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【純白と舞う烈火】
「見事に揃っていますわね」
白鳥・瑞花は、その小さな頤を持ち上げ、歌うように言った。
彼女がいるのは、先だって殲滅指令を受けた悪逆非道の組織拠点である。人間社会に上手く紛れ込む為の悪魔の罠にかかった哀れな者共でもあった。とはいえ、もともと屑と呼ばれる類の彼らだから同情心は沸かない。
人であった頃に使用していたままの事務所内に、さまざまな姿かたちをした魑魅魍魎がうぞうぞといる。その中央に置かれた一際立派なデスク(といってもスチール製の事務机であるのだが)には、人型を多く残した一体の鬼が悠長に指を組んだ状態で白鳥と対峙していた。
その両脇にはゴーレムのような巨躯を誇るバケモノが、赤黒く光る一つ目をぎょろぎょろと忙しなく動かしていた。白鳥の背後で獣のごとき唸り声を上げているのは、四足へと変化したチンピラ達である。
これまで嗅いだ事の無いオンナの匂いを、鼻をひくつかせながら四足のバケモノが嗅ぐ。
「……4、いいえ5頭かしら。その程度の数でわたくしを止められると思っているのでしたら、甘いですわ」
鈴を転がしたように、コロコロと愛らしい声を立てて白鳥が笑う。その声音に嘲りはないが、一欠けらの憐憫さはあったかもしれない。
「自分達の置かれている立場がよくわかっていないようですわね。説明、いたしましょうか? 貴方方は、これからわたくしに殲滅させられるんですのよ。悪魔と契約したことを後悔する暇もないほどの短い時間で……っ」
突如、飛び掛ってきた四足の牙を、深く入ったスリットから伸びる美脚でもって払い飛ばすと、「せっかちですわね。でもキライではありませんわ」と笑った。
蹴り飛ばされた四足は、宙で身体を反転させ、何事もなかったように着地する。それを合図に、他の四足が一斉に白鳥へと襲い掛かった。
ガラスの嵌っていない窓から差し込む光の中で、埃が乱反射する。その中を、白鳥はダンスでも踊っているように舞った。
武は舞に通ずるのである。
壁を床に見立て、ブーツの踵で蹴り上げると白鳥の身体は苦もなく回転した。紙一重でかわした四足を頭上に見上げつつ、抜刀。上半身を捻りながら白刃を真横に斬り払うと、四足は踊り狂ったように四肢をバタつかせて黒い血を噴き出した。漆のように黒い血溜まりへ、べちゃべちゃと音をたてながら細切れにされた魍魎の肉片が落下し、沈んでいく。
死を理解する感覚を持ち合わせない彼らは、仲間の死骸を踏みにじり、白鳥へと詰め寄った。
左右から同時に四足が床を蹴った。
転瞬――白鳥が大きく跳躍。まるで床にバネでも仕掛けていたように、白鳥の身体が大きく、天井近く飛び上がる。その足元では出会いがしらに互いの鼻面を強打している四足が、喉を震わせて啼いていた。
ふわり、とほんの一瞬だけ宙に浮いた後、白鳥は剣を構え、一気に落下した。膝をたわませ、着地の衝撃を緩和する。トン、と小さな音だけが事務所内に響いた。
一閃。一太刀にしか見えない斬り払いだったが、白鳥は剣を左右に素早く振りぬいていた。
まるで銃でも撃ち込んだように、四足の胴体には見事な風穴が開いていた。真空状に放たれた剣風が成せる技である。
2頭の四足が、それぞれ倒れ伏すと同時に、白鳥のケープがゆっくりと彼女の肩を覆う。一連の動作は美しく、命を奪い去っているとは到底思えなかった。
だが、彼女が行っているのは紛れもない殲滅行為である。終始笑みが絶えないのは、、敵手との実力差が大きくかけ離れているからだった。
「狗は後2頭ですか。さあ、どういたしましょう?」
そう告げたところで、鬼が指を鳴らした。なにかしらと思っていると、背後の扉を何者かが大きく弾き飛ばした。
白鳥は視線だけを動かし、視認する。増援だと認識するのと同時に振り返るが、その時にはすでに迎撃態勢を整えており、背後をついたことで有利だと思っていた四足共は、愕然とした思いのまま、白鳥の剣によって真っ二つに裂けられたのだった。
ズン、と床が沈んだような錯覚に陥ると、ゆらりと暗い影が白鳥を包んだ。美貌の武装審問官は剣を逆手に持ち替え、振り返りざま、背後の敵手へとその切っ先を突き立てた。
ギィーン……と、低い金属音が部屋中にこだました。切っ先は、ほんの僅かだけを突き立てただけだったのだ。それでも白鳥の表情が翳ることはなかった。
すぐに二手目を繰り出す白鳥。その頭上を岩のような拳が、ぶんと横殴りに通り過ぎていく。
当たれば彼女の小さな頭は粉砕されてしまうだろうが、如何せん、ゴーレムは動きが緩慢すぎた。
振り抜かれた岩の腕を、白鳥は剣の柄で小突き上げ、その脇へ向けて蹴りを叩き込んだ。ぐらりと巨躯が傾くと、白鳥は素早く方向を転換させる。魍魎が倒れると予測した地点で待ち受け、トドメを刺した。
太い胴体から切り離された頭部は、鞠のように床を転げ、鬼の目の前で止まった。だが鬼の表情は変わらない。
もう一体のゴーレムが襲い掛かってきたが、白鳥の敵ではなかった。的確に関節へと刃を斬り込ませ、抉り落とす。
悪らつな魑魅魍魎の前では、白皙の天使も死を運ぶ死神のようであった。
ついに鬼が咆哮し、立ち上がる。
身の丈だけ言えば、先程のゴーレムを遥かに上回っていた。天井との差があまりない。だが、それは攻撃範囲が狭いことの現われで、白鳥への脅威にはならなかったのである。
「ふふ」
白鳥は思わず声をだして笑った。きつく締められたコルセットの上で、熟れたふたつの大きな胸もふるんと揺れた。
小首を傾げると、淹れ立てのアールグレイみたいな琥珀色の髪が、さらりと彼女の背を撫でた。グローブの指先を、赤く熟れたグミの唇へ当て、
「わたくしに勝てると思っているのですか? なんとも滑稽ですこと」
憐れみに満ちた双眸で眼前の鬼を見上げ、嘲った。
「グゥルルルルルル……ッッ」
鬼は、血の池を連想させる真っ赤な瞳を燃え上がらせ、拳を握った筋骨隆々の腕を白鳥めがけて突き出す。
白鳥は、まるで遊んでいるように、あえて紙一重ですべての攻撃を避けて見せた。その度に、戦闘服の裾が捲り上げられ、白い太ももが晒された。柔らかな腿に食い込みを見せるニーソックスが艶かしい。
「グギャアアアア!!!」
両手10本の鉤爪を擦り合わせ、鬼は口角から涎まで垂らし、白鳥を追った。独楽鼠のようにちょこまかと動く審問官へ苛立ちを募らせた鬼は、床に拳を叩きつけた。その頭頂部へ、白鳥はひょいと飛び乗った。
軽く踵で小突いて挑発する。
鬼が叫び、白鳥の足首を掴んだ。形成逆転の図に見えたのだが――。
逆さに持ち上げられた白鳥は、まるでアクロバティックなダンスを楽しむようにサファイア色の瞳を大きく見開いてから、咲き誇る薔薇のように華やいだ笑顔を見せた。
右手で剣を横凪に、左手から電撃が発せられた。それらは同時に繰り出され、鬼の顔は三等分されたのだった。
鉤爪が大きく仰け反り、ひくひくと痙攣を起こし始めると、白鳥の身体は宙へ放り出された。彼女は鬼の腕を足がかりにして体勢を直し、何事もなかったように床へ下りた。
床に転がる死骸を横目に彼女は大きく息を吐いた。細くくびれた腰に手を当て、つまらなそうにさくらんぼの唇を尖らせる。
「手応えが無さ過ぎでしたわね」
踵を鳴らしながら、武装審問官は僅かなフレグランスを残し、去った。
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