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<東京怪談ノベル(シングル)>


億千の風

 質素な墓だった。今はいないあの人の身体は塵となって消えてしまった。ここに残っているのはあの人だった物のほんの少し。そしてあの人の名前だけ。欲も悪くも私は風、決してひとところに留まっては居られない漂泊の宿命を持つ女……でも。
「帰ってきたわ、私。今回はちょっと遅くなっちゃったけど、でもあなたが愛したこの星の未来の為だもの。許してくれるわよね、きっと」
 愛する人の名を刻んだ墓標の前にあやこは白と群青色で出来た薔薇の花束を手向けた。


 発端はユニスイーツの空港で見知らぬ老人から預かった遺言書だった。届け先は別の地下都市ミズホの白王社。普通に考えれば届けるような人間はいない。今の地球はかつて人類が自らを霊長類と呼び、万物の王ととして君臨し絶頂を謳歌していた時代ではない。は虫類との世界戦争で人間の7つの地下都市だけとなり、総人口は1/100に激減していた。当然都市以外の場所は爬虫類の支配化にあり、ほぼ流通は途絶えている。

 それでも無事にミズホに到着したのはあやこがあやこだったからだろう。鼻歌まじりに散策していたあやこだったが、胸騒ぎを感じて白王社に急行する。だが、そこで見た物は襲撃を受けて無惨な破壊を受けた神職達であった。
「しっかりして! 何があったの?」
 あやこは浅黄色の袴姿の男を助け起こす。勿論、ミズホに生身の人間はいないから、男の顔が硬質な素材で出来ていたとしても驚く事はない。逆にびっくりしていたのは助け起こされた神職の方であった。
「あなたは……人間? なのですか?」
「そんなことよりどうしたの? 一体なにがあったの?」
 のんびりと問答している場合ではない……と、あやこは早口に尋ねる。表情からはわからないが神職はハッとした様だった。
「た、大変です。タクティカの翼竜が……」
 何かが……おそらくは風が知らせたのだろう。あやこは神職を突き飛ばし思いっきり飛び退く。狙い撃ちされた神職の身体が爆発した。分厚く黒い煙が社内を充満するより早く、次々と誘爆が続き清らかなる白王社は土台も残さず木っ端微塵に破壊される。
「やったか?」
「わかりません」
 遠い上空に狙撃者達はいた。逞しい翼竜の背に乗り見た事もない重そうな銃を携えている。
「ネオタクトーの事が知られるとやっかいだ。探せ! 死体でも構わん」
「どういうこと?」
 一瞬、風のなる音がして隣を飛んでいた翼竜が全身を刻まれ落ちていく。もう1人の男の背中側に浮かぶあやこの姿があった。
「なに? 何故?」
 空中に浮かぶあやこの姿に男は驚愕するが、これは魚が水を泳ぐ事や、人間が空気を吸う事に等しいほどに自然な事だ。察するに、この男は所詮下っ端なのだろう。
「聞いているのは私。言うの? 言わないの?」
 あやこは動かないが小さな風が男の首筋に鋭い傷をそっと刻む。

 2時間後、あやこはネオタクトーの胡麻油の香漂う街を探しまわり、ブルジョフ大学にたどり着いていた。もう癖になった小さく歌を口ずさみながら、強引に学内の最奥まで踏み入ると、そこでは沢山の若い娘達が竜によって洗脳教育を施されていた。あやこの娘もその中にいた。
「男は要らぬ。汝らは我ら竜族の子を孕むのだ。X染色体自転車の前輪、後輪にたとえれば、Y染色体は補助輪だ。汝等は男を卒業せねばならぬ」
「何を馬鹿な!」
 種というものが繁栄を望む事は知っている。子孫を次代に残そうとする気持ちもわかる。だが、別種に頼らなければ繁殖出来ない不完全な自分達を省みず、独善的な思想を振りかざし、洗脳して利用しようとすることは許せない。
「消えて!!」
 暴風の中心が突然出現したかのように、室内を荒れ狂う風が席巻する。何もかも、誰も彼もが吹き飛ばされた後にあやこと娘がいた。
「……」
 声もなくあやこは娘に抱きつく。けれど久方ぶりに再会した娘の目は虚ろで抱きしめる母の腕も顔もわかってはいなかった。

 恋人達の街シャルマーニュでも、美しい水の都クセルクセスでも、あやこと娘に安住の地はなかった。風の様にさすらう2人の母娘の旅は心を取り戻すための大事な時間であったが、刺客や追っ手との追走劇でもあった。娘の洗脳は強固で、時には何時間も歌ったり怒鳴りあいを続けながら街から街へと移動したこともある。
「眼を醒ましなさい! 女は男に恋するのよ!」
「そんな事誰が決めたの? 神様? 世の中には同性しか愛せない人も、そもそも人を愛せない人だっているのよ。どうして女は男に恋するって決めるのよ」
「じゃあ竜の子を産むって言うの?!」
「どうして駄目なのよ!」
「駄目! あいつ等は駄目よ!」
 大声は風で封じることが出来たけれど、姿までは隠せない。だからどの街でもあやこと娘はすぐに追っ手に見つかり、別の街へと移動するしかない。
「しつこいわね。一体どこまで着いてくるつもり?」
 娘を背にかばいながら、あやこは運河を臨む堤防の端に立つ。あと少し後退すれば激しい水しぶきをあげて流れる奔流に飲み込まれてしまう。翼竜に乗る男達は答えない。濃いスクリーングラス越しの表情は見えないが、隠すつもりのないあからさまな殺意が強く激しく伝わってくる。
 どこか遠くでドォンと地響きの様な音がした。音はすぐに1つ、また1つと響いてくる。ふわりとあやこが笑った。その時初めて翼竜に乗る男達に動揺が走る。
「私達の逃避行は伊達だと思うの? この書簡の中身は新国家の歌詞よ! 人類は明日の希望を歌い戦うわ! 青空の下で斉唱出来る日を夢見て」
 晴れやかにあやこが歌う。ユニスイーツでミズホでネオタクトーの胡麻油の香り漂う街で、そして恋人達が愛をささやくシャルマーニュの片隅で……いつもあやこは歌っていた。その歌が分断された人々の心を繋ぐ架け橋となり、疑心ではなく希望からネットワークが生まれた。
「藤田さん!」
「ミズ!」
「あやこお姉さま!」
 声と同時に銃声がとどろき翼竜もろとも男達が倒されていく。その屍の向こうで世界中から立ち上がった同士達が手を振っている。
「……よかったね、お母さん」
 背から小さな声がした。振り返れば娘が笑っている。
「うん! うん!」
 あやこはギュッと娘を抱きしめ、そして駆け寄ってくる皆に手を振って応えた。


 それから6時間後……本当の目的地に私は立っていた。大切な歌をあの人にも聞かせてあげる。
「これがその歌。どう? なかなかいい歌でしょう。老音楽家に乾杯……でしょう?」
 答えはない。あの人の魂はとうにいってしまったから。でも、それでも私はここに吹き戻ってしまう。どんなに遠くへ旅していても、私の心の幾らかはきっと此処に繋がれている。それは苦しくて心地良い束縛。私の中の
「また来るわ。だって私は風だもの。吹き渡る風はひとところにはいられない。でも、必ずまた帰ってくる。私を待っていてくれる人達の側に……」
 そよぐ微風に髪を揺らし私は去る。どこへ向かうのか、それは私にもわからない。私は風……地球を抱きしめ守る風の女。