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【総力戦富嶽顛末〜夢のまた夢】
薄く張った雲で霞んだ高層ビル群を眼下に、金翅鳥がぞくぞくと集まってきていた。
東京上空。
空腹に支配された彼らは、富士山麓に棲む龍を喰らおうと一度は襲ってみたものの辛くも失敗――空腹はさらに金翅鳥らを追い詰めた。
すわ共食いか、とまで懸念されるまでに至り、幹部の一部が動いた。
群れの中でも一際大きく、鮮やかな赤い羽根を持つ長老の元へ集い、かつて祖先が行い成功させた“乳海攪拌”の再現を進言した。
乳海攪拌とは巨大な亀の背に山を乗せ、龍の力によって動かし攪拌させることである。それにより、地上の生物はぐつぐつと煮立ったなべの具材のようにひとつに溶け合った。それを乳海と呼んだ。天上の甘露と見紛うほどに美味という。その上、栄養は豊富で不死を得るとさえ評される。
長老は即断を渋ったが、「時は待たぬ」と詰め寄る幹部らに根負けし、
「ならば策を講じ、見事甘露を手に入れよ」
と下知を下した。
さて、龍をどうやって操るか――思案に暮れる幹部へ、若い金翅鳥がこそりと耳打ちした。
「彼奴らはまだ女を諦めてはおりませぬぞ」
ほぉぉぁぁ、と感嘆の溜息を吐きながら、三島玲奈は目の前に聳え立つ豪奢な門扉を見上げた。その上に掲げられた看板には「美少年ランド」とある。
高輪に最近できたというテーマパークらしいのだが、テーマが美少年とはなんとも素晴らしい。
草間興信所の探偵見習い、草間・零を伴って仕事で園を訪れた玲奈だが、
「確かにこれは美少年ランドだね」
右手に見えるアトラクションは、ローマ神殿を模した建造物を背景に薄い布切れ一枚だけを身に纏った、紛れもない麗しい少年達が愛を語らっている。
「さて、と。お仕事と参りましょうか」
二人が任された依頼というのは、“神様んちにお泊りするの”と言い残して戻らない家出少女の行方を捜すことだった。
まずは園内の様子を一通り探ろうかと、二人は移動した。
角を曲がると、大正浪漫花開く活気溢れる通りが眼前に広がった。顔を寄せ合い、語らう書生達に身悶えする玲奈と、やれやれと首を振る零。
居合わせた客の若者に聞き込みをしてみるが、有力な情報は得られなかった。代わりに、あちらでは「沈む夕日をバックにサッカー少年達が青春を謳歌するシチュエーションがありました」とか、「木陰で愛を囁いてくる先輩に戸惑う後輩というシチュエーションもありました」という、事件とはいっさい関係のない情報ばかりが耳に入ってきた。
「ここはただのテーマパークだったのでしょうか」
首を捻る零をよそに、玲奈はすたすたと場所を移動し始めた。
「何をしているのですか」
呆れたように声を掛ける零だが、その表情が俄かに曇った。赤い両目を眇めてなにかをじっと凝視する。
「嫌がってる風に見せておきながらの、誘い受けってところねっ」
「玲奈、玲奈。あの子達の指から変なのが見えます」
腰を屈めた零が、後輩クンを押し倒そうとしている先輩クンの手を指差し、「赤い糸が見えませんか?」と言う。
確かに赤い糸がどこかへと伸びている。
やはりこのテーマパークにはなにかカラクリがあるようだ。
唇に指先を当てて玲奈は真剣な顔つきで呟いた。
「運命の赤い糸は後輩くんと繋がっていなくっちゃね」
ぐっと掌を握り、「ね!」と零を振り返ったが、零はただ苦笑いするほかなかった。
テーマパークから伸びる“運命”の赤い糸を手繰り、辿り付いたのはなんとも怪しい洞窟だった。
「ますます怪しい」
玲奈がくふふと笑う。
洞窟の緩やかな傾斜を軽々と進んでいく。二人の姿は五分もしない内に暗い闇に吸い込まれていった。
細い糸が複雑に絡み合い、やがて大きな赤い川のようになる。玲奈と零は各々の胸に確信を持った。
見目麗しく恋に苦悩する少年達をテーマパークという釣堀へバラ撒き、女の子等を釣ったのは間違いなくヤツだ。
「ここは放牧用の女を集める龍族の基地だ!」
洞窟の奥はホールになっていた。見覚えのある巨躯が背を丸めて呑気に寝息を立てている。規則的に揺れる鱗。鼻息でそよぐ長い髭。ざっと見ただけで五頭はいる。赤い糸は彼らの背びれ部分から伸びていた。
「判りやす〜い」
「……ですね」と零も赤い瞳を細めて笑う。
「女の敵に容赦なし」
腕捲りで気合いを入れ、玲奈は細い指先を左のこめかみへ押し当てた。刹那、彼女の左目がアメジスト色に閃光。バシュン、という鈍い音と共にホール内へ広がる肉の焼け焦げた臭い。
「うお! 熱っち!」
「さあ、観念なさい! この女の敵共め、腐れ外道め。あんな素敵な施設を、間違えた――乙女心を揺り動かす――乙女心を弄ぶ……あ、これは合っているのよね。よし」
噛み噛みになりながらセリフを決める玲奈。
眼力光線を立て続けに放つと、歳若い龍は器用にそれらを交わしながら、自分は何も知らないと必死に訴えてきた。
他の龍達も同様に叫ぶ。
「濡れ衣だし、俺ら知らねえしっ」
背中を大きくくねらせて光線を避ける。
「俺らただの斥候だしっ」
くの字に身体を折り曲げたが、腹の鱗を少し焦がした龍は涙目で訴えた。
「本隊へ戻るぞぉ」
半泣き状態の龍達は我先にと洞窟を飛び出していった。その最後の一頭の尾を掴み、嬉々とする玲奈も本隊へ向かった。
(「あの様子から察するに、龍がこの件に関わっていないことは明白ですね。では――?」)
いってらっしゃい、と玲奈を見送りながら零は彼女と別行動を取ることにした。
玲奈を連れて戻って来た斥候隊に、さしもの本隊も総崩れになる。
「なんで玲奈を連れてきた! うわ! こっちに来るな、バカモン」
「総員撤収!」
誰かが叫んだ。収拾がつかない程に乱れた本隊は、右往左往に逃げ惑う。その中を若い龍も飛び回った。もちろん赤い糸を背から垂らしたままで。
誰も彼もが赤い糸に絡まり、それは――。
ロデオに乗っている気分で楽しんでいた玲奈の視線が、するするとそれを辿ると、行き着いた先には霊峰富士の山があった。
「どういうこと? ――はあっ?!」
信じられない光景に玲奈は自分の目を疑った。
富士山が、ズゴゴゴ、と回り出したのである。
「富士のお山が、ががが……イテッ」
尻尾に張り付いた邪魔者を振り落とそうと、龍が激しく尾を振ったので、玲奈は少し舌を噛んでしまった。
痛くて思わず目を閉じ、もう一度目を開けた時には、富士山の回転は終わっていた。
残念無念。どこからか声が聞こえた気がして、玲奈は空を見上げた。焔のように赤い大きな鳥が、群れとなって飛んでいる。玲奈は瞼を擦ったが、鳥はすぐに消えていた。
玲奈は視線を空から眼前の空き地へ戻した。『美少年ランド』の跡地である。
忽然と現れ、忽然と消えた乙女の夢の具現化パーク。
「ちょっと残念ー」
玲奈はこれみよがしにガクリと肩を落とした。
「あんたという子は」
零が呆れたように頭を抱えた。
「あのまま富士山が回転し続けていたら、金翅鳥を増長させてましたよ」
「美少年が〜」
「まだ言いますか」
運命の赤い糸を司るという月下老人達を発見し、締め上げて真相を聞き出した零は彼らを素早く清め塩で退治したわけだが、おかげで夢のパークは消えたのである。
愚図る玲奈の手には、まだ見ていないアトラクションが掲載された、美少年ランドのパンフレットが握られていた。
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