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<東京怪談ノベル(シングル)>


女神は笑う

1.
「よう、調子はどうだ?」
 梅雨に濡れる東京の片隅。
 草間興信所を訪れた黒冥月(ヘイ・ミンユェ)がドアを開けると、所長の草間武彦はおもむろにそう聞いた。
「…悪くないわ。どうして?」
 傘を傘立てにしまいながら、冥月は聞き返す。
「あの日以来顔見てなかったからな。いいならいい」
 いぶかしげな顔の冥月に、「そうだ」と草間は続けた。
「折角だからお前のブレンドコーヒーが飲みたいな。入れてくれよ」
「…だから、どうして私がブレンドコーヒーを作ってることを知っているんだ?」
 さらにいぶかしむ冥月に草間はただ笑うだけだった。
「まぁ、いいわ」
 そう言って台所に立った冥月。
 しかし、心なしか口の端に笑みがこぼれている。
 サイフォンのポコポコと湯立つ音が静かな雨の中に混じる。
 こうして静かな時間が過ぎるのも悪くなかった。

「おまたせ」
 運ばれた二つのコーヒーは芳醇な香りを放っていた。
「おぉ、これこれ」
 草間が香りをかぐと、一口飲んだ。
「どう?」
「やっぱりお前のコーヒーは今まで飲んだ中で一番だな」
 そう言って微笑む草間に思わず冥月の顔も緩んだ。

 しかし、静かな時は影ある者の進行によって妨げられることとなる。


2.
「…武彦、最近誰かに恨み買った? 命狙われる覚えは?」
 唐突に冥月はそう訊いた。
 あまりの唐突さに武彦は最初何を訊かれているのかわからない様子だった。
「そりゃ、俺は探偵だからな。危ない橋の一つも二つも…」
 そこまで言ってっ草間はハッとした。
「…来てるのか?」
「そう。団体様がご到着だ」
「ち。参ったな…事務所は勘弁してくれよ…妹に怒られるじゃないか」
 ちらっと困り顔のまま草間は冥月を見る。
 そんな困り顔されるとつい甘やかしたくもなる。
 が、ここは心を鬼にしないといけない。
「知らない。自分で何とかしたら? …まぁ、仕事として報酬出すなら請け負うけれど。私は高いわよ」
 冥月も元プロの暗殺者。
 報酬無しに仕事はしないのだ。
「そこを何とか! 今うちが貧乏なの知ってるだろ!」
「それとこれとは話が別だ! 公私混同もいい加減にしろ!」
 やいのやいのと話はもつれる。
 が、傍から見ればただの痴話喧嘩である。
 最後には冥月が草間を一発殴って昏倒させた。

「そうか…じゃあ、金の代わりになる報酬を提示しよう…」
 目覚めた草間は真剣な面持ちで、冥月の耳元で囁いた。
 少々やりすぎたかと冥月も思っていたところなので、多少の報酬の悪さには目を瞑ろうと思った。
 その草間が考え付いたその報酬とは…

「!? ま、まぁ、そんな報酬はどうでもいいが、ここが荒れたらお前の妹が可哀想だな。いいだろう。退治してやる」

 顔が赤いですよ、冥月さん。


3.
「草間ぁ! 覚悟!!」
 バーンとドアをノックもなしに侵入してきた男たち。
 しかし、彼らは現実ではない世界へと引き込まれていた。
 あるはずの事務机、あるはずの応接セット。
 そしてあるはずの外の景色が何一つとしてなかった。

 あるのはただ、真っ白な空間。

「お前ら、こないだぶっ潰した組の連中だな」
 草間がタバコを燻らせてそう言った。
「貴様、草間! 覚悟しろ!!」
 そう言ってドスを振りかざして切りかかろうとした男が一人、何もないその空間で足をもつれさせた。
「うをぉ!」
 足元を見れば、自分の影がまるで蔦の様に絡まっているではないか。
「な、何じゃこりゃあ!!?」
「なんだ、草間だけでもいけるんじゃないのか?」
 草間の影からにゅるっと出てきた冥月はため息をついて言った。
「俺は無用な戦いを避けたいんだよ」
「ふん。勝手な言い分だな」
 ニヤリと笑った草間に、冥月はツンとそっぽを向いた。
「野郎ぉ! 妙な技使いやがって!!」
 殴りかかろうとした男たちに、草間を横に庇い、冥月の鋭い眼光が光る。
 足元から幾重にも伸びてきた影のリボンが男たちの体を包み込み、そして動けなくした。
「む、むぐぅ…」
 もぞもぞとまるで青虫のように這いつくばる元組員たち。
 そんな彼らに冥月は声を抑えていった。
「これでも手加減はした。次は殺すぞ」

 冥月は草間の要請により、男たちをどこか見知らぬ土地へと吐き出した。
 帰り道すらわからない彼らが、二度と草間興信所を襲おうなどとは思わないだろう。

「終わったぞ、草間」
「見事だな。俺じゃ血の一滴も出さないなんてこと出来ないからな。サンキュ」
 草間はそう微笑むと、ポンと冥月の肩を叩いた。
「そ、それで、報酬だがな…」

「わかってる」


4.
「…なんだ、これは?」
 ジュワジュワと湯気の立ち込めるもんじゃ焼き屋で、冥月は眉根に皺を寄せていた。
「もんじゃ焼きだな」
 そうここは、東京下町にある隠れたもんじゃ焼き屋の名物もんじゃ焼きである。
「ちがう! 私が聞きたいのはそこじゃなく、お前の報酬はどうなっているのかと!」
 怒り心頭の冥月に草間はシレっと答えた。

「あぁ、『俺の手料理を振舞う』ってやつか」

「そうだ! これは手料理じゃないだろう!?」
 ジュワジュワとおいしそうに焼けるもんじゃ焼きはどう見ても手料理ではない。
「冥月。よく考えてみろ。俺の手料理なんて本当に食いたいのか?」
「報酬は報酬だ」
 必死に食いつく冥月に草間はニヤリとして言った。

「ならばはっきり言おう。俺は手料理なぞ作ったことはない!」

「どこの詐欺師だ!!!」
 バチンッといい音がして、草間は空を飛んだ。
「ま、まぁ落ち着け。いいか。男が美味い料理を作っていいと思うか?」
 草間は叩かれた右ほほを押さえつつそう訊いた。
「?」
「いいか、男は女の美味い料理を食いたいんだよ。だから自分で美味い料理なんか作っちゃ駄目なんだ」
 屁理屈だ。
 そうは思ったが、男の心理としては一理あるのかもしれない。
「お。そろそろいい具合だ」
 草間の関心はもんじゃ焼きに逸れた。
「どんどん食えよ。俺のおごりだ」
「…なら遠慮なく頂こう」
 なんとなく腑に落ちないから、今日はしっかり食べてやる。
 そう思った矢先、草間は呟いたのだった。

「ここに誰かを連れてきたのは初めてなんだぜ」

「…ホント?」
 思わずそう聞き返して冥月はハッと下を向いた。
「本当。だからちゃんと食えよ」
 そっと見上げると草間が優しく微笑んでいた。

 冥月は微笑み返すともんじゃ焼きをほおばった。