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<東京怪談ノベル(シングル)>


想いと願いの巡る先

「私、何もしてないのに……!」
 ――既に、周囲のパニックの声は、あやこの力では抑えきれないほどにまで膨れ上がっていた。
 始まりは、会社のパソコンだった。
 立ち上げようと電源のボタンを押した瞬間に、ハードディスクが煙を上げてしまった。
 喉が渇いたと思い自動販売機に小銭を入れたところまではよかったが、ボタンを押したら飲み物が出てくる前に電気が消えてしまった。
 これでは今日は仕事にならないと早々に帰ろうとしたが、駅の自動改札機も触れた途端に動かなくなった。
 挙句の果てには――
『ただ今、電車が急停止した原因を調査しております。お急ぎのところ大変申し訳ございませんが――』
 彼女が乗ろうとした電車までもが、指先で軽く扉に触れただけなのに動かなくなってしまったのである。
(今日は厄日かしら)
 自分が触れたものが片っ端から壊れてしまうらしいことは、理解した。
 だが、その原因がわからない。
 周囲の多くの人々が抱くものとは少し違った困惑を胸に抱えながら、あやこは駅を後にする。
 電車が使えないのならば、歩いて帰るしかない。
 タクシーも、きっと触れたら止まってしまうだろう。
 自転車はどうだろうか? 触ってみなければわからないが、タイヤの空気が抜けてしまう可能性だって、ありえないとは言い切れない。
 そんな風にあれこれと思いを巡らせながら歩いていたものだから――

「……何者だ!?」
 ――投げかけられた叫び声にあやこが気づいた時には、周囲の景色が一変していた。





「貴様、知らない顔だ……さては敵国のスパイだな!?」
 見慣れた都会のそれではない、鬱蒼と茂る森の中。
 弓矢を構えたエルフの兵士達が、ずらりとあやこを取り囲んでいた。
「違うわ! 私は――」
「捕えろ!」
 あやこは弁明をする間もなく、彼らによって捕えられた。
「貴様、女か。……構わん、やれ! どこかに証拠があるはずだ、くまなく調べろ!」
 両腕を掴まれてしまえば抵抗もできない。
「きゃあああっ!」
 隊長らしき男の合図と共に、兵士達の手があやこの身体へと伸ばされる。

 ばさり――
「……!!」
 露わになったあやこの背に広がった穢れなき純白の翼に、彼女を囲んでいたエルフの兵士達の動きが止まった。
「そ、その純白の翼……もしや貴方様は……!」
 先程までとは正反対の兵士達の態度に、あやこは眉を寄せる。
「王族の方であらせられましたか! こ、これはとんだ無礼を!!」
 たちまちの内に平伏す兵士達を、あやこは半眼で睨みつけた。
「どういうことなのか、説明してもらいましょうか」
 聞けばどうやら、ここはあやこが知っているよりも遥か未来の王国であるらしい。
 女王による統治を快く思わない一部の軍人によって革命が起こり、彼らと手を結んだ敵国の竜人達が船を使って王城へ攻め入ろうとしている最中であった。
 その船に対し、この森から火矢を放とうとしていた――そんな矢先にあやこが彼らの前に現れたのである。
 船は、既に肉眼でもとらえられる場所まで近づいてきていた。
「どうか、どうかお願いです! 貴方様の御力があれば、女王陛下と王城を取り戻すことができましょう。何卒、我々に力をお貸しください!」
 土下座と共に懇願を重ねてくる兵士達に対し、あやこが胸中で抱く思いは嘆きにも似た“怒り”であった。

 ――またか。

 また、男達は私を利用して、楽をしようとするのか。
 誰のおかげで世界の平和が保たれていると思っているのだろう。
(何もかも、全部、私がやってあげているからじゃない! 守ってあげているからじゃない!!)
 あやこの存在こそがこの世界に平和と秩序をもたらしているというのなら――
 あやこの存在によってこの世界は成立していると言っても、過言ではないのではなかろうか。
(もう、うんざりよ!!)
 世界が、男達が必要としているのは、あやこが持つ膨大にして偉大な力であって、あやこというただ一人の女性ではないのだ。
 自分がいなければ平和を保てないような、こんな世界など!
 女であるあやこの力に頼らなければならないような、非力な男達など!
「何もかも、みんな、なくなってしまえばいいのよ!」
 誰に向けたかわからない、そんな叫びと共にあやこが掲げた右手から、瞬時にして創り上げられた巨大な氷柱が敵船へと向かい放たれる。
 氷柱は周囲の風を受けて取り込み、その大きさと速さを増し――
 船よりも巨大な槍と化した氷柱は呆気なく無慈悲に、敵船を粉々に打ち砕いたのであった。

 そこからのあやこの進撃は、それこそ、瞬く間のような出来事であった。
 翼を広げ天へと舞い上がった彼女は、そのまま単身で今は敵である自国の軍人達に占拠されている王城へと乗り込み、たちまちの内に兵士達を全滅させてしまったのである。
 あやこはまるで紙芝居をめくるようにあっさりと、女王と城の奪還に成功したのだった。

 ……そこで、あやこはふと我に返った。
 いつかそう遠くない過去――昨日も同じことを考えていたような気がしたのを、思い出したからだ。
 あれは会社からの帰り道。黄昏から宵闇へと繋がる時間帯。冷えてきた風が吹きすさぶ、高架下にある屋台でのこと。

「どうせ男達が必要としているのは、私ではなく私の力だけなんでしょう!」
 屋台の店主が口を開くより先に、あやこは手にした卵を勢いよく地面に叩きつけていた。
 抵抗する術を持たない卵は、地面にぶつかった瞬間に粉々に砕けて、中身が散らばった。
「……ごめんなさい、代金は払うわ」
 店主へと冷静に呟いたあやこの胸中は、この時、嵐の前のような静けさと冷たさに満たされていた。

 ――こんな風に。

 こんな風に、この地球を壊してしまえたら。
 何もかもを、消してしまえたら。

 どんなにか楽だろう――そう思いかけたあやこの耳に飛び込んできたのは、
「あなた……あなたアアアアッ――!!!」
 両手で顔を覆い号泣する、助けたはずの女王の声であった。
 女王と城が無事に取り戻せたのだから、もっと喜ぶ声が上がってもいいはずだ。
 しかし、取り戻された場所に満ちるのは、尽きることのない哀切の念と、溢れ出る慟哭だった。
 ああ、彼女は夫を亡くしたのだ。おそらくは敵に殺されてしまったのだろう。
(……私と、同じね)
 この国の女王である彼女が、かつてこの国の女王であったあやこと同じように、愛する人を亡くしている。
 ここが未来であるならば、今こうしてあやこの目の前で泣いている彼女は、あやこの子孫ということになる――はずである。
 これは、何という報いだろう。
 もしも自分が、こんな世界など滅んでしまえと願ったりしなかったら、こんなことにはならなかったのだろうか。
 不意に浮かんだささやかな問いに対する答えを恐れて、あやこは半ば逃げるようにその場を後にしていた。





 先程と同じようにあれこれと考えながら歩いている内に、いつの間にか周囲の景色はあやこの知っている都会のそれに戻っていた。
 まだ朝の混乱は収まっていないのかもしれないが、すっかり空は黄昏の色に染まっていた。
「おう、いらっしゃい」
 吸い寄せられるように高架下の屋台ののれんを潜ると、昨日と同じ穏やかな笑みが、快くあやこを出迎えてくれた。
 あやこは無言のまま席に着く。何かを頼まなければと顔を上げたら、目の前に湯気の立つ、餅入りきんちゃくが入った器が差し出された。
「今日のお勧めだよ、お嬢ちゃん。……全てを包み込む、無限の包容力の源だ。……なんてなあ? それと、これはおまけだ」
 隣にことん、と小さな音を立てて置かれる、もう一つの器。
 その中身を見た途端、あやこの目からぼろぼろと涙が溢れ出した。
 二つ目の器の中身、それは――
「壊れても何度でも、何度でも生まれ変わる、無限の生命力の象徴さ。……なんてな?」
 これまた美味しそうな湯気の立つ、作り立ての煮卵であった。
 震える手で箸を握り、一口食べてみると、漬け込まれたタレの味が程よく染み込んでいて、その美味しさと店主の気遣いがじわりじわりとあやこの心に広がっていくのがわかった。
「詳しいことはわからんが……」
 屋台の店主はあやこの様子を見つめながら、おもむろにそう切り出した。
「お前さんの力は、この世界や多くの男共に、頼りにされているんだろう? お前さんがいなくなっちまったら、お前さんが望むとおり、この世界は壊れちまうかもしれん。だからこそ、お前さんは大勢の人々に必要とされとる」
 店主の言葉を、餅入りきんちゃくと共に噛みしめる。
「それはとても偉大なことじゃあないかと、俺は思うんだが。……お前さんは女だ。女ってのは、感情を爆発させることこそあれど、その後に……抱きしめてやれるだろう? お前さんならば、世界そのものを抱きしめることだって容易いだろう。……お前さんさえいれば、どんなに壊れかけたこの世界でも、未来はどうとでもなる。――少なくとも俺は、そう思っているんだがな」
 ああ、この人は私を励まし、勇気づけてくれているのだと、あやこはその時になってようやく気づいた。
「……そうね」
 いつの間にか、涙は止まっていた。
 そうして、次に耳に届く音、それは――
「そう言えば、機械の故障は直ったのかしら?」

 ――がたんごとんと、動き出した電車が橋を駆け抜けていく音だった。



Fin.