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<東京怪談ノベル(シングル)>


     The Call Of Minamo

 宵闇に沈んだ町の底の方、夜景を彩るネオンライトもろくに届かない裏通りに少女の叫び声が響いた。
 しかしその悲鳴は長く続くことなく夜のこぼした墨に溶けるようにして消え、声を発した少女自身の体も薄れていく。その場に残されたのは、今まさに消えようとしている者とまるっきり同じ姿をした、しかしもう一人の別な少女だ。
 何てことかしら、と「彼女」はいらだたしげに歯噛みした。
 『やっと人間になれたと思ったのに、すでに”あたし”が何人もいるなんて。』
 うかつだった、と「彼女」は苦々しく思う。まさか仲間に出し抜かれるなど、想像もしなかったことだ。
 「彼女」は、かつて同胞であった少女が消滅するのを凍えた瞳で見送ったあと、くるりときびすを返し表通りへと向かった。
 「おっと。」
 横道からふいに姿を見せた「彼女」にぶつかり、熊のような体格の男がそんな声をあげる。しかし、「彼女」の体はまるでテレビの画面にノイズが入った時のようにブレて、確かに触れ合ったはずの両者に何の衝撃も与えなかった。ふり返る男に目もくれず、「彼女」は眠らぬ町の雑踏にまぎれ込む。もしや仲間を「消した」ところを見られただろうかと頭の隅で思ったが、すぐに「彼女」はそれを気にしないことにした。
 『あたしがあたしになることに、誰にも文句なんて言わせない。このあたしが、ただ一人の”海原(うなばら)みなも”になってやるんだから。』

 みなもはバイトを終え、同僚たちに礼儀正しく挨拶をして店を出たところで、携帯電話に雨達(うだつ)からの着信があることに気が付いた。バイトをしていた数時間に十回近くかかっている。雨達は暇が売りのオカルト専門の探偵だが、理由もなく何度も無駄な電話をしてくるほど非常識な男でもない。
 みなもはわずかな間、携帯電話の画面を見つめて考え込んでいたが、やがて発信ボタンを押した。すると三度目を待たず呼び出し音が途切れる。
 「嬢ちゃんか!」
 という聞き慣れた太い男の声がした。
 「こんにちは、雨達さん。お電話いただいていたのに、すみません。バイト中だったんです。」
 「バイト……そうか。もしかして昨日の夜もバイトをしていたか?」
 「昨日? いいえ、昨日は特に用事はなかったので、家で宿題をして、あとは普通に寝ましたけど……。」
 みなもがそう答えると、雨達は一瞬の沈黙のあと、「昨日の夜遅く、お前さんを町で見かけたんだ。道でぶつかりかけたんだが……怖い顔で黙って行っちまったから、おかしいと思ってな。」と言った。その声音はやけにかたい。
 しかし、みなももそれを不思議には思わず、同じようにこわばった口調でこう応じた。
 「そのことで、あたしも雨達さんに相談しようかと思っていたところでした。」
 「何?」
 「最近になって急に、いるはずのない場所であたしを見たって言う人が何人も現れたんです。声をかけようと思ったけど、何となく雰囲気が違ったって。」
 みなものこの言葉に雨達はまたしばらく電話の向こうで黙り込んでいたが、やがて苦い口調でこう口を切った。
 「どうやら思い過ごしじゃなかったみたいだな。おれの調べた限り、お前さんの偽者が何人かいるみたいだぜ。」
 「あたしの偽者ですか? 何人も?」
 「ああ。おれは今、神隠しみたいな失踪事件を追っているんだが、誰も彼も町中でふっといなくなっていてな、目撃者の話によると、失踪する直前に嬢ちゃんによく似た容姿の女の子と一緒にいたらしい。それで昨日も目撃証言の多い繁華街近くを張っていたんだが……そうしたら、お前さんそっくりの女の子が二人いるのを見つけた。そしてそのうちの一人だけが消え、残った方はおれにぶつかったが、まるで顔も知らない他人のような態度でどこかへ行っちまった。」
 それを聞いてみなもは小さく息を呑んだ。
 「それは……どういうことですか? 失踪したのは全員”あたし”ということなんですか?」
 「いや、行方不明になっているのは、れっきとした別人だよ。これはおれの勘だが、偽者の嬢ちゃんには二種類いるんだと思う。人に声をかけて失踪事件を起こしているのと、そいつを消して回っている狩人みたいなのと。実際、失踪した者のうち何人かは無事に戻って来ているみたいだしな。たぶん、さらった側が消されたからだと思う。」
 「どうしてそんな……。」
 『”あたし”を盗んだからよ。報いは当然でしょう。』
 ふいにみなもによく似た、しかしもっと悪意や憎しみのこもった声が二人の会話に割り込み、恨みの言葉を流し込んだ。それに驚いたみなもは、「雨達さん。」とかすかに震える声で電話口に呼びかける。
 「少なくともその一人は、今ここにいます。」
 「何だって?」
 携帯電話を握りしめるみなもの目に、自分と同じ姿をした少女のどこか薄気味悪い、人間離れした笑顔が映っていた。
 『見つけたわ、”あたし”。』

 元は携帯電話の付喪神(つくもがみ)である「彼女」にとって、電波を探知することなどさほど難しくはない。携帯電話としての器をすでに失っているため情報を得られる範囲は限られるが、「彼女」は以前みなもを自身の中に取り込んだことで、残像のようなデータを所持している。本物のみなもが近くで電波を飛ばせば――つまり携帯電話を使えば、そこから居場所を突き止める自信が「彼女」にはあった。それは、データから生み出した「イメージ」に憑(つ)いているためにブレの生じる「不完全な人間」、付喪神と人の中間の存在である今の「彼女」だからこそできることだ。そしてそんな「彼女」には、人が体内に様々な情報を送る際に発生させるわずかな電流を乱し、幻覚を見せることも可能である。
 気がつけばみなもは、町の中から一変してどこまでも先がなく光もない、闇の中に一人落とされていた。
 「どうした、大丈夫か?」
 手の中にある電話から響く雨達の声だけが、かろうじてみなもを現実につなぎとめている。
 「彼女」はみなもの電話がつながったままであることに気付いて、小さく舌打ちをした。先に電話を強制的に切っておけば良かった、と「彼女」は思う。前は欲張って目標以外の人間も同時に取り込んだせいで、器を破壊されるという失態を犯したのだ。そして「彼女」の前の器を壊した人間こそ、電話の先にいる雨達なのである。
 「あなた……あの時の携帯電話なの?」
 『そうよ。』
 みなもとそっくり同じ顔で「彼女」が口の端をつり上げて笑った。
 それにみなもは嫌悪にも似た恐怖を覚えたが、それ以上に気味が悪かったのは、闇の中で向かい合わせに立っているもう一人の自分の考えが、まるで自身の考えであるかのように生々しく伝わってくることだった。
 器を失い、付喪神の世界に戻ったこと。その直後の疲弊していた間に同胞の付喪神たちにデータをかすめ盗られていたこと、そのため人間の姿で現実世界に現れるのに多大な労力を費やしたこと、現実世界に出てみればすでに仲間が同じ格好で堂々と周辺を歩き回っていたこと、その彼らを憎み、データを取り戻して力を得るため次々と狩っていったこと……。
 力任せにデータを抜き取り、なすすべもなく瓦解していく器――海原みなもという少女にそっくりの体を冷酷に見つめるもう一つの同じ顔。その光景をまるで自分がその目で見たように錯覚して、みなもは吐き気を覚え胸を手で押えた。
 『あいつらよりあたしの方が強いのよ。データの一部を器に顕現化して、あとから人間らしくなるための追加データを集めなければならないような連中なんて、しょせんできそこないだもの。』
 「彼女」はそう言って闇からつむいだような気味の悪い笑い声をあげた。これにはみなも自身だけでなく、電話の向こうで耳をそばだてていた雨達も顔をしかめる。普段はかわいらしい声なのに、それを発する者が違うだけでこれほど変わるものなのか、と彼は腹立たしげに思った。
 そんな雨達にみなもが混乱した様子で早口に囁く。
 「雨達さん、あたしどうしたらいいんでしょうか。この人はあたしじゃないと判っているのに、言っていることや考えが自分のものみたいに思えてくるんです。体が二つあるみたい……それともどちらかは幻……?」
 「しっかりしろ、海原みなもはお前さん一人だけだ。」
 『いいえ、幻なのはそっちよ。あたしが本体だから、幻はそれに影響されるの。 偽者に肉体はいらないわ。だからあたしにちょうだい。』
 紙にインクがしみこむようなじわじわと侵食する声で「彼女」が言い、それを阻止するように雨達が「本物から肉体を奪って、そっくりそのままなりかわるって腹か。」と唸った。
 『奪うんじゃない、正しい場所に体を戻すだけよ。だってあたしがみなもだもの。心配しないで、家族も友達もあたしが大切にしてあげるわ。』
 「彼女」のその言葉に、みなもは胃に重くのしかかっている不快感も忘れ白い顔に朱をはいてもう一人の自分を見た。そして胸を押えていた手を握りしめる。小さな爪が手のひらに食い込む感触も、こぶしが胸を押す感覚も、胃のむかつきもみなもはきちんと感じているのを自覚した。
 ――幻じゃない……これはあたし。これが”あたし”。それなら……。
 「あなたには、いいえ、他の誰にもあたしはあげられません。」
 みなもは手に持った携帯電話の重みを感じながらそう言い放った。
 「家族も友達も、このあたしだから意味がある、関係がある人たちです。その人たちに断りもなく勝手にあたしをあげてしまうわけにはいかないし、あたしも手放したくはありません。」
 しかし、それをあざ笑うようにもう一人のみなもが応じる。
 『大丈夫よ、”あたし”は”あなた”だもの。』
 その言葉の調子も声音もみなもにそっくりだ。ただ一つ、そこからにじみ出る異質な悪意をのぞいては。
 それを感じ取った雨達が苦笑まじりに口を挟んだ。
 「残念だがいくら同じ姿で同じ声をしてたって、お前さんは絶対、嬢ちゃんにはなれそうにないぜ。」
 『何ですって!』
 「彼女」はそう叫んで電波を遮断しようとしたが、それよりも一瞬早く、みなもが「彼女」に詰め寄った。そして握りしめていた手を差しのべる。
 「返して下さい。”あなた”に”あたし”はいりません。人間になりたいなら、何も持たずに生まれてこないとだめですよ。人間は機械みたいに、初めからすべてがそろっているわけじゃないんですから。」
 その言葉の直後、みなもに向けて闇の中で突風が吹いた。青い髪が巻き上がり、雨のようにまた落ちる。強風に目を開けていられなかったみなもは両目をつむったが、やがて携帯電話の向こうから聞こえる「みなも?」という雨達の声にそっとまぶたを持ち上げた。
 するとそこにはもう闇はなく、見慣れた町の風景が広がっている。手の中の電話に表示されている時刻は、みなもが雨達に電話をかけた時からわずか数分しか経っていないことを示していた。機械の演算能力ほどではないにしろ、人の思考もめまぐるしく速い。体をかけめぐる信号もまたしかりである。その上での出来事であったため、現実の世界ではほとんど時間が経っていないのだ。
 雨達も意識だけその中に巻き込まれていたのだろう、電話もつながったままで、向こうから冴えない中年男の声がした。
 「嬢ちゃん、無事か?」
 「はい。」
 「どうなった?」
 「判りません。……もう一人のあたしは消えちゃいました。」
 みなもの返答に、電話口から安堵のため息がもれる。
 「そりゃ良かった……ということにしておこう。とにかく家まで送るよ。今どこにいるんだ?」
 「バイト先のお店の傍……制服がかわいいカフェです、駅前の。」
 「それなら判る。すぐに行くよ。」
 そこでとても長かったような、短かったような二人の電話は切れた。

 その後の雨達からの話で、みなもは失踪者が全員戻って来たことを知り胸をなでおろした。おそらく一番の元凶であっただろうみなもの偽者が消えたことで、「彼女」から器を得ていた他の付喪神たちも消え、その彼らにさらわれた人間たちも戻れたのではないか、というのがオカルト専門の探偵の推測である。
 そんな雨達が何故「制服がかわいい駅前のカフェ」という説明だけで居場所が判ったのか、というみなもの何気ない追及に、彼は「たまたま見かけたその店の制服が、嬢ちゃんの好みに合いそうだなと思って覚えていただけで、他意はない。」と答えたという。

     了