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<東京怪談ノベル(シングル)>


●名前をあげます
 名前……それは何かを有象無象の中から唯一のモノであるかのように格上げしてしまう魔法の言葉。
 ここに名前を必要としている男がいた。男にはごく普通の名がある。彼が喉から手が出る程必要としていたのは人の名ではなく地名だった。
「もう駄目だ」
 執務机にかがみ込む。とある宇宙事業に絡む仕事に従事している彼が現在取り組んでいるのは、発見した全てに名をつける事だった。無味乾燥な記号よりも名を付けるべきだと思っていたが、100を越え500を過ぎ、1000を上回るともうどうにもならなくなる。それでも、杓子定規な『上』は普通の命名にこだわり変更することを許さない。かくして彼の仕事は思いついた名を表計算ソフトで検索し、既に使われているかどうかをチェックし、未使用ならば登録して新たなデータとする事だった。だが思いつく名にも限りがある。
「何にも出てこない」
 再度彼はうなるようにつぶやく。その時、携帯電話から短いメールの着信音が誰も居ないオフィスに響いた。普段なら執務中はマナーモードにしているし、そうでなくても見る事はない。だが、溺れる者が藁にすがるかのように彼は携帯電話を手に取った。送り主の名を見るだけでもいい。
――名前をあげます――
 そのメールのタイトルに彼は屈した。

 霊場恐山。今は時期ではないのでイタコ達がテントを連ねているわけではないが、歩いていればそれらしい老婆に出会う事も1度や2度ではない。
「あと少し、7月の大祭だったらもっと賑やかだったかもしれないですね」
 草間・零(くさま・れい)はのんびりと言った。事務所を出るときはもう少し緊迫した感じがあったのだが、新幹線と在来線を乗り継いでいる間にすっかり観光気分になっている。
「零さん、目的を見失ってますよ」
 新米助手であるところの三島・玲奈(みしま・れいな)は一応事務所の先輩にあたる零を気遣ってそっと耳打ちする。
「あ、そうでした」
 零は肩をすくめて舌を出した。
 事の起こりは一体なんだったのか。いきなり草間探偵事務所はとんでもない好景気に沸いた。ひっきりなしに依頼人が殺到し仕事をさばききれなくなったのだ。急遽助手として雇われた玲奈が提案したのが『霊媒活用』だった。
「外注の時代だよ♪」
 下請けから孫請け、そこからまた別のところへ。企業の多くは自分で全てをまかなっているわけではない。忙しいなら仕事を振り分ければいい、というわけで玲奈と零は恐山にやってきた。勿論経費で精算されるが今は持ち出しだ。
「でも、頻発している通り魔事件や自殺、失踪が本当にここで判るんでしょうか?」
 零は小首を傾げて玲奈に尋ねる。
「待って!」
「え?」
 いきなり玲奈はギュッと零を抱きしめた。ひとけのない山道だが白昼堂々の抱擁である。
「黙って。目を閉じて」
 びっくりして声も出ない硬直した零へと玲奈は唇を寄せる。
「わーわーわー」
「やめろやめろ! 若いねーちゃん同士でなんて事しやがる!」
 焦った零が力任せに玲奈を押し返したのと、見知らぬ男が物陰から飛び出してきたのはほぼ同時だった。
「え?」
「あっ」
 びっくりしたような顔をした零と男の視線が合う。
「どういう事か教えてくれるわよね」
 両手を腰に当てた玲奈が可愛らしく胸をそらせ、男を睨め付けた。

「それはぁ」
 意外にも男は押しの弱いタイプらしかった。玲奈が女王の様に高圧的に出ると、腰が抜けたようになって地面に這いつくばる。
「た、頼まれただけなんだ。あんた達がここで何をするつもりなのか、調べて教えろって」
「誰が? 誰に頼まれたの?」
 更に強く玲奈が尋ねる。
「わしじゃよ」
 答えは男のもっと後から聞こえてきた。
「玲奈さん」
 心細げに零が玲奈にしがみつく。恰幅の良い初老の男が悠然と歩み寄ってくるのが視界に入った。男は1人ではなく、左後方にサバイバルナイフを手にしたジャンキーっぽい若い男、右後方に生活に疲れた感のあるアラフォー風な女を従えている。更にその後に沢山のやさぐれた様子の人間達がいた。
「零さん。口寄せはもう必要ないみたいです」
「え?」
 玲奈は黒髪を掻き上げて笑う。
「事件の黒幕が実行犯と一緒に出てきてくれたみたいです。どうやらいきなり一件落着になりそうです」
「この人達が?」
 零はいぶかしげに現れた3人を見つめる。男が通り魔の実行犯で、女が自殺騒動の元凶となれば、その後にいるのは失踪した者達か。そして中央の男が黒幕ということなのだろう。
「ここに何があるか知っているか。人の認識と現実の落差を動力源とする『謬見機関』が眠っている」
 男は足下を芋虫の様にまるく醜い指で示す。
「恐山大祭に合わせて事件を起こせば沢山の人が死ぬわ。その名前を奪うつもりなのね」
 不思議な色の瞳でじっと玲奈は男を見据える。男は余裕の様子だが、零には寝耳に水だ。
「ど、どういうこと? 玲奈さん」
「名前が必要なんですって、お嬢ちゃん。世の中にはね、後腐れがなくて万が一にも訴訟なんて起こらない名前を欲しがっている人が少しだけ要るのよ」
「そうそう。死んじまった奴の名前が足りねぇから、手っ取り早くぶっ殺して廻ってるわけよ」
 男の背後にいた2人が代弁して答える。
「冥土のみやげはこれで終わりだ。始末しろ」
 男の言葉に失踪した者達が雄叫びをあげて零と玲奈に殺到する。だが、彼らの手が届く前に玲奈の身体は重力のくびきを離れて飛翔した。水着姿はまだ少しミスマッチだったが、充分に神々しい威風にその場の誰もが動く事が出来ない。彫像の様に微動だにせず、ただただ玲奈を呆然と見上げるだけだ。
 その玲奈の腕がスッとあがり黒幕然としていた男を指さす。
「もう存分に戴いた! 自然はそこにあるだけで完結している。それをわざわざ何かに擬える――名を付ける――事は間違っている」
 恐るべき魔眼のまなざしは男を射抜く。
「謬見は人の奢りの最たる物。名前はその結晶だ。謬見力を見よ」
 その言葉通りに身体を貫通された男はうめき声も上げずにこときれ倒れ込んだ。それがきっかけかのように、その場にいた者達は騒然となった。口々にわけのわからない事をわめき散らしながら走り出したり隣の者に掴みかかったりし始める。完全なるパニック状態だった。
「きゃあっ」
 巻き込まれそうになった零が悲鳴をあげる。玲奈は空高く舞い上がっていたが零は違う。あっと言う間に人々の渦に巻き込まれそうになった零は腕をあげて顔や胸を庇い、顔を逸らして目を閉じ身をかがめる。だが、どれほど経っても何事もない。それどころか何の音も聞こえなくなっていた。おそるおそる目を開ける。
「あれ?」
 あれほど沢山いた人々が全て消えていた。倒れていた男の姿も、空に浮かんだ玲奈も消えている。
「れ、玲奈さん。どこ? れ、玲奈さぁああああん!」
 零の声はのどかに広がる山野に吸い込まれて消えていく。返事はない。2度3度と玲奈の名を呼んだ零の目に大粒の涙が浮かんでくる。
「消えちゃったのですか? 私を助けるために? 玲奈さん」
(「助けて下さい!!!」)
 零の頭に声が響く。それは沢山の声、失踪し今また玲奈と共に消えた者達の声だった。

 後刻、恐山の地下深くから多くの者達が救助され、不思議な体験をしたと語ったが集団幻覚ではないかと診断されることになるが、それはもう少し先のお話。