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<東京怪談ノベル(シングル)>


今日の敵は明日の……。

「いったいどうなってやがる!」

次から次へと切り替わるモニター画面を目で追いながら、苛立ちを隠しきれない様子で男は吠えた。
立ち上がった拍子にテーブルに載っていたアルミの灰皿が落ち、積み上がっていた吸殻と大量の灰が狭く薄暗い部屋の中にばらまかれたが、そんな事は男にとってはどうでもいい事のようだった。こめかみに浮かんだ血管を計器類のLEDの光が走る。

「そんな事! ……ごほっ、こっちが、コホコホ……聞きたいですよ!」

隣で計器類を操っていた若い男が、煙にむせながら答える。その間もモニターに映し出される画面は刻々と変化していった。

「普通の王妃に、ごほ……こんな事できる訳が、ないっすよ……ケホケホ……こいつ、そっくりだけど偽物なんじゃ……」

数十分程度の間隔をあけて切り替わる映像の中の女はいつも同じ顔をしていたが、背景になる場所も着ている服装もその度ごとにすべて替わっている。
国王の使いから渡された依頼書には、王妃がかなりの派手好きで浮気性と書かれてはいたが、このような特殊能力をもった人間だとは記されていなかった。

「んなこた分かってる!」

「ええええ!? だったらどうしてこんなヤツ追掛けてるんですか! ゲホっ……早く、ターゲットの王妃を再サーチしましょうよ!」

「これだけの事ができる奴だ。王妃はとっくに安全な場所に退避させているだろうよ」

太い犬歯をむき出しにして男はぞっとする笑みを浮かべた。テーブルに置いた拳は怒りで硬く握られている。
今の組織に入っての初仕事。この失態は以降の査定に大きく響く事だろう。
裏の社会でも小さい集まり同士の統廃合が当り前にされている今、嫌々ながらも生き残るためと従った結果がこれだ。

「多分今回はこっちの負けで終わる……だが今後の為にもこいつらには相応の仕置きをしておいた方がいいだろう?」

「……っ、はい……」

男の言葉に含まれた暗殺者の意地を感じとって、若い男は息を飲むように頷いた。



「……ふうんターゲットをあたしに切り替えたんですね? じゃあもうこの顔は戻しても……」

明るい光に満たされた板張りのダンスフロアで、男たちに王妃と呼ばれていた女の顔をした三島玲奈が小さくつぶやいた。
注意深く見れば、その耳にはワイヤレスタイプのイヤホンが入っているのが見える。

『駄目だ。向こうの会話に合わせて変装を解いたら盗聴しているのがばれる』

「えー、酷い! 顔を変化させたままだと皮膚の呼吸が阻害されるから、結構辛いんですよコレ」

融通が利かない男だと経験で知ってはいるが、こっちの意見をこうもあっさりと切り返されるとは思わなかった。
同じ場所にじっとしているならともかく、作戦とはいえ数十分ごとに場所も衣装も変えているのだ。いくら人外の力を持っていても結構な負担になる。玲奈は微かな苛立ちを感じて眉を寄せた。

『我慢しろ』

「もう! 相手がどこにいるのか分かっているんだから、向こうに乗りこんで片付けたら簡単なのに」

『俺に言うな。上の指令は王妃の保護で暗殺者の始末じゃない』

依頼を遂行するエージェントにしてみれば面倒この上ない理屈だが、裏の世界とはいっても所詮は普通の社会システムとなんら変わりがない。
今日の敵が明日の協力者になるという可能性も考え、時には別の組織のメンツを立てるということも必要なんだろう。

「もう……はーい、分かりました」

玲奈はやれやれといった感じで声を上げると、オールバックにサングラスの彼に脳内でデコピンすることで留飲を下げることにした。

『……それに、なにも耐えているのはおまえだけじゃない』

「え?」

彼の声に不穏な響きを感じ、玲奈は表情を引き締めた。
王妃をつれて安全な場所に身を隠している彼に何かあったとは思いにくいが、自分を狙っているのとは別の暗殺者でも出てきたのだろうか。そう思って口を開こうとした玲奈を、イヤホンから漏れる小さなため息が止めた。

『仕事とはいえヤニ臭くて死にそうだ』

「えっと……それはご愁傷様です」

言われてみれば王妃の報告書に”愛煙家”と記述があったような気もする。そんなターゲットを保護する任務に極度の嫌煙家である彼が配置されたのはもはや嫌がらせの域と言ってもいい。
そっけない言葉の中に玲奈を諭していた時とは違い、隠しきれないやるせなさが彼の声に混ざっていた。

『だから、おまえも……』

「はい、仕事ですもんね」

玲奈は口元を緩めると明るく答えた。彼も同じように辛い状態を耐えているのだと思えば自分だけ弱音なんて吐いていられない。

「それじゃそろそろ移動します。相手方の変化があれば連絡ください」

『了解』

仕事用の声に戻った玲奈に、彼も短く答えると通信を終了させた。

「さてと……蜂が追いつかないうちにここも離れなきゃ」

追手がハッキングしているであろう、監視カメラからのじっとりとした視線を感じながら玲奈は何気ない風を装って伸びをした。
イヤホンをしていない耳には、雲霞のごとくこちらに向かってくる殺人蜂の羽音が小さく聞こえている。

「それにしてもターゲット以外は襲わない・刺さない蜂なんて、向こうの使っている顔認識システムは中々のモノよね」

確かに、これほどの技術力を持った暗殺者を抱えた組織との対立なんて、上にしてみれば対面の問題を抜きにしても極力避けたいに決まっている。

「今日の敵は明日の友……って言うし?」

監視カメラに向かって玲奈は王妃の顔で笑いかけると、いつかレンズの向こうにいる相手とも協力して依頼をこなす日が来るのかと夢想した。

「ん、でもとりあえず今日は敵だし、頑張ってついて来てね」

レオタードのままダンスフロアを飛びだすと、玲奈は笑顔を浮かべながら、次はどこに行こうかと考えた。

END