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遠とき日々〜始まりの、その日。
「‥‥十四郎?」
窓際にどっかりと座り込み、1枚の書状に視線を落としたままじっと動かない弟に、来生・一義(きすぎ・かずよし)はしばしの逡巡の後、声をかけた。そうして返ってきた、んぁ? という生返事に小さな小さなため息を、吐く。
その日、いつも通りに帰宅した弟――来生・十四郎(きすぎ・としろう)に、その書状を渡したのは一義だった。結婚式の案内状だったと思う。慶事を示す真っ白な封筒に、一義には見覚えのない名前で差し出されたそれを、返ってきた十四郎に声をかけ、手渡した。
そうして、すぐに夕食の準備をするから、と台所に引っ込んで、戻ってきたらこの状態、だったのだ。ちなみに、本日の夕食はポトフと言えば聞こえの良い、簡単に言うと安い野菜や肉の切れ端をとにかく煮込んだスープ。十四郎が帰ってきてから温め直したのに、もうすっかり湯気も消えてしまった。
十四郎、ともう一度、弟の名を呼ぶ。呼ばれ、ちら、とようやく視線をあげた十四郎は、もの言いたげな顔で自分と、手の中の案内状と、それから机の上のスープ皿を順番に見ている一義に気付き、軽く目を瞬かせた。
それにまた小さな息を吐いた兄が、それは、と眼差しだけで案内状を示す。
「誰からだ?」
「ん‥‥? ああ。昔のダチだよ。ほら、17まで通ってた都内の高校の」
自分はそんなに深刻な表情をしていたのだろうかと、一義の問いにおかしくなりながら、十四郎はあっさりそう言った。ひらり、弄ぶように案内状を安い蛍光灯の下にひらめかせる。
慶事を示す、白と赤で彩られた書状。そこに記された差出人は、多くの場合のように新郎新婦の保護者の名で出されていたから、十四郎にだって覚えはないけれども。
その名字と、案内状の中に記された2人の名前は、あれから時を経た今だってしっかりと覚えている。
「兄貴も覚えてるだろ? 俺と一緒に陸上部で短距離やってて、しょっちゅう俺と口喧嘩してた、ポニーテールの気の強い女。俺とそいつと、マネージャーやってた気の弱いメガネ‥‥兄貴に似た男と、良く3人でつるんで遊んでたろ。その2人が結婚するんだってよ」
当時を懐かしく思い出しながら、案内状に書かれた日取りを確かめた。仕事のスケジュールもついでに引っ張り出して、取り立てた予定が何もないことを確かめて、返信用のハガキに印刷された『出席』の文字に丸をする。
そうしてそのまま、明日にでも仕事の道すがらポストに放り込もうと、無造作に鞄の中に放り込んだ。お互いに社会人ともなれば学生時代のように頻繁に顔を合わせる時間もなく、思い返せばあの2人に会うのもかれこれ数年ぶりになる。
せっかくだから式の余興代わりに、居並ぶ来賓の前で高校時代そのままに、盛大に口喧嘩でもしてやろうか。華やかな衣装でしとやかに装う新婦が来賓と大喧嘩を始め、新郎がおろおろとその仲裁を始めれば、さぞや場も賑やぐ良い出し物になる事だろう。
そう、にやにや笑う十四郎の言葉に、一義もまた『彼女』の事を思い出していた。弟がまだ高校生だった頃、部活の朝練に遅刻すると毎日、毎日迎えに来ていたポニーテールの少女。怒ったような口調で「さっさと準備しなさいよ!」とせかす彼女に、十四郎はいつも「うるさい」などと言い返すのが常だった。
その、懐かしい日々を思い出す。あの頃はまだ、弟はこの第一日景荘には住んでいなかった。
「‥‥もし火事で自宅が焼け、お前があちこちを転々とすることがなければ、今頃彼女の隣にいたのはお前だったかもな」
ふと、こぼれ落ちた溜息を誤魔化すように、一義はそう呟いた。生真面目な彼なりに精一杯、軽妙に。あくまで軽い、冗談に聞こえるように。
溜息の理由は幾つでもあった。一つには、この弟なら本当に結婚式というめでたい祝いの席で、喧嘩を仕掛けてきそうでもあったし。もう一つには――弟もまた、そう思っているのではないかと、思ったから。
あの頃。毎日、毎日、朝練がある度に迎えに来ていたポニーテールの少女。けれども、うるさいと言いながら十四郎が決して彼女がやって来るまで登校しなかったのは、或いは十四郎もまた、彼女がやって来るのを待っていたのではないかと、何となく思ったのだ。
けれども、そりゃまずねぇな、と十四郎はそんな兄の想像を肩をすくめて否定した。
「俺が相手じゃ、火の玉に油を注ぐようなもんだ」
怒りっぽくて、何かある度に文字通り火の玉のように怒り狂って十四郎に食ってかかってきた、気の強い彼女。グラウンドで騒動が起こる度、そんな怒れる彼女を必死に宥めていたのはいつも、あの気の弱いマネージャーだった。
十四郎では、ああは行かない。自分の言葉ではないが、それこそ彼女の言葉に脊髄反射のレベルで言い返し、言い返し、さらに混ぜっ返してますます怒り狂わせるに決まっている。
だから、肩を竦めて苦笑を1つこぼしたきり、十四郎はその話を打ち切った。打ち切り、ようやく食卓の上の冷め切ったポトフに視線を向ける。
「そうか‥‥お前が言うなら、そうなんだろう。温め直して来よう」
そんな弟の言葉に合わせるように微笑んで、一義はポトフの皿を両手に台所へと取って返した。そうしてまた、小さな小さな息を吐く。
けれども1つ、まるで自分自身が吐いた息をどこかへ押しやってしまおうとするかのように首を振って一義は、冷め切ったポトフを鍋に戻し、ガスコンロに火をつけた。
◆
式の日は、十四郎が出席した2人のみならず、世界中のどこかで同じ様に式を挙げているすべての新郎新婦を祝福するかのように、よく晴れていた。そんな中、こざっぱりした礼服を着込んで出かけて行った十四郎を、一抹の不安を抱えながらも一義は見送って。
弟が、帰ってきたのは夜ももう随分更けた頃だった。ほどほどにアルコールも入り、鼻歌交じりの上機嫌で帰ってきた弟は、礼服の上着とネクタイを無造作に毟り取ると、放り出すように机の上に投げていく。
十四郎、とそんな弟の名を、呼んだ。弟の手は止まらない。礼服などさっさと脱いでしまいたいと、言わんばかりに奔放に脱ぎ散らかして、普段着に腕を通す。
拾い集め、皺にならないよう注意しながらもう一度、弟の名を呼んだ。ん? と一義に向けられる、酔いを含んだ眼差し。
「式はどうだった?」
「んー‥‥」
「‥‥まさか、本当に喧嘩したのか?」
唸る弟の飄々とした態度に、まさかと思って念を押すように問いかけると、ほんの一瞬、十四郎は表情を止めて沈黙した。けれどもそれがまるで錯覚だったかのように、次の瞬間、兄を見つめてにやりと笑う。
その、悪びれない態度。してやったりと言わんばかりの眼差し。
それらに式場で起こった出来事を何となく察し、一瞬の眩暈を覚えた後、一義は全力で息を吸い込んだ。そうして、宣言どおりめでたい祝いの席でやらかしてきたのであろう、弟を叱り飛ばそうと声を上げかけて。
ぽん、と肩を叩いて一義の横をすっとすり抜けていく、十四郎に虚を突かれた。はっとして振り返ると、まっすぐ部屋の入り口へと向かっていく十四郎の背中が、ひら、と手を振る。
「飲み足りないから出かけてくる」
そう言い残したのと、ガチャンと部屋の扉が閉まったのは、同時。途端、廊下に満ちるひんやりとした夜気に包まれて、知らず首をすくめた十四郎はこれと行ったあてもなく、ひとまずは繁華街へと歩き出す。
歩きながら、ごそ、と羽織ったジャケットの胸ポケットから取り出したのは、1枚の写真。ところどころ、夜の街を明るく照らす街頭の光の下に浮かび上がる、懐かしい面影。
それは、結婚式の案内状に同封されていた、高校時代の写真だった。十四郎と、ポニーテールで強気な瞳をした少女と、間に挟まれて気弱に笑う眼鏡のマネージャー。3人揃って撮ったこの写真は、部活の最中だったか、それともどこかの競技会だったのか。
じっと、古びた写真を眺めた。それぞれ、あの頃と変わってしまったものもあって、まったく変わらないものもあって。
――あの頃。彼女と十四郎はそれこそ、顔を合わせれば喧嘩をしていた。時々はまじめな話で、多くは些細でくだらないことで。周囲が時に真剣に心配するほどの言い争いの中には、それでも確かに繋がる絆があったと、十四郎は今でも思っている。
そんな2人の間に、割って入ってくるのはいつもマネージャーだった。多分、彼は彼で心配していたのだろう。必死に彼女を宥め透かし、時々は十四郎にも「そんな言い方はよくないよ」と注意してくる、そんな彼ともまた確かに繋がる絆は、あったのだ。
だから。
「――お幸せに」
ぽつり、呟いて十四郎は、右端に写る自分の姿を破り捨てた。無造作に道端に放り投げると、夜の風がどこへともなく浚っていく。
その行く末を、見守るでもなく十四郎はもう一度、2人だけになった写真を眺めた。そうして元通りに胸ポケットに仕舞い込み、両手をジャケットのポケットに突っ込むと、手頃な飲み屋を探して繁華街をうろつき始めたのだった。
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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業 】
0883 / 来生・十四郎 / 男 / 28 / 五流雑誌「週刊民衆」記者
3179 / 来生・一義 / 男 / 23 / 弟の守護霊・来生家主夫
ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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いつもお世話になっております、蓮華・水無月でございます。
この度はご発注頂きましてありがとうございました。
また、いつもながらお届けが大変遅くなってしまい、申し訳ございませんでした(全力土下座
ご兄弟のほんのり切ないエピソード、如何でしたでしょうか。
過去のエピソードなど、もしイメージと相違があったならば申し訳なく;
こちらのご兄弟のノベルはいつも、どこか儚いような切ないような感じがするなぁ、と思います。
イベントに限らず、普通のシチュノベ、大歓迎なのですよ(笑
また、妹への祝辞、本当にありがとうございました(深々と
姉の蓮華が言うのもなんですが、妹は本当に良い旦那様に恵まれたと思います(笑
ご発注者様にありがたいお言葉を頂けたのですから、きっと、喧嘩もしつつ、末永く仲良くやって行ってくれると信じてます。
ご発注者様のイメージ通りの、めでたくもほんのり切ないノベルになっていれば良いのですけれども。
それでは、これにて失礼致します(深々と
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