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<東京怪談ノベル(シングル)>


〜朱闇〜


「そろそろ降伏したらいかがですか」
 白鳥瑞科(しらとり・みずか)は、ほとんど抑揚のない声で足下に転がる人外のモノに話しかけた。
 今回の任務は、悪魔に取りつかれた人間の処置である。
 処置といっても、瑞科に託された以上、敵の殲滅が目的である。
 場所は、繁華街からだいぶ離れたところにある、廃ビルのひとつだ。
 少し前からこの場所には「獣のようなうなり声が聞こえる」とか、「二足歩行する怪しいモノの姿を見た」とか、怪談にもなりそうな噂が立ち始めていた。
 無論、教会側はその話を相当前から握っていたが、真偽を確かめるのに数日前までかかった。
 敵が用心深かったのか、それとも人間としての知能が残っていたのか、理由は明らかではないが、何にせよ、瑞科に命令が下ったのである。
 既に敵は立てない状態にまでたたきのめされ、うめき声をあげながら、瑞科をにらんでくる。
 その目に、理性の色はない。
 代わりに、攻撃する意志が垣間見えた。
「まだあきらめませんの? 往生際が悪いですわ」
 瑞科の目が若干細められる。
 彼女がこういう顔をする時、その表情の意味するところは「侮蔑」の一言に尽きる。
 元々、敬意を払いたくなるようなレベルの敵など、この世に存在していたためしがない。
 そう思って、かすかなため息を唇からこぼしかけた、その時だった。
「がぁああああああ!」
 不意に、倒れていたはずの敵が弾むように上体を起こし、飛びかかってきたのである。
 瑞科はひらりと飛んでかわし、宙を一回転する間にどこからか取り出したナイフを数本、敵の四肢に投げつけた。
 そのうちの2本は命中し、敵は怒りの咆哮を発する。
 だが戦意の喪失には至らなかった。
 悪魔の力によって筋肉が数倍にふくれ上がった、丸太のような腕が思わぬ速度で空を切り、瑞科は難なくそれをよけた。
 返す刀で剣を敵の肩口に振り下ろすと、黒い血の雨が辺りにまき散らされる。
 衝撃で、敵が大きくよろめいた。
 瑞科の口元に酷薄な笑みが浮かび、再びその手の剣が敵の腕を斬り飛ばした。
「うぎゃああああ!」
 耳を覆いたくなるほどの叫び声が廃墟の中をこだまする。
 その間にも、瑞科から放たれた魔法の攻撃が敵を貫いた。
 敵はひっきりなしに血反吐を吐き、足をふらつかせながら、それでもまだ立っていた。
「体力だけはあるようですわね」
 聞きようによっては誉め言葉にも取れる台詞を、瑞科は肩をすくめながらつぶやいた。
 こんな敵に時間をかけるわけにはいかない。
 そう、時間の無駄だからだ。
「そろそろ慈悲を差し上げますわ」
 わざとやさしい声で、瑞科は敵に語りかけた。
 羽のように軽い跳躍で、一気に敵との距離を詰める。
 背後に降り立ち、敵が振り返る前にその心臓に剣の切っ先をたたき込んだ。
「ぐ…がはっ…」
 するりと剣を引き抜き、瑞科は敵の吐く血から距離を取った。
 敵の灰色ににごった目から、急速に光が失われていく。
 それを無感動に見やって、瑞科は身を翻した。
 カツンとブーツのかかとが床を打つ。
 肩にかかる黒髪を、さらっと背中に払いのけ、瑞科はそのまま歩き出そうとした。
「…う、ぐっ?!」
 瞬間、わき腹に激痛が走り、瑞科はその体躯をくの字に折り曲げた。
「げほっ! ごほっ!!」
 あまりの痛みに、肺から空気が全部外に出てしまう。
 何があったのかと振り返ろうとした瑞科の体が、背中から襲ったすさまじい力で地面にたたきつけられた。
 骨が折れる音が、耳の内側に響く。
「がっ!!」
 泥が口の中に入り、血の味と混じった。
 瑞科はわずかに首をひねり、相手の姿を見上げ、驚愕に目を見開いた。
「どう、して…?!」
 敵はにやにやと笑って、瑞科を見下ろしている。
 その肩からは、先ほど切り落としたはずの腕が、新しく生えていた。
 全身に負わせた傷も、いつの間にかふさがっている。
「ごふっ!」
 横顔全体を、敵の気味の悪い白さを持つ足で、凄絶な力をこめて踏みつけられる。
 瑞科の顔が腐りかけていた床材の中にめり込んだ。
 視界の端に、その足がまた振り上げられるのが見えた。
「がはっ!」
 再度顔が床に沈みこむ。
「ひゃーはっはっはっはっは!!」
 狂った笑い声があたりに響き渡り、そのたびに骨が砕ける音がし、床が赤に染まっていく。
 きれいな髪はほこりと血にまみれ、乱れて床に散った。
 朦朧とする意識の中で、瑞科は思っていた。
(こんな力が…あった、なんて…)
 指令書には何も記載がなかったではないか。
 そのせいで、瑞科は完全に油断していた。
 教会側は、敵の能力を調べ切れていなかったようだ。
 まさか悪魔の力によって、この敵がこんな超人的な身体能力と治癒能力を持ち得ていたとは。
 血に染まった視界が、今度は白く濁っていく。
 これから自分がどうなってしまうのか想像する余裕もないまま、瑞科の意識は、螺旋を描いて闇の底へと落ちて行った。

〜END〜