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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


春の魔法

 シリューナがその館に興味を持ったのは多分、必然であろう。
 人間が自然を破壊するという噂が流れ、温暖化だの天候の不調だのの話がニュースを賑わわせるようになって久しい、これはそんな春を間近にした人間とは異なる種族の話である。
 春風にも似た、まだ肌寒い風を感じながらシリューナはいつものように、自らの気に入った調度品や家具、そして本といった趣向品を眺めていた。
「お姉様、今日はどこかお出かけになるんですか?」
 ファルス・ティレイラもいつもの如く、シリューナの傍らで魔法の師である彼女へ、懐いた子犬のように振舞っている。
 どちらも美しい女の姿であり、長い黒髪は風に乗って淡い香りを放っていた。
「そうだな、遠出ではあるが妙な館の話を聞いている。今日はそこへ出かけるつもりだが、ティレ」
「はい、用意はちゃーんとしてきますっ。お姉様」
 毎回シリューナはティレイラと共に怪しい噂、いわく付きの場所へと繰り出している。
 それは、いつも知的好奇心からではあるが同時に弟子の愛らしい姿を観賞する為でもあった。
(全く、ティレは疑うことも知らんのだな。とはいえ、この屋敷には私も何があるか、予測はついておらんが)
 二人でどこかに出かけるということはティレイラにとって、貧乏くじを引くということでもあった。だと言うのに、こうして嫌な顔一つせずにシリューナについて来るということは、弟子なりの好意なのだろう。
 黒髪の中に一房の紫が踊るティレイラの髪が、嬉しそうに出かける準備をする。それ一つを見ても可愛い弟子だとシリューナは思った。
「さて、私も着替えるとするか」
 人間ではないシリューナにとって、人間の感じる肌寒さという概念はあまり関係のないものであり、露出の多いドレスを着用することが多々あるが、こうしていわく付きの場を訪れる場合、魔法の力を込めた布で仕立てた物を着るにこしたことはない。
 ティレイラが暢気に昼食のサンドイッチを用意する姿を横目に、シリューナは寝室へと足を運ぶのであった。



 春の魔法という言葉を知っているだろうか。
 魔法という定義は多々あり、それはシリューナ一人が考え付いたものではなく、数多の人間、そして人間ではないものの知恵の総称だ。
 魔法以外にも魔術などといった呼び方もあるが、今回訪れる館はその春の魔法の噂を聞くいわく付きの場所である。
 春、連想するのは草花や天候の暖かさ、風の温もり。
(どれが出ても特におかしくは無いが……それだけではないだろう)
 例えば、今回の館は古い洋館だ。石造りの館から突如現れる蔦や、室内で雷が鳴り響こうとも『魔法』の範囲内でならばおかしくはないとシリューナは思う。
「お姉様、考えごとですか?」
「館についてちょっとな。ティレ、お前は何も思うところがないのか?」
 目指す洋館は山奥にひっそりと佇んでいるらしい。
 魔法と、そして文明の利器に頼って山中までの道のりを行き、普段着に少しばかり手を加えたような軽装のティレイラへ疑問を投げれば矢張り、小首を軽く捻るだけであった。
「そ、そりゃあ、変なことは無ければいいなぁ、って思いますよ? でもそれ以上は何も……」
 つまり、館で危機に出くわしてもその対策はティレイラには無いということである。
(暢気なものだ、我が弟子ながら……)
 明るく微笑み、幸せそうに歩くティレイラの後姿を眺めれば、こういった危機感の疎さへも多少許せる気もしてくる。が、シリューナは彼女を許しながらも弟子として厳しく、先に現れた洋館が視界に入れば射るかの如き真紅の瞳で見据えるのだった。



「お姉様ったら、やっぱりこういう時に限って一人にするんだもん。心配するとしたらこういう時よ」
 現在、ティレイラは一人で石造りの洋館を探索している。
 服装はシリューナのような魔法で織られた物でもない、ごくごく普通の春先セーターに山中という事でロングを意識したスカートをチョイスした。あくまでも意識であるので、スカートは膝が出てしまっているがそこは少女なりのセンスということにして欲しい。
 兎に角、洋館に着いた直後相変わらずの知的好奇心に囚われたシリューナはティレイラと別れての散策を提案し始めたのだ。
「確かに、毎回それでお姉様の欲しかったものとか、見たかったものが手に入るのは知ってるけど……」
 二手に別れるから見つかるものがある。それはティレイラも知っている。
「でも、毎回毎回……石になるのも氷になるのも、怖いんだから……」
 最終的に探し物の後、待ち受けるのは自らの貧乏くじだ。師弟関係になってから今まで、ティレイラが身体を張っていなかったことがなかっただろうか。
 けれど、結局いつもそうした結末が待っていても、着いて来てしまうのはティレイラがシリューナを慕っているからなのである。
「ここは、っと。地下かぁ……お姉様の気に入ったもの、見つかるかなあ」
 別れてから数分と経たてずにティレイラは洋館の地下へ続く道を見つけ、その廊下を歩いている。実に簡単に、警戒すら見せずに歩くのが自らの失敗の元であることは相変わらず気付かず、地下室の扉を開けば大きな音と共に零れる埃へ、咳をしながら前方を見やった。
「けほ……けほっ! ほこりっぽい……っ。はー、古いものは沢山あるけど、私には全部凄すぎてわからないかも……」
 この洋間へ足を踏み入れた時、シリューナにもティレイラにも確かに、いわく付きの『いわく』の影が見えた気がしたのだ。しかし、そうは言ってもまだ弟子として半人前である彼女に古いもの、師の好む物の良し悪しは区別できるものではない。
 眼前に並ぶは、石造りの館に相応しい『石』或いは『埃まみれの石のようなもの』で出来た彫像やレリーフばかりだ。
「綺麗……だけど、気味が悪いな」
 中でも、髪の長い美しい女と異界の者のような、鱗のついた生物を足して割ったかの如きレリーフは目を見張るものがあり、ティレイラも数秒足を止めるに至った。が、『いつものこと』とこの場を考えれば長く居るわけにもゆかず、立ち去ろうと踵を返す。
「……! ぁ、やっぱり……ッ!」
 レリーフの女に見惚れずに、すぐに背を向けていれば良かったと、立ち去ろうとしたその背に悪寒を感じてティレイラは相変わらずの後悔をした。
 瞬時の判断が命取りになると、いつもティレイラは痛感している。
 背を向けた筈のレリーフから異常なまでの魔力を感じ取り、振り向いた時は既に遅し。ティレイラの自由はレリーフから放たれる魔力によって封じられ、顔を強張らせるのが精一杯であったのだ。
「で、でも……負けない、んだから……!」
 レリーフから放たれる魔力は魅了。心地の良い波長がティレイラの脳内を満たし、このまま身体を委ねてしまいたいと言う心持ちにさせる。
 それに対抗しようと全身の魔力を高め、レリーフを遠ざけるよう念じるのが精一杯の抵抗だった。
 向かい合うレリーフとティレイラ。次第に、レリーフからはその象徴である女の幻影が姿を現し、美しい女の裸体がこちらへ手を差し伸ばしてくる。
「こ、来ないで……ッ!」
 今使える魔力を開放し、抵抗しても先手を打たれたティレイラに勝ち目は無い。
 レリーフの女の動きは緩やかであったが、美しいと賞賛できる柔らかな笑顔は勝ち誇ったかのように、両の腕でティレイラを抱き締めるよう、包み込み、冷たい身体に抱き締められてしまえばなけなしの抵抗すら奪われた。
「おねえ……さまっ……」
 女の腕の中で、ティレイラの強張った表情すら恍惚に変わる。
 それは、魅了の魔力に懐柔されている証でもあり、抵抗していた魔力が無くなった頃には身じろぎする身体が徐々に石化を始めていった。
「あ、ぁっ! また……」
 頭の中ではシリューナを呼んでいる。しかし、魅せられた身体は石化を選んでいる。
 爪先が石になり、無機質になっていく感覚、石造りの床と自らの身体が放つ硬質な音が恐怖である筈だというのに、奇妙な悦楽を運んだ。
「……ごめん、なさ……」
 お姉様、ごめんなさい。
 意識が薄れゆく中でティレイラは最後の力を魔力ではなく、師への言葉へ変え、紡ぐのであった。



「まったく、困ったものだ。いわく付きだということは承知していたが……こういう意味だったとはな」
 シリューナの目の前で弟子――ティレイラが石化していく。ぎちぎちと音を立て、レリーフの女へと引き摺られる度に石同士の肌が擦れ合う音が耳をついた。
「それは私の弟子だ。返してもらおうか」
 レリーフの女は微笑んだまま、弟子をどこか別の世界へ連れて行こうとしている。それを遮るように声を出して、シリューナは一歩前へと出る。
 まだティレイラは完全に石化しているわけではない。しかし、表面上は石化しているし、レリーフの女を倒したとしても一時的な石化は止められないだろう。
(面倒なことを……と、言いたいがこれもまた良い趣向といったところか)
 毎度のことながら『いわく』に良いようにされる、そんなティレイラをシリューナは趣向品のように愛でているのだから。
 弟子の身体が全て石となり、レリーフの女にこの世から連れ去られる寸前、シリューナは自らの力強い魔力をティレイラが傷つかないよう、細い雷として放った。
 暗い地下室に響く轟音。雷の音色とレリーフが崩れ落ちた岩のような不快なリズムが鼓膜を震わせる。
「春の魔法とはよく言ったものだ。所詮はまがいもの、力の前には上手く機能せんではないか。――だろう? ティレ?」
 春を意味する単語。それは季節ではなく、女の色のことを指すのだとシリューナは理解して口元に笑みを浮かべた。
 視線の先では粉々になった女の残骸を纏ったティレイラがレリーフとなり、恍惚の表情を浮かべながら文字通り、石化している。
「反撃は早い方が良い。が、ティレ、お前の場合はまず気付くことから始めなければいけないな」
 声色こそ厳しいが、シリューナは満足げに眉を下げ、ティレイラの硬い身体へ指を伸ばす。
 大丈夫、この程度の魔法であればシリューナの魔力で解くことも、永久に保管することだって可能なのだから。魅了の魔力とはいえ、色香に負けた弟子への罰はしっかりと行うつもりで少女の細い顎を撫でる。
「永久とまではしないが、ティレ。師である私の手を煩わせたのだ、しっかりとその身に罰を受けてもらうぞ?」
 灰色のティレイラの瞳は今にも涙を流し、赤く染まってしまいそうな印象があるが、生憎と暫く弟子はこのまま、レリーフとなってシリューナに可愛がられる運命を辿るのだ。
 少女らしい体つきに触れ、同族の魔力を放ちながらも石である身体にシリューナはうっとりと瞬きを繰り返し、その喉に指を這わせた。
 春の魔法がもし、この館全体のものなのだとしたら、シリューナもその罠にかかったことになるだろう。
 弟子のレリーフに酔いしれる、これもまたティレイラの色であるのだから。

END