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舞台化粧
芝居の『役』というものは自分とは別の人間だ。
否、自分とは別の人間を、自分なりに演じるのが役者というものだろうか。それは個々の考え方によるものであるが、役者十人が居たとして数人はこの答えで役を演じているだろう。
スポットライトの当たる主役、影に徹する脇役。黒子とて役の一つとして数えて良いと青・蓮は思っている。
劇場の舞台上、白粉を厚く塗り、口元目元には鮮血の如き紅を敷く。青・蓮は女形として有名な『青年の役者』であった。齢はもう三十五を超えていたが整った顔の作りは端正であり、化粧をすれば年齢や性別すら感じさせない。
舞台の光と音色の一つが鳴り響き、蓮が男にしなれば観客からは見惚れたような溜息が零れた。日本という国にして外国人とされる異国の者が集い、多く住むこの地区で、蓮もまた自分と同じ大陸の地が流れる客の前で踊り、そして一人の役を演じる。
女形に必要なこと、即ち相手役との熱烈な愛情表現には大陸の人間だけではなく、日本人の客達も熱い視線を送った。
役者とは、つまり自らではない、けれど他人でもない曖昧な意識に身を置くことに他ならない。
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「お疲れ様でした。連さん、今日も凄く良かったですよ!」
「そうですか? 有難う御座います」
舞台が終わればようやく、役者達は自分本来の姿へと戻っていくのだ。
かつらを脱ぎ、それをかぶる為に施した髪への処置を解きながら舞台化粧をした自らの顔を見る。
「そうだ、連さん。君が俺にしなだれかかる場面あったでしょう? あの場面なんだけどさ、観客の要望が結構多くて」
「強すぎますか? 僕としてはもっとこう、掴みかかるくらいで丁度良いと思っていたんですが」
「それは俺も、思うところがあるんだけどね。観客が観客だからなあ……」
舞台化粧を落とそうとすれば、相手役の男が本日の舞台、演技内容について蓮へ持ちかけてきた。
大陸、つまり中国の人間と更には日本以外の国、そしてこの国と客が入り混じれば価値観の相違という物もよくあることであり、特に恋愛感情のこもる場面となれば口付けの要望を出してくる客もいれば、その逆を求めてくる客もいる。
「どっちつかずが一番だと思う。あんまりやりすぎると座長さんが困っちゃうから」
「……そう、ですね」
芝居とは芸術である。役者個人個人が表現したい『役』があり、それに対しての信念もある。だが同時に芝居とは観客の娯楽でもあるのだ。役者個人の意見で観客の機嫌を損なうのは一座にとって大きな痛手となってしまうのだから。
「ではそうします、座長さんには……」
「うん、そう伝えておく。逆に座長さんからもごめんね、って伝言」
相手役の男がそう言って去っていく姿に連は頷き、少しだけ口元を下げた笑みを零した。
舞台から下り、こうして楽屋で話す時は皆、日本語で会話をしている。中には母国語で会話をしたがる者も居るが蓮は日本語で会話をする。
厚塗りにした化粧で朱色に染まった目元を専用の化粧落としでふき取れば、その下は大陸人特有の特徴が現れた、自らの顔が鏡に浮かび上がった。
(中途半端ですね。舞台もそうならば、僕も……また)
所謂吊り目と言われる独特の顔立ちから、更に化粧を落としていけば日本人特有の幼い丸顔が顔を出す。
これが連を女形として舞台に立たせる商売道具となるのだが、自らが鏡を覗けば、そこにいるのは役者の『青・蓮』よりも、大陸人と日本人の血が混ざる中途半端な存在の男が一人、居るだけであった。
全ての化粧を落とし、纏めていた髪を自由にして衣装を脱ぎ捨てる。また、普段着る服へと袖を通せばただの男でしかない。
「それでは皆さん、お先に失礼します。明日の公演も頑張りますので」
「はい、宜しくね、連さん。お疲れ様」
劇場とはいえ、芝居小屋のようなこの舞台は小さく、楽屋も畳張りの古いものだ。そこを役者が団子のように衣装を着て、化粧をする。この不思議な夢のような世界に蓮は生きている。
(頑張るとは、どういうことを言うのだろう)
例えば、役をやりきることが『頑張り』だとするならば蓮はきっと、頑張ってなどいないのだから。
劇場を出る一歩一歩の道を踏みしめながら、考えることはいつもそんなことばかりだ。日本という国で他国の人間相手に芝居をすることの難しさ。そして、自らに流れる日本人の血と大陸人の血に苦悩する。
連の舞台はそうやって出来ているのだ。
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「レン、今日もいい芝居、できたー?」
帰り道に声をかけてくるのは大陸人の少年だ。まだ日本語も上手くはなく、蓮の名前も時折大陸人の名前で呼ぶ。
「うん。まぁまぁなんじゃないかな?」
「まぁまぁ? まぁまぁ、なに?」
劇場付近は中華街になっており、蓮の住む家もそこにある。あまり帰ることの無い家だが、自らの血がそうさせるのか、時折無性に家へと帰りたくなった。
「普通、ってことかな。でもお客さんからは沢山拍手を貰ったよ」
「はくしゅ! はくしゅもらう、お客さんはいるからお金もらう?」
「うん、そうだね。明日も客席は満員かな」
少年は蓮に懐いていた。いや、大陸人の血が流れている自分にこの中華街は優しかったのである。
元は同じ国の人間達が集まって住むこの場所、それは一つの血によって繋がった、いわば家族が住む街と言っても過言ではない程だ。
「こら、連にあんまりちょっかい出すんじゃないよ! まったく、うちの子は。さっさと店に戻って、商売始めるよ!」
「お母さん? あ、レン。また、ねー!」
朱色と仄暗い影が印象的な中華街に野太い中年女性の大陸語が響く。と、蓮へ話しかけていた少年は日本語と大陸語を混ぜながら、こちらへ何度も手を振って別れの挨拶をして消えていく。
「――またね」
同じように手を振った、蓮は日本語でそう返した。
実の所、この中華街においても蓮を嫌う者も居る。
比較的若い――先程の少年位の子供や少女ならばなにも疑うことなく蓮へ笑顔を向けてくるが、その親の世代となれば話は別だった。
蓮の身体に流れる血は半分が大陸人であり、もう半分は日本人の血である。身内に優しいこの街がどこか自分によそよそしい態度をとる時は大抵それを意識している時なのだから。
(溝、と言うには歴史が流れすぎています。ようは、これも血、ですか……)
例えば、未だ大陸とこの国が戦争中ならばこういった態度も理解は出来る。が、既にそんな時代も過ぎてしまったのだ。
中華街を一歩、外に出てしまえば大陸人も日本人も揃って食事をする光景も珍しくはないし、蓮の居る芝居小屋でさえ同じ空間に様々な人種が観客として座っているのだ。他人に対して他人行儀であるというこの様子は、この街独特の風景なのかもしれない。
「どこも同じだと言うのに、妙な話です」
蓮は笑った。眉を下げ、吊り目を柔らかくしならせながら。少しだけ悲しそうに笑った。
舞台が終って既に数時間が過ぎ、夜の帳はこの街に忍び寄ってくる。朱色と仄暗い影が光に包まれ、まるで夢の国の如き色を放つまであと数分である。
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人間とはおかしなものだ。やれどこの国の何が悪いと思えば、列を成して抗議活動を行う。そんな光景も、規模は違えどどの国でも同じであり、日本でも当然のことである。
あれが悪いと抗議をした後、まるで何も無かったかのように『悪い』と言った相手と酒を酌み交わし、笑う。これでは一体何がいけなかったのか分からない。
蓮もまたそうであった。
成人して久しい現在では違和感として感じることは少なくなったが、子供の頃は大陸人と日本人の子という身分はどこに居ても珍しい、の一言に尽きたのである。
学校へ行けば異国の血が混じった容姿を美しい、奇妙と称され、どちらかの血を嫌う、ないし好いていれば苛められ、後者ならば贔屓によって生まれる差異に周囲が良い目をしなかった。
それは当然、大陸で父の事業が破綻し、一家離散の憂き目に遭った時に爆発した。どの国も同じ、金の無い人間は嫌われるのである。
蓮の場合、その矛先は二つの血を持つことについての苛みであったというだけの話で。きっと、どの場所でも変わらない。ただ、悲しい出来事であった。
(頑張って生きてきましたよ)
華々しく輝きを放ち始めた中華街を歩きながら、蓮は幼い頃の境遇に思いを馳せ、夜の暗がりに負けじと、電飾で着飾る風景を眺める。
彼らとて、一生懸命頑張っている。働いて、金を稼いで、時折蓮の公演を観に来るのだ。
「――……もしもし、すみません。座長さんですか? はい、蓮です」
中華街の様子と、思い出せる限りの日本、東京の街を思い出して、蓮はふいに携帯を手にすると自らの演じる劇団の座長へ、連絡をとっていた。
「先ほどの演技指導についてなのですが、矢張り僕自身の思うとおりにさせて頂けませんでしょうか? ええ、無理なようでしたらその次では座長さんの言うとおりにします。はい――有難う御座います」
一生懸命生きている。それはどの国の血が流れていても同じだと思ったのである。
蓮の人生はまだ三十六年しか経っていないが、思い出の中の人物達は精一杯生きていた。
だからこそ、自分も演じることへ、『役』に対して精一杯であろうと決心をしたのである。たとえ、それが万人に受け入れられないものだとしても、誰かに感動を一度でも与えられればそれが一番の喜びなのである。
「レンー! がんばってー!」
光り輝く街を縫って、寝床に帰る蓮へ、あの少年が彼の家が営む店先で、手を振って自分を応援していた。
それだけで絶対に、明日も舞台の上で蓮という名の『役』は花開くだろう。
終
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