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鳥籠茶房へようこそ
気が付くと、葛城・深墨は見知らぬ山の中にいた。
「……っ」
くらり、と眩暈がする。ひとつ吐息して緩くかぶりを振り、気を落ち着かせる。
「久しぶりだな、こういうの」
森だろうか。のどかな陽射しに照らされた木々の葉が、地面に濃い影を描いている。
大学帰りに、疎遠になっていた宝石店や喫茶店のことを不意に思い出し、久しぶりに行ってみようかと思ったのに。自分のいる場所がどこなのか、全く見当がつかない。再びため息をこぼす。
「……慣れることはないだろうな。今回は危ない目に遭わなさそうなのが不幸中の幸い、か」
空気は穏やかだし、得体の知れないものが現れそうな気配もない。
とりあえずあてもなく歩いていると、不意にどこからか甘い匂いが漂ってきた。
「いらっしゃいませ！」
目の前には、翡翠色の着物を纏った可憐な少女と、茅葺き屋根の茶屋が在った。
彼女に勧められるまま、深墨は紅い野点傘の下の縁台に腰を下ろす。
少女は黄金色の長い髪をさらさらと靡かせ、少々お待ちください、と笑顔で言い残して店内に入っていった。
入れ替わるようにして、青い髪の青年が現れた。少女と同じ翡翠色の着物ということは、彼も店員なのだろう。いらっしゃいませ、と彼も物腰やわらかに一礼した。
「ようこそ、鳥籠茶房へ。店長代理のアトリと申します。先程ご案内しましたのは、店員のカナリアです。どうぞお見知りおきを」
「初めまして。俺は葛城・深墨といいます」
深墨も会釈して挨拶を返す。爽やかに微笑むアトリは、続けて説明をした。
「当店にいらっしゃるお客様には、『条件』があるのですよ。あなたも、何かお悩み事がおありなのでしょう？」
どうしてわかるのだろう、と瞬きを繰り返す。アトリはやはり微笑して告げた。
「お客様のお悩みを解消するのも、当店の売りのひとつなのです。よろしければ、ご相談ください。お茶菓子はいかがなさいますか？」
「え、あぁ、そうですね。じゃあ、せっかくなのでおすすめのものを頂きたいです」
「ありがとうございます。では、当店一押しの『鳥籠饅頭』はいかがでしょうか」
「お願いします」
「かしこまりました。――カナ、鳥籠饅頭ひとつ頼むね」
「はーい！」
アトリの指示を受け、カナリアが店の奥へと駆けていく。
深墨は周囲の景色を眺めた。蒼い空、風にそよぐ木々の葉、鳥や獣の鳴き声、土や花の香り――豊かな自然に満ちている。
――なんだか不思議な所だな。気分が落ち着く。それにしても、二人とも美男美女だな。それこそ、この世のものじゃないって感じ。
お隣失礼致します、とアトリが隣に腰を下ろした。
「葛城様。先程も申しましたが、当店ではお客様のお悩みの解消に努めております。よろしければ、お話しください」
「悩み、ですか」
言いづらい。初対面で、しかも神秘的な店ともなると余計に。
ためらっているうちに、カナリアが饅頭を運んできた。
「鳥籠饅頭おひとつ、お待たせしました！」
「ありがと、カナ。さあ、葛城様、どうぞ」
「ありがとうございます」
「ごゆっくりどうぞー」
店内に戻る彼女から受け取った漆塗りの小皿には、てのひら大の焼饅頭が鎮座していた。焼き目の模様が確かに鳥籠風だ。小鳥が羽ばたいている様子も、その中心に描かれている。一口頬張ると、こしあんの程よい甘さが口腔に広がった。思わず目を瞠る。
「美味しい……！」
「ありがとうございます。お口に合って幸いです」
最初の一口を充分に味わって飲み込んでから、深墨は本題を切り出した。
「俺の悩みは――こういうところに『招かれる』こと。……っと、あ。すみません、失礼ですよね」
「いえ、どうぞお構いなく」
アトリも気を害した様子はない。慣れているのだろう。密かに安堵して言葉を続ける。
「俺、昔から不思議な店に自然と辿り着いてることが多いんです。どうしてかはわかりませんし、身に覚えも全然ないんですけど」
「なるほど。当店のお客様の中にも、そういった性質をお持ちの方がいらっしゃいますね」
「そうなんですか」
自分だけではないという事実に少し嬉しくなる。誰にも理解されない特異体質だと思っていた。
「本日もどちらかへお出かけのご予定だったのですか？」
「はい。しばらく行ってなかった宝石店とか喫茶店とかに、顔を出すつもりでした」
不思議な店に招かれるのが悩みだと言いつつも、その宝石店や喫茶店も例外ではない。そういった場所のことを思い出したのは、平凡な日常にも退屈してきた兆しかもしれない。
毎日大学に通って、勉強をして、友人と遊んで。楽しいけれど、すべてが『繰り返し』だから。
――ほんと、我ながら我侭な悩みだね。
胸中で自嘲しつつ饅頭を食べていると、アトリがやわらかく切り出した。
「そういう店に『招かれる』と、危険な出来事も多かったでしょう？ 大変でしたね」
「……はい」
確かに、良いことばかりではない。閉じ込められて永遠に帰れなくなりそうな経験もした。
アトリの視線が前方の森に投げられて、深墨も目でそれを追う。高く伸びた木の枝には、見たこともない不思議な色や形をした果実が、いくつもぶら下がっていた。
「この山は、それ自体がひとつの世界のようなものなのです。たまに様々な異界への入口が開きまして、妖怪や魔物等が迷い込むこともあります。もちろん、人間も」
「じゃあ、俺も迷い込んだひとりってことですか」
「ええ、そうなります。これは私の推測ですが、葛城様のそれは生まれつきの性質なのでしょう。一生消えない類のものでもあると思います」
「ですよね、俺もそんな気がしてます。もう諦めてますけど」
深墨が微苦笑すると、ですから、とアトリはにこやかに提案した。
「いっそ楽しんでしまえば良いのです。苦い経験も、その当時はとてもつらいものですが、時が経てば笑い話になる場合もありますし。葛城様は、いま当店にいらっしゃることもおつらいでしょうか？」
「いえ、そんなことないです。この森に来た時も、珍しく嫌な感じがしなかったので」
「それは良かったです。というわけで、難しくお考えになる必要はないのですよ。次はどんな場所に行けるのだろう、なんて思うと楽しくなってきませんか？」
そうかもしれない。たとえ行く先に危険が待ち受けていたとしても、『招かれる』ことを恐れていてはいつまでも悩みから抜け出せない。どうせ一生付き合っていくものなのだから、割り切ろう。今までにも楽しいことだって確かにあったのだ。
山の澄んだ空気を肺に取り入れる。深呼吸すると、なんだかスッキリした。
深墨は立ち上がってアトリに一礼する。
「アトリさん、ありがとうございます。ちょっと気が楽になりました」
「こちらこそ、お力になれたようで幸いです」
彼の優しさに癒されつつ、深墨は饅頭の最後の一口を噛みしめた。
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お会計はこちらです、と会計所に案内される。財布を取り出そうとすると、スッと差し出されたアトリの手にやわらかく制された。
「お代は頂きません。葛城様のお悩みを拝聴しましたから」
「いいんですか？」
「ええ。当店は、お客様のお悩みを随時大募集中ですので。また何かお困りでしたら」
木製の棚をごそごそと探ったアトリは、小さな紐綴じの手帳を取り出し、雪に手渡す。
「来店されたお客様にお渡しする粗品です。それをお持ちでしたら、いつでも当店にまっすぐお越しになれます」
「ありがとうございます、ごちそうさまでした。美味しかったし、楽しかったです。――また、来るかもしれません」
「ええ、是非。大歓迎ですよ」
手帳を開くと、最初に五十個ほどの升目が描かれた頁があった。アトリがその升目のひとつに、朱肉を付けた判子を押す。楕円の中に『鳥籠』と字の入った判子だ。
「ご来店一回につき、判子をひとつ押させて頂きます。何点か貯めますと景品等ございますので、よろしければご利用ください」
アトリから手帳を受け取った瞬間、茶房の景色が霧のようなものに包まれていく。
あ、と深墨が声をかけようとした時には、見慣れた舗道に佇んでいた。
――帰ってきたのか。
ずっと抱えていた雨雲じみた重い気持ちは、もうすっかり晴れていた。
――さて、まずは宝石店に行ってみようかな。
軽い足取りで、深墨は馴染みの店へと歩んでいった。
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「やっぱり若い子は非日常に憧れるものなんだねぇ」
「やだー、アトリってばお年寄りっぽいよ」
会計所の来店者名簿に、葛城・深墨の名を筆で記しながら呟くアトリ。食器の片付けをするカナリアが小さく吹きだして笑った。
「そう？ 俺たち、もう何百年も生き――」
「それ以上は言っちゃダメー！ 女の子に歳の話は厳禁っ」
「あはは、自分が年寄りっぽいって言ったんじゃないか」
「うぅ……。あの子、また来るかな」
「来るよ。悩みがなくても、きっとね」
――彼に流れる『血』の記憶からすると、いずれ彼は非日常を送ることが増えるかもしれないな。
静かに名簿を閉じ、アトリは密かに笑んだ。
彼と再会できる日を待ち望みながら。
了
■登場人物■
8241／葛城・深墨／男性／21歳／大学生
NPC／アトリ／男性／23歳／鳥籠茶房店長代理
NPC／カナリア／女性／20歳／鳥籠茶房店員
■鳥籠通信■
ご来店、誠にありがとうございました。
アトリからお渡ししたアイテムは、次回以降のシナリオ参加の際に必要となります。
なくさずに大切にお持ちくださいませ。
葛城様のまたのお越しをお待ちしております。
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