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赤い靴
赤い靴を履いた少女は、一生踊り続けないといけない。
愛より靴を、他より自分を選んだ報いなのだから。
しかし呪いを受けた少女は、自ら靴を履いていないのならば、どうすれば彼女は踊りを止める事ができるのだろうか?
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最近は人が多いな。
既に空の青が徐々に濃くなってきたにも関わらず、制服姿の生徒達とすれ違うので、栗花落飛頼は少し首を傾げて生徒達を見た。
大学部と高等部、中等部だと授業の感覚も違えば、自由時間もまた違うので、大学部だとついつい時間間隔がマヒしてしまう。
飛頼はうーんと考えて、思い出した。
そっか、もうすぐ聖祭か。そう納得した。
そう言えば自分もそろそろ演奏課題選ばないといけないんだもんなあ……。
そう考えながらも、てくてくと足は体育館の方へ向かっていた。多分聖祭の練習でも今頃しているんだろうなと、そう思いながら、バレエのダンスフロアへと足を運んでいたのだ。
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飛頼が体育館の地下に足を踏み入れた瞬間、大きな音楽で思わず足を止めた。
流れてくる曲は、CDコンポの音とは言えど大きく反響するチャイコフスキー。
これは……。
耳を澄ませる。
「眠りの森の美女」の中の1曲である。
すごいな。今年のバレエ科は随分長い演目をするんだ。飛頼はそう感嘆した。
「眠りの森の美女」は、バレエの中でも3大バレエと呼ばれる演目である。
中でも「眠りの森の美女」は、序章含めて全4章、時間に換算すれば4時間にも及ぶ大作になっている。当然、技術は元より、体力、気力を必要とするので、このバレエに関わるバレリーナ、バレエダンサーの総合力が試されるのである。
トゥシューズが軽快に床にリズムを刻む音が響く。
トン トントントン トン
くるりとターン。艶やかにピルエット。
床をかすかに擦る音、トゥシューズが鳴り響く音から、それらが瞼の裏に鮮やかに思い描けた。
やがて、耳の鼓膜を拡げるような大きな音楽は終わった。
パンパンと先生の手を叩く音が響く。
「はい、今日はここまで。次の通し稽古までに、各自自分の踊りのチェックをしてね。次は音楽科と通して練習します」
「はい、ありがとうございましたー」
そう言って、レオタード姿の少女達が次々とダンスフロアから出ていき、飛頼を見ては不思議そうに首を傾けた。
やがて、レオタード姿の少女が1人立ち止まる。
「先輩? どうかしましたか?」
探し人……守宮桜華だった。首にタオルを巻いて、ペットボトルを手に提げている。
飛頼は軽く会釈をしつつも、着替えに行く生徒達の邪魔にならないよう、そっと端に寄った。桜華もそれに倣って端に寄る。
「今日は自主練だけじゃなかったんだ」
「はい。もうすぐ聖祭ですから。全部通しでやるのも珍しいですからね。結構頻繁に合同練習が入ります」
「長いもんね。やる方は大変じゃないかな?」
「そうですね。でも見る方も体力入りますし、これは言わば踏絵ですから」
「踏絵? 何で?」
「だって」
桜華はくすくすといたずらっぽく笑った。
「本当に下手なバレエって言うのは、眠ってしまうんですよ。逆に踊りが上手かったら、いくらクラシックを全部通して聴いていても眠くならないんですよ。不思議な事なんですけどね」
「ああ……」
飛頼は少しだけ思い返してみる。
のばらの事を思い出したせいなのか、想像だけならば眠たくも、脂汗を掻く事もなくなった。もっとも、今の所まだバレエを直接見たりは怖くてできないけれど。
確かに、本当に巧いバレエは音がなくても惹きつけられるよなあ。重力を全く感じない跳躍とか、柔らかい動きとか。
少し考えていたら、桜華はにこにこと笑った。
「そう言えば、どうかしたんですか先輩は」
「うーん……」
改めて桜華を見る。
さっきまで練習していたせいか、額に髪が汗で張り付いている以外は取り立てていつもと変わらないように見える。
でも……。
何であの時、星野さんと被って見えたんだろう……。
「前にさ、記憶ないって言う事あったじゃない。あれ、大丈夫?」
「えっと……怪盗の出た晩の事ですか?」
「うん」
桜華の視線が泳いでいる。飛頼の目を見ないのだ。
うーん……何か隠しているのかな?
飛頼はまじまじと桜華を観察していたが、やがて彼女は口を開いた。
「……時々。本当に時々ですけれど」
「えっ……?」
「記憶が飛ぶ事があるんですよ。気付いたらどこかに立っているとか」
「それ……まずくない?」
「でも……先輩みたいに倒れたりした事はないので、誰にも迷惑かけたりはしてないです」
「……?」
飛頼は桜華の物言いに、思わず首を傾げた。
彼女、ちゃっかりした人とは思っていたけど、わざと人を悪く言ってまで突っぱねる人だったっけか。
「うーんと……そうだ。守宮さんに会う前に、ロットバルトに会ったんだ。怪盗の」
「怪盗の? そう言えば怪盗が2人現れたって言っていましたね」
「うん。その時、その時なんだけど……星野のばらさんが、踊っているのが見えたんだ」
「?」
桜華は眉を潜める。
飛頼は慌てて続ける。
「いや、からかってるとか、嘘をついているつもりはないんだ。何故かあの晩、星野さんが踊っているのが見えて、何でだろうと思っていたら、星野さんがいなくなって替わりに守宮さんがいたから、何でだろうって……」
「…………。そう」
桜華の声が、急に変わったのに飛頼は目を丸くした。
その声は、よく覚えていた。
桜華の落ち着いた声ではなく、ひどく甲高い少女の声だった。
――今、桜華から聴こえるはずのない声。星野のばらの声だった。
「あの時いたの、あなただったのね」
「ちょっと待って……何で星野さんの声が……?」
「だって、私は星野のばらですもの」
「……!?」
大量の光を浴びて、その場に桜華がいた事を思い出す。
一体……守宮さんに何があったんだ?
「この身体に……星野さんがいる?」
「違うわ」
桜華の姿のまま、のばらはくるりと回る。
その回り方は、いつか見たのばらの全く体重を感じさせない動き……妖精のような動きだった。
「だって、この身体は私のものだもの」
「えっ……?」
「……まだ完全に使う事はできないみたいね。でもいずれは私のものになる。ふふ……はははははははははは!!!!」
甲高い笑いが響く。
あの時、あの時の中庭の声だ。
途端、桜華がガクリ、と崩れかけた。飛頼は思わず腕を出して桜華の肩を支えた。
「守宮さん、守宮さん。大丈夫?」
「……? あら? 先輩?」
桜華はパチパチと瞬きをした後、きちんと自分の足で立ち直った。
「あの……私、何か変な事してましたか? 少しだけ記憶が抜けてるんですけど……」
「……ううん。大丈夫」
飛頼は何とか口角を上げてそう言うが、胸の中ではヒヤリとしたものを感じていた。
何で……守宮さんの中に星野さんが?
心霊体験の中に、死んだ人に取り憑かれると言うものはよくあるが、少し違う気がした。
まるで……守宮さんの身体を星野さんが乗っ取ろうとしているように見えた。
どうすればいいんだろう……。
飛頼は目の前できょとん、とした顔の桜華を見ながら、そう考えた。
<了>
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