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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


大切ではない筈の――何か

 命はすべからく大切であるか。否。
 命はすべからく大切であり、そして平等であるか。否。
 生命とは必ずしも不平等であり、生きるも死ぬも蟻を踏み潰すようなものである。

 IO2に攻撃命令が下った前日、青霧・カナエは頭の中でそう、何度も唱えていた。
 ホムンクルスである自分の身体は、果たして生命であるのか、そうでないのかすら、カナエには理解できるものではなかったが、分かることは出撃命令の際命を落とす危険性があること。そして、自分だけではない、出撃は奈義・紘一郎の作成したキメラも同行するということである。
 それは即ち、自分以外に命らしきものを持った生物が戦闘に参加するということを意味していた。
「激戦になるだろうがお前ならなんとかなるだろう。勝利以外で戻って来いと言わん。出撃しろ」
「はい」
 『虚無の境界』は仲良しの集まりではない。出撃の際生きて戻れなどと言う者は少数であり、ある種異端だろう。
 カナエもそんな、オペレーターの淡々とした言葉を背に、奈義の作った生命を数体連れ、あまり無い表情をイエスと動かし、筋肉すら削ぎ落としたかの如く細い、華奢な身体で戦場へ向かった。
 命はすべからく平等ではない、今こうして出撃する時も、カナエは捨て駒の位置に居るのだろうし、キメラ達は更にその下を行くのだろう。そして、オペレーターは自分達より優先された命である。
 激戦区と言うよりは静かな戦闘地に送られたカナエ達は最初こそ善戦したが、次第にIO2に押され始めた。
 キメラ数体とカナエ、確かに自分はホムンクルスとして高度な戦闘能力を持ってはいるが所詮、この編成で指揮を取れるのはたった一人である。
 カナエが指揮官であるとばれてしまえば、IO2側の攻撃も分散したものからこちらの指揮官だけを狙う突出したものに変わり、キメラが数体、自分を守ろうと盾になり銃弾にまみれて死んだ。
 どうして、キメラが自分を守ろうとしたのか。それは矢張りカナエには分からない。
 奈義が設計したのだから、彼が植えつけた思考なのか、擬似とはいえ生物として指揮官である自分を失ってはいけないという本能がさせたことであるのか。ただ一つ、分かるのはここから先、カナエは逃げるか戦うか、この選択をしなければならないという事である。
 逃げるならばキメラを囮にすれば良いだろう。『虚無の境界』からは使えないホムンクルスのレッテルを貼られるだろうが、命を取り留めることは可能だ。勿論、このまま戻れない可能性も否定は出来ないが格段に生存率は上がる。
 しかし、ここで逃亡して良いのだろうか。指揮官としてか、生物としてか、この時カナエは考えた。
 自らの後ろにはキメラ達の姿が、各々あまりよい形ではないが戦っているのだ。一生懸命に、と、そんな単語が似合う敵を見つければ追い、喰らい付き、そしてキメラとしての能力を使う。
 この命達を見捨てるのか。命は平等ではなくとも、オペレーターの言うように勝利以外で戻っても良いのか。
「駄目だ……」
 カナエから出た言葉は無機質であった。
 それでも、華奢な身体は立ち上がり、自らの力を駆使して濃い霧を作り出す。敵はあと何体だろう、キメラと共に倒せる敵は。冷静に計算しながらもカナエはそうして、戦闘の渦へと足を踏み入れていくのである。

 +++

 敵の勢力など分からない。いや、情報は元から少なかった。
 カナエはここから戦闘を盛り返すために歩みを進める。指揮官として、キメラ達の前に立ち、敵の居る方角が分かれば指示を出す。
 無駄に強酸霧雨を放てばキメラに影響が出るかもわからない。静かに、敵に気取られないように、殺されないように、カナエは行動する。
 右横の瓦礫でキメラが一体、カナエに敵の居場所を知らせていた。瞬時、攻撃態勢を指示して下がる自らの腕に感じるのは銃弾。完全な無事などあり得ない。自分も、キメラも。いわば捨て駒なのだ。
 戦えと誰かが指示を出す。
 戦いに行くとカナエの脳が指示を出す。傷を受ければ痛く、血は多分赤いだろう。この作戦を見送ったオペレーターも多分、血は同じ赤だ。
 しかし、命の価値は矢張り違い、命令さえ受ければカナエはあのオペレーターですら命を張って庇うのだろう。
 そんな戦いだった。IO2という組織の者と戦っても、結局血を流すのはその下の者達だけだ。痛いのは価値が少ない命ばかりなのだから。
 キメラ達が上手くカナエの側を離れ、そして丁度敵が自らを囲んだ時、強酸霧雨が周囲に降り注ぐ。
 瞬時、聞こえる悲鳴、怒声、カナエに降りかかるのは敵の赤い血だった。
 彼らも痛い、けれど同じ痛みを感じるキメラを、自分を攻撃してくる。これが世の中というものなのだ。全ては、思い通りには行かず、けれど作戦についての深い事柄を何も考えられない、ホムンクルスのカナエは身体を引き摺るようにして『虚無の境界』へと帰っていく。
 勝利であった。完全とはいかずとも、傷を負った、本来ならば勲章にしていい程の戦いをして、カナエは頼りない身体をふらつかせ、生き残ったキメラ達と共に『虚無の境界』へと生還したのであった。

 +++

 『虚無の境界』その研究室の一部が一般、ないし敵に悟られる位置に配置されているわけはなく、戦闘も必ずそこから離れた位置で行われる。だから、カナエがこの場所へ帰還するというのは組織にとっての勝利を意味するのだ。
 広く、濃い灰色の廊下。勝利を持って帰っても誰がカナエを褒め称えるだろう。迎えるものは、同じく帰還したキメラを処分するか否か、研究者達の非情な言い合いだけである。
(さようなら)
 だから、カナエはこの勝利を報告する為、別の場所へ移動するその時、キメラ達へ向けてそう考え、視線を向けた。
 何故向けたか、そんなことは当たり前のように分からないが、どうなろうともキメラ達は自分を守り、同じようにカナエもそうした。きっと、それは人間の持っている情なのだろう。
 情を理解できるカナエではなく、それが『情』という言葉で表現するのであろうと理解しか出来ない『カナエ』はそうしてキメラ達と別れを告げる。
 確信ではないが、あの生命達は今後の戦いの為、もう一度遺伝子まで分解されるか、或いは戦いの証拠を隠滅する為に殺されるのだろう。それが組織だ。
 長い廊下に光は少なく、カナエは血にまみれた姿を特に誰からも気にとめられずに奈義のもとへ進む。
 倒れれば処分しに誰かが来るだろうが、助けになど来ない。ただ、この研究所に入れた者として、どんな姿であっても『居る』ことを許容されているだけなのだから。
 無傷ではないが視界はクリア、周囲の人間を避けながらカナエはそうして、迷路のような研究室の一室へ向かった。
 扉の前にはローマ綴りで奈義・紘一郎と記されている。その前に立てば瞬時、青い光が灯り、カナエを『カナエ』であるかどうか見極め、そしてようやっと無機質な機械音と共に扉が開かれる。
 見慣れた研究室と思ってしまう、これはカナエがこの場に居過ぎたせいだろう。随分と人間らしい感覚であった。
「――戻りました」
 戦闘した部隊を殺し、戻ってきたのだと詳細な報告はいらない。どうせオペレーターや他の偵察部隊が多分カナエよりも正確に伝えるのだから。
 だから、少しばかりおぼつかない足でカナエは奈義のもとへ歩み寄り、ディスクへ向かっていた奈義の、銀髪の上から眼鏡の奥に潜む研究者の彼へそれだけ口にした。
 そう、口にしてすぐに立ち去るべきなのだ。自分はホムンクルスであり、それ以上ではない。戦闘は出来ても他は何もすることが無い。
 「戻った」と、言葉にしてそれが奈義に届くまでに、しかしカナエは彼の白衣の中へと収まっていた。
「あ……」
 抱き締められる、暖かい体温。同時に、奈義の白衣に返り血と、自らの血が混ざり合い不気味な色で染めていくのを見て、カナエは少しばかり彼の腕の中で抵抗をはかる。
「お帰り」
 ふいに、奈義の声でそう聞こえた。頭を撫でられる彼の手の平の感触に、力の入っていない首が大きく揺れ、カナエは目を丸くして研究者らしからぬ言葉を何度も、意識上でリピートした。
 「戻った」の返答をしたいならば「了解」で良いのだ。何も抱き締めて、「お帰り」は必要ない。大きな手の平も、カナエにはまるで縁の無い代物なのだから。
「……帰りました」
 もう一度声に出して言った。奈義に聞こえるように、この行為がなんであるか確かめる為に紡いだのだ。
 カナエの視界は揺らぎ、焦点は合わずに奈義を見る。眼鏡の後ろで笑う彼の顔が理解できずに首を傾げれば、抱き締められた身体が更に強く抱き寄せられる。
「馬鹿だな、ただいまって言うんだよ」
 人間の優しい音色だった。奈義の声は、カナエにそう言い、今度からそうしてくれとばかりに首筋へ顔を寄せられ、溜息のような、安心の色を帯びた息を吹きかけられ、くすぐったい。
「……ただいま?」
「そう、それでいい。『ただいま』だ」
 再び耳元で『ただいま』を聞けば、ようやく奈義はカナエを離し、両肩へ手を置き、頷いた。
 その表情は喜び、瞳を優しげに微笑ませ、まるで自分の帰還を待っていたかのような仕草で、カナエの心は揺れる。
 『虚無の境界』の息がかかった研究所でカナエの帰還を待つものはきっと、一人も居ない。勝利を待つ者は居るかもしれないが、それも全て些細なことだ。ホムンクルスの一人が再起不能になろうとも気にしないのが当たり前なのだから。
 忘れてはいけない、命は必ず不平等でなければいけないのだ。
「少し傷が見えるな。ベッドの方へ行っていてくれ、今治してやる」
 カナエから離れる寸前、奈義の指はホムンクルスの頬を撫で、彼のディスク上の資料を漁り始める。
 多分、カナエの身体について詳細に記した資料を探しているのだろう。奈義は本当にホムンクルスである自分を治す気でいるつもりだ。
「キメラ達は……どうなりますか?」
 口から出る、この言葉の意味を自分でも分からずに、カナエは奈義へ問いかけていた。
 戦闘の最中、ずっと自分を守り続けていたキメラは奈義が作った生命体。そして、それが目の前で処分されるかどうかの審議をされていたのだから。
 どうとって良いか分からない何かがこみ上げていた。
「分からない。正直なところ俺には権限が無いからな。ただ、お前は守るように思考を書き換えたのは俺だ」
「それは……」
 どういうことだろう。奈義の研究室、硬いベッドの上に腰掛けカナエは研究者の後姿を見た。
 真摯な表情で自分の身体の全てが記されている資料を見る姿、血に染まった白衣を気にもせずにカナエを見て奈義は静かに笑う。
 絶対に治してやると付け加えて、また彼の暖かな腕の中に納まるホムンクルスが居る。
 しかし、何故だろう。不平等である筈の命のピラミッド、その上に居る筈の奈義が下に居るカナエを助けようというこの行動は。自分は使える駒であるのか、それとも彼にとって何か必要な存在であるのか。
(……どうして……)
 分からない。自分に問うても分からないものは仕方が無い。
 そして、奈義に問うことはきっと、許されないものなのであろう。だが、カナエはこの感情を少しづつ、知りたいと願うのだ。
 願いの意味すら分からなかったホムンクルスの小さな『願い』が、心臓の鼓動を鳴らしている。もし、この意味を知ったならばカナエはどうなってしまうのだろう。
 答えはまだ分からない、ベッド上で奈義に治療を受けるカナエは、そっとこの考えを胸のうちにしまうのであった。

END