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<東京怪談・PCゲームノベル>


◆紫陽花祭◆第一話


●【八神家・八神酒造】〜石神・アリス(いしがみ・ありす)〜

 何代にも渡って受け継がれてきたであろう八神酒造は、まるで時代から取り残された古風な佇まいだ。潜ってきた暖簾も、踏みしめた石畳も、澱(おり)がうっすら積もっている、そんな錯覚さえ感じた。
 先ほど通ってきた寂しげな宵待商店街も同じく……ここは、時の流れが他とは違うのかもしれない。
「では当日、八神さんは学者と直接会って、“蔵”の見学を許可されたのですね? 話している時、どんなようすだったのか教えていただけませんか?」
 長い髪を肩から払いながら、石神・アリスは、八神酒造・八神家の次男である八神・心矢(やがみ・しんや)と対面していた。
「許可しました。この辺りは昔から残っている建物も多いですし……」
 心矢が黙ったのでアリスは彼を見上げたまま、しばらく待ってみた。だが、一向に話し出す気配がない。
「あの、教えてくださらないと、失踪者を捜すことはできないと思いますよ?」
「思い出そうとしているのですが……」
 心矢は、なぜか記憶が曖昧らしい。アリスは金色の目を伏せ、小さく息をついてから質問の内容を変更した。
「あなたは過去、同じような“現象”を体験していますね?」
「……はい。俺がまだ幼い頃です。蔵で、兄がいなくなりました」
「その蔵で、あなたとお兄さんは何をされていたのでしょう?」
「当時、古い蔵は使用されていませんでした。住み込みの蔵人含め、八神の誰もが近寄らなかったので遊び場にしていたのです。十歳上の兄はお守り役でした。……確か、隠れ鬼をしていて、そのまま……」
「お兄さんから悩みを聞いたことは? 蔵から出た痕跡は、本当になかったのでしょうか?」
 問いかけで心矢は表情を暗くさせた。“失踪”は彼を長く苦悩させ、今も重くのしかかっているようだ。
「兄が打ち明けたことは、なかったと思います……たぶん。直後に家の者全員で捜したのですが、手懸かりはありませんでした。兄が成人していたのもあって、警察は失踪扱いとして書類を作成しただけです」
 アリスは小首を傾げた。
 鬼ごっこの鬼は未だ消えたまま。新たな鬼も消えてしまったのかしら……?

●【八伏神社・社殿】〜橘・銀華(たちばな・ぎんか)〜

 ふらりと立ち寄った神社から、本来あってはならない気配を感じる。
 鳥居を潜って石段を駆け上がり、堂々と社殿前へ現れたのは、着流し姿の男……橘・銀華だった。見渡せば、敷地内の植物はすべて生気を失い、紫陽花が枯れかかっている。
 銀華は社殿の入り口で自前の下駄をそろえ、本来は進入禁止である社内へ踏み入る。
「失礼承知で入らせてもらったぜ。俺は銀華ってんだ。あんたはここの主神だな? えらく憂鬱そうだが、なんかあったのかい?」
 大鏡と榊が祀られた神域は、二本の燭台の灯りのみが光源。薄紫の御簾の向こう、影が形となって揺らめく。
“……荒々しい訪問だの。それを聞くためだけに来たのか?”
 鈴を思わせる声は、頭の中まで届いている。
「そうだ。神サンってのは本来どんと構えて、世界を見守っているのが仕事だろう? なのに、あんたはそれができる状況ではなさそうだ」
“そなたの言うとおり。我は八伏。八伏神社で祀られし、人のいうところの水神の役割を担っている”
 銀華は板の間であぐらをかき、二度三度ほど頷いてから切り出した。
「八神の酒蔵で、また、失踪者が出たそうじゃないか? 噂では蔵に何やら妖しげな女が出るとか出ないとか。これは俺のカンだが、あんたは、八神家と深い関わりを持つことで、そうなっちまったんじゃないのか?」
“……然りとはいいがたし”
 八伏であろう影は輪郭をはっきりさせながら、薄布一枚の隔たりから人の子を見ている。
「よくよく、人ってんのは神頼みばっかりだよなぁ……。たまには神サンを助けてやってもいいんじゃないのかい?」
 水神は少しだけ笑ったようだ。

●【八伏神社・境内】〜黒蝙蝠・スザク(くろこうもり・すざく)〜

 踵を鳴らし急いで無人駅を降る。今日の電車はもうこの一本だけだった。
 黒蝙蝠・スザクは、宵待商店街の看板の下、日傘を傾け辺りを見回す。
 乾ききった道、打ち水さえされておらず、青柳がしだれる用水路もまったく水が流れていない。

 すごく埃っぽい。まえ来た時は、もっと、水の気配がしたのに。

 胸騒ぎは大きくなるばかりだ。八伏神社の薄暗い石段を登りながら、我知らず肌が粟立った。
 頬を切るような冷たい空気……。商店街は炎天下で晒されていたが、ここは、弓の弦を張ったような緊迫で固められている。
 社前で石段が途切れた瞬間、影がよぎり、スザクは鼻の頭を思い切りぶつけてしまった。
「……きゃっ……!」
 日傘が空中で回転すると、階段を転がり落ちていく。
 手のひらへ白い衣の感触……恐る恐る視線を上げる。そこには、鮮血よりも赤い猩々緋(しょうじょうひ)の瞳が、白練(しろねり)の髪で囲まれているのが見えた。
「……ミ、ツカイ、さん?」
 白袴の青年は彼女の横をすり抜け、ひと飛びで石段の中程まで降りると日傘を拾い上げた。スザクは守護者の広い背中を見ながら、ぎゅっと両手を握り締める。
「スザクがなんとかするから! 絶対、みんなを守るから!」
“……泣キそウナ声を出すナ。まだ、すベテが終ワった訳デはないゾ”
 涼風を撒きながら、隣へ戻ってきたミツカイが日傘を差し出した。
「協力したいの。みんなに笑ってて欲しいんだよ」
“ワガまマなヤツだな”
「……そうやって、イジワル言うんだね」
 苦笑を浮かべるミツカイの顔を見て、事態の深刻さ感じる。
“紫陽花ガ枯れカかってイるノニ、気が付イたカ?”
「うん。良いことでは、ないでしょ?」
“あれは、ミツカイの妖力ヲ押さエるタメの【封】の一つ。八伏様ノお力が、カなり弱まッテいるノダ”
「今回、起こってることに深く関係してる?」
 神社の門番はゆっくりだが、強く頷いた。
“八伏神社で年中咲く紫陽花ハ、【封魔】が成功シテいるのヲ示す。すベテが枯れタ時、封じラれた災いが、解キ放たれるだロウ”
「八伏神社に封じられている災いって……」
“……オマエの考えテいるイルとおリだ。ミツカイ自身が、荒霊(あらたま)とシて封じラれてイる”

 境内が、初夏と思えないほどの冷気で支配されているのは……その所為?
 絶対零度の狐火を操るミツカイさんは、八伏さんの眷族だけど、七尾の妖狐だから?

“ミツカイが七尾なのハ知っていルナ? ダが、元は九尾なのダ。八伏様は慈悲深イ、消滅サセず二尾へ【封】ヲ施した。紫陽花の下で眠リ続けル二尾ハ、最後マで屈服しナカった”
「じゃあ、【封魔】を再度行わないといけない?」
 問いかけへミツカイが答えようとした時、一面、轟音が響き、社全体が地鳴りで打ち震えた。
 スザクが驚愕で立ちすくむ目の前、着流しの男が吹っ飛んでくる。
「ッいってぇっ!! ったく、俺よりケンカっ早いヤツだなっ!」
“社内ニ無断で侵入するトハ、キサマッ! タだで済むト思うテオるのカ?!”
 叫ぶ白頭の童女は、完全な怒髪で朱い目をぎらつかせている。薄い唇から小さな牙が現れ、威嚇の勢いを増していた。
「ガキのクセしてなんて力だ。骨が折れたらどうすんだよ?」
“骨の一本で終わルト? 見タ姿で力量ヲ計らぬコトだ!”
 朱い袴の裾の素足を振り上げた童女は高く跳躍し、尻餅をついた男めがけて重い蹴りを見舞おうとしたが、
“おやめ、ミツカイ。その者に悪気はない”
 星映す水の声が、社殿の奥から制した。
“しカシ! 八伏様!”
“我を助けんと駆けつけた者。無礼は許さぬ”
 スザクは、ようやく忘れかけていた息を思い出し深呼吸する。隣の白い青年はすっかり口を噤んでしまった。
“よく来てくれたな。スザク。その心に礼を言いたい”
「あの……おかげんは?」
“案ずるな。我も対するに心得がある。……じゃが、今は心矢が心配だの”
「酒屋の次男がなんだって?」
 割り込んできたのは銀華だ。スザクが目をぱちくりしていると、白い歯を見せて笑う。
「助っ人がまだいたんだな! 俺は銀華だ。よろしく!」
「スザクです。銀華さんも今回の件で?」
「知らんフリできない質でな。神サンのため、ここは一肌脱ぐことにした」
 二人のミツカイは無言だ。八伏の命を忠実に守っている。
 銀華から仲直りだと、童女のミツカイへ大きな手を差し出したが、握手まで至らなかった。

“さて、そなたたちへ話しておきたいことがある。八神家の【神喰い】についてだ……”
 八伏は社殿へ入るよう促し、スザクと銀華を神域の最深まで招いた。

●【最古の酒蔵】〜阿倍野・サソウ(あべの・さそう)〜

 甘い……梔子(くちなし)の香り。

 香りを探す旅から帰る途中、この小さな町に造り酒屋が存在し、最古の蔵が保存されていると聞いて足を伸ばしていた。
 長い赤毛を一つに束ね、黒のベストとズボン。清潔なシャツに細めのリボンタイは、どこへでも着ていく仕事着。革の鞄には、調香師として必要な道具が入れられている。

 酒蔵を探して歩く内、警察関係らしき者が数人、下の通りを行くのが見えた。すでに苔むした階段を登り、小高い場所まできていたので、歩みを少し止めただけだ。
 改めて最後の段を登り切ると、高い塀と鉄製の門が待っていた。
「残念。さすがに私有地ですからね」
 諦めきれず鉄格子を指先で弾く。嬉しいことに蝶番が軋んだ音を立てて開いた。
 丘の行き止まり、碗を伏せたような形の土蔵があり、建てられた四本の竹に細い縄が掛けられ領域を区切っている。
 内部まで電気を引いているのだろう、土蔵の後ろから電線が出ていた。
 扉は設置されておらず、中が暗すぎて外から見ることもできない。入り口のすぐ近く、室内電灯のスイッチがあるを見つけたので、何度か押してみたが、闇を払うことは叶わなかった。
「……どなたですの?」
 蔵の中から声がしたので、サソウは慌てて弁解した。
「すみません。良い香りがしましたので、つい」
「……かおり?」
「ええ、梔子の。日本酒は造り方によって様々な芳香を放つらしいのですが」
 液状の闇を思わせる入り口へ人影が立っている。それと、こちらを眺める視線。
「見せていただいても、よろしいでしょうか?」
 問いかけも虚しく、声の主は戻っていったようだ。
 ならば、去るのが当たり前……かもしれないが、好奇心が優先だった。
 サソウは履き慣れた革靴で三拍子を刻み、冷えた蔵の暗き通路をこともなげに進んだ。
 連日の晴天で熱された外界と打って変わり、蔵の中は夜気を溜めた涼しさだ。
 何百年も前から棲む酵母たちのひしめきや、幾度となく送り出されたであろう甘露の残り香を辿ると、蔵の中、水のにおいを感じることができた。
「どんな御用で来られたのです?」
 背後からの声で酷く驚いたが、改めて声の主と向かい合わせになる。
 女は蜜色の肌を持ち、うねる黒髪を腰まで垂らして、観世水模様の着物へ帯を締めている。両目は夜の月見草色。指先まで月光をまぶしたかの微光で包まれていた。
 予感はしていたが、八神家の人間ではないだろう。
「香りを追ってここまで来たのです。でも、わかりました。あなただったのですね」
「わたくしの……?」
 袖口を口元へ翳し、鼻を鳴らす姿は動物的だ。
「僕は阿倍野・サソウと申します。あなたは?」
「……狢菊です。ここは、わたくしの褥(しとね)。縄が張ってあるのを見たでしょう」
「……え?」
 こんな土の蔵で寝起きしている。そう言っているのだろうか?
「早くこの町から出なさい。ここ一帯はもうすぐ【月影】に覆われます」
「つきかげ……?」
 狢菊は来た道を指差した。だが、薄闇の行く手を塞ぐ形で少女が立っている。
「あら、先客? やはり、消えた場所が一番あやしいと、誰でも思いますものね」
 石神・アリスは二人を見比べ、『興味深いです』と呟いた。八神・心矢から得た情報で【最古の蔵】を調べてみようと思った。
 十年前、彼の兄が消えた。そして、学者も姿を消し……。
 断定できないが、背高い男の向こうにいるのは“あやかし”の類だろうか。

 なかなかの美貌。コレクションに加えたいぐらい。

 アリスの思考を狢菊は感じたのか、薄い眉をひそめ扇を広げた。
「お戻りなさい。そして、二度と思い出さないことです。あなた方の一生は短い……」
 着物の裾を翻し去ろうとする、彼女の右手を握ったのはサソウだ。
「……また、お会いできますか?」
 異国人の面差しを持った者は、満ちた月の目で彼の瞳の中心を見た。が、寸後、その手を払い退ける。
「忠告はしました。じき日が暮れます。そうなれば……」
 扇の表面、白菊の模様が描かれている。彼女がその上をひといき吹くと、花弁の嵐がサソウとアリスを包んだ。
 思わず両目を閉じ、すぐ開いたが、不思議な女はいなくなっていた。
「彼女がこの度の“犯人”なのかしら?」
「僕は、優しい人だと思いましたが」
 暗い蔵の中、アリスとサソウは自己紹介してから一礼した。自慢の営業用スマイルがお互い見えたかどうかは分からない。
「サソウさんは、ずいぶんとポジティブな考えですこと。相手は神出鬼没な“あやかし”かもしれないのに?」
「手が温かかった。実体を持っているようです。それに、立ち去るよう何度も言ってましたし」
「真実を隠したいだけかも」
「真実……ですか。いったいここで何が起こるのでしょう?」
「まだ、全部が結びついているようではないので……」
 辺りが白く瞬き、天井へ設置されていた裸電球が一斉に点灯した。入り口のスイッチがオン状態だったようだ。

●【八神家・八神酒造】=弐=

 サソウが造り酒屋で事情を聞いている間、アリスは八伏神社の境内へ向かい、後ほど落ち合う約束をした。

「いただいた名刺を、渡しておいたのですが……」
 心矢は学者からもらった名刺を警察に提出したが、突き返されたと言う。
 そして、昼間、通りを歩いていた制服の者たちを思い出す。
 あれは、事情聴取するためだったのか。
「指紋、俺のものしか出なかったと言われました」
 差し出された紙は白紙で文字はどこにもない。ただ、古びて黄色くなっている。警察は彼の虚言と断定し、捜査を打ち切ったらしい。
「確かに名前が印刷されていたのです。ですが、その名が思い出せない……」

 彼の一人芝居? あるいは妄想。訪れた学者など、最初から存在しなかった?
 しかし、心矢が偽っているとは思えない……。

「とにかく、捜しましょう。その学者さんを。僕も協力します」
 サソウが笑顔で握手を求め、心矢はしっかりその手を握り返した。

●【八伏神社・社殿】=弐=

 五色の御簾が塞ぐ広間には、柏葉紫陽花の香煙が漂っている。
 ミツカイはあれから一言も話さず、御簾の左右へ別れ正座したままだ。
“……宵待の名を持つ土地を守護してきた。しかし、今、力は失われているに等しい。【呪(しゅ)】が阻んでおるのだ”
 八伏の姿はない。降っているかの囁きが雨音として響く。
「それを取り除けば、【封】は復活しますか?」
「用は、その呪いを実行しているヤツをぶっとばせばいいワケだ」
 銀華の乱暴な言い方でスザクは瞬きを早くした。彼の横顔は真剣そのものだが、ひどく子供っぽく映る。
“……この【呪】は八神の持つ【神喰い】の術。八神家は我がこの地へ運ばれた時、共に渡ってきた一人の巫女から生じた血筋。……ゆえに、その特質を強く引いている。八神家に霊力を持つ者はいない”
「じゃあ、心矢さんは……?」
 彼の予知夢が外れたことがないのを、耳にしたことがある。心矢は並外れた霊力を持っているはずだ。
“八神は【神喰い】を行うことで、力を得る”
「へぇ、ドーピング神子ってとこか。で? 原因は心矢ってので決まりなのか?」
「銀華さん! そんな言い方って!」
 ミツカイの四つの朱い眼だけが、二人を注視している。
“我が与えた力ではない……”

●【八伏神社・境内】=弐=

 蝉の鳴き声が遠く、一部が隔離されているかの静けさだ。
 アリスは玉砂利を踏みながら、八伏神社の境内を探索していた。小さな町の神社とは思えぬほど手入れが行き届いている。
 ふと、第二鳥居の裏手で落書きらしきものを発見し、確かめようと身を屈めた時、近づく気配が被さってきた。
“なニをしてイる?”
「ラクガキを見つけたので……」
“ナんだと?”
「神域で無粋なことをする者がいるなんて。本当、ひどいです」
 アリスは立ち上がり、真剣な口調で答えた。
 白い女は黄泉路の実と同じ瞳をしていた。鼻に皺を寄せてから、一変、冷ややかな表情となる。
“面白イ眼をもッテいるナ”
「……使うつもりはありません」
 魔眼と邪眼がぶつかる寸前で、息を切らせた男の声が遮る。
「お待たせしましたか? 思ったより距離がありましたよ」
 サソウは八神家から走ってきたようだ。白雪の巫女を発見すると、襟を整え背筋を伸ばした。
“社殿の扉ハ閉まっテいるゾ。おまえタチはここヨり先、進むコと叶ワヌ”
「それって、どういう……」
「よしましょう。僕たちより先に誰か来たようです」
 彼は白き巫女へ会釈して、留まろうとする小柄な少女の背中をそっと押した。

●【八神家・八神酒造】=参=

 店の表へ出てきたのは心矢ではなく、彼の母親だった。
「心矢は出かけております。よろしければ上がってください」
 スザクと銀華は客間へ通され、冷えたほうじ茶を差し出された。廊下で風鈴が鳴っている。
「この度のこと、心矢さんからお聞きになりましたか?」
「ええ。あの子が言うことですから、本当なのでしょう。……十年前も」
 彼女は、心矢の兄が失踪した日の話しを始めた。
「歳の離れた兄弟ですが、本当に仲が良くて……。私は店番を任されていましたので、あまりかまってあげられず、よく二人で遊んでいました」
「兄貴の写真とか残ってないのか?」
「それが……。一枚もありません。思えば、あの日から何一つ……」
 あったはずの家族写真、卒業証書、衣服や食卓の箸さえ、形あるものはすべて無くなっていたという。
「そんなことって……」
「みな、心矢が隠したのだと思っていました。でも、十歳の子供にそんなこと出来たでしょうか。……あの子に兄がいた、それだけしか、今は申し上げられません」
 隣の部屋で振り子時計が四時を知らせている。出されたグラス、大粒の雫が集り盆まで滴っていた。

●【最古の酒蔵】=弐=

「心矢はあの酒蔵へ行ったって?」
「きっと、同じことが起こるはず!」
 八伏神社を挟む形で、八神酒造と酒蔵は存在している。
 人が消える条件……。二人はある接点に気が付いた。酒蔵と八神・心矢だ。
 十年前、彼と一緒に酒蔵でいた兄は忽然と姿を消した。
 学者が失踪した日、心矢は酒蔵まで案内したはずだ。
 夏の日が長いとはいえ、空はもう夕焼けが広がっている。日が落ちる前に心矢を見つけなければ……。

「結局、ここしかないですよね」
「他に捜しようも……。アリスさん」
「なんですか?」
「学者さんって、一体何者なんでしょう? 物的証拠も白紙の名刺一枚でしたし」
 アリスは腕組みし、土の蔵以外は低い草原しかない場所を一瞥した。風で狗尾草(えのころぐさ)が揺れている。
「言えるのは、“居た者が消える”。あと、神社はそれに深く関わっているみたいです。そうとしか思えません」
「もしかして、存在そのものが消えてしまう、とか? 記録さえ無くなっているとは考えられませんか?」
 そこへ、サソウの仮説を肯定する声が重なった。
「ああ、その通りだ。アイツに兄貴がいた物的証拠ってヤツは無くなっていた。あるのは居たという記憶だけだな」
 羽織のない軽和装に下駄を履いた男、日傘を持ったツインテールの少女が丘まで上がってきていた。
「ここに、心矢さんが来てるはずなんだけど。お二人は会いませんでしたか?」
「……いいえ。会っていません」
 サソウの視線は逸れていたが、表情を険しくさせている。どうやら、銀華とサソウは知り合いらしい。
「まあまあ、そんなツラすんなって! ここは協力し合おうぜ?」
 アリス、サソウ、銀華、スザクの四人は、互いに得た情報を繋ぎ合わせ、怪異の結び目を検証した。
「十年前、心矢さんは蔵でお兄さんと隠れ鬼をしていたそうです。あと、失踪した学者を名乗る者と接触していますが、顔を思い出せないと言ってました」
「八伏神社の紫陽花は、ミツカイさんの妖力を封印するためのもの。枯れかかっているのは【封】が破られようとしているから。災いの内容まで聞けなかったけど、九尾の内、二尾は今も眠っているみたい」
「八神家は霊力を持たない一族。代わりに【神喰い】を行うことで力を得てきた。今、神サンの神力を削ぎ取っているのは、八神の【呪】だが、心矢はすでに力を持っている」
「蔵には不思議な方がいました。僕たちに去るよう忠告を……。間もなく【月影】という現象が起こるそうです。あと、心矢くんは学者から【白紙の名刺】を受け取っていました。学者の存在を示す証拠は、今のところ、この名刺だけです」

 失踪者。封印。神喰い。月影。白紙の名刺。
 そして、八神・心矢が最古の蔵に立つ時……。

「わたくしは、帰るように申し上げたはずです」

 草原に現れた狢菊は扇を真上へ高く投げた。すると、日が翳り、大きな月が昇るのが見えた。


=紫陽花祭・第一話・了=(第二話へつづく)




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■登場人物■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

◆PC
7348 石神・アリス(いしがみ・ありす) 女性 15 学生(裏社会の商人)
8473 阿倍野・サソウ(あべの・さそう) 男性 29 調香師(パフューマー)
8474 橘・銀華 (たちばな・ぎんか)  男性 28 用心棒兼フリーター
7919 黒蝙蝠・スザク(くろこうもり・すざく) 女性 16 無職
☆NPC
NPC5248 八伏(はちぶせ) 両性 888 八伏神社の主神
NPC5249 ミツカイ(みつかい) 両性 777 八伏の眷族
NPC5253 八神・心也(やがみ・しんや) 男性 20 大学生
NPC5267 狢菊(むじなぎく) 女性 647 妖人

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■ライター通信■
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阿倍野・サソウ様

はじめまして。ライターの小鳩と申します。
お会いできてとても光栄です。
この度は◆紫陽花祭◆第一話にご参加いただき誠にありがとうございます。
優しく、抜け目なく。礼儀正しくも大胆不敵な。
そんな個性をお持ちだと感じましたので、サソウ様の魅力を少しでも
表現できればと書かせていただきました。

★フラグ判定★↓↓

一番最初に訪れた場所でいるNPCと+3の点数を振っています。
サソウ様は【最古の酒蔵】を選択されていましたので、狢菊と
+3の好感度を上げたことになります。“月影”のエピソード収集を
収集することに成功。握手のアクション指定はやや強引に彼女の手
を握るで成功。プラスα1点で合計+4点となりました。

次に、【八神家・八神酒造】単独で八神・心矢に接触することが
できました。(+2)これにより“白紙の名刺”のエピソードを
収集することに成功。また、彼に握手を求めたことで+1点追加、
合計+3点となりました。

【八伏神社・境内】【八伏神社・社殿】ミツカイの一体と会え
ましたが、フラグ成立にはなりませんでした。
また、八伏と最初に接触したPC様と行動が重ならなかったため、
八伏との謁見は流れました。

=NPCフラグ結果=
サソウ様は狢菊から『気になる人』と意識されています。
八神・心矢には『協力してくれる仲間』と認識されています。

以上が判定結果です。

※※※

次回、◆紫陽花祭◆第二話へのご参加もお待ちしております。
ふたたびご縁が結ばれ、お会いできれば幸いです。