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<東京怪談ノベル(シングル)>


     The Call Of The Bottom

From:海原みなも(ウナバラミナモ)
To:雨達圭司(ウダツケイジ)

お久しぶりです、雨達さん。お仕事の調子はどうですか?
って、そう尋ねたら「オカルト専門の探偵はあまり忙しくない」とよく仰るけど……専門家の力が必要な時ってやっぱりあると思うんです。
この東京ではいろんなことが起こりますから。
それで、一つお願いがあるのですが、もしちょうど今手が空いていたらあたしに――あたしたちに力を貸してもらえないでしょうか?
雨達さんもあたしが携帯電話の付喪神(つくもがみ)と同化したのを覚えてらっしゃるかと思います。
その付喪神があたし――海原みなものデータを取り、そこから「イメージ」を作り出して人間の世界に現れ、あたしを乗っ取ろうとした時は少しもめましたけど、幸い今はうまく溶け合ってそれなりにやっていけています。
ただ、その付喪神だった方のあたしは以前「付喪神の世界」というところでデータを仲間に盗まれたそうで、その時一緒に奪われたあたしの水の力のデータが戻っていないことに最近気が付いたと言うんです。
他のデータは大体取り戻したみたいなんですが……。
その力はデータですし、あたしの力のコピーですけど、もしそれを悪用されるようなことがあったら困ります。
付喪神の方のあたしも、自分が集めたデータなのに横取りされた上にそれを勝手に使われるのは赦せないと言っています。
そこであたしたちはデータを取り戻そうと決めました。
でも手がかりがほとんどないので、できれば雨達さんに手を貸してもらえたらと思って連絡をしたんです。お願いできますか?
今回は正規の依頼なので報酬はキチンと支払わせてください。
お返事お待ちしています。


From:雨達圭司(ウダツケイジ)
To:海原みなも(ウナバラミナモ)

メールありがとう。
何だかまた厄介なことが起きているみたいだな。
まだ関係あるかどうかは判らないが、最近、海で人魚を見たという証言があって話題になっているのを思い出したよ。
人魚の末裔であるお前さんの水の力があれば、人魚みたいに海の中で自在に動くことも可能だよな?
目撃情報が出始めた時期も合うからそこから当たってみる。
何か判り次第報告するよ。
報酬は、その情報が役に立った時に受け取ります。
リクエストしていいなら、また手作りのお菓子をよろしく。



 雨達からの返事を読み終えたみなもは依頼を引き受けてもらったことに対する礼のメールを送ると携帯電話を閉じ、小さくため息をついた。自称とはいえ探偵が、仕事の報酬に高級でもない菓子をねだるというのはどうなのだろう。
 そんなことを心の中で呟くと、『手作りだから価値があるのよ。』とそれに答える思考がみなもの胸の内に浮かび上がった。同化した付喪神の”みなも”である。その声は自問自答のようであり、またみなもの内側に住む別の誰かが発したもののようでもあった。
 「彼女」もみなも自身であり、またもう一人の別のみなもでもあるがその境界を決めるのは難しく、また線を引く理由も思いつかないほど二人は自然に溶け合って一人の「海原みなも」という少女として存在している。
 その「彼女」がどこか面白がるような口調でこう言葉を続けた。
 『付喪神のあたしからすれば、手作りの物と量産品との違いというのはハッキリしているわ。一つ一つ作られた物の方が思い入れができるのか、付喪神には憑(つ)きやすくてなじみがあるもの。もちろん、あたしみたいに携帯電話という量産品に憑く仲間も多いけどね。』
 みなもはそれを聞いて「付喪神にもいろいろあるんですね。」と、自分一人しかいない自室で興味深そうに首を傾けた。
 テレビのチャンネルを切り替えるように思考が入り混じり、頭の中で言葉が交わされる――その風変わりな環境にみなもはもうすっかり慣れてしまっていた。家族や友人と分かち合う感情とはまた別の、まさに同化と呼ぶに相応しい共感はどこか居心地が良く、楽しくもあり心強い。
 また人間のみなもと、元は付喪神の「彼女」は本来かけ離れた存在でありながらその両者の資質を同時に持つに至っていた。みなもは人魚の末裔という、肉体があるからこそ受け継いだ血の力、水を操る能力を失っていなかったし、付喪神のみなもも「付喪神の世界」へ今でも行くことができると言う。
 『今からあたしのいた世界に案内してあげる。あの頼りになるんだかならないんだかよく判らない探偵に任せきりというのも心配だし、データを盗んだ奴の行方を他の付喪神が知っているかもしれないわ。』
 そんな「彼女」の声に手を引かれ、目を閉じたみなもは「彼女」が開いてくれた付喪神の世界への扉――携帯電話の中へと意識をくぐらせた。


 付喪神の世界に着いてみなもが不思議に思ったのは、そこがかつて来たことがあるような不思議な懐かしさにあふれていたことである。しかしみなも自身が感じているものなのか、それともみなもの意識をいざなった付喪神の「彼女」が感じているものなのか、どちらとも判断しがたい。
 ただ、少なくとも付喪神の世界は今のみなもに好意的なようである。
 体の重さを感じさせない周囲の空間は空気よりも水に似ており、まるで海の中を泳いでいるような気にさせた。南の海にいる錯覚を起こしそうになり、言いようのない懐旧の波に心が浮き立つ。わきを流れ過ぎて行く魚や海の生き物たちの代わりに、様々な付喪神たちがみなもの隣を泳ぎ去っていった。
 「これは何とも珍しいモノがいる。」
 「人間かい? それとも付喪神かい?」
 「覚えのある同胞の気配もするじゃないか。」
 そんなことを泡のように呟く彼らに、付喪神のみなもが声をかけた。
 『あたしから水の力を盗んでいった奴を知らない? あなたたちが手当たり次第にあたしからデータを盗んだ時のことよ。』
 後半のとげのある「彼女」の声音にひるんだのか、ぼそぼそと彼らは何事かを見えない口で囁いた。それが波紋のように広がり、みなもの意識にも届く。
 「あいつが持って行った。沈んだ船の落とし子。」
 「打ち上げられた忘れ形見。」
 「あれは海に戻りたいと言っていたから。その力はなかったけれど。」
 「今はあるだろう。だからここには戻っていない。」
 付喪神たちの言葉にみなもの中の「彼女」は眉をひそめ、うなるように言う。
 『海へ行ったというの? データから得たあたしの姿で?』
 それに答えたのはやはりさざ波のような複数の姿なき声たちだった。
 「人間の姿をした器は貴重だ。自由に動けるから。長年の望みだった海に戻ることも人の姿なら難しくはないだろう。うらやましい。」
 「わたしも欲しい」
 「わたしも」
 「我々は自分のあるべき場所を探している。それを見つけられる者はそう多くない。仮住まいで満足することも少なくないが。自由な体を持つ人間ですら、しばしば居場所を求めてさまよっている。」
 「人の世界も付喪神の世界も迷子の幽霊であふれている。」
 「またその姿を奪われたくなければ、あまりここへは来ないことだ。」
 声たちはそんな忠告めいた言葉を最後に、潮が引くようにしてさあっとみなもの傍から離れていってしまった。
 みなもは自身の中に溶け込んでいる付喪神と同じ青い瞳で急にさみしくなった周囲の空間を眺めながら「みんなどこかへ行ってしまったみたい。」と呟く。
 「船の落とし子って何でしょうか。」
 『知っているわ。船首像のかけらよ。有名な職人が作ったとかで、たいそう立派だったらしいわ。その一部が壊れて浜辺に打ち上げられたのを大事に保管されていたそうだけど、見る人が少なくなったからとどこかの資料館の倉庫にしまわれたみたい。その時にそれに憑いていた付喪神がここへ戻ってきたの。海の底のどこかにある本体の船を探したがっていたけど、あきらめている風でもあったわ。だから器を離れたんじゃないかしら。』
 「でも偶然水の力を手に入れて探す気になったと、そういうことなんでしょうか?」
 どうしましょう、と困惑混じりに言うみなもに「彼女」は『とりあえず戻りましょう。』と答えた。
 『ちょうど探偵からメールが来たわ。』
 その「彼女」の言う通り、うたた寝から覚めたような心地で我に返ったみなもが携帯電話を開いてみると雨達からのメールが届いていた。時計を見ると数時間が経過している。本当に夢でも見ていたようだと思いながら、みなもはメールの文面を心の中で読み上げた。


From:雨達圭司(ウダツケイジ)
To:海原みなも(ウナバラミナモ)

ざっと調べた限りだが、いくつか判ったことがあるので報告します。
近くの海で目撃されているという人魚について。
それは海水に溶けるような青い髪の少女の姿をしているらしい。
古風なセーラー服を着ていて、最初は人がおぼれているのかと思った漁師が助けようとしたが、あっと言う間に見失ったという。
その後、似たような体験をした者が仲間内に何人か現れ、おぼれていたのでなければあれは人魚に違いない、という話になったようだ。
しかし、もう少し詳しく調べてみると、昔近海で船が一艘沈んだらしく、その時に死んだ人の幽霊じゃないかと言う者もいる。
海での事故を記録した公式文書のデータベースをのぞいたら、確かに船が沈んだ記録があった。
人魚の特徴はお前さんの容姿に似ているから、データを盗んだ奴がそれを器にして偽物の姿を手に入れた可能性があると思ったが、もし海で死んだ者の幽霊なら他人のそら似かもしれない。
今になって突然現れた理由は判らないが。それも調べてみる。
あと、おれなら一応顔の見分けくらいはつくと思うので、明日にでも漁師と交渉して船に乗せてもらい、探してみるつもりだ。
当面の調査の予定としてはそんなところです。その報告はまた後日。


 メールはそこで終わっていた。読み終えたみなもは複雑な表情を浮かべる。
 「船が沈んだのは本当なんですね。しかもあたしによく似た人魚……やはり船首像の付喪神がデータを持っているということなんでしょうか。でももしそうなら……沈んだ船を探すために水の力と自由に動ける器が必要なら、取り返すのは何だか気の毒ですね……。」
 『あなたは本当に甘いわね。あちらの事情なんてあたしたちの知ったことじゃないじゃない。』
 みなもの中で「彼女」が呆れているとも怒っているともとれる声音でそう反論したがみなもは、でも、と言葉を続けた。
 「あたしたちには船首像の気持ちも判るじゃないですか。あたしとあなたは『海原みなも』の存在を取り合ったけど、結局それは自分の存在する場所を争っていたということです。あたしは絶対にこの体はあげられないと思いました。あなたもあきらめきれなかった。だから今こうして一つの存在、『海原みなも』としているんですよ? 戻るべき場所、行きたい場所があるなら誰でもそこへたどり着きたいと願う……その気持ちはあなたが一番よく知っているじゃないですか。」
 これに「彼女」は痛いところをつかれて黙り込んだようにしばらく思考を中断した。それから渋々といった様子で『確かにね、それが叶ったあたしは幸運だとは思うわ。』とみなもの言葉を認める。
 『でも、それじゃあどうするの? 船首像が本体の船を見つけるまで放っておくつもり? 目的地についたらもう器や力は必要ないだろうから、あっちが手放せばそれは自然に返ってくると思うけど……その間は人魚や幽霊の噂が流れるわよ。そもそもデータを手放すという確証もないのに。』
 「そこが問題なんですよね……。」
 みなもはそう呟いたあと、とにかく雨達に自分たちで調べて判ったことを知らせておこうとメールを送ることにした。
 すると、ほどなくして驚くくらいに楽観的なこんな返事が返ってきたのである。
 『そういうことなら大丈夫じゃないか? そっちのちょっと陰険な付喪神ですら嬢ちゃんと同化して少しは丸くなったようだし、元々悪事を働くつもりがないなら、お前さんのデータを器にしてそう非常識なこともしないだろう。きっとおとなしくデータを手放して満足するんじゃないかな。きっと船もじきに見つけるさ。ただの勘だけど――ですって。ちょっと陰険な付喪神ってあたしのこと? あたしもみなもだってことを判って言っているのかしら。しかも勘だなんて、あてにならないじゃない。』
 メールを読み上げた「彼女」が腹を立てて言うのを聞きながらみなもは「でも雨達さんの勘は当たるんですよね。」と苦笑した。
 そして、まさしくその言葉の通りに間もなく盗まれた水の力のデータは解放されたのである。雨達はその後もしばらく船の上からみなもの姿をした者を探したものの、一度も見かけることはなかった。
 もっとも人魚や幽霊の噂はしばらく消えそうになかったが、みなもの手作りの菓子をほおばる雨達いわく、「噂の元凶はもういないから問題ないし、ここはそういう街だから一つや二つ怪異が増えたところで誰も気にしやしないさ。」ということであった。
 「それよりも嬢ちゃん、これ、一つだけやけに塩辛いんだが分量を間違えたのか?」
 「あら、すみません。『混ざっている』ものですから。」
 にこやかにそう答えたみなもの言葉が塩の分量のことを指しているのではないことに雨達は気付き、はははと乾いた笑いをこぼす他なかった。



     了