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<東京怪談ノベル(シングル)>


ブラックドッグを追って
 その四辻は、静かに佇んでいた。
 ただ黙々と信号だけが仕事をする、アスファルトで覆われた細い道。
 人気は限りなく少ない。今の時点ではセーラー服姿の少女が佇んでいるのみだ。
 彼女にも何か思うところがあるのだろう。暫し周囲を伺うと彼女はその場を離れ、どこかへと向かっていく。
 そして四辻は再び無人に戻っていった。

 いつも通り、愛想の無いコンクリートで出来た建物。
 その廊下をセーラー服姿の少女がとたとたと小走りに駆けていた。
 同じくいつも通りけだるく開いた扉へと、彼女――海原・みなもはひょこりと顔をだす。
「こんにちは、あの……」
「どうした?」
 彼女の、いつもとはちょっと違う問いかけに、だらりと寝ていた草間・武彦は身を起こし不思議そうに問う。
 みなもは胸元を飾る桜色の貝をきゅっと握りしめると、決意を決めたようにこう告げた。
「どうしても気になる事があるので、調べたいんです」

 ――四辻に顕れた黒い犬。それに関する依頼が興信所に舞い込んできたのは少し前の話。
 みなもはもう1人の女性と、2人で力をあわせ、事件へと挑んだ。
 現在ではあの怪異は起っていない。世間的には、あの事件は終結したと言っても良いだろう。
「それでも、おまえはあの事件について調べたいというのか?」
 草間は煙草をふかしつつみなもへと問う。問われた彼女は即座に頷いて見せた。
「結局、あの“黒い犬”の正体はわからず、なぜ“あそこ”にいたのかも不明です」
「調査費等は一切出せないし、サポートも出来ないが、それでもか?」
 改めて重ねられた問いにもみなもははっきりと頷いて見せる。そこは彼女の頑固な面かも知れない。決して折れず、己の意志を通す。だがそれは決して悪い事ではない。
「個人的に調べてみたいんです。それなら問題無いですよね」
 きっぱりと意志を込めた一言に、草間はがしがしと頭を掻き、そして諦めたようにこう言った。
「……判った。だが条件がある」
「条件……ですか?」
 怪訝そうな表情で鸚鵡返しに問うみなも。
「オレも連れてけ」
「え……?」
 みなもは目を見開く。怪奇事件が苦手な草間が手伝うとは、いったいどういう事だろう?
 そんな彼女の考えは思いきり表情に出ていたのだろう。草間は再び頭を掻くと告げた。
「オレの興信所で手がけた仕事で、担当が引きずっている事があるのなら、それは所長であるオレが責任を持って一緒に解決するべきだと思った。それだけだ」
「草間さん……」
 かくして2人は調査に乗り出した。

「具体的にはどんな調べ方をするつもりだ?」
 長い階段を歩きつつ草間が問う。みなもの「まずは図書館へ」という言葉に従い、草間はみなもと共に図書館へとやってきていた。
 対人調査はお手の物のこの男だが、怪奇事件についてはあまり調べたことが無いのか。はたまた、みなもの自主性に任せようというのか、指針については彼女に任せる方向のようだ。
「様々な神話や伝承などから似たようなものを探したいと思います」
 本棚の前にたどり着いたみなもはそう小さな声で告げた。
「形状が“犬”であること、チャプンと水音を生じること、などが限定条件でしょうか」
 主に2類のあたりを探し回り、時には7類の芸術関係や、9類の文学等にも及ぶ。
 長い調査に流石に少々疲れたのだろう。草間がポケットから煙草をとりだそうとしたが、みなもに「図書館は禁煙ですよ」と止められる。
 渋々煙草を仕舞い、草間は話題を切り替えようとこう告げる。
「黒い犬の伝承というと、類似したものは、イギリスのバーゲスト、そしてブラックドッグあたりか……?」
 他にもマーザ・ドゥー、ブラック・シャック、ティッコ等、黒い犬にまつわる怪談は世界のあちこちに存在する。
「黒い犬ではありませんが、日本国内には送り犬という妖怪もいますよ」
「詳しいな」
 草間の言葉に彼女は小さく笑う。
 流石に様々な事件で色々調べ物をしていけば、それだけ知識も蓄積されるというものだ。
 草間の正面で古地図を調べていたみなもは件の四辻が以前は沼地であった事を知った。
 時折自殺者が出る事で周辺の住民には知られていたその場所は、宅地造成の為埋め立てられ、道ができ、家が建ち……その後ずっと後になり舗装され、そしてアスファルトやコンクリートのビルで固められた。いまや、当時を覚えている者は居ない。こうして記録に残っているだけ、だ。
 もともとが水地で、しかも時折とはいえ引き寄せられるように自殺者が出るような場所であった事を考えると、言わば、残留思念の類が溜まりやすい所であったのは間違い無い。
 四辻は見た目こそ変わってしまったが、今でも霊的な何かが集う場所であるという事は何一つ変わっていないのだろう。
 そう考えると、件の四辻の近くの人々が口々に「何となく嫌な感じがするから通りたくない」と言ったのは理解出来る。人気が無いのもその為だろう。
 霊的なものには接せずごく普通に暮らす人々でさえ感じ取る異質さは、逆にあの黒い犬が居着く理由にもなる。
 霊的存在に近い(と、思われる)犬にとっては実体となりやすい、あるいは、居心地の良い場所だったのかもしれない。
 問題は、あの黒い犬の正体だ。
 諸外国に存在する黒い犬の伝承は、死に関わる存在であると示している。
 それは今回四辻に現れた犬たちにも共通する部分だ。
 特にイギリスに伝わるブラックドッグは古い道や十字路に現れるらしく、今回のものに近い。
 だが逆に墓地を墓荒らしから守ったり、道に迷った子供を助けたりと穏和なものも居る。
 四辻のブラックドッグと完全な一致をする存在はどうも見つからない。
 みなもの表情は僅かながら疲れの色も見え始めている。
 それでも彼女は書物へと向かう。自分の決めた事だから、最後までやり通さなければ、と。
「……なあ、みなも。おまえが見たのはどんな犬だったんだ?」
 ふと発せられた草間の問いにみなもは書物の頁をめくる手を止めた。彼女へと更に草間は問いを重ねる。
「こうやって図書館で資料を集めるのは、決して悪くはない。だが、それ以上におまえ自身の目で見たものを思い出して欲しい」
「黒い、影のような大きな犬でした。夜闇の中でも目が爛々と光っていて……強いて言うならイギリスのブラックドッグと近いですが、完全に同じでは無いです……」
「そうか……それだけ分かれば上々だろう」
 そう言い、草間はみなもの調べていた書物を取り上げると返却棚へと戻してしまった。
「草間さん、まだ終わっていません!」
「そうは言ってもその様子じゃこれ以上成果など上げられんだろ」
 みなもの疲弊した様子に彼はそう言いきると草間は彼女を連れ図書館の外に向かう。
「まあ、後でまた調べるとしても一休み、だ」

 図書館外にある喫茶店は空調が効いており涼しかった。
 目前に置かれたアイスコーヒーはグラスの外に結露を起こし、その水滴がするりと滑り落ちる。
 そんな状態で何分程経っただろうか。
 みなもは折角出されたコーヒーにも手を付けず少々しおれていた。何故さっき草間は自分を止めたのか? それを今ひとつ納得出来ないでいたのだ。
「なあ、みなも。オレは思うんだが……」
 黙々とコーヒーカップを口に運んでいた草間が、唐突に口火を切る。
「確かに伝承など、古くから伝わる情報は様々な事を教えてくれるよな。だが、目前で起った出来事については、それを見た人間の目が一番信頼出来るんじゃないか?」
 みなもは答えない。
「今回の場合は、黒い犬を直接見た、みなも、おまえの目を信じるのが一番正しいと思う。どれだけの書物を調べ、どんなサイトを探しても、他人がおまえが見たものを完全に再現する事なんぞ、できやしない」
「……どういう意味ですか?」
 意図を掴みかね、ようやくみなもが問い返す。
「拾った情報と、見たものが完全に一致するとは限らない、という話だな。それにもう一つ……生き物が環境に適応したり、進化したりするように、ああいった存在が『変らない』という保証は無い」
「つまり草間さんは、あのブラックドッグが伝承にあるものと同一では無い、と?」
「……そういう可能性もある、というだけの話だ」
 吸って良いか? と煙草を出しみなもへと問う彼。だが思考中のみなもから答えは返ってこない。
「例えば、あの場所は以前は沼地だったというだろう? 今ももしかしたら霊的には沼地のままなのかもしれん。だから、犬は出現時にその音を立てたのかもしれない」
 あくまでオレの予測でしかないが、と草間。
「逆に霊的に沼地ではない場合はどうなんですか?」
 みなもの切り返しにも草間は動じない。
「もしかしたらどこかで、適応の際におぼえたのかも知れないな……まあ、どっちにせよかなり手厳しく脅して追い払った、って話だから、これ以上悪さをする事は無いだろうさ」
 釈然としない、といった風の表情のみなも。直後、草間の雰囲気が変った。
「……それはそれとして、みなも、おまえはもっと自分の目を信じろ」
「自分の目、ですか……?」
 驚いたように目を見開くみなもへと、草間は真摯な表情で頷く。
「おまえは自分の目で事件の現場をしっかりと見て、そして、事件を解決に導いた。回りの情報ではなく、おまえ自身の経験が事件を解決させたんだ」
 草間には、みなもが若干ながら情報に流されがちに見えたのだろう。
「情報だけではなく、生きた経験をもっと大事にしてやってくれ」
 今は分からなくても良い、と草間は続ける。
 だが、彼の言葉にみなもへの期待が込められているのは確かだった。