踏み出した足がぬるっと滑った。
「え…?」
 恐る恐る足元を見下ろす。
 すると、自分の靴が虹色に染まっていた。
「え…っと…?」
 これはもしや。
 ティレイラは、すーっと青ざめた。
「いやーーー!」
 虹色の水たまりから足を引き抜いたが、時既に遅し。
 つま先からだんだんと、自分の身体が虹色に染まっていく。
 あたふたと両手両足を振り回したが、魔法液の効果は絶大だった。
 ――やがて。
 少女の像がふたつ、ビスケットの地面の上にちょこんと並んだ。
 しばらくして、
「あら? あのかわいらしい飾りは何?」
 ほうきに乗って飛んで来ていた魔法使いのひとりが、上空から虹色に輝く像を3つ、発見した。
 彼女も、「お菓子展示会」の参加者だった。
「いい素材が見つかったわ!」
 大喜びで少女の像ふたつと、蜂の像を魔法で運び始めた彼女は、展示会で自分に与えられたスペースに、それらを絶妙な配置で飾った。
 


 数日後、その魔法使いの作品が、見事に優勝を勝ち取った。
 そのタイトルは、「大きな蜂に襲われる、小さく可憐な妖精たち」だったという。



 〜END〜