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一日限りの異邦人 〜 図書館
〜 不思議な来訪者 〜
見慣れない人影に、ロン・リルフォードは本を整頓する手を止めた。
迷い込んだ「来訪者」が図書館の中で迷子になっているのに遭遇するのは、もはや彼にとってはそう珍しい話ではない。
「ようこそいらっしゃいました。世界の果ての図書館へようこそ」
相手を驚かせないように、ロンはその人物が自分の姿を見つけるのを待って、穏やかな声で話しかけた。
「ここは……図書館、なのですか?」
きょとんとした顔で尋ねてくる来訪者。
年の頃はおそらく二十歳手前、短く切りそろえられた栗色の髪と、優しそうな顔立ちが印象的な人物であるが、性別についてはよくわからない。
「ええ。
申し遅れました。私、ここの司書をしておりますロン・リルフォードと申します」
ロンが名乗ると、その人物は少しばつが悪そうにこう答えた。
「ロンさんですね。
私もできることなら名乗りたいのですが、あいにく、名前を持たないのです」
名前を持たない。
ロンがその真意に思い至る前に、来訪者はこう続けた。
「私は、『旅人』ですから」
「旅人」の話は、いくつかの書籍にも記されている。
無数の世界を行き来するもの。
前の世界の記憶をもたぬもの。
一日しか同じ世界にとどまることを許されぬもの。
それ故に、ロンもその存在を知ってはいた。
知ってはいたが、実際に「旅人」を目にしたのは、彼にとっても初めてのことだった。
「そうでしたか」
驚くでもなくそう答えることで、自分が「旅人」を知っていることを伝える。
旅人はその様子に少しほっとしたような様子を見せた後で、改めて辺りを見回した。
「それにしても……すごい図書館ですね」
見渡す限りに曲線で構成された書架が並び、そこにびっしりと書物が収められている。
これはもはや図書館などという生易しいものではなく、書架と書物で構成された歪んだ迷路だ。
かつてとある来訪者がそう正直に漏らしていたのを思い出しながら、ロンは答えた。
「ええ。全ての世界に存在する本が漂着する空間とでもいいましょうか」
「そうなんですか? 道理で、ものすごい数の本があると思いました」
この「旅人」がいつからここにいたかは不明だが、彼の見たのはこの図書館の本の一部にすぎないだろう。
それでも、おそらく大半の人間にとって「常識的にはあり得ない分量の書物」であることを、ロンは既に知っていた。
「はい。ただそれ故に、まれに本以外に人が迷い込んだりすることもありまして」
「なるほど。それで私がいても驚かなかったんですね」
ロンの言葉に納得したように頷く旅人。
人相学や心理学の書籍の内容を思い出すまでもなく、その顔立ちに違わぬ素直な心の持ち主であることが見て取れる。
「その通りです。さすがに『旅人』の方に実際にお会いしたのは初めてですが」
初めて遭遇する人種だけに最初は若干の警戒心があったことは否定できないが、少なくとも今目の前にいる人物に関しては警戒する必要は全くないだろう。
「さて、何かお探しのものがあれば私がご案内いたしましょう。
見ての通り、ここは歪んだ迷路のようになっていますから、初めていらっしゃった方だけで見て回るのは危険ですので」
ロンがそう申し出ると、旅人は素直に頷いた。
「そうですね……それでは、お願いします」
そして、それから少し考えて……やがて、こう尋ねてきたのだった。
「詩集はどの辺りにあるのでしょうか?」
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〜 吹き抜ける春風のように 〜
「詩集は主にこの辺りですね」
ロンが旅人を案内したのは、図書館のとある一角だった。
「この辺り、全てですか?」
「ええ。今見えている範囲はもちろん、その裏側も、その向かい側も」
なにしろ、ここにあるのはあらゆる世界の詩集である。
「参りましたね。どれだけ読むことができるやら」
旅人は困ったように笑うと、近くの本棚から、一冊の詩集を抜き取った。
少し大ざっぱにページをめくり、何度か小さくうなずいてから、本棚に戻す。
そんなことを、旅人は何度か繰り返した。
よく見ると、旅人が手にとった数冊の詩集は、いずれも違った世界の言葉で書かれている。
しかし、旅人の様子を見る限り、「読めなかった」と思われるものは一冊もない。
そのことをロンが不思議に思っていると、旅人が不意に口を開いた。
「不思議でしょう。他の『旅人』はどうか知りませんが、私は現存する……いえ、かつて存在したものも含めて、ほとんど全ての言語がわかるらしいんです」
「それは素晴らしい」
お世辞でもなんでもなく、ロンは心からそう思った。
書物というのは、文字という形に変換された知識そのものである。
数多の世界からそれらが集うこの図書館は、言い換えれば「全ての知識の集積される場所」ということもできるだろう。
ところが、それらの書物に記された知識を再び知識として獲得し、活用するためには、当然のことながら、「その書物が読める」、つまり「その書物が書かれている言語が理解できる」ことが大前提となる。
よって、多くの来訪者は、せっかくこの場所を訪れることができたにも関わらず、その幸運の何十、何百、いや、下手をすると何千、何万分の一しか有効に活用できないのである。
全ての書籍を読むことができ、その真の価値を知るロンからすれば、何とももったいなく、歯がゆい話であった。
ところが、今目の前にいるこの人物は、ここに存在するどの書物をも、難なく解読することができるという。
言うなれば「全ての書と心を通じさせることのできる人物」。
自分以外にもそんな人物がいたことを、ロンは素直に嬉しく思った。
何といっても、書物とは読まれるために存在し、読むことができないものには決してその真の価値を理解されることのないものなのだから。
気がつくと、旅人はもう本を何度も取り替えることをやめ、微かな笑みを浮かべて一冊の詩集を読んでいた。
もちろん、ロンはその表紙から内容を思い出すことができる。
その詩集に綴られているとはとある世界の「春」の様子。
穏やかで美しく、生命に満ちあふれた季節を、純粋かつ素朴に讃える言葉によって紡がれた美しい幻想。
それは、目の前の旅人にとても似つかわしいもののように思われた。
と。
不意に、旅人のページをめくる手が止まった。
その瞳は心持ち大きく見開かれ、視線が何度も何度もページの上を往復する。
やがて、その口がゆっくりと開かれ――。
湧き水のように、詩が溢れ出た。
その外見に違わぬ、中性的な、澄んだ声。
美しい、と思った。
いかに活字が効率よく知識を閉じ込めることができるものであるとしても、当然のことながら、その過程でこぼれ落ちてしまうものも存在する。
旅人の声は、まさにそれを補完するかのようだった。
その詩を綴った詩人本人が今目の前にいて、その詩のモチーフとなった光景を前に、できたばかりの詩を自分に聞かせてくれているかのような、そんな不思議な感覚だった。
やがて、詩が終わり、旅人ははっと我に返った。
「すみません、つい」
恥ずかしそうに笑う旅人に、ロンはこう答えた。
「いえ。『お静かに』と言うほど、来館者の多い場所ではありませんから」
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〜 薔薇と紅茶と 〜
その後も、旅人は何冊もの詩集を手にとり、そのうちの一部を熟読していたようだったが、さすがに先ほどのような反応を示すことはなかった。
「それにしても、本当にすごいところですね」
そう口にした青年の様子は、まだまだ詩を読み足りない様子でもあるが、若干疲れてきている様子でもある。
「まあ、本と紅茶しかない場所ですので……ああ、もしよろしければ一休みしませんか?」
ロンがそう尋ねてみると、旅人は笑顔で首を縦に振った。
「そうですね」
「いかがですか?」
「ええ、美味しいです。とても優しい感じの香りですね」
ロンが選んだのは、春らしい桜の香りのする紅茶。
旅人のイメージから選んだものだったが、どうやら好みにも合ったようだ。
やがて、紅茶の残りが半分ほどになった時、旅人が口を開いた。
「ところで、つかぬ事をお聞きするのですが」
「何でしょうか?」
「この図書館の外には、何があるのでしょうか?」
ここが「図書館」であると知ったものの多くが口にする疑問。
既に問われ慣れているロンは、いつものようにこう答える。
「外には薔薇園がございますが、それより先の荒野の向こうに何があるのかは、私にもさっぱりわからないのです」
「薔薇園、ですか。それはぜひ見てみたいですね」
やはり、薔薇園には興味を引かれるものがあったようだ。
「では、紅茶を飲み終えたら、そちらに通じる出入り口までご案内いたしましょう」
「はい。何から何まで、ありがとうございます」
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〜 永遠の一期一会 〜
薔薇園を見物に行った後、しばらくして旅人は戻ってきた。
何があるかわからない荒野の向こうを見に行くには、旅人に残された時間は短すぎるのだという。
言われてみれば、彼が戻ったときには日はすっかり傾き、既に外には夜の闇が迫りつつあった。
再び詩集の並んだ書架の前に行き、また何冊もの詩集を手にとり、その中の一部を読んでいく。
しばらくそんなことを続けた後、珍しく旅人が途中まで読んでいた詩集を書架に戻した。
「おや、もう行かれるのですか」
外の様子はわからないが、時間からすると、おそらくそろそろ「今日」が終わるのだろう。
「ええ。名残惜しいですが、そろそろのようです」
寂しげに笑う青年に、ロンは少しの寂しさとともに別れの言葉を告げる。
「お気をつけて。
私はいつでもここにおりますから、またお会いできることもあるでしょう」
「そうですね……でも、その時私はあなたを覚えてはいない」
それが「旅人」の宿命。
それをわかっているからこそ、ロンは旅人にこう言った。
「なに、記憶など些細なものですよ」
その言葉が、きっとただの気休めにしかならないのだろうと思いつつ。
ところが。
「そうですね……それに、今はちょっとだけそのことに感謝しているんです」
書架に歩み寄りながら、旅人はそんなことを口にした。
「ここでの記憶が全てなくなるから、私は、またあの詩と『初めて』出会うことができる。
この場所でか、あるいはこの詩集が書かれた世界で」
そう言って、旅人が愛しげに指で背をなぞったのは、「あの」詩集に間違いなかった。
「読書百遍意自ずから通ず」という言葉がある。
確かに、一冊の書物の内容を底の底まで理解しようと思ったら、何度も何度も熟読することは大切だろう。
だが、「初めて読んだときにしか味わえない感動」というものも、間違いなく存在するのだ。
ここにある書物の全てについて知り尽くしているロンには、決して味わうことのできない感動。
それを、この旅人は、何度でも味わうことが出来るのだ。
そのことが、ロンには少しだけ羨ましかった。
「お世話になりました。このご恩は忘れません、と言えないのが、少し心苦しいのですが」
最初に出会った時のように、少しばつの悪そうな様子で言う旅人。
「お気になさらず」
ロンの言葉に、にこりと微笑む。
「ありがとうございます。それでは、またいつかお会いできることを願って」
差し出された右手の意図を察して、握手に応じてから、最後の挨拶を交わす。
「ええ。それまでしばらくの間、さようなら」
旅人はもう一度微笑むと、ロンに背を向けて歩き出した。
その背中が、書架の間の闇に溶けるように消えていく。
その姿が完全に見えなくなった瞬間、閉じているはずの図書館の中に、ふわりと優しい春風が吹き込んだような気がした。
あの旅人は、いくつもの世界を巡るだろう。
気の遠くなるような時間をかけて、無数の世界を巡り――やがて、またあの詩に出会うだろう。
その時、きっとあの澄んだ瞳を見開き、何度も何度も視線を走らせ。
そして、あの詩を口にするのだろう。
春の優しいそよ風のように、あるいは小川のせせらぎのように。
見るものを、聴くものを惹きつけずにはおかないであろう、あの声で。
その時、それを聴く者は誰なのだろう。
そんなことを少し考えながら、ロンは再び書物の整理に戻ったのだった。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
8405 / ロン・リルフォード / 男性 / 28 / 司書
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■ ライター通信 ■
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はじめまして、西東慶三です。
この度は私のゲームノベルにご参加下さいましてありがとうございました。
復帰第一作ということでやや時間がかかってしまいましたが、時間をかけただけのものにはなったかと思っております。
今回は、ロンさんの「あらゆる本に対する知識を持っている」という設定を最大限に活用させていただきました。
あらゆる本について知っているということは、あらゆる言語にも通じているだろうけれども、ほとんどの存在はそうではない。
そして、あらゆる本について知っているということは、例えば初めて読む小説を読み進むときのような、あのドキドキ感とはきっと無縁なのではないだろうか、と。
その一方で通じ合い、またその一方ではちょうど真逆の存在である今回の「旅人」との出会いが、ロンさんやプレイヤーさんの心に何かを残せたことを願っております。
ちなみに今回の旅人については私の方でも性別ははっきり決めておりませんので、女顔の男性だったか、それともマニッシュ(ボーイッシュ?)な女性だったかはご想像にお任せいたします。
それでは、もし何かありましたら、ご遠慮なくお知らせいただけると幸いです。
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