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<東京怪談ノベル(シングル)>


Chase!
「遅かったか……」
 男が呟き、舌打ちの後にぎりっと歯を噛みしめた。無駄のない筋肉にスーツ姿。ヤクザ然としている中年の男だ。
 IO2のエージェント、名を鬼鮫と言う。その鬼鮫の頭上には大型のジェット機が轟音と風を撒き散らして飛び去るところだった。
 遥か遠くへ飛び去ってゆくが、そのコクピットには誰も乗っていないはずなのだ。
「ちっ」
 苛立つ鬼鮫の心とは裏腹に、彼が立つ要塞の屋上から見える景色は穏やかで雄大だった。アルプス地方の景色だ、絶景としか言いようがない。しかしこの穏やかな眺めの中、飛び去っていくあの戦闘機の姿は異様だった。
 屋上には過去の遺産と呼べる迎撃兵器などがあるが、そこから下に降りて中へと入れば印象は一変する。張り子の城という言葉がぴったり当てはまる、粗末な砦だった。
 引き連れてきた部下が老人を捕縛していた。あの戦闘機の生みの親である。そちらは一瞥しただけで済まし、別の部下が設置したモニターを見遣る。嘆息、苛立ち。
「おっさんよう、調教まだかよ。あの船ぁ飛んでっちまったぞ!」


 おっさん呼ばわりされた男は、立場で言うならば将軍である。
 恰幅の良い男は、空軍基地の指令室である少女を前にしていた。少女は膝を折り肩を落とし、子供のようにぐずっていた。
 異様な外見をした少女である。髪のないスキンヘッドの頭から生えているのは、お伽話に出てきそうな妖精のように尖った耳、天使を思わせる翼、両の足には大型の魚類のものだろう鰭がついていた。白の水着という薄着姿の娘を前に将軍は嘆息した。
 IO2には大した航空勢力がないのが実情だった。敵機を追う能力のある機体がない。現在のところ、この泣くじゃくる少女……三島・玲奈を除いては、だ。
 何しろこの少女、自らの細胞から培養した宇宙船を大気圏の向こうに持っている。その宇宙船とやらが人智を超えんばかりの超生産能力を持つのである。乗り物ならほぼ何でも生産できると言っても過言ではない。そう、「何でも」だ。
 その中には先刻飛び去ったジェット機、ツアウンケーニヒを撃墜できるだけの能力を持つものもあるのだ。
 IO2には特殊なエージェントを多数抱えているが、こんな力を持つ人物もそうそういない。先刻まで元に戻してと泣きわめいていたが、今は些か疲れたのだろう。亜人間へと変えられた己の身体を受け入れられないのだろうが、任務は任務だ。事態は急を要する。
 言葉で言い聞かせるのはもうやめだ。将軍は命じた。
「衛生兵! この娘に身支度をさせろ。軍服は職業意識を促す。兵器だと自覚させろ」
 ややあって女性の兵士が多数入り込み、玲奈を取り囲んだ。彼女の地毛色である黒の鬘を被せ、女性兵の一人が玲奈の顔を上げさせる。未だに泣きじゃくる彼女の頬を、女性兵がぺちんと叩いた。
「メイク中は泣かないの。将軍からお聴きになったでしょう。殺されて処分されたくなかったら従うこと。ほら、綺麗にしてあげるから」
 玲奈はその言葉に事実を再確認した。仕方なしに大人しく化粧をされるに至った。翼を仕舞いこみ、鰭のせいでパンツ類を履くことができないためにセーラー服を着用させられた。姿見に自分の姿を映され、ようやく玲奈は笑顔を見せた。
「可愛い!」
 ひらりと姿見の前でひと回転させてみる。スカートと髪が翻り、花が綻ぶような笑顔で玲奈は喜んだ。将軍はもはや癖になりつつある嘆息をまたひとつ吐いた。
「三島・玲奈。初陣だ、ツアウンケーニヒを撃墜せよ」
 彼女はもう泣いてはいなかった。


 スマートな鳥か、さもなくば魚を思わせる鋭利なシルエットの戦闘機がアルプス国家要塞の上を飛び抜けたのは、それから何刻か後のことだった。苛々と砦の銃眼から空を見ていた鬼鮫は、そこでようやっと口の端を上げモニターに歩み寄った。
「やっとおでましだな。聞こえるか……あー、名は」
『玲奈!』
「……元気な姫だな。標的は確認したか?」
『見えた……。やだ、なにあれ……!』
 ノイズ混じりの玲奈の声からは息を飲む音まで聞こえるかのようだった。ツアウンケーニヒという名の許されざる兵器を破壊すべく空にいるのは、IO2だけではない。どこかの国か、あるいは組織かの戦闘機も空を埋める勢いで飛んでいたが、その数は見る見るうちに減っていた。
「なんということだ……」
 呆然と捕縛されている老科学者が呟いた。見るに耐えないといった風に目を逸らす。
 報告によれば――鬼鮫はその老科学者を横目で一瞥しつつ思い起こした――かつて大戦中にあの戦闘機を作りあげたのはこの老科学者だという。もっとも彼は基本部分を作っただけだ。こと戦争の世では、どんな存在も戦力として用いられるのが常である。ツアウンケーニヒもその例に漏れなかった。作り主の手から取り上げられた船は、兵器を積んだ殺戮機械へと転身したのである。
「聞こえるか。どこの船が何機落ちようが知ったこっちゃない。だがこちらも仕事だ。背後を取って撃墜しろ」
『了解っ!』
 ザッ! 無線のノイズが響く。玲奈の機体が他の戦闘機の合間を縫い、ツアウンケーニヒとの差を縮めつつあった。
 敵機は近づきつつある玲奈の機体に気付き、猛スピードで逃げに入る。
 大きな機体を揺らし、衝突を誘いたいのか山間にツアウンケーニヒが入り込んだ。無論玲奈もそれに続いた。山肌ギリギリのところをマッハで駆ける二機の衝撃波に、木々が折れんばかりの勢いで弓なりに曲がる。一歩遅れて、葉枝がバサバサとひっしりなしに鳴いた。
 谷間にある川の岩肌の合間を駆け抜け、追いかける玲奈の機体はバレルロールで食い付いていた。木々の間に入り、枝が絡んで千切れる。いくつか枝をつけたままツアウンケーニヒと玲奈の機体がトランポリンのように飛び上がり高度を取った。
『ねえっ!』
 刹那、玲奈からの無線が入った。「何だ」と短く鬼鮫は答える。
『あの子、誰が乗ってるの!?』
「誰も乗っていない。勝手に動いてやがる」
『か、勝手に!? わっ……』
 答えながら玲奈が短く叫んだ。もがくように逃れようとするツアウンケーニヒを追い、民家にぶつかる寸前だった。なんとか立て直し、それでもツアウンケーニヒを肉眼で捉えている。
『機械が自分の意志で動いてるってこと……!?』
「世の中、その手の怪奇はいくらでもある。亡霊が作り主に掘り起こされて、執着でも思い出したんだろう」
『作り主……』
 アルプスの現地に向かう間に、ブリーフィングは受けた。改めて敵機を見遣る。同じだ。あの機械と自分は。
 勝手に兵器に作りかえられて、もう戻れない。ただもがいている。
 なぜ? 生きたいから? 作り主に会いたいから? 声なき機械の心は感じるしかない。
『……だめ、だめ。殺せない! あの子は捕獲します!』
「おい!」
『あの子は殺されたくないから飛んでるだけだよ!』
「お前なあ……!」
 鬼鮫が頭を抱えた。
『玲奈号の艦載機にするもん! IO2の掟にも役立つ怪異は殺さないってあるし、ねえいいでしょ?』
「勝手にしろ。手段はあるんだろうな」
 もちろん! と元気な返事をするが早いか、ロールで逃げようとする敵機の先を読み、ヘッドオンが狙える真正面に敵機を捉えた。すれ違いざま、霊気で敵機を包んだ玲奈の様子をモニターに映る。
 老科学者は涙した。紛れもなく喜びの涙だった。