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<東京怪談ノベル(シングル)>


歴史の変わる日
 どこかのバーでドレスに身を包んだ女が歌っている。ただの歌ではない。語りだった。
「彼らは悪しき竜の一族だった。人の世を盗み見ては暮らしていた」
 ぴかぴかに磨きあげられているグランドピアノに座り、ゆったりとした手振りを交えて彼女は語りを続けた。
「たかが小娘一匹。だがその為に国中が血眼になる。これほど可笑しなことはない。人間の牡の馬鹿なこと。そう洞窟に隠れ住む悪竜は喉で笑った。人の愚かしいことこの上ないと、互いに笑いあった」
 バーは薄暗い照明で照らされていたが、中にいるのは女性ばかりだった。誰しもが彼女の歌に聴き入っている。
「その馬鹿な牡が滅べばどうか。人に呪を撒くのだ。我らが下せる呪は人類そのものを滅ぼすに至らないが、半分を滅ぼす力はあるぞ」
 耳の先が尖った女がそこで一息、間を入れた。


 人の長い歴史の中で、争いごとはいくつもあった。だが翼のある竜が呪詛を撒き散らすのは初めてだった。そんな怪物が突如雲霞の如く現れるだけでも混乱は必須だったが、竜が呪詛を吐く度に男が次々に倒れたのだ。
 老若の境なく、そのバスの中でも幼い男児を抱いて泣き崩れる母親や、倒れた夫をいつまでも揺さぶり続ける妻の姿が見られた。今の惨状の縮図がそこにあった。
「あなた! あなた!!」
 叫ぶ妻の声はもはや形振り構わないものになっていた。バスの後部座席にいた幼い少女が老婆に縋りついた。震えて声も出ない様子でただ腕に力を込める。
「みなさん、おちついて……きゃあっ!」
 添乗員が力ない声でそう告げた直後、運転席から男の運転手がぼとりと落ちた。帽子が取れて仰向けに倒れるその顔を見て、生き残っている女性たちが一斉に混乱を極める。倒れた運転手の顔は青く斑になっており、はっきりと異常が見て取れた。
 運転手がとなくなればバスは暴走する他ない。ビルにぶつかり、バス全体がぐわんと揺れた為に泣き叫ぶ声がまた挙がる。
「ひっ、ひいいい!」
 双眸を見開いて腰を抜かしている添乗員を横目に、子供が縋りついていた老婆が少女を抱えて運転席まで走りだした。
「しっかりおし! 女だろう!」
 運転手に代わり、老婆が空いている手でハンドルを切った。


「……夢じゃないわよね」
 長時間のフライトから解放され、旅客機から下りた三島・玲奈は吐息を吐いた。
 竜が男を滅ぼし初めている今、慌てて日本に帰ってきた玲奈だったが、現実であって欲しくないという想いはあっさりと裏切られた。
 日本の男たちももう滅んでしまったのだ。空港では男の姿を全く目にしなかった。ただの一人もだ。
 呪詛は今や世界を覆っている。どういう訳で男性だけなのかは分からないが、もう男性が一人も残らず滅ぶのも時間の問題だろう。
「みんな死んだのかな」
 ぽつりと呟いて、玲奈は手にしていたカバンを落とした。今までの人生で世話になった人々の中には当然男もいた。何の前触れもなしに死んで会えなくなった。ただその現実だけが痛かった。
「……ん?」
 溢れる涙を拭き、カバンを持つ。空港のロビーに人だかりができていた。もちろん全て女性だったが。
「パイロットに今なら誰でもなれるわよ! 残っている兵装が使い放題! 健康で空が怖くないならいくらでも大歓迎! さあ誰かいない!?」
「なる! 私なります!」
「私も!! 今乗ってきたけど、飛行機って全然怖くないし!」
 集まっている若い女性たちが次々と手を挙げる。人ゴミを掻き分けて玲奈はその話の中心にいる人物を見遣った。
 若い女性将校だ。どこの軍属だろうと胸のエンブレムを見た。
 途端、玲奈は口の端を上げた。満面の笑みを見せて、人ゴミを掻き分ける為に屈んでいた体勢から背筋をぴんと伸ばす。
「はい!」
 玲奈もはっきりと手を挙げた。
「即席で航空学、教えるわ!」


 男たちが作りあげた幾つもの戦闘機が、格納庫にずらりと並んでいた。玲奈は壇上に上がる寸前、足を止めてそれを見回した。
 どれも出来うる限りの整備と兵装を積み込んだ。その戦闘機の手前には、それぞれのパイロットたちがずらりと並んでいる。やはり誰しもが女性で、緊張した面持ちで玲奈の一つ一つの仕草を見つめていた。もちろん格納庫には、玲奈号の姿もある。あれに搭乗し、これから彼女たちを導かなければならない。
 玲奈が壇上に立つと、どこからともなくスポットライトが彼女を照らし出した。トントンとマイクを指先で叩き、スイッチが入っていることを確認する。これからこの場所と玲奈の言葉が、世界中に中継されるのだ。
 玲奈が薄い唇を開いた。すう、と息を吸う彼女に呼応するかの如く、緊張の高まるパイロットたちも息を無意識に吸っていた。
「……私達の戦闘機は世界中の各機と協力し、これから史上最大の大空戦を行う」
 出入りこそ静かだったが、玲奈は突如身体を乗り出す勢いで語調を強めた。
「人類、この単語は今日から新しい意味を持つ! 竜族が男性を滅ぼしたからどうした? 私達は些細な悲しみに構う暇もない! 女子は共通の敵に一致団結する!」
 些細な悲しみ、本当は少しも些細ではないのだけれども、あえて玲奈はそう強く言い放った。
 生き残らなければならない。その為には士気高揚のための嘘も厭わなかった。聴き入る女性たちの表情は真剣な様子で、きっと同じ思いを抱いていることだろう。
「今日が桃の節句なのは運命だろう。そして……女子は暴力や迫害からの逃避でなく、生存を賭けて――女子の存在、愛する仲間と生存する権利の為戦う!」
 中継の向こうで、世界中の女性が息を飲んでいた。年嵩の女性たちは祈るように手を組み、子供たちは勝利を信じて拳を固めていた。
「勝利の暁には、3月3日は女子の祝祭のみならず世界が声を大にして宣言する日になろう。私達は闇に葬られない! 私達は戦わずして滅びない! 私達は共に愛し未来を勝ち取り、そして本日、栄光の記念日を制定する!」
 玲奈がマイク台をかたんと倒した。勢いのままに。
 身を乗り出して大声でこう宣言した。
「出撃!!!」


「少女が一つ号令を下せば、世界中の戦闘機からミサイルが発された。屈しなかった彼女らの意志が悪しき竜たちを滅ぼし、悪しき竜族が男を滅ぼした際に突き立てた人類滅亡の碑文がこう書きかえられた」
 それまでどこか憂いのある表情で語りを続けていた彼女は、薄く微笑んだ。
「2033年3月3日、女類滅竜……と」
 彼女のその台詞が消え、しんと静まり返ったバーに拍手が沸き起こった。女性らしい、柔らかなそれらと熱い眼差しを受け止め、語り手の女性は有難うの言葉の代わりにいくつか礼をした。所謂吟遊詩人のように各地を渡り、語りで報酬を手にしているのだ。
 語りの報酬を仕舞いこみ、まだ寒い三月の外へ出るためにストールをまとう。ドレス姿の語り部はバーを静かに出たが、すぐに呼びとめられた。
「あの!」
 振り返ると、二十歳そこそこの女性がバーから飛びだしてきたところであった。
「とても良かったです! でも……女性たちをまとめたその人は、どこに行ったんでしょう? 生きていれば女王様の候補になったと思うのに……」
「……さあ。でも、案外近くにいるかもしれないね」
 語りの時とは打って変わった幼げな口調でエルフ耳の語り部はそう言い、彼女は――玲奈は、黒い髪を夜風に遊ばせて夜の闇に消えていった。