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<東京怪談ノベル(シングル)>


繋ぐ未来


 赤く、紅く染まる空。
 熱風が撫でつける大地はどこまでも炎が駆け抜ける。
 龍族との戦いはいつ果てるともなく続き、それによって最も――それも、ひどく理不尽な――被害を受けるのは、自然の営みを続けてきた星の「住民」達。
 それは自然そのものであり、植物であったり虫であったり、そして動物であったり――。人間から見てその滅び行く様が明らかなのは恐らく動物達だろう。
 震え、倒れゆく彼等。それでも懸命に生き延びようとするが、無情にも戦争による抱擁が包み込み、数多もの種が絶滅していく。その様をまざまざと見せつけられた者達は息を呑み、言葉を失い、激昂さえする。だがそれを止める術が思いつかないままに、今もまた戦い続けている。
 星を蝕んでいるのは戦火だけではない。温暖化ガス――言うまでもなく、これまでの龍族との苛烈な戦いによってCO2が爆発的に増えたからだ。まさに戦禍とでも言うべきか。
「今まで好戦的な男に統治させたら、ご覧の有様だよ!」
 ひとりの女が荒ぶる声を上げれば、男達は身をすくませる。今もモニタに映し出されるのは、斃れゆく動物たち。決して録画ではない。ライブだ。
 国連総会は戦火とは違う熱で覆われていた。各地の荒廃を見せつけられた各国の指導者や要人達。数は少ないが、しかしそこで存在感を放つのは女達だった。
 先の声の主は絶えることなく言葉を発し続け、男性退陣論を叫ぶ。国連総会に集った女達からは喝采と賛同の嵐が巻き起こり、数では勝るはずの男性指導者達はその勢いに呑み込まれ、次々に項垂れていった。
 そして――男は下野すべしの機運が高まっていく。
 それほど時を待たずして、女性絶対君主制へ移行するための憲章が起草され、あれよという間に全世界の女性による署名が集まった。それも、約二十億人分だ。男性指導者達にとってそれは悪夢でしかなく、女性絶対君主制を阻止すべく頑迷に抵抗を続けていく。
 国連――既にその「力」は女性のものとなった――は、抵抗する男達を一蹴すべく元草案者である女性を招聘し、演説を試みようとした。しかしその女性は既に学会を追放されて隠遁生活を送っており、招聘が困難な状況にあった。
 その女性の名は、藤田・あやこ。
 ――龍族の脅威を永きにわたって指摘するも、黙殺されてきた科学者だった。


「まったく、面倒そうな依頼だな……」
 草間・武彦は手元にある資料を眺め、溜息を漏らす。
 数日前に草間興信所に持ち込まれた依頼は、藤田あやこという女性を捜せというものだった。ただ人を捜すだけならまだしも、「失踪した科学者に国連での演説を頼むための捜索」という、明らかにやっかいなオプションがついている。
「まあ、心霊が絡むわけではないし……仕事がないよりはマシか」
 武彦は言いながら、ふと気づく。
「この台詞……前も言ったなぁ」
 そう、依頼を受ける際にも発した言葉。その言葉は半ば自分に言い聞かせるようなもので、武彦は思わず苦笑する。
「それにしても、この旅費は依頼主……国連から出るんだろうな?」
 資料から顔を上げた武彦は、周囲を見渡して肩を竦める。なぜならばここは東京でもなければ日本でもない。吐息は白く、肺に入る空気も冷たかった。道中、見かけたのは枯れたカエデの木。その葉を描いた国旗も時折見かけた。
「カナダ……かぁ」
 がりがりと頭をかき、武彦は白い溜息を吐いた。

「演説? 何を今更!」
 あやこは武彦を睨み据える。彼から手渡された国連からの資料を破り捨て、「帰って」と背を向けた。
「そう言われてもな。こっちも依頼を受けた以上は、このまま帰るわけにはいかない。それに……その資料、まともに読みもしないで捨てることはないんじゃないか?」
 意味深に言う武彦。あやこはその言葉に何か含みがあるような気がして、破り捨てた資料を拾い上げた。幸い、細かく破ったわけではなく、簡単に繋ぎ合わせて内容を確認できる。まだ不快な表情を浮かべたままあやこはそれを読み進み――やがて、目を見開いて顔を上げた。
「これ、は……」
 あやこの掠れる声に、武彦は頷く。
 そこに書かれていたのは北極圏にあるポイントで、絶滅したはずの白熊――ホッキョクグマが目撃されていること。そして捜索隊が現場付近に陣取っているということだった。
「生きて……いた……?」
 そこに大きな希望を見いだしたあやこは、何度も何度も資料の文字を目で追っていく。
「まだ、間に合う……」
 地球は、救える――!
 あやこの顔に、双眸に、希望の光が戻る。
「一緒に来て」
 そう言ってオッドアイで武彦を見つめれば、武彦も「乗りかかった船だ、仕方がない」と小さく頷いた。
「旅費は国連が出してくれると信じる」
 最後に、そう付け加えて。

 北極圏における海面の露出具合は、温暖化が騒がれ始めた頃の比ではない。崩壊を続ける氷山、荒れ狂う海面。動物――特にほ乳類は生きていくのも厳しく、一部の海獣以外の姿はほとんど確認さえされなくなって久しかった。
 だが、情報通りその白熊はいた。
 あやこは武彦と共に、白熊を観察する。頬を刺す冷たさも気にならない。ただただ、白熊へと、その命へと、全神経を傾ける。
「……心音が、ふたつ?」
 とくん、とくんと、和音のように重なる心音を捉え、あやこは息を呑んだ。
「ふたつ? まさか……」
 武彦がハッとする。一頭の白熊に心音がふたつ。それはつまり――身重の雌熊であることを意味していた。
「……女は生産的に生きられる」
 生命を育み、未来へと繋ぐことができる。たとえ、戦乱が続く不毛世界であっても。あやこはそこに明るき光のさす未来を確信した。
 ここにいるのはあの雌だけだが、身重ということはどこかに雄がいるはずだ。既にその命が果ててしまっている可能性もあるが、しかしその雄以外にも仲間がいる可能性だって否定できない。いくらでも浮かぶ可能性はそのまま希望への糸となる。
 あやこが頬を緩ませた、そのとき。
「あんたたち、早く逃げろ! 今、ここを観測している気象台から警告が――!」
 付近にいた捜索隊のひとりが、二人の元に駆け寄ってきた。彼の話によると、この一体の氷河が崩壊しつつあるという警告が気象台から発せられているというのだ。
「逃げる前にやることがある!」
 あやこは立ち上がり、白熊へと向かって駆けだした。
「おい、待てよ!」
 慌てて追う武彦。足下は揺れ始め、自分たちもかなり危険な状況であることは嫌でもわかる。だが、白熊を助けようとするあやこを放っておくことはできない。その時、白熊はこちらに気づき、人間達の姿に驚いて反射的に逃げ出した。
「そっちは駄目……っ!」
 叫ぶ、あやこ。白熊が向かう先には――深淵へと口を開けているクレバス。
 クレバスは徐々にその口を大きく広げ、白熊を招き寄せる。揺れる足下にバランスを崩して速度を落とす白熊。
 あやこはなんとか白熊に追いつくことができた。それでもなお、白熊は少しずつではあるがクレバスへと向かっていく。人間に意識を奪われ、眼前の危険に気づかないのだ。
「……、……止まりなさい……っ!」
 あやこは腹の底から声を張り上げてクレバスと白熊の間に滑り込む。そしてぐっと足を踏ん張り、両手を広げて白熊を見つめた。
 穏やかで――優しい眼差しと、共に。
 その思いが通じたのか白熊は足を止め、一瞬だけあやこと視線を交わらせた。
「反対の方向へ逃げなさい。あの人間のいる方向へ」
 静かな、声。彼女の指は、追ってきた武彦を指す。それに従うように、白熊はクレバスから離れて武彦の元へと向かっていく。
「よかった……」
 あやこが安堵の溜息を漏らした、その瞬間――。


「我が身を犠牲にしてまで、身重の熊を助けた彼女の姿をご覧いただけたか!」
 国連に響く、万雷の拍手と賞賛。
 誰もがモニタに釘付けになり、ひたすらに手を叩き続ける。
 クレバスに……氷河に呑まれゆくあやこの姿は、そこにいる全ての者達の感情を揺さぶった。
 もう誰も、人類の統帥権を女性に委ねることについて異論を唱えたりはしない。
 唱えられるはずもない。
 あやこの、最期の瞬間を見てしまったのだから――。
 満場一致で可決される、女性絶対君主制。
 高まり続けるあやこへの賞賛の声。
 この場への立ち会いを許されていた武彦は喫煙室でひとり、複雑な顔で紫煙をくゆらせる。それはまるで、カナダで漏らした吐息の色のようだ。
「……でも、あいつは戻ってこないがな」
 その言葉は、賞賛の声にかき消されて誰の耳にも届かない。

 ――数ヶ月後、白熊は無事に出産を遂げた。



   了